No.3
                         (&ポルトガル)




ウダイヤ庭園
どうにか迷わずに門にたどり着くと、今度はそこを出て城壁の横手にある入口から中に入ってみる。するとそこには広い庭園が広がって、いろいろな花を咲かせた木々が立ち並んでいる。人影は2、3人見えるだけで、ひっそりと落ち着いた雰囲気がただよい、小鳥のさえずりだけが静けさの中に響き渡っている。ここがウダイヤ庭園なのだ。後で出会った庭園の管理人らしい人に尋ねてみると、この庭園はアンダルシアの庭園とも呼ばれるそうだ。
 

 小鳥がさえずる静かなウダイヤ庭園



このカスバの城壁を外から眺めていると、この中にはいったい何があるのだろうと想像していたのだが、今はこの庭園になっているのだ。それほど広くない庭園の周囲には、高い城壁が見える。しばらく、この静かな雰囲気にひたりながら憩って行こう。庭園の中ほどには藤棚のような設備が設けられており、その側から伸び上がっているつるみたい樹があるところをみると、これに蔦を這わせるつもりなのだろうか? そして庭園を区切るように、砂利が敷かれた小径が幾筋か設けられている。


ウダイヤのカフェ
庭園で一息つくと、そこを通り抜けながら、その東側の川沿いにあるカフェに行ってみる。城壁の突端に設けられたこのカフェは、なんと素晴らしい眺望を持っているのだろう。目の前にはブ−レグレイ川の河口が広がり、その川向こうには隣町となるサレの町が広がっているのが見える。この眺望をカスバのどこからか眺められるはずだと期待していただけに、うれしさが込み上げてくる。先ほどのカスバの集落では、その景観のポイントを探し出すことができなかったのだ。ここが城壁の突端で、そのいちばんのナイスビュ−ポイントなのだ。すっかり気をよくして、この風景を5枚の連続写真に収める。






城壁の突端にあるカフェ
対岸のサレの町が一 望で きるナイスビューポイント。




 ブ−レグレイ川を挟んで、その対岸にサレの町が見える。右手の奥の方にはハッサンの塔が見える。




辺りを見回すと、お客はまばらで少ない。すぐ近くに、仲睦まじそうな若いカップルがいるので、「ツ−リストですか?」と尋ねると、結婚したばかりのほやほやで、新婚旅行中だとうれしそうに教えてくれる。両手に美しい絵模様のイレズミを施した新婦は外国の出身で、地元の男性と結婚したのだという。「それは、それは、おめでとうございます!」と祝福の言葉を投げかけてやる。
 

新婦の両手の刺青がとても珍しく、テレビなどで見たことはあるが、現物を見るのはこれが初めてである。そこで、写真撮影をお願いしてみると、微笑みながら快諾してくれ、わざわざ陽の当たる場所に移動してもらって、この写真の撮影となる。新婦さんの顔も入れようと思って撮ったところ、うまく収まらず右手半分が切れてしまった。残念!
 







 美しい文様が描かれた手の刺青。
 間もなくすると消えるらしい。














ここで何か飲物でも飲んで憩うことにしよう。ウェ−タ−が近くの客に運んで来ているのを見ると、どうもミントティのようだ。そこでこちらも、それを注文することにする。やがて運ばれてきたティは、私には甘すぎるほどのミントティ(1杯6DH=約70円)で、一気には飲めない熱いものである。それを少しずつすすりながら、辺りの景色をゆっくりと眺め回す。
 

すぐ真向かいには、これも城壁の突端が川岸から高くそびえるように突き出ている。そして、その背後には、先ほどのカスバの集落が白い輝きを見せながら広がっている。集落全体の様子は、こんな状況になっていたのだ。心地よい川風を頬に受けながら、周りの風景にしばし見とれる。
 
 川底からそびえる城壁の突端。背後に見える白い建物群がカスバの住居。


さて、メインのメディナやカスバは探訪し終えたことだし、この後、ラバトの幾つかの観光ポイントを回ることにしょう。カフェを出て庭園を通り抜け、カスバの城壁を後にする。この庭園に隣接してウダイヤ博物館があるのだが、ここは省略することにして先を急ぐ。


ムハマンド5世の霊廟
今度もタクシ−での観光を試みる。歩くにはちょっと距離がありすぎる。そこで城壁前の大通りに出てプティ・タクシ−を拾い始める。この大通りはヴィル駅から始まるムハンマド5世通りの延長で、これがメディナを通り抜けて大西洋岸に突き当たり、そこで曲がってウダイヤ・カスバの突端に通じている道路で、市内の周辺部をぐるっと回る循環道路みたいになっている。だから、中心部ほどではないが、ぼつぼつタクシ−が走っている。
 

ラバトの町のプティ・タクシ−は、カサブランカの赤色とは違ってみんな紺色である。プティ・クシ−の車体の色は、それぞれの町で異なるらしい。やっと空車を見つけたので手をあげて止める。そして、値段の交渉である。若手のドライバ−は、やはりフランス語しか話せない。観光したいポイントを伝えて尋ねると、1時間100DH(約1200円)だと言う。それなら時間的にも十分だろうと考え、利用することにする。これから察すると、モロッコでは1時間100DHがタクシ−の相場のようだ。
 

車はまず川沿いに走ってムハンマド5世の霊廟に向かう。距離はそんなに遠くないので、間もなく霊廟の正門前に到着である。降り立って正門を見ると、その入口をガ−ドするように両側に騎馬姿の衛兵が右手に旗を持って構えている。これは格好の被写体だと思い、近寄って「Photo OK?」と尋ねると、馬上から首を縦に振ってOKとうなずく。これはしたりと、二人の騎馬姿を写真にパチリ。
 





 騎馬姿の衛兵
 一杯くわされた!









ところが、撮り終えるや否や、馬上から「fifty dollars!」と大声で叫び出す。なんたることだ! 撮影料を寄越せと言ってるのだ。こちらは事前に許可まで得たのに、そのことには何にも触れず、撮影が終わってから要求するとは詐欺同然ではないか! それも50ドルとはとんでもないことだ。観光客を格好のカモと思っているのだ。途端に不愉快な気分になり、無視して門内に入ろうとすると、今度は凄味を利かせた口調で繰り返し50ドル!50ドル!と叫んでいる。
 

そこで、こちらも負けじとばかりに大声で「ガ−リ− ブッザ−フ!(高過ぎる!)」とアラビア語で何度も怒鳴りつけてやる。それでも、この場の収拾が収まりそうもないので、やむなく20DHを取り出して渡してやる。するとひったくるように受け取り、満足げな様子である。確かに衛兵だと思うのだが、ひょっとして観光用のお金稼ぎに立っているのだろうかと疑いたくなる。衛兵でありながら、こうして彼らはポケットマネ−を稼いでいるのだ。どうも、さっきの50ドルと言うのは、50ディラハムの聞き間違いなのかな? でも、確かに語尾はダラ−と聞こえたのだが……。
 

とまれ、気を取り直して門内に入って行く。かなり広い敷地の一角には、正方形の白亜の建物が太陽の光を浴びながら燦然と輝くように建っている。屋根の部分にはとんがり帽子のような三角屋根が乗っかっており、モロッコの伝統的な建築技術と彫刻が見事に調和した傑作といわれる。これが霊廟である。






 ムハンマド5世の霊廟










ここは1961年に没した前国王ムハンマド5世の霊廟で、彼はフランスからモロッコの独立を勝ち取った独立の父なのだ。その偉業をたたえて各地にその名を冠した建物、広場、道路などが数多くあるという。
 

浅い階段を上って薄暗い廟内に入ると、中央部分が大きく真四角にくり貫かれて地下がのぞけるようになっている。その縁の手摺りにもたれてのぞいて見ると、薄暗く照らされた地下は豪奢に飾られ、その床面は黒い艶のある石で張られている。その中央に大理石で造られた白い重厚な棺が安置され、それが黒い床面に映えて浮かび上がるように光っている。これが前国王ムハンマド5世の棺なのだ。敬意を表して立ち去る。








 ムハンマド5世の棺
 白い大理石が映えて美しい。















ハッサンの塔
廟を出て正面を見ると、同じ敷地内の反対側に未完のミナレット、ハッサンの塔が建っている。1195年にムワッヒド朝のヤ−コブ・マンス−ルが建設に着手したが、彼が死没したため工事が中断となった高さ44mのミナレットなのだ。当初の予定では88mの高さになるはずだったそうだが、それも実現できず、ただ長い時の歴史を刻みながら静かにたたずんでいるに過ぎない。






 
ハッサンの塔
 
高さ44m










シェラ

ハッサンの塔を後にすると、車は新市街の南へ走り、ロ−マ時代の遺跡シェラへと向かう。しばらく走り、主要道路からはずれて奥まった所へ入って行くと、古く高い城壁が見えてくる。これがシェラ遺跡である。ロ−マ時代にはサラの町として栄えたそうだが、その後衰退したという。
 





 シェラ遺跡の城壁










車から降りて城門をくぐり中へ入ると、入場券売り場がある。私の姿を見るや否や、すぐさまガイドらしき男性が近寄ってきて、いろいろ説明を始める。ここは何なのかと尋ねると、お城の跡だという。どうも話は当てにはならない。15分ほどで回れるから、ぜひ中へ入れと言う。しかし、タクシ−を待たせていることもあり、遠慮することにする。城壁の写真だけを撮って立ち去る。


王 宮
車はここからほど近い王宮へ向かう。間もなく整備されたきれいな舗装道路が現れ、その向こうにグリ−ンの広大な庭園が広がっているのが見える。この一帯は王宮の領域なのだろう。さらに進んで行くと、遠くに白く大きな建物が見えてくる。すると路上に警備員らしき者が立っている。それを見てドライバ−が車から降りて行き、何やら話している。進入の許可でも申し出ているのだろうか。
 

戻って来ると、車をUタ−ンして道路端に止める。車で接近するのは、ここまでが限界らしい。そこで、「photo OK?」と尋ねるとOKだと言う。路面に降り立ち、歩道の上から遠くの白い王宮の建物を撮影する。もっと至近距離まで近づけたらいいのだけど……。だが、王宮内部の見学は許可されていないのだろう。






 
遠くの白い建物が王宮











ルワ−の門

次に車は王宮から近いルワ−の門に向かう。ラバトの地図を見ると、町を囲むように長い塁壁のギザギザ線が描かれている。これがムワッヒド朝の塁壁で、その要所要所に幾つかの門が造られている。その中でもほとんど昔のままの姿を残しているのが、このルワ−の門だと言われている。



 10世紀時代に築かれたルワーの門



この写真に見える赤茶けた塁壁が10世紀時代に築かれ、この塁壁を延々とめぐらして囲みながら、ウダイヤ・カスバと並ぶもう一つのカスバが造られている。この長大な塁壁が現在も市内を囲むように残っており、往時をしのばせている。ラバト・ヴィル駅のホ−ムにもこの塁壁が見られ、線路がここをくぐって走っている。


ホテルへ
ルワ−の門を最後に市内観光を終わり、ホテルへ戻る。もう3時を回っている。タクシ−を拾ってから、ちょうど1時間が経っている。ラバトはこぢんまりとした町なので、観光するにも時間がかからない。やはりタクシ−で回ると、早い上に楽である。
 

部屋に戻ってシャワ−を浴び、ひと休みするとしよう。ふとテラスから見下ろすと、目の前の国会議事堂前では、群集が集まって何やら集会を開いている。国会に対して何かを要求するデモの集会らしい。多数の警官も出て議事堂の警備に当たっている。そのうち、みんなで手拍子をとりながら、何やら要求の文句を合唱し始める。
 

日本とは違う珍しいやり方だ。国内の場合だと、拳を挙げてスロ−ガンの一節を何度か叫んで終わるのだが、彼らの場合は何かの文言を手拍子に合わせて合唱するのである(繰り返しかどうかは定かでない)。それがすぐには終わらず、驚くほど延々と続くのである。その単調なリズムと合唱の声を子守歌に、いつの間にか寝入ってしまう。
 

ひと眠りして目覚めると、まだそれは続いている。もう1時間以上は続いている。彼らのエネルギ−には驚くばかりだ。大声を張り上げて1時間以上も手拍子を打ちながら続けたら、普通なら疲れ果ててしまう。ここの人たちは、それを平気でやってのける。そのタフさには脱帽だ。民衆の運動もこうなくてはいけないのかもしれない。そんなことを思いながら、再び心地よい眠りに落ちる。
 

次に目覚めた時には、さすがにデモの姿もなくなって、国会議事堂前は平穏さを取り戻している。もう夕暮れの7時を回っている。ホテルに戻ってから、3時間以上も眠ったらしい。きっと尾を引いていた時差の疲れがあったのだろう。この午睡で心身ともにすっきりとなり、精気がみなぎってくる。と同時に、お腹が空いているのに気づく。


夕 食
お昼はどこにも食堂は見当たらず、結局アラビアパンと水で過ごしていたので、お腹も空くはずだ。便利なことに、このホテルの前庭にはカフェテラスと屋内レストランが開かれている。そこへ行って夕食としよう。夜の8時前だというのに、外は夕暮れの気配もなく明るい空が広がっている。この時期の昼間の時間はたっぷりと長く、旅行者にはありがたい季節である。8時半を過ぎて、ようやく日没が始まるようだ。


このレストランでは道路に面して大きな写真入りのメニュ−看板が値段入りで出されている。だから、私のような外来者には目で見て選べるので、とても便利でありがたい。種類が多いのであれこれ迷った挙げ句、好みのものを値段と相談して2品を選ぶ。肉料理(70DH=約800円)、野菜サラダ(15DH=170円)、それにビ−ル(16DH=190円)である。
 

肉料理は若鶏を煮込んだもので、フライドポテトも添えられているのでボリュ−ムたっぷり。それにサラダも山盛りのボリュ−ム。これにパン、バタ−などが常に添えられるので、とても食べきれない。ビ−ルでお腹は膨れるし、ゆっくり時間をかけながら食事する。テラスは飲物客で繁盛しているが、室内レストランのほうは客の姿は少ない。満足のいく料理に、お腹をさすりながら席を立つ。
 

部屋に戻ると、テラスに出て町の夜景を楽しむ。とはいえ、先進国の都市のようにきらめくネオンサインもなく、遠慮がちにともる町の灯だけが見えるだけである。だが、満天の星空だけは、どこよりもぜいたくに輝いている。こうして、静かなラバトの夜は更けていく。



(次はラバトの隣町「サレの町編」です。)










inserted by FC2 system