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             NO.35




27.ニヨン・レマン湖・・・ 青年牧師とシヨン城と“エヴィアン”と
 
昨夜は八時過ぎに就寝したので、今朝は早朝五時に目覚める。七時五十四分発のマルティニ行き列車に乗って、再びスイス圏に引き返す。今日はジュネ−ブの近くにあるニヨンに泊まる予定である。乗客数人しかいない車両に日本人青年の姿が見えるので声を掛けると、インタ−ラ−ケンへ向かうところだという。話を聞くとN君は、なんと私と同じ長崎の出身というではないか。意外な奇遇に驚きながら、互いに話がはずむ。
 

彼は中学時代より牧師になることをめざして勉強を続け、慶応大学を卒業してからロ−マの神学校で三年間の研さんを積んでいるところだという。あと三ヶ月ぐらいで終了し、その後は帰国して故郷の神学校で働くのだという。厳しい勉学中の身でなかなか休みが取れず、やっと一週間の余裕ができて旅行しているという。牧師をめざす人物だけあって、その人柄の良さが全身ににじみ出たとても好感の持てる青年牧師さんである。イタリア語の勉強に苦労したらしく、神学校入学前にしばらくロ−マの語学学校で勉強したそうだが、日常会話はいいとしても学校の講義を理解するのになかなか苦労するという。


私の来たル−トを反対へたどるというので、乗り換え駅とかユングフラウの様子などをこまごまと説明して聞かせる。そして、前に見た大峡谷に再びさしかかると、お互いに感嘆の声をあげながら窓を開けて写真を撮りまくる。 


ニヨン到着
マルティニ駅で互いに反対方向の列車に乗り換えることになり、手を振りながら別れを惜しむ。独りきりのコンパ−トメントで移り行く車窓の風景を眺めていると、やがて美しいレマン湖の姿が現れ出す。明日は、この湖を一日かけて遊覧する予定なのだ。昼十二時にニヨン到着。ここはジュネ−ブから列車で十五分のところにある静かな湖畔の町である。その歴史は古く、ジュリアス・シ−ザ−の建てたロ−マ軍の駐留地の遺跡があるという。都会のジュネ−ブに泊まるよりも、少し離れた閑静な町に泊まりたいとの思いで、ここを選んだわけである。(98年のサッカー・ワールドカップ開催のとき、日本チームが滞在した。)
 

駅前にホテルが見当たらず、少し歩き回るが意外と見つからない。やっと発見したホテルは閉店になっている。狭い町だからとたかをくくっていたら、予想外に歩かされる。三ツ星のホテルをみつけてやっとチェックイン、一泊一一〇スイスフラン=八、〇〇〇円(朝食付き)で、室内はまあまあである。
 

ジュネーブへ
早速、十二時五十八分発の列車でジュネ−ブへ繰り出す。十五分の距離なので便利だ。コルナヴァン駅で降りると構内のコンビニでハムサンドと牛乳を買い、駅ホ−ムのベンチに腰掛けて腹ごしらえ。すると、人なつこい数羽のスズメたちが近寄って来てエサをせがんでいる。パンくずを差し出すと、手の先十センチぐらいまで接近して愛嬌を振りまく。ジュネ−ブのスズメたちは、日本と違ってほんとに人なつこい。スズメ君たちも、中立自由国家のスイスに育っただけあって、国際化しているのだろうか。
 

メインストリ−トのモンブラン通りを真っ直ぐレマン湖のほうへ向かって歩いて行く。両側にはしゃれた店が並んでいる。モンブラン橋まで来ると、そこにはもうレマン湖が開けている。英 国公園の先の海中に突き出た突堤には、百四十メ−トルも上がる大噴水があるというので行ってみると、残念なことに噴水は止まっていて見えない。湖畔の公園のベンチに座って、穏やかなブル−の湖面を広げた美しいレマン湖の姿に見とれる。






ジュネーブ市内のモンブラン橋














レマン湖畔のジュネーブ市街









再び駅へ引き返し、明後日乗車するフランスの超特急TGVの発車ホ−ムの下見をする。七〜八番ホ−ムがその専用ホ−ムになっていて、そこの屋根だけ赤く塗り分けてある。ところが、このホ−ムだけは勝手に入れず国境通過並みの関門が設けられている。ホ−ムへの入り口が別に設けられ、奥には細い通路があって、まずスイス側のポリスと出入国管理の窓口が並び、その奥にフランス側のポリスと出入国管理の窓口が並んでいる。TGVの乗降客は、ここを通ってチェックを受け出入国することになっているのだ。日本人の団体さんが二グル−プも乗車を待っている。


ニヨン城
四時過ぎニヨンへ戻り、その足で湖を見下ろすニヨン城へ出かける。十三世紀に建てられたという小さなお城で、その下の広場にはロ−マ時代の遺跡と思われるパルテノン風の石柱が二本と、三分の一に欠けた石柱一本が残っている。







 ニヨン城址





















ニヨン城からレマン湖を望む










ここからの眺めはまた一段と美しく、視野いっぱいに広がるレマン湖の全景は、穏やかでのんびりとした和やかな雰囲気を存分に味わわせてくれる。小さな広場では、さきほどから仲の良い四人の老人たちが、ワイワイいいながらペタンク(遠くに置かれたボ−ルに向けて鉄のボ−ルを順番に投げ合い、一番近くに寄せた者が勝ちというゲ−ム)を楽しんでいる。なんというのどかな光景だろう。彼ら以外には、ほとんど人影もない静かな城郭である。


お城を下って湖岸へ出ると、そこは遊覧船の船着き場だ。明日はここから乗船することになる。湖岸通りで夕食に適当な店を探していると、また中華レストランが目に入ったので訪ねてみると、ドアが閉まっていてどうも休業らしい。仕方なく駅前まで引き返し、そこのレストランでステ−キ、コンソメス−プ、サラダ、コ−ヒ−を取って夕食を楽しむ。これで三〇・五〇スイスフラン=二、二二〇円。安いほうなのだろうか。残念なことに、ジュネ−ブ市内にもこの町にも、カフェテリアが見当たらない。  
 

さすがに、この町だけは日本人の姿が一人も見えない。これまで、日本人旅行者がいなくても土地に住みついた人がいて、ほとんどの場所で日本人と出会う機会があったのだが、これは珍しい。そして、おもしろいことには、スイス圏でありながらレマン湖周辺の町では街頭の表示も話し言葉もすべてフランス語である。まるで、フランスにいるようである。



(次ページは「レマン湖遊覧編」です。)











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