NO.6
(アメリカ編)




第九日目。日曜日の朝。ホテルの窓から眺めると、ストリ−トはいつもの混雑とは打って変わってひっそりとしている。









ひっそりとした日曜日のレキシントン街















今日はバスに乗って、セントラルパ−クにあるメトロポリタン美術館へ行く予定だ。ここはル−ブル美術館、大英博物館と並ぶ世界三大美術館の一つである。今日の見学で三大美術館をすべて訪問したことになる。通りの店でパンとミルクの朝食をすませ、バスマップを片手に出かける。
 

ハーレムへ迷い込む
循環して美術館の前を通る二番のバスに乗ろうと、マジソン街のバス停まで急ぐ。黒人女性の運転する空いたバスが来たので地下鉄共用のト−クンを運賃箱に入れて乗車する。バスに乗ると百円ぐらいの運賃で思わぬニュ−ヨ−クの市内観光ができる。バスはマンハッタンを北に向かって走り続け、セントラルパ−クの北端に出てさらに進んで行く。こっちのほうは、確かハ−レム地区(黒人が住んでいる街で特に治安が悪い。)のはずだがと思っていると、白人と入れ代わりに黒人の乗客が次第に増え始め、とうとう最後には運転手をはじめとして黒人ばかりになってしまう。 


もう四十分近くも走ってハ−レムのかなり奥まで来ているのに、なかなか折り返し地点に着かない。このあたり一帯はコンクリ−ト建のアパ−トが並んでいるが殺風景で、なんとなくうらぶれた場末の街といった様子である。さすが見える顔はみんな黒人ばかりである。お陰で思わぬ観光の拾い物をした。
 

やっと折り返し点に着いたかと思うと、ここは終着点だから降りろと運転手がいう。路線を循環しているバスだとばかり思っていたのに、やはり終着点があるのだ。また運賃が要る。そこで始発バス停を聞いて降りると、向こうに見えるバスストップへ歩いて行く。そこで黒人の乗客にまじってしばらく待っていると、再び黒人女性の運転する同じバスが折り返してくる。おやおやと思って乗りながら「久しぶりですね。」と彼女に声をかけると、ガムを噛む顔いっぱいに笑みを浮かべている。
 

どのバス停からも黒人ばかりが乗ってくるのだが、今度はみんなドレスアップして着飾っている。男性はス−ツに帽子、女性はドレスにハット姿、子供たちも蝶ネクタイやリボンをつけていて、何かのパ−ティに行くような出で立ちである。何のイベントがあるのだろうかと想像しているうちに、ふと「そうだ! 今日は日曜日なので教会へ礼拝に行っているのだ。」と思いつく。そこで、隣の婦人に「みなさん教会へ行くんですか?」と尋ねると、「そうです。」と答える。黒人の人たちは、みんな敬虔な信者の方ばかりだ。
 

バスがセントラルパ−クの北端に再びさしかかり信号待ちでストップすると、運転手はゆっくりと降りて道を横ぎり建物の中に入って行く。「ウン? トイレかな?」と思って待っていると、間もなく彼女が戻ってくる。よく見ると、その建物は小さな教会なのだ。「ハハ〜ン、ちょっと礼拝に立ち寄ったのだな」ということがわかり、なんと大らかな国だろうと感心することしきり。日本だったら、乗客をほったらかしにして五、六分も持ち場から離れるなんて考えられないことだ。運転手を取り戻したバスは鬱蒼と木々が茂るセントラルパ−ク沿いの五番街を走り、ようやく目的の美術館前に到着する。ずいぶん回り道したが、いろいろ面白い見物ができて思わぬ収穫を得る。
 

メトロポリタン美術館
世界三大ミュ−ジアムの一つメトロポリタン美術館は豪壮な建物で、中には三十数万点のものが常設展示されている。なかでも三千点にも及ぶヨ−ロッパ美術とエジプト美術が自慢のコレクションだといわれる。館内の案内受付には日本人の係員もいて、日本語パンフレットも用意されている。全部見るのは一日では無理なので、一階のエジプトコレクションと二階のヨ−ロッパ美術を中心に見学を始める。ヨ−ロッパ絵画の豪華さと美しさは何度見ても見飽かない。そのスケ−ルの大きさ、陰影の美しさ、色合いの見事さは迫真の画像となって見る者に迫ってくる。
 

そして、どの美術館でもなぜかエジプトコレクションには魅かれるものがある。どれも一見してすぐわかるエジプト特有の文様や独特のヘア−スタイル、それに巨大な像は迫力ものである。日本美術館に回ると、そこには仏像や金箔の屏風絵などが展示されており、照明も薄暗くして日本美術の雰囲気が出やすいように配慮してある。 






エジプト・コレクション















 
同上









     

ひと通りの見学を終え、館内のカフェテリアで昼食を取る。これが食堂かと思われるほど広いスペ−スにテ−ブルが置かれており、そこにゆっくりと腰掛けてスパゲッティにチキンもも肉、ミネラル水でお腹を満たす。一服してセントラルパ−クへと足を向ける。
 

セントラルパークへ
今日は日曜日とあって、多くの人で賑わっている。公園ではさまざまなグル−プのデモンストレ−ションが行われている。まず、エイズキャンペ−ンの若者たちのデモ行進が、ぞくぞくと終着点の公園めざして集まってくる。公園内のグランドでは、黒人グル−プの集会が行われており、特設された舞台ではロックバンドによる強烈でリズミカルな演奏が途切れなく続いている。群集はそれに合わせてコブシをあげ、叫びながらリズムに乗って体を揺すっている。まるでコンサ−ト会場だ。やはり黒人だけに、サウンドにも迫力がある。
 

レンタサイクルがあるということなので、その場所を聞きながら探し回るがなかなか発見できない。このセントラルパ−クはとてつもなく大きい公園で、ヨコ幅八〇〇メ−トル、タテ幅四kmもある広大さである。この巨大な緑の固まりがニュ−ヨ−クのド真中にあるわけだから、休日にはいろいろな人たちが集まってきてジョギングやサイクリング、ピクニック、コンサ−ト、スポ−ツなどそれぞれのレジャ−を楽しんでいる。
 

とても見つかりそうにないのでレンタサイクルはあきらめ、池のほとりの木陰に腰を下ろして憩う。すぐ近くでは数人の老人男女グル−プが、音楽をかけながらスケアダンスを踊っている。欧米の老人たちは陽気で明るく、しゃれた楽しみ方を知っている。微笑ましい、のどかな光景に目をやりながら、ニュ−ヨ−クの午後のひとときを過ごしやる。




 ニューヨーク・マンハッタンの中央に位置するセントラル・パークの一角





イスラエル・デーのパレード
バスに乗って戻ろうと公園前の五番街に出ると、何かのパレ−ドが通っている。「イスラエル」と書いたプラカ−ドとイスラエルの国旗がなびいている。そして、沿道からは盛んに拍手や声援が飛んでいる。よく見ると、両側の沿道はイスラエルの人たちで埋め尽くされている。どうして分かるかといえば、例の小皿のような小さなキャップをカッパのように頭に付けているからである。礼拝や行事の時には、このキャップを付けるのが慣わしらしい。
 





イスラエル・デーのパレード









沿道の一人に「何を祝っているのですか?」と尋ねると、「イスラエル!」と気炎を上げながら答える。こちらは「?」と、まだその意味がよく理解できない。そこで人込みをかきわけて行きながら、また別のイスラエル人に同じ質問を繰り返してみる。すると、「イスラエルの独立を祝っているので、今日はその記念日なのです。」という。なるほど、ニュ−ヨ−ク在住のイスラエル人たちが総出で記念日を祝っているのだ。この国の人たちはユダヤ人虐殺などでも分かるように長い間虐げられてきただけに、国民の結束は人一倍固いものがある。
 

どこまで歩いてもパレ−ドは途切れることなく、延々と続いている。そのためバスも通行止めになっていて利用もできない。いつ終わるとも知れないので、仕方なくホテルまでテクテク歩くことにする。三kmはあるぞと覚悟しながら幾つかのアベニュ−を斜めに横切り、人気のない通りの風景を眺めて歩き続ける。と、どこからともなく馬の蹄の音が聞こえてくる。そちらを見ると、なんと六頭の馬に乗った警官が二列に並んで威風堂々と闊歩しているではないか。今では珍しいニュ−ヨ−ク市警の騎馬警官隊なのだ。カッコイイ姿に、しばし見とれる。

 




ニューヨークの騎馬警官隊









やっとホテルに戻り着き、預けたバッグを受け取って再び向かい側のホテルへ移動する。今度は一泊一万円程度の中級ホテルである。部屋でくつろいだ後は、ホテルのイタリアンレストランでスパゲッティ料理の夕食を取る。今日のメニュ−に安いパスタ料理の掲示が出ていたのが目に止まったのである。ウェイタ−がイタリア系の顔をしているので、「あなたはイタリア人ですか?」と尋ねると、「両親がイタリア出身なんです。」という。そして「料理はどうでしたか?」と聞くので、「テイスト グッド(おいしいです)」と答える。すると、にっこり笑いながら「サンキュウ」と礼をいう。食後は、夕風そよぐ前の通りをぶらりと散策して回る。



(次ページは「フィラデルフィア編」です)










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