N0.2−2
(アラブ首長国連邦)



デザート・サファリ
2時半ごろの出発となっているので、ホテルロビーでしばし待つことに。このホテル「アドレス・ダウンタウン・ドバイ・ホテル」はデラックスなホテルで、各ツアーの集合場所に利用されているようだ。時折、他のツアー客が集まってくる。その様子を見ながら待っていると、約束の2時半を過ぎてもピックアップにやって来ない。


2時半ごろとなっているので、誤差があるのだろうと気長に待つことに。しかし、かなりの時間が経っても迎えの車はやった来ない。他のツアーは次々に出発している。午後のサファリも参加すると言っていた午前の市内観光で一緒だった女性もやって来ない。いったいどうなったのかと、しびれを切らして玄関先に出る。そこで出入りする車の整理をするスタッフに尋ねてみると、もう間もなく来るはずですよとの返事。そこで、さらにしばらく待っていると、やっと迎えの車がやって来る。


車にはドライバーのみで他には誰も乗っていない。このドライバーはフィリッピン人で英語しか話さない。そこで助手席に乗せられ待機する。そしてドライバーが私に「もう1人女性がいるはずですが、知りませんか?」と尋ねる。そこで「確かにいるんですが、このホテルには来ていませんよ。」と返事する。


ドライバーも困惑した様子で立ち往生している。すると、そこへ電話が入り、その彼女は別のホテルで待っていると言うのだ。ドバイモールに隣接して、このホテルの姉妹ホテルに当たる「アドレス・ダウンタウン・ドバイ・モール・ホテル」があるのだ。何ともまぎらわしいことで、これでは勘違いするのも無理はない。


車は彼女のピックアップのためホテルに向かう。ところがこのホテル、直線距離では近いのに、進入禁止の道路があったりで遠回りで迂回しなければならな。そのため無駄な時間がかかる。ようやく彼女をピックアップし、次へ向かう。すでに予定より半時間以上遅れている。


これでいよいよ砂漠へ行くのかと思いきや、また次の客を迎えに行くと言う。やれやれである。遠く離れた郊外の地域に塀で囲まれた敷地があり、その中に多数の住宅が建っている。その中の1軒に客が待っているという。ここは貸別荘のようで、地域内に入るためには門衛の検問チェックを受けなければならない。


ようやく敷地内に入ると、迷いながらやっとのことで目的の住宅に辿り着く。中から出て来たのは白人の家族である。これでやっと全員が揃い、今度こそは砂漠へ向かう。ドバイは砂漠の中にできた街なので、郊外に出れば、すぐにそこは砂漠地帯である。


話を聞くと、白人家族は南アフリカのケープタウンから来たそうで、3歳と5歳の子供を連れて10日ほど別荘に滞在しているのだと言う。まだ30代と思われる若く感じのよい夫妻である。別荘に滞在とは、なかなか優雅な家族である。ホテルより、その方が安上がりなのだろう。

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郊外へ向けて走行中

左手にブルジュ・カリファが見えて来た

砂漠に近づいてきた


ケープタウンやケープ半島のことなどを話している間に、車は砂漠の中に入って行く。この白人家族は幼い子供連れだが、サファリは大丈夫なのだろうか?と心配になってくる。夫妻は意外と呑気で大らか夫婦のようだ。

いよいよ砂漠に進入

いよいよ道なき道の砂漠走行が始まる。車(トヨタの4輪駆動ランドクルーザー)は砂漠の小山や大山をうねりながら走行を始める。ドライバーは5年間もほぼ毎日このデザート・サファリを案内していると言うヴェテランである。家族はフィリッピンのセブ島に残して年に1回ほど帰省すると言う中年のドライバーは、なかなか気配りの良いお人好しである。日本人に人気のリゾート地セブ島の話を聞きながら車は前後左右に揺れ動く。


このページの背景壁紙に使っているのが、いま走行しているドバイの砂漠なのだ。視界見渡すかぎり砂の砂漠が広がっている。砂漠には泥砂漠もあるが、ここは砂の砂漠である。もう少しサラサラの砂かと予想していたが少し硬めのものである。これまで経験した砂漠はチュニジアのサハラ砂漠中国のタクラマカン砂漠中国ホータンの砂漠 などがあるが、砂漠の中をジープで走り回るのは初体験である。さて、どんな展開になるのか期待に胸がふくらむ。


砂漠は山あり谷あり、斜面ありで、背景写真のように起伏に富んでいる。そんな中をエンジンを吹かしながら縦横無尽に走り抜けて行く。とにかく平地ではないので、常に前後左右に揺れ動く。そして小山に登ったかと思えば、今度は真っ逆さまに下りおりる。ある時は小山の斜面を大きく傾きながら走り抜ける。傾斜45度に近い斜面で肝をつぶされる。とにかくアップダウンに横揺れも加わり、まるでハードなジェットコースターに乗っている感じである。この揺れでは乗り物酔いする人はとても無理だろう。


(動画)砂漠を走行中。激しいアップダウンが続く。


山の斜面を駆け登る時は前面のフロントグラスからは砂の壁しか見えない。それを登りあがって頂上に達したかと思うと、フロントグラスの向こうには夕暮れの空しか見えない。その先がどうなっているのか少々不安になる。シートベルトは締めているものの、とにかく揺れに備えて窓横の取っ手をしっかりと握りしめ、身構えする。


私が恐怖を感じてヒヤッとする時は、急斜面を限度いっぱいに傾きながら横になって走る時と小山の頂上に駆け登って先が空しか見えない時である。その先に何があるのか分からないからで、もしも断崖にでもなっていたら墜落することになるからだ。また斜面走行では横転の危険があるからだ。横転と言えば過去にアフリカでサファリカーの横転事故に遭った経験が今でもトラウマになって残っているのだ。


ドライバーに「この急斜面の走行で横転することはないのですか?」と尋ねると、「たまにありますよ。」という返事。畳みかけて「砂漠走行でスタック(砂地やぬかるみにはまって動けなくなること)することはないのですか?」と尋ねると、「これもたまにあります。でも、このランドクルーザーは性能がいいですよ。トヨタの車がベストですね。」と言う。やはり横転事故は起こっているのだ。


このアップダウン走行で案の定、2人の子供のうち下の子がダウン。嘔吐し始めたのでストップして小休止。ドライバーは気を配って何かと世話を焼いている。10分ほど休んだ後、再びアップダウン走行が再開する。しばらく走っていると、今度は上の5歳の子がダウン。再び小休止する。元気ではしゃいでいた子供たちだが、やはりこのハードなアップダウンの繰り返し走行は身にこたえるのだろう。


小休止の後、車は最後の走行を試みる。さすがにこの私も「もうこれ以上は結構」と心の内でつぶやく。ドライバーの様子を見ていると、このアップダウン走行を何と片手で運転している。慣れているとは言え、見上げたものである。だが、失敗もあり得るので心配でもある。


こうして砂漠の中の道なき道を30分〜40分程度アップダウン走行を繰り返して終わりとなる。砂漠の上にサンセットタイムが迫って来たのだ。そこで砂丘に登り、車はストップする。これから砂漠のサンセット風景を堪能するわけだ。滅多とない機会だけに、砂丘で大きく背伸びし、深呼吸する。先ほどダウンした2人の子供たちも俄然元気を取り戻し、裸足になって喜々として砂丘を走り回っている。

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砂丘の上でサンセットを楽しむ

砂紋が見える

ヴェテランドライバーとランドクルーザー



(動画)砂漠のサンセット風景(ドバイ)


午後5時半ごろが日没時間だが、その様子を時間を追って撮影を試みる。雲ひとつない快晴の青空が次第にオレンジ色に染まって行く。人気のない無風状態の砂漠の中で、ドバイの太陽は静かに地平線の彼方に沈んで行く。静かな日没風景を演出しながら、砂漠に夜のとばりを下ろし始める。

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太陽が砂漠の地平線に沈み始める

砂丘の静かな夕暮れ風景

辺りは次第にたそがれ始める

日没の瞬間

日没後は夕闇が迫る

太陽が沈むと夕闇が迫るのは早い。さあ、これから夕食のバーベキューに向かうのだ。車は砂丘を下り、砂漠を抜けて、いったん大通りに出る。そこをしばらく走ると、再び砂漠の中へ入って行く。その先にバーベキューのキャンプがあるらしい。


暗い砂漠の中を4〜5分ほど進んで行くと、その先に灯りの点いたキャンプが見えてくる。そこは砂漠の中に塀で囲った円形の場所で、直径が100m足らずの敷地となっている。その中心部に砂を固めて作った舞台が設けられ、それを取り囲むように円周形にテーブルと座席が設けられている。座席には座布団が敷かれ、その上に座ってテーブルに着く。座布団の下は砂漠の冷たい地面になっている。砂漠の夜はひんやりとして、やはり上着が必要だ。


(動画)キャンプの夜景


すでに多数の入場者が来場しており、ほぼ満席の状態である。その一角の空いたテーブルに我々一行は席を取る。ケープタウンから来た家族4人と日本女性1人、それに私を加えて6人である。


すでにラクダ乗りが始まっており、順番待ちの行列ができている。この暗闇の中、どこを回るのだろう? 周囲は見えないと思うのだが・・・。ラクダ乗りは数度体験があるので、この暗闇ラクダ乗りはパスとする。


このキャンプではジュース類の飲み物、各種料理、ラクダ乗り、ヘナ・ペインティングなどがあり、これらを自由に選んで飲食したり、楽しんだりすることができる。すべてデザートツアーの料金(市内観光+デザートサファリでUS$145) に含まれているのである。そして、周囲の塀に沿って調理場や飲み物の提供場所が設けられている。各自がそこまで取りに行くことになる。


座席を確保すると、まずは飲み物である。ペプシをもらい、次は焼き立てのナンである。コックがカマドでナンを焼いている。その出来立てを1枚いただいて席に戻る。久々に食べるナンが懐かしく、その香ばしい匂いを漂わせながら口いっぱいに頬張る。

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ナンの生地を作っている

生地をかまどに入れて焼いている

焼き上がったナンの山


しばらくすると、今度はバーベキュー料理が出来上がったらしく、また席を立って肉料理や野菜などを皿に盛り合わせて戻る。食事しながらケープタウンから来た夫妻と談笑する。以前、ケープタウンや喜望峰などを訪れた時のことを話しながら、懐かしく語り合う。

テーブルにはバーベキュー料理が並ぶ

「ところでケープタウンの治安は悪いようですが、最近はどうなんですか?」
「確かに悪いのですが、気をつけながら過ごせば大丈夫です。」
「最近、首都のプレトリアは変更になったんでか?」
「12年中に首都名がプレトリアから『ツワネ』に変わります。」


一国の首都名が変わるのは珍しいことで、この「ツワネ」というのは先住民の首長の名前らしい。この名称変更には政治的思惑があるようだ。夫人は私が原爆の地・長崎に住んでいることを知ると、原爆に関する質問を矢継ぎ早に浴びせてくる。そこで、ここぞとばかりに私の知っていることを教えてやる。私の話に深くうなずきながら聞き入っている。


やがてメインイベントのベリーダンス・ショーが中心の舞台で始まる。ベリー・ダンスはアラブ圏が本場で、今宵はその本場のダンスが見れるのだろう。今宵は休憩を挟んで2人のダンサーが登場すると言う。1人目は女性ダンサーで、お腹と腰をゆすりながら優雅に踊り舞う。大柄な女性だけに迫力がある。観衆から拍手がわき起こる。

女性のベリーダンス


(動画)ベリーダンス


ひとしきりダンスが終わると、次のダンスまでしばし休憩である。その間に日本女性を誘ってヘナ・ペインティングをのぞきに行ってみる。今は誰もいなくて、ヘナを施す女性1人が座っている。そこで日本女性がペイントを所望する。待っていましたとばかりに、腕を握り、みるみるうちに見事なバラの絵を描き終える。「オ〜・ビューティフル!」である。


(動画)ヘナ・ペインティング(バラ)


その様子を側で見ていた私は、もの好きにもヘナの体験をしたくなり、「私にも何か描いてください。」と所望する。すると彼女は首を横に振り、男性には・・・と言う感じで躊躇している。そこで腕を差し出したままでいると、やおら私の手の甲を握り、そこに何やらするすると描き始める。完成した絵は、なんとサソリである。なるほど男性向けの絵柄にぴったりである。


(動画)ヘナ・ペインティング(サソリ)


手の甲にヘナで染められたサソリ

ヘナ・ペイントはチョコレートを溶かしたようなドロついた液体を使って図柄を描くのだが、完成後1時間ほど経過してから取りはらうと、皮膚面に図柄の染み跡が残る。これがヘナの装飾でアフリカ、中近東方面では若い女性がよくペイントしているのを見かける。ヘナとは植物の名前で、古代からマニキュアやヘナタトゥーなどの染料として使用されている。このペイントのもちは短く、約1週間ぐらいで消失する。


ヘナを楽しんでいる間に幕間の時間は過ぎ、2人目のダンスが始まる。今度は回転ダンスである。珍しくもエジプト人の男性ダンサーである。終始ぐるぐると左回転を続け、スカートが舞い上がって水平になるまで回転する。そして回転しながらさまざまな芸を見せる。最後はすべてのライトを消し、電光飾を施したスカートを使ってさまざまなパターンの踊りを見せてくれる。暗闇に浮かび上がる電光飾のスカートがなかなか素敵で観客席から感嘆の声が上がる。


(動画)ベリーダンス。激しい回転ダンスと電光飾が美しい。。


このダンスを最後にバーベキュー大会は終了となる。このキャンプで夜の8時ぐらいまでの2時間あまりを過ごし、一同は車へ引きあげて帰路につく。砂漠を抜けてストリートに出ると、夜景を見ながら車は街中の方向へ向かう。そしてまず、ケープタウンの家族が住む別荘まで送り届け、次いで私の滞在ホテルへ移動する。今夜の深夜便でインドに向かうと言う東京の女性1人を残し、別れを告げてホテルの人となる。


今日は朝の8時から夜の8時まで、まる1日がかりで市内観光とデザート・サファリを楽しんだが、午前の大都市の顔と午後の砂漠の顔という異なるドバイの2面を見たわけである。


刺激的な一日に心満たされながら、ゆっくりと湯船にひたり疲れを癒やす。明日は待望の世界一高い展望台上りである。明日への期待を抱きながら床に就いたのは夜の10時である。



(次ページは「ブルジュ・カリファ展望台&ドバイモール」編です)










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