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 NO.5
(アメリカ編)




4.ニュ−ヨ−ク・・・・ 翻弄されたホテル探しとサムソナイト

この街を最後に今日一日の観光を終わり、トロント空港へと向かう。まだ三時過ぎなのだが、ここから二時間かかる空港に午後七時半出発の二時間前に到着するには、この時間に発たないといけないのだ。今夜はニュ−ヨ−ク到着が遅くなるということで、ホテルでの夕食の代わりに幕の内弁当が渡される。空港ではたっぷり待ち時間があるので、この間に食事をすませましょうということになり、みんな寄り合って店開きを始める。天ぷらやお煮染めの混じる日本食特有の匂いが、あたりいっぱいに広がって他の待合い客に気が引ける。空港のアナウンスが、各自の持ち物には気を付けるよう絶え間なく注意を促している。よほど事故が多いのだろうか。 


ニュ−ヨ−クへ
一時間少しの飛行で九時前、夜のニュ−ヨ−クへ到着。出迎えのバスに乗ってニュ−ヨ−クの中心、五番街近くのレキシントン通りにあるロ−ズ・ニュ−ヨ−ク・ホテルへチェックインする。この近辺には超高層ビルはないので、ニュ−ヨ−クらしいきらびやかな夜景は見られない。部屋に入ると早速、目星をつけていたホテルに宿泊予約の電話を入れてみる。ところが、もう遅くてコンピュ−タ−がロックされているので、また明日電話してくれという。明日からツア−と離れて一人旅になる。うまく取れればいいのだが。






 



 夜のレキシントン街














コンセルジュに行って観光案内パンフをもらい集める。マンハッタン島の摩天楼の夜景を海上から見ながら夕食を楽しむディナ−・クル−ズのことを聞いてみると、各ホテルへの送迎はなく、自分で波止場まで出向かなくてはいけないという。往きはよいのだが、夜の十時過ぎに終わって帰る際が、地下鉄はもちろんタクシ−にしてもちょっと危険すぎる。これは断念するしかない。私のグル−プでは、一八、〇〇〇円のオプションで明夜同じディナ−・クル−ズを楽しむ予定になっている。自分で行けば六二ドルで六、〇〇〇円とかからないのだが……。送迎バス付きとはいえ、どうして日本のツア−はこんなに高いのだろう。そんなことを思いながら、ニュ−ヨ−ク第一夜の夢を結ぶ。


第七日目。今朝は珍しく雨がパラついている。予報では午後から明るようにいっていたので大丈夫だろう。昨日午後まで大雨が降っていたそうで、私たちはついている。今日の観光予定は午前中ニュ−ヨ−ク市内観光、午後は自由行動、夜はオプションでディナ−・クル−ズとなっている。ツア−一行のみなさんは、今日を最後に明日は帰国の旅である。「もっと居たいなあ。せめて途中のハワイででも一泊できたらいいのにね。」と口々に残念がっている。
 





宿泊ホテル前の朝の風景












市内観光
コンセルジュに市内地図と地下鉄マップ、バスマップをもらい、出迎えのバスに乗って市内観光へ繰り出す。シャネル、ティファニ−、グッチなど高級店やデパ−トがずらりと並ぶ有名な五番街やミッドタウンの中心に二十一ものビルが林立しているロックフェラ−・センタ−、ミュ−ジカルで有名なブロ−ドウエイなどを巡り、エンパイア・ステ−ト・ビルへ向かう。


ここは自由の女神と並びニュ−ヨ−クの顔となっている高さ三八一メ−トル(塔の上までは四四三メ−トル)、一〇二階もある超高層ビルである。これは彦山(長崎の山)の高さと同じだ。いまでこそワ−ルド・トレ−ドセンタ−やシカゴのシア−ズ・タワ−に追い越されてしまったが、それまで長い間世界一の高さを誇っていたのだ。









ビルの谷間からエンパイア・ビルを望む














見上げるビルはさすかがに高い。まずエレベ−タ−で八〇階まで上がり、そこで乗り換えて八十六階の展望台へ到着する。ここは吹きさらしになっていてトロントのCNタルワ−展望台より少し低い位置だが、眼下に広がるマンハッタンの摩天楼街を一望する眺望は、またそれとは異なる趣がる。まるで雨後の竹の子が一斉に地表からニョキニョキと突き出てきたかのように、ビルの“竹の子”が所狭しと林立している。この壮観な光景を三枚続きのカット写真に収める。この上にもう一段高い一〇二階の展望台がある。   



 エンパイア・ビルの102階展望台よりマンハッタンを眺める。



 上と同じく、102階展望台より眺めたマンハッタンの眺望




いっきに地上に戻り、次はマンハッタンの突端にあるバッテリ−・パ−クへ移動する。この海岸からは遠くに自由の女神が見える。彼女に会うには、ここからフェリ−に乗って前方に見えるリバ−ティ・アイランドへ渡らなければならない。そのフェリ−を待つ乗客が長い列をつくっている。これは乗船までずいぶん待ち時間がかかりそうだ。でも、ここの観光予定は入っていないから心配無用だ。                   


ここを後にしてバスは国連ビルへと回る。これまで写真で幾度となく見なれたビルだが、意外と外観はコンクリ−トむきだしの素朴な感じである。ここにも入場客の行列ができており、半時間以上も待ち時間が必要とのことで、折角入場予定のところを省略して昼食に向かう。
 

ランチは中華レストランで久し振りの中国料理、みんな口慣れしているとみえて、うまそうに箸でつまんでいる。こちらも中国茶をすすりながら、おいしそうな料理からつまみ始める。一通り食べ終わってフル−ツのデザ−トが出たところで、「実は今日でお別れして、しばらく一人旅を続けます。いろいろお世話になりました。」とツア−のみなさんにお別れのあいさつを申し述べる。「英語が話せるといいですね。私たちはツア−でないと無理ですから……。羨ましいかぎりですよ。」と、居並ぶみなさんの羨望の的となり、少々気が引ける思いがする。
 

昼食が終わってホテルへ戻り、これから自由行動となる。この間に明日以降のホテルを確保しておかなくては路頭に迷う。今朝、念のため添乗員さんの顔で同じホテルを当たってみてもらったが満杯とのこと、高い料金で利用する気はなかったのだから別に問題はない。三日後に鉄道でフィラデルフィアへ行く予定なので、目星を付けているペンシルバニア駅に近いホテルへ場所の確認かたがた出向くことにする。
 

ニューヨークの地下鉄
そこで初めてニュ−ヨ−クの地下鉄に乗ってみる。まずト−クンとよばれるコイン(これはバスにも使用できる。)を窓口で購入する。一枚一・五ドル。どこまで乗っても一律料金で助かる。六ドル払ってト−クン四枚をまとめ買いし、その一枚を投入して回転式入場口をハンドルを回しながら通過する。駅の数四六九にも上る世界最大規模の地下鉄だけに路線は複雑に入り乱れており、路線図を見ても行きたい目的地がどの駅で降りればよいのか直ぐには見当がつかない。


各路線にはABCのアルファベットか数字の番号が付してあり、行きたい駅のある路線の記号か番号を読み取って降りる入口を選ばなければいけない。だから地下鉄入り口はどこから入ってもかまわないというわけにはいかず、まず入り口に示してある記号・番号を確認する必要がある。


ホ−ムも方向がアップタウンとダウンタウンとに別れているし、到着する列車の先頭に示されている記号・番号もよく見ていないと乗り間違えることになる。列車の横には何の表示もないのだから……。複雑な上に案内表示も不親切ときているので、まったくもって旅行者泣かせである。これまでヨ−ロッパ七ヶ所、アメリカ三ヶ所で地下鉄を利用したが、やはりここがもっとも複雑で分かりにくい。その上、治安が悪いときているので困りものだ。  


鉄道チケット購入
初の地下鉄試乗に汗を流しながらペン・ステ−ションで無事下車、地下通路を通って鉄道のペンシルバニア駅へ出る。ここでジュ−スを飲みながら、三日後のフィラデルフィア行きのチケットを購入しておこうとまず案内所へ行って切符の有効期間を聞いてみると、なんと六ヶ月間も有効だという。そこで安心してチケット窓口へ行くと、行列ができている。ここもヨ−ロッパの駅のやり方に似ている。一列に並んだ乗客は、数ヶ所ある窓口のうち空いたところから順に行って購入するのである。普通席切符もこうして買うのだから時間がかかる。
 

順番が来て「フィラデルフィアまで一枚」というと、「あなたはシニアですか?」と聞くので「そうです。」と返事する。高齢者割引があるのだ。料金は二五・五〇ドル(二千円少し)。これもヨ−ロッパ同様クレジットカ−ドで支払えるので助かる。この親切な女性の係員は、普通列車はこれとこれだといいながら時刻表に赤マ−クをつけて渡してくれる。チケットの大きさは郵便封筒ほどの大きさで、面白いことにこちらの名前まで記入してある。
 

ホテル探し
チケットを手に入れたところで、次は地番を頼りに目的のホテル探しにかかる。ところで、ニュ−ヨ−クの中心マンハッタン地区はタテ・ヨコの見事な直線で市街地が区画されていて、タテのアベニュ−(〜街)には通りの名や番号が、ヨコのストリ−ト(〜丁目)には番号が付してある。そして、道路の辻には通りの名や番号が書かれた表示ポ−ルが立っているので、地図を持っていれば場所探しに迷うことはなく非常に便利である。そして、アベニュ−とアベニュ−の間隔は歩いて二分、ストリ−トとストリ−トの間隔は一分というように道路区画が等間隔に仕切られている。だから、今自分が立っている位置から目的地まで歩いて何分かかるかが地図の上で計測できるのだ。
 

めざすホテルはすぐに見つかる。安ホテルとはいえ、あまりにもお粗末なフロントに驚きながら頼んでみると、部屋は満室だという。しかし、五日後の帰国前夜の分はOKというので、とりあえず予約をとっておく。とにかく明日からの宿を確保しないと困るので、どこか紹介してくれないかと頼むと、別のホテルの住所を示してそこへ行ってみたらという。


地図で調べると歩いて二〇分はかかりそうだ。これでは駅まで遠すぎるので断念、すぐ近くの大きなホテルに入って聞いてみるが、ここもダメ。仕方なく、二十五セントコインをいっぱい用意してそこの地階にある公衆電話に座り込み、ガイドブックに載っているホテル九ヶ所に片っ端から電話をかけまくる。だが、すべて「ソ−リ−。ソルダウト。(売り切れ)」という返事が即座に返ってくる。そうか、明日・明後日は土・日の週末になっているのでお客が多いのだ。
 

電話かけをあきらめ、ペン・ステ−ションへ戻って案内所がないか探してみると、小さなビジタ−・インフォメ−ションが目に入る。助け船とばかりにそこへ行き、ここでホテル予約ができるか聞くと「OK」という。係の若い女性が長電話の末、やっと土・日の予約をとってくれる。ノ−トに書いてくれたホテルの住所を見ると、偶然にもいま宿泊しているホテルと同じ通りで直ぐ近くになっている。これはありがたいと礼をいって外へ出る。
 

フェリーから眺める自由の女神
ほっと胸をなで下ろしたところで、予定していた自由の女神を海上より拝みに行く。女神の立つリバティ・アイランドに行ける時間はないので、女神の傍を通るフェリ−に乗って遠望することにする。そこでト−クンを入れて地下鉄に乗り、終点のサウス・フェリ−で降りる。ここは午前中に来たマンハッタン島の南端バッテリ−パ−クで、ここから向かいのスタテン島へ通う公営のフェリ−が出ている。実は、このフェリ−が自由の女神像の正面近くを通るというので、これに乗って安上がりの観光をしようと企んでいるのだ。
 

ここにはチケット売り場もなく、そのまま乗船することになっている。三〇分おきに出ているフェリ−は、夕方五時過ぎというのにガラ−ンと空いている。船内の売店では飲物やスナック類が売ってある。そこでカンビ−ルを調達し、後部のデッキに出て喉をビ−ルで潤しながら遠ざかり行くマンハッタンの摩天楼街を心ゆくまで眺め入る。このシ−ンは、よく写真などで見かける素晴らしい光景だ。


左横を見ると、自由の女神が次第にクるロ−ズアップしてくる。小さな島の上に備えられた大きな土台の上に、右手を高く伸ばしながらこちらに顔を向けて立っている。鉛色に垂れ込めた夕空が、女神の後方部分のみが薄赤く夕焼けに染まって明るく、まるで後光でも差しているようである。今のうちに写真を撮っておこうと、視界のかぎりを五枚連続のカット写真に収める。






夕日に映える自由の女神










マンハッタンの眺めは、あたかも海面に浮かべたお盆の上に細長い積木を立ち並べたようだ。その中でも、ワ−ルド・トレ−ド・センタ−のツイン・タワ−がひときわ高くそびえている。
 

マンハッタンの遠景:スタテン島へ通うフェリー船上から眺める。





 ニューヨーク・マンハッタンの遠景。左側に自由の女神が見える。マンハッタンにはワールド・トレードセンタービルのツイン・タワー(110階建て)がひときわ目立つ。スタテン島へ通うフェリー船上から写す。






二〇分で対岸のスタテン島に到着。上陸してしばらく海岸付近の様子を探索してみるが、道路とバス停があるだけで商店も何もない殺風景の場所である。この島は五地区に分かれたニュ−ヨ−クのれっきとした一地区なのだが、商店街や住宅街はもっと奥のほうにあるのだろうか。仕方なくきびすを返して波止場へ戻り、次のフェリ−で帰ることにする。


ここから乗船するときに、初めて五〇セントの料金を払うことになっている。つまり、往復でたったの五〇セントというわけだ。往きとは逆に、今度はマンハッタンの摩天楼が近づくにつれて次第にクロ−ズアップしてくる。すぐ近くの女神像の前をディナ−・クル−ズの白い船体がゆっくりと移動している。グル−プのみなさんが乗っているクル−ザ−が、いま出港したばかりらしい。こうしてディナ−・クル−ズに代わる一人ぽっちの“フェリ−・クル−ズ”は、ビ−ル代も含めて合計二ドル足らず、往復四〇分の航海で幕となる。
 

バスターミナルの確認
帰りは地下鉄四十二ストリ−ト駅で下車し、ポ−ト・オ−ソリティ・バスタ−ミナルの確認に立ち寄る。ケネディ空港行きのリムジンバスがここからスタ−トするので、当日迷わないように下検分しておくのだ。駅から続く地下道を案内表示に従って進み、タ−ミナルへ到着する。ここは各方面行きのバスが集中するニュ−ヨ−クの一大バスセンタ−なのだ。大勢の待合い客で混雑している。空港行きの待合室は時間が遅いせいかひっそりとしている。何分置きに発車するのか切符売場で聞くと、時刻表を渡してくれる。これで一安心、後は帰国の朝に来るだけだ。足取りも軽く、ホテルへ戻る。
 

独り旅
第八日目。今日はツア−のみなさんとお別れの日である。いよいよ独り旅が始まるのかと思うと、全身に思わずエネルギ−がみなぎって背筋までがピ−ンと張り詰めた感じがしてくる。ツア−最後の朝食を終えて玄関まで見送りに出る。みんなの羨む視線をバスの窓から一斉に受けながら、手を振って別れを惜しむ。それからバッグをホテルに預け、今日の行動へと動き始める。
 
ブルックリンへ
対岸のブルックリンに渡れば摩天楼街が一望できるというので、地下鉄E線に乗ってC線に乗り換え、ホイト・ストリ−ト駅で下車。降りた乗客はたったの二人だけである。駅員にブルックリン・ハイツ住宅街の方向を聞いて地上へ出ると、その付近には人の気配がなく静まり返っている。やっと中年の紳士に出会って、途中まで送ってもらう。ブルックリン・ハイツは古いマンション風の建物が並ぶ閑静な住宅街で、陽光に映える街路樹が緑のトンネルをつくっている。その素敵な雰囲気に、「ウ〜ン、ニュ−ヨ−クで住むならここだネ。」と思わず独り言が口から漏れ出る。
 





ブルックリン・ハイツの住宅街









海岸線に遊歩道があり、そこからの眺めが抜群というので、そこをめざして通りを抜けて行く。住宅街の端まで突き抜けるとパッと視界が開け、イ−ストリバ−を挟んだ対岸にマンハッタンの摩天楼街が手にとどくように広がっている。タラコの形に突き出たマンハッタン島を昨夕のフェリ−船上からはその突端部分を眺めたのだが、ここからの景観はそれを横のほうから眺める位置になる。じっと眺め渡すと、林立する超高層ビル群が晴れ上がった青空の中にモザイク模様のシルエットをつくり出している。ほんとにオモチャの積木を無造作に並べ立てたようだ。これが世界で最もエキサイティングな街・ニュ−ヨ−クの中心部なのだ。



 イースト・リバーを挟んで、ブルックリン地区のプロムナードよりマンハッタンを望む。右側にブルックリン橋が見える。





右のほうに目を移すと、こことマンハッタンを結ぶ長いブルックリン橋がかかっている。眼下の海岸線には港湾施設が立ち並び、その後方に一段高くなった恰好の遊歩道が沿岸沿いに設けられている。今日は土曜週末とあって、子供を連れた近所の家族連れやジョギングする人たちの姿がちらほら見られる。ここで目の前に広がる一八〇度の視界を六枚連続のカット写真に収める。そして、プロムナ−ドに設けられているベンチに座り、一時間ほどぼんやりと辺りの絶景に眺め入りながら静かな時を過ごす。
 

お昼近くになったので昼食を取ろうと、住宅街のほうへ足を戻す。ほどなく小ぎれいなパン屋が目に止まり、そこでパンとミルクを買って近くの公園でランチとする。青々と茂った木々の枝々が、まだら模様の緑陰をつくり出している公園には人影もまばらで、静かで落ち着いたブルックリンの素敵な雰囲気を漂わせている。食事を終わって一人静かに憩っていると、一人の老人が前を通りかかり、「ワイフを待っているんだけど、まだ出てこないもんだから……」とにこにこしながら私の隣に腰を下ろしにくる。退屈しのぎに話したいのだろう。こちらもいい話相手ができたぞとほくそ笑む。
 

彼は八十歳になる元弁護士で、今は引退してすぐ近くのマンションに老妻と二人で住んでいるという。もう長年このブルックリンに住んでいるそうで、なかなか良い環境だという。「ニュ−ヨ−クでは、どこが一番住み良いですか?」と聞くと、「ニュ−ヨ−ク市には五つの地区がある。マンハッタン、ブルックリン、クイ−ンズ、ブロンクス、それに……ウ〜ン、ウ〜ン…」といいながら、最後の一つがどうしても思い出せないらしい。そのもどかしい様子に耐えかねて、こちらはガイドブックを取り出して調べ始める。そして、「分かりましたよ。スタテン島です。昨日フェリ−で行ってきましたよ。」というと、「そう、スタテン島だ。長年住んでいてもつい忘れてしまうよ。」と照れ笑いしている。


それから、日本のどこから来たのか、日本は素晴らしい発展をとげた立派な国だ、と遠くを見据えながら話し続ける。そして、これからは中国の発展が世界の注目を集めるだろう、と世界の情勢をよく把握している様子である。半時間ほど経っても待ち人の老婦人はまだ姿を見せず、とうとうしびれを切らして様子を見てくると席を立つので、こちらも一緒に腰を上げ別れを告げて地下鉄の方へ移動する。


ロックフェラ−センタ−
帰りはロックフェラ−センタ−へ出て、その界隈をうろつき回る。ミッドタウン(ブロ−ドウェイや多くの名所、高級ホテルが集中するニュ−ヨ−ク観光の中心地)の中心、五番街と七番街、四十七丁目と五十二丁目に囲まれたエリアがロックフェラ−・センタ−と呼ばれる。七〇階建ての優雅な外観のG.E.ビルを中心に二十一のビルが林立し、主としてビジネスを目的としたビルが大複合体を構成している地域なのである。センタ−内の各ビルの階数を合計すると五五七階にも及び、約六万五千人のビジネスマン・ウ−マンが働いているという。
 

その中心部にある広場は、毎冬クリスマスの時期になれば巨大なツリ−が飾られることで有名であり、その様子は毎年日本にもニュ−スとなって流されている。この一等地域をそっくり日本企業の三菱地所がバブル時代に買収したのだが、数年経った現在、ビルの入居率が悪くなって採算が合わなくなり、お荷物になって売りに出してしまう羽目になっている。そんなことを思い浮かべながら、ビルの谷間を徘徊する。
 








 ロックフェラーセンターの一角















ブロ−ド・ウェイ
次は地下鉄五〇ストリ−ト駅で降り、ミュ−ジカルの本場ブロ−ド・ウェイに立ち寄る。ここは人出も多くなかなか活気のある通りである。劇場や飲食店、商店などが立ち並んでいて、品物も安く庶民的な街である。最近はミュ−ジカルのヒット作がなく、ブロ−ドウェイの地盤沈下が著しいらしい。どうにか「サンセット大通り」があったくらいで、ロングラン十三年目の「キャッツ」や八年目の「オペラ座の怪人」などには遠く及ばないそうだ(平成七年七月八日付日経新聞)。昨年ロンドンで「ミス・サイゴン」を観劇したので、この地でミュ−ジカルを見る予定はない。

 




ブロードウェイの街並み











旅行バッグ購入
軒を連ねる商店街を冷やかしながら歩いていると、旅行バッグを置いている店が目にとまり、ぶらっと立ち寄ってみる。それとなくバッグを眺めていると、すかさず中年の男性店員がやってきて「コレ ドウデス。ヨンセンエン。」と片言の日本語で話しかけながらサムソナイトのキャリ−付バッグを持ち出してきて見せる。よく見るとキャリ−付のバッグでなかなかスマ−トであり、これまでのものとは違ったしゃれた感じのするバッグなので、買う気はなかったのに四千円という値段に魅かれてつい買うことに決める。ビザカ−ドで支払い、これは安く買えたと喜び持ち帰ったものの、帰国後大変やっかいな後日談が待ち受けていた。(あとがきに記す)
 

新品のバッグを持ちながら、予約したホテルに早目に行こうとレキシントン街へ向けて歩き出す。ここからホテルまでの道程は、七、六、五番街を横切り、さらにマジソン、パ−ク街を横切ってレキシントン街にたどり着く。ここまで歩いて十五分ほどである。昨夜まで泊まったホテルで預けたバッグを引き取り、早速荷物を新品のバッグに入れ替えてすぐ近くの予約ホテルに移動する。さすがにキャリ−バッグは楽なもので、何の苦もなくコロコロとニュ−ヨ−クの歩道を引きずりながら目指すホテルに到着。
 








 有名高級店が並ぶ5番街















予約がない?
フロントで「予約している者だが…」といって名前を告げる。ところが「予約は受けておりません。」というではないか! すっと血の気が引く思いがする。あれだけ苦労して取ったホテルなのに! 「ここは間違いなくドラルホテルでしょう? 地番もこれでしょう? 」といいながら、案内所で書いてくれたメモを見せると、「間違いありません。」という返事。「昨日、ペンステ−ションの案内所で確かに予約を取ってもらったのだから間違いないはずです。もう一度よく調べて下さい。」と頼むと、予約番号を知らせてくれという。普通、予約したら予約番号があるはずだという。「そんなもの聞いていない」というと、名前と苗字の両方からコンピュ−タ−で検索してくれるが、どこにも登録されていない。


「いったいどうしたんです。どこに手違いがあったのですか。」とボヤキながら、改めて「では、今夜の宿泊とれますか。」と聞くと「残念ですが、今夜は満員なんです。」と気の毒そうにフロントマンが答える。もらったメモに、三時前にチェックインする場合は事務室のス−ザンに連絡するようにとあるのを思い出し、「では、六階のエグゼキュティブ・オフィスにいるス−ザンさんを呼んでください。」と頼むと、「そんな名前の人は知らない。」という。そして、隣の女性にも尋ねてくれるが、彼女も知らないという。その上、今日は土曜日でオフィスは閉まっているという。
 

最後の頼りの綱も断ち切られて悲壮な気持ちになり、「どうしたらいいんです。今夜のホテルがないと困るのですが…。どこか近くのホテルを紹介してくれませんか。」と頼み込む。親切なフロントマンは、電話を取ってあちこちに当たってくれるがなかなか見つからない様子である。五、六軒目にやっと見つかったらしく、「道向かいのホテルで少し高いが二五〇ドルの部屋が取れます。どうしますか?」と聞くので、「それをとって下さい。」と頼む。予算の二倍以上もする料金だが、この際やむを得ない。そして、明日の夜は空いていて宿泊OKというので明日の分を予約し、「あなたのご親切に感謝します。どうもありがとう。」と礼を述べ、ほっとしながら向かい側のホテルへ移動する。
 

高級な感じのするワルドルフ・ヒルトン・ホテルにチェックインし、七階の部屋に入る。そこはなんと豪華な部屋だろう。部屋のスペ−スが広く、室内装飾も華麗でキングサイズのベッドが中央にデ−ンと据えてある。これまで招待旅行などで五つ星クラスの豪華ホテルには泊まった経験はあるものの、こんな広大なスペ−スと豪華さには全く“驚ろき、もものき”の初体験である。一泊二万円台の部屋なのだが、日本だったら恐らく三万円台はするだろう。一泊のみだから、たまにはこんな経験もよかろうと気を良くして一服する。
 

靴が・・・
靴は大丈夫かなと気になって調べてみると、案の定右足側面が破れかかっている。ヨ−ロッパ旅行の時も靴のトラブルで慌てさせられたのだが、今度の旅もまたまたクツのトラブルだ。でも、前回の時にこりて今度はちゃんと接着剤を持参しているので心配無用だ。ところがである。今度の破れは接着部分が剥がれたのではなく、皮の部分が薄くなって破れたものだけに、接着剤では手当の施しようがない。そこで、安売り店の多いブロ−ドウェイへ夕食と靴探しに再び出かけることになる。
 

とりどりのきれいなフル−ツが並ぶ店先に気を引かれて中へ入ってみると、奥はちょっとしたカフェテリアになっている。そこで、これ幸いと夕食にする。チキンのモモ肉を主に肉類とサラダを取り混ぜてレジへ持って行くと、皿ごと重さを計って料金は五〇〇円程度、残念にもビ−ルがないのでミネラル水で我慢する。
 

満腹したお腹をさすりながら、クツの安売り店を探し回る。数軒ある靴店のうちでスニ−カ−やキャジュアルシュ−ズなどを豊富に取り揃えている店に入り、軽そうで上品な皮製のクツを物色する。これはと目にとまったものを見ると、それは婦人靴である。濃い焦げ茶色で皮も柔らかく、底は合成ゴムである。値段も二十九ドルと安い。これだったら男性が履いてもおかしくはない。よし、これに決めようと店員を呼んで「これをください。」というと、彼は怪訝な顔をしながら「これは婦人用ですよ。」と注意を促す。「それは構わないから、これをください。」というと、「サイズは何センチですか?」と尋ねる。おや、クツのサイズは日本と同じ“センチ”単位なのだ。そこで「二十五・五」というと、奥から出してきてくれる。履いてみるとピッタリで文句無し。ただ、靴ヒモが長すぎるので二重の蝶結びにしないと邪魔になるだけだ。これで安心して歩き回れる。
 

ブロ−ドウェイでの用をすませ、再び六番街→五番街と横切ってレキシントン街をめざして戻り始める。もうすっかり暗くなってストリ−トのビルが美しい夜景を見せている。今、ニュ−ヨ−クの夜を横切っているのだという実感にひたりながら、ホテルへと向かう。
 

キャンセルの交渉
大きなバスタブにたっぷりとお湯を注いで入浴し、洗濯もすませてほっと一服していると、昨日ペンステ−ションの案内所でホテル予約した折に渡されたメモのことをふと思い出す。それには「もし予約をキャンセルする場合は、午後六時までにこの番号へ電話しないと自動的にホテル代がクレジットカ−ドにチャ−ジされます。」といいながら、係員がメモしてくれていたものである。そこで、キャンセルどころか予約さえできていなかったのに、ホテル代だけが自動的に支払わされる羽目になったら大変だとばかり、メモの番号へ電話をかける。
 

番号の頭に(一−八〇〇)が付いているのでフリ−ダイヤルなのだ。電話はすぐにつながり、「こちらは予約センタ−です。」という女性の声が聞こえる。なるほどそうか、昨日の案内所の係員はここへ電話して予約を取っていたのだ。これはひと文句いっておかなくてはいけない。そこで、「昨日ペンステ−ションの案内所でドラル・ホテルの予約をしたのだが、今日ホテルへ行くと予約は受けていないといわれた。それでやむなく自分でホテルを探すことになり、非常に困った。いったいどうしたのか。」と尋ねると、「お名前は?」というので、「ヤスオ ムカイ」とスペルも同時に告げる。


しばらくしてから「どうしてそうなったのか、よくわかりません。」という返事。「こちらはクレジットカ−ドの番号も伝えている。もしキャンセルをそちらへ連絡しなかったらホテル代がチャ−ジされることになっているが、どうなるのか。」と反問すると、「ちょっと待ってください、電話をかわりますから。」といい、別の女性が電話口に出てくる。「あなたはだれか。」と聞くと「私はス−パ−バイザ−(監督責任者)です。」という。責任者が応対に出てきたのだ。そこで、また同じことを繰り返し話し始めると、「その事情は係から伺いました。何か手違いがあったようで、申し訳ありません。」と丁重な応答が返ってくる。「ところで私が心配しているのは、泊まりもしないのにホテル代金がクレジットカ−ドにチャ−ジされはしないかということだ。」というと、「いいえ、その心配はありません。ノ−チャ−ジです。」という返事。やれやれ、これで目的の用件が足せたわけだ。
 

今日という日は、なんとことの多い一日だったことだろう。まったくもって、ホテル取りにはキリキリ舞いさせられる。それだけ会話することも多くなり、英語もずいぶんブラッシュ・アップされてきた感じだ。そんなことを思い浮かべながら、豪華な部屋のベッドの上でひとり静かな眠りに入る。  



(次ページは「ニューヨーク市内観光」編です。)










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