(ペルー編)
9.リマ・ナスカ・・・・ 写真に撮れない地上絵・オアシスの町イカ
リマへ
午後7時過ぎ、定刻に飛び立った機は、ペル−の首都リマへ直行するのかと思えば、機首を西へ向けて飛行している。チリの首都サンチャゴ経由で、いったんそこに立ち寄ることになっているのだ。できればステイオ−バ−したいところだが、ツア−参加ではそれもできない。
隣席には、30歳代の若い男性が座っている。いつものように話しかけてみると、彼はペル−人で一人旅の帰りだという。テレビ関係の仕事をしていて、3歳の娘が1人いるという。私が日本人だと分かると、バッグの中から分厚い本を取り出して見せる。その表紙には、「FUJIMORI」と表題が大きく印刷されている。めくってみると、スペイン語で書かれており、ところどころに写真が載っている。フジモリ大統領一家の移民当時の写真や妻の写真、現在に至るまでの写真などが載っている。つまり、この本は大統領の一代記というものである。
なんでも、英国人女性ジャ−ナリストが執筆したものだそうで、これが今、ペル−ではベストセラ−になっているという。隣席の彼はフジモリ大統領のファンだそうで、この本を買って読んでいるのだという。(ところが、われわれがペル−滞在中に突如として大統領の事実上の引退表明があり、その後、日本滞在中の2000年11月には、フジモリ氏が辞表を提出するという変則的な辞任になってしまった。隣席の彼は、今どんな気持ちでいるのだろう。彼の心中が思いやられてならない。また、12月に入ってからは、民衆グル−プが日系人にいやがらせを始めいていると聞くのだが……。)
深夜にリマ到着
サンチャゴからリマへ向けて飛行するなか、シ−トを倒して仮眠を取る。ブエノスアイレスから約5時間かかってリマに到着したのは深夜の1時である。出迎えのバスに乗り、市街地中心部に建つ豪華なシェラトン リマ ホテルに到着。床に就いたのは深夜2時のことである。
9日目。今朝は7時に起床。遅い就寝の割りには、なんとか睡眠も確保。窓から空をのぞけば曇天である。気温は低い。今日の予定は、1日がかりでナスカの地上絵を観光する予定である。10時出発だから、朝はゆっくりできる。
ペルーのこと
この地ペル−共和国は、謎とロマンに包まれた神秘の国で、南米大陸の西海岸沿いの中央部に位置している。この国の人口は約2515万人、国土面積は日本の約3.4倍、
時差は14時間である。また、この国はさまざまな顔を持っている。つまり、フォルクロ−レのメロディがこだまするアンデスの山並み、謎に包まれたインカの遺跡やナスカの地上絵、そして大アマゾンの熱帯雨林といったロマンと自然に満ちた国柄なのである。アマゾンは、何もブラジルだけのものではない。この国の50%はアマゾン熱帯雨林地帯であり、アマゾン河の源もこのペル−のアンデスから始まっているのだ。
今、立っているこの地は、人口約728万人を抱える首都のリマ。ここはブラジルのリオやサン・パウロと並ぶ南米の玄関になっていて、毎日多数の国際便が寄港する。この国も貧富の差が激しく、いきおい旅行者を狙う置き引き、スリなどの犯罪が多く、治安状態は悪いという。この地域は海岸砂漠地帯に位置し、年間を通じてほとんど雨が降らないという。これはナスカ地域も同様で、年間雨量がわずかに3ミリという乾燥地帯である。
豪華な朝食
このホテルの朝食は特に豪華で、ご飯と味噌汁にお粥の日本食まで用意されている。よほど日本人観光客の宿泊が多いのだろう。気配りの行き届いたホテルで、これだと食事も心配ない。折角の料理ながら、私は和食を避けて、いつものパン、ミルク、ハム、ソ−セ−ジ、スクランブルエッグなどを盛っていただく。旅も後半に入ったのだが、わが一行の中のご夫人1人が、すでにお腹をこわして激しい下痢状態に陥り、本日の観光は取り止めてホテル休養となる。
空港へ
12時発のイカ行き便に乗るため、ホテルを10時に出発。これからイカの空港まで飛行し、そこからセスナ機に乗り換えて空から地上絵を観察するのでる。その折、右に左にと旋回を繰り返して飛行するため、飛行機酔いを起こす危険がある。それに備えて、念のため酔い止めの薬を持参する。ナスカでの搭乗時間が分からないが、もし昼食後に搭乗する場合は食事をお腹半分に止めておくようにとの注意が出される。
空港へ向かう途中、ガイドさんの話によると、今日の観光は南米らしい旅になるだろうとのこと。ん?と不思議に思っていると、その後に説明が続く。つまり、現地の気分次第で事が動くので、予定は立たないということらしい。南米の大らかな気質が、決められた定刻などにはとらわれず、適当に処理して事を運ぶのである。これは、南米大陸諸国に共通した国民性のようだ。
イカの飛行場へ
12時にリマ空港を飛び立った40人乗りの小型飛行機は、海岸線に沿って南下しながら45分の飛行でイカの飛行場に到着。機内は満席で、欧米と日本の観光客で占められている。草木の少ない砂漠地帯の中に小さな飛行場が設けられている。わがツア−の添乗さんは、いの一番に飛行機を降りようと、出口に近い座席に陣取っている。セスナ機の搭乗券を誰よりも早くゲットして、昼食前に搭乗を済ませようとの心遣いである。そのかいがあって、一行は無事昼食前に搭乗できることになる。
これが40人乗りの小型機
ナスカの地上絵
搭乗前に酔い止めの薬を服用して準備すると、間もなく搭乗開始である。4〜8人乗りのセスナ機に分乗するのだが、われわれは8人乗りに搭乗する。簡単に離陸すると、機はナスカ上空へ向かって飛行を始める。セスナ機は、グランドキャニオン観光以来、久々の搭乗である。窓外から見下ろす風景は、多少の起伏はあるものの、どこまでも広がる砂漠地帯の連続である。長年、雨らしい雨が降らない地帯なので、相当乾燥しきっているに違いない。
イカの空港から25分の飛行でナスカ上空に到達する。さあ、これから地上絵の遊覧飛行が始まるのだ。やがて機が旋回し始めたかと思うと、パイロットが片言の日本語で案内を始める。「ミギシタ ミギシタ ココ ココ。コレ ハチドリ。ミエマシタカ?」 一同沈黙。すると、パイロットが催促るように「ワカリマシタカ?」と大きく強い語調で返事を要求する。そこで、みんな思わず「ハ〜イ」と応答する。なんだか小学生が教師の問いに応答しているようで、滑稽である。応答する一方では、懸命に地上絵を目で探しながら必死になって写真を撮影する。あっという間に通過するから、油断ができない。下を見ると、灰色がかった砂漠の中に羽を広げて飛んでいるようなハチドリの姿が幾何学模様のラインで見事に描かれているのが見える。
こんな風に、砂漠ばかりでさっぱり地上絵が写っていない。残念!
写真中央の小高い山の左側斜面に「宇宙人」の絵があるのだが・・・。
すると今度は、反対側に傾きながら「ヒダリシタ ココ ココ ハチドリ。」と叫びながら、反対側座席の乗客に案内する。こんな調子で、ハチドリをはじめ、コンドル、クモ、サル、イヌ、宇宙人、手などの地上絵を旋回しながら案内する。その度ごとに、「ワカリマシタカ?」の連発を受けることになる。思わぬ日本語に、みんなは驚いている。彼らパイロットは、乗客の国ごとに外国語を勉強しているのだろうか。営業とはいえ、その努力には敬意を払いたい。
ここナスカはリマの南方444km、イカから141kmの地点に位置する標高620mの乾燥台地で、これら地上絵はナスカ台地とイカ谷の間に残されている。そこに描かれた幾何学模様や動植物の絵模様は、大きさ10mから300mにもおよぶもので、その数およそ30個、線と幾何学模様は300本を数える。これらの地上絵は、現地人の間では昔から知られていたものらしいが、これが世界的に有名になったのは天文学と古代灌漑の専門家ポ−ル・コソック氏によってである。
地上絵の謎
これらの絵が、いったい何のために描かれたものか、それは現代人に残された難解な謎解き問題でもある。この不思議な絵をめぐっては、宇宙人説、星座を示すカレンダ−説、宗教説など諸説紛々として今なお謎に包まれ、歴史家のロマンをかき立てている。ただ、はっきりと分かっていることは、大平原(パンパ)を覆っている黒い石や砂を除けて白っぽい地面を出すことによって描かれているということ、そして、年間を通じて降雨が見られないという特殊な気候によって現在まで地上絵が保存されてきたということの二点だけである。それ以上のことは、そっと永遠の謎に包んでおきたいものである。
地上絵の写真が撮れない理由
地上絵の観察で注意すべきは、飛行の時間帯である。降雨がないとはいえ、年々地上絵の風化は少しずつ進んでいる。だから、灰色の砂漠に埋もれた幾何学模様のラインが、かなり見にくくなっている。そこで、絵の陰影の鮮明度を左右する太陽光の角度がとても重要になってくる。つまり、晴れの日で光線が斜めに差す早朝か夕方の時間帯が好ましく、その中間帯は真上から太陽光が当たるために陰影が浮かび上がりにくいのだ。そのため、肉眼ではなんとか見えるが、写真撮影では後日現像・プリントしても地上絵のラインが判別としないのだ。その結果、砂漠の写真ばかりが残るという悲しい結果になる。理想的な観察の時間を選ぶには、やはり個人で訪れてイカに1泊し、夕方の最終便か翌朝の1便のセスナで遊覧することである。リマからの日帰り旅行では、昼下がりの時間帯となって条件が合わない。
われわれの場合がまさにそうで、手許には砂漠の写真ばかりが空しく残る結果になった。飛行の時間帯が、昼下がりの午後1時〜2時の間だったためである。こんなわけで、皆さんにナスカの地上絵(Nazca lines)の写真をお見せできないのが残念至極である。このことを事前に察知してか、添乗さんがここに売っている地上絵の絵葉書購入を盛んに勧めるのである。これまでの体験から、写真には写らないので、地上絵の記念に絵葉書を買っておいたほうがよいと忠告する。結果的には、その忠告どおりになったのだが、時すでに遅しである。
とまれ、われわれの乗ったセスナ機は、地上絵の上空を右に左にと旋回しながら15分の遊覧飛行を終わると、一路イカに向けて引き返し始める。あれほど期待し、興味津々の地上絵を実際に目の当りにすることができたものの、そのあっけない幕切れに心残りすることしきりである。なんだか、束の間の夢を見ているような感じでシ−トに深く座り直し、果てしなく広がる砂漠地帯を眺め下ろしながらじっと到着を待つ。
やがて飛行場に無事到着し、胸をなで下ろす。所要時間は65分(片道25分、地上絵上空遊覧15分)。この分だと、酔い止めの薬を飲む必要はなかったようだ。遊覧飛行が終わると、搭乗した飛行機のアエロ・コンドル社から、英文で書かれた次のような飛行証明書が発行され、受け取ることになる。
『アエロ・コンドル航空会社は、本日MUKAI氏が神秘に満ちた伝説
的なナスカの地上絵をわが社のOB−1741号機にて遊覧され
たことをここに証明します。』
2000年9月22日
A.Aris(キャプテンの署名)
搭乗したOB−1741号機
待合い所の建物の裏手にあるゲ−ジ小屋には、勇ましいコンドルが飼育されている。頭部には白い冠をいただき、白っぽい羽と真っ黒な体毛でその雄姿を包んでいる。それが羽を広げると、人間の大人でさえも覆い隠すような広さなのに驚かされる。これだと幼い子供など、簡単にかすめ取って飛行するのに違いない。コンドルの小屋のすぐ隣では、アルパカがのんびりと餌を食べている。ペル−では、アルパカの毛で作ったコ−トなど、アルパカ製品が多く売られている。どれも高級品で値段が高いのだが、その張本人を見るのは、これが初めてである。
コンドルの勇姿
エサを食べルアルパカ
昼 食
遊覧飛行が終わったところで、これから昼食である。バスで移動し、イカの町の郊外に建つしゃれたリゾ−トホテル(Hotel Las Dunas)に到着。ここの美しい庭のテラスでビュッフェスタイルの昼食が始まる。ツア−客のほとんどが、このホテルで昼食を取るようだ。他の日本人グル−プも同席している。
たまたま同席した他グル−プの2人組女性と談笑していると、すでにその一行はペル−の観光を終わり、今夜帰国するとのこと。彼らの話によると、クスコではそのほとんどが高山病にかかるらしく、年齢の老若には関係ないという。その証拠に、若い青年が重症の高山病にかかったという。また、マチュピチュでは虫に刺されるので、注意が必要とのことだ。予備知識を得て、心の準備をしておこう。
考古学博物館を見学
食後は再びバスで移動し、これも近郊にある考古学博物館を見学する。規模は小さいが、そこには紀元前後のナスカ、ワリ文化時代の遺品や10体ぐらいのミイラ、それに脳外科手術が施された頭蓋骨5000個が展示されているのが圧巻である。地上絵も、こうした時代の遺産として残されたものだろう。
考古学博物館
オアシス
ここからバスは飛行場へ戻るのだが、その途中にあるオアシスに立ち寄る。ここは砂漠地帯なので、コ−スの途中には美しい砂丘があちこちに見られる。見事に描かれた砂丘の美しい稜線がとても印象的である。写真に撮りたくても、走るバスの中からはどうにもならない。このオアシスは、周囲を砂丘に囲まれており、その中にこつ然と見事なまでの水のプ−ルが広がっている。オアシスとは、まさにこのようなものをいうのだろう。この砂漠の中で、いったいどこから清水が湧き出ているのだろうか。ほっと心が潤される思いで、そのほとりにたたずみながら眺めていると、水というものが、いかに人間や動植物にとって重要な意味を持つものかをひしひしと感じさせられる。この地方では、4年前にちょと雨が降ったきりだというのだ。だから、傘屋の商売もないという。 |
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