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                 No.2
                         (&ポルトガル)




3.モロッコの首都ラバト

失念した時差調整
モロッコ2日目、ラバトへ移動の日である。朝7時前起床。と思って起きたところが、実はまだ5時前だったのだ。つまり、パリとモロッコの2時間の時差をすっかり失念していたことが分かったのである。
 

朝食が朝の7時からと聞いていたので、身仕度を整え一番乗りで食堂へ出かけてみる。ところが、入口のドアは閉まり、室内はライトもなく真っ暗な状態で人影もない。おかしいなあ?確かに7時からと聞いたのだが……。ロビ−のフロントマンに尋ねてみようと行ってみると、部屋に引っ込んで表には人の姿が見えない。そこで、付近のソファ−で仮眠している警備員らしき人に、食堂がまだ開いていない理由を尋ねると、あと1時間後にオ−プンするから来なさいと言う。
 

なぜ1時間も遅れてオ−プンするのだろう? こちらは早く朝食をすませてラバトへ出発したいのにと独り愚痴りながら、やむなく人気のない外の通りへ散策に出かける。今さら部屋に戻る気もしないのだ。ホテルのすぐ横手にD'Anfa通りと交差するMoulay Youssef通りが走っている。ここには大きな椰子の木の並木が通りを埋め尽くすように立ち並んでいる。両サイドの歩道側に各1列、道路の中央には間隔をあけて2列の椰子の木が植えられ、それが大都市の町中に潤いと素敵な風景をつくり出している。
 





Moulay Youssef通り
ヤシの並木が美しい。









ホテルを出たり入ったりしながら、ようやく1時間を過ごし、食堂へ行ってみる。しかし、依然として室内は暗くドアは閉まったままである。業を煮やしてフロントに出向き、出てきたフロントマンに食堂はまだ開かないのかと尋ねると、今はまだ6時なので、あと1時間後に開きますという。えっ! 今は6時だって!? 自分の時計はすでに8時を示している。あっ、そうなのか! モロッコに入る時、時差の調整をしていなかったのだ。これは迂闊だった。
 

そういえば、昨日のタクシ−の待ち合わせの時間も2時間ずれていたのだ。それで、いくら待っても来ないわけなのだ。自分の迂闊さから、これは悪いことをしたものだ。ドライバ−はきっと怒ったに違いない。そして、日本人の信頼を失う結果にもなった。ここで陳謝しても、どうにもならない。それに、グランモスクの午後2時の拝観時間にも間に合ったのかもしれないのに、残念なことをしたものだ。
 

自分のミスに腹立たしさを覚えながら、ロビ−のソファにひっくり返って時を過ごすことにする。ようやく1時間が過ぎて食堂に出かけ、それでもせかすようにドアを開けてもらい、朝食にありつく。4つ星ホテルだけあって、品揃えは豊富である。肉類、ハム・ソ−セ−ジ類、ハリラス−プ、タマゴ、パン類、飲物類、フル−ツ類と、それぞれ豊富に取り揃えてある。満足のいく思いで、好みのものを選んで皿に盛り付ける。食べすぎないように、分量に気をつけながら……。
 

こうして、2時間のお預けの後、やっと食事を終えて出発となる。おっと、その前に明後日の宿泊を予約しておこう。再度、カサに舞い戻り、ここからポルトガルに飛び立つ予定なのだ。フロントで頼むと、問題なくOKが取れた。ちょっと高級すぎる感じはするが、後のホテルで節約しよう。国内で予約を取るより現地で取るほうが、1泊2,000円〜3,000円は安くなる。だからできれば、現地飛び込みで宿を探すほうが安くつく。


ラバトへ出発
ホテル前の通りでタクシ−を拾い、9時発の列車に乗るべく駅へ急ぐ。今度はチケット買いも慣れてスム−ズにゲット。ラバト・ヴィレまでの料金は29.5DH(約350円)。安い運賃でありがたい。改札を通り抜けてホ−ムへ出ると、赤とベ−ジュの明るいツ−ト−ンカラ−の列車がすでに待っている。この時間の乗客はさほど多くはない。
 





朝のカサ・ポール駅










定刻に発車した列車は、ラバトへ向けて快適に走行する。流れる車窓の風景は、今朝も青く晴れ上がった空の下に限りなく広がる原野の大地である。その所々に畑が耕されて野菜などが植えられている。走っても走っても、この風景の連続である。そんな中を走ること50分、列車は静かにラバト・ヴィレ駅に滑り込む。






ラバトへ向かう車窓の風景









このラバトの町には3つの駅があるので注意が必要だ。ラバト・アクダル駅、ラバト・ヴィル駅、そしてラバト・サレ駅である。このうちラバト・ヴィル駅が中央駅に当たり、ラバト・サレ駅は隣町のサレにある。もちろん、ヴィレ駅で降りることにする。ホ−ムに降り立ち、ここで駅のホ−ムの風景をカメラに収める。首都の駅だけあって、小ぎれいな感じである。






ラバト・ヴィル駅のホーム











ラバトのこと

商業の中心カサブランカに対して、ここラバトはモロッコの行政上の首都である。規模は小さいが、緑豊かで落ち着きのある田園都市といわれる。新市街には各国の大使館が並び、近代的な官庁のビルやフランス風のレストラン、カフェが並ぶ。欧米化されていない庶民の生活で活気あふれる旧市街のメディナやムワッヒド朝時代のカスバ(城塞)などがある。
 

この町の歴史は古く、10世紀にベルベル人のゼナ−タ族がこの地に「リバ−タ」と名付けたのだが、それがラバトの名の由来となっている。当時、要塞がつくられ、その後ムワッヒド朝時代にはカスバがつくられている。17世紀になると、レコンキスタ運動により、スペインのアンダルシア地方から多くの難民が流入。その後、商業貿易の中心地として発展し、1912年にモロッコの首都となった。
 

ここでの観光予定は、メディナ、カスバをはじめ、数ヶ所の観光ポイントをめぐり、隣町のサレの町まで足を伸ばすつもりだ。


ホテル探し
駅の玄関を出て振り返ると、そこにはそれほど大きくない白亜の駅舎が建っている。






 ラバト・ヴィル駅










ここモロッコは、どこへ行っても申し合わせたようにほとんどが白の建物ばかりで、カスバの建物にいたるまで白一色の世界になっている。それがアフリカの強い陽光を浴びて一段と白く輝きを増し、まぶしいほどである。ほんとに白がお好きな国柄のようだ。
 

駅前にはアラウィ−ト広場という名のロ−タリ−があり、そこから大西洋岸に向かって目抜き通り・ムハンマド5世通りが走っている。その中央部には2列にヤシの並木が植えられ、グリ−ンベルト地帯になっていて、その端には噴水も設けられている。これらがいかにも田園都市らしい雰囲気をかもし出している。





 
目抜き通りのムハンマド5世通り









車も少なく落ち着いた雰囲気がただよい、流れる空気もフレッシュで爽やかこの上ない。思わずう〜んと胸いっぱいに深呼吸をしたくなるような感じである。反対方向を見れば、通りの奥にグランモスクのミナレットが見える。早速、ここで記念撮影をお願いしよう。
 





駅前の広場
向こうにモスクのミナレットが見える。








さて、これから今夜の宿探しをしなければ……。この町には1泊数百円レベルから万円レベルのホテルまで、さまざまなクラスのホテルがたくさんある。だから、泊まることには事欠かない。私が目指すのは、駅からすぐの所にあり、この目抜き通りに面した3ツ星クラスの中規模ホテルである。歩道を歩いて行くと、すぐにそのホテルは見つかる。駅から5分もかからない至便な場所である。
 

こぢんまりとしたフロントには、英語を話す感じの良いフロントマンがいて応対してくれる。「Est-ce que vous avez une chambre sinmple pour deuxe nuit ? (2泊したいのですがシングルの部屋ありますか?)」と尋ねると「はい、ございます。」という返事。まずはほっと一安心。そこで「C'est combien pour une nuit? (1泊いくらですか?)」と尋ねながら紙とペンを差し出し、金額を書いてもらう。示された金額はシングル1泊377DH(約4,500円)となっている。これだと申し分ない。そこで、「2泊するのでディスカウントできませんか?」と英語でお願いすると、残念ながらそれはできないと言う。それじゃ、仕方ない。


渡されたカ−ドに必要事項を書き入れ、キ−をもらって階上の部屋へリフトで昇る。部屋に入ると窓のカ−テンを通して明るい光がいっぱいに差し込んでいる。思わずカ−テンを開けてみると、視界いっぱいに市街のパノラマ風景が飛び込んでくる。おゝ、なんと素晴らしい光景だろう! 独り感嘆の声をあげながら、窓を開けてテラスに出る。手摺りに身をもたれながら、しばしこのラバトの風景に見とれる。


そこには、どこまでも白、白、白の建物が広がり、それが空の青と樹々の緑に挟まれて素敵なコントラストを見せている。そんな中、真正面下に見える国会議事堂の建物だけが、唯一茶色のアクセントを添えている。



 ホテルの窓から見たラバト市街の風景。正面の茶色の建物が国会議事堂。




これはなんと素敵なホテルに泊まり込んだものだ。環境といい、ロケ−ションといい、宿泊料金といい、何拍子もそろって言うことなし。すっかり快適な気分になり、荷物を放り出してベッドの上に大の字になって横たわる。開け放った窓からは、アフリカのまぶしい光とともにひんやりと爽やかな空気が流れ込む。素敵な2日間の滞在になりそうだ。


旧市街メディナ
しばしベッドに横たわって憩いながら時計を見ると、11時近くになっている。昼食は途中で探すとして、まずはメディナへ出かけるとしよう。その前に、フロントでメディナやカスバへの行き方を尋ね、迷わないように地図に赤線で目印を付けてもらう。これで準備OKだ。
 

ホテルを出てメインストリ−トのムハンマド5世通りを大西洋岸に向かって一直線に歩いて行く。両側にはオフィスなどの建物が立ち並んでいる。その途中、左手に大きな郵便局のビルがあるのを発見。ここで葉書を送るための切手を買っておこう。地階へ下りて行くと、がらんとした人気のないスペ−スに窓口が並んでいる。日本への航空便切手2枚をお願いと言って買い入れる。代金8.5DH。
 

ここからさらに歩いてメディナへ向かう。一直線だから迷うことはない。途中、庶民的な食堂はないものかと探しながら歩くが、それらしい店は見当たらない。メディナに行けば見当たるだろう。そう思って歩いていると、向こうにメディナの入口が見えてくる。ホテルから10分ほどの距離である。
 

どこのメディナもそうなのだが、この地域は当時外敵から町を守るためにめぐらされたのか、古く高い塁壁で囲まれている。ここは12世紀に建造された塁壁と17世紀に建造されたアンダルシアの塁壁に囲まれている。現在では、これが区画壁になった感じで、新市街とはっきり区別されている。この区域内では、昔ながらの庶民の生活が見られるというわけだ。ここのメディナは規模も小さく、割と整然としているらしいので、迷路に迷い込むことはなさそうだ。
 

メディナの入口門は塁壁が道路の幅だけ途切れていて、入口門という感じはない。なんとなく人通りは少ない。メディナに入るのは、ここが初めてである。いったいどんな様子なのだろう。これからメディナに入り、ここを通り抜けながら、大西洋岸沿いの突端にあるウダイヤ・カスバまで行くつもりである。
 





 メディナの入口










この大通りは駅から続くムハンマド5世通りで、これがメディナの奥端まで貫いて走っている。門から少し奥へ入ると、右手にメディナの繁華街スイカ通りが見えてくる。ここへ曲がり込んで歩いて行く。道幅4mぐらいで、その両側にはびっしりと商店が軒を連ねて立ち並んでいる。ここは人通りも多く、庶民の買い物姿が見られる。だが、喧噪な感じはなく、静かな雰囲気である。
 

両側には食品、香辛料、日用雑貨をはじめ、バッグ、靴、工芸品、貴金属類など、さまざまな商品を売る店が並んでス−ク(市場)になっている。なかには、大きな羊の肉をぶら下げている店もある。写真を撮りたいが、嫌われるので迂闊には撮れない。遠慮がちに1枚だけ通りの様子を撮らせてもらおう。
 

辺りを見回すと、外国人の姿は私だけ。だれ一人として外国人旅行者の姿は見られない。たった一人、異次元の世界に迷い込んだ感じである。これぞ海外旅行の醍醐味たっぷりで、この雰囲気を存分に楽しむ。さらに奥へ進んで行くと、道路の間にモスクのミナレットが見えてくる。マリ−ン朝の建築様式のグラン・モスクである。
 





メディナのスイカ通り
向こうにモスクが見える。









また少し歩くと、右手に円盤状の食べ物を積み重ねている店がある。よく見ると、どうもパンのようだ。直系30cm足らずの円盤で、厚みが4cm程度のものである。これがアラビアパンと呼ばれるものなのだろう。お腹も空いているし、買ってみよう。でも、1個ではちょっと大き過ぎる感じである。幸いなことに、半分に切ったものがあるので、それを買うことにする。確か、日本円で10円ぐらいの値段だったと思う。安いこと、この上ない。
 

一口頬張ると、ほどよい柔らかさで風味もあり、なかなか美味しいパンである。これならいくらでもいけそうである。これを片手に持ってちぎり食いしながら、通りを奥へと進んで行く。どこまでこの道は続いているのだろう。もう、そろそろ教えられた辻が出てきてよさそうなものだが……。そこから左へ曲がってカスバへ向かうのだ。迷い込んでは無駄足を踏むので、ここらで尋ねてみよう。
 

細い路地を入った所に、3人のおじさん方が立ち話をしている。そこで近づいて行き、「スマホリヤ.フェ−ン ウダイヤ・カスバ?(ちょっとすみません。ウダイヤ・カスバはどこでしょうか?」と尋ねてみる。すると話を中断して、親切にも道順を教えてくれる。それも手振り身振りを加えてフランス語で懸命に教えてくれるのだ。終いには、とうとう路地から一緒に連れだって来て方向を指し示し、丁寧に教えてくれる。ほんとに親切な人たちだ。旅先ではこんな親切がいちばん嬉しいものだ。
 

それらしき曲り角に出ると、それを左に折れてさらに進んで行く。少し広い通りなので間違いないはずだ。念のために、もう一度尋ねてカスバの方向を確かめて歩き始める。この路地はア−ケ−ドになっていて、雨が降っても心配はない。だが、人通りは閑散として静まり返っている。少し心細い気持ちになるが、勇気を出して進んで行く。メディナに入って15分ぐらい歩いただろうか? 路地が途切れて、その先にウダイヤ・カスバの城壁の一角が見えてくる。


ウダイヤ・カスバ
路地を抜けると、車が行き交う広い道路が走り、その向こうの川沿いに、いかにも歴史を刻んだらしい重厚で堅固な城壁がド−ンと構えている。これがウダイヤのカスバなのだ。アル・ムワッヒド朝に築かれた城壁を利用して、17世紀に建造された城塞だという。



 ウダイヤのカスバ。この城壁の内側はウダイヤ庭園になっている。




ここでカスバ(CASBAH)について少し触れておこう。昔の古い映画に「カスバの女」というのがあったのだが、この映画を見て以来、迷路の入り組んだカスバの強烈な印象が残っていた。当時、それがどの国に存在するのか知る由もなかったのだが、近年になって初めてそれがモロッコの国だったことを知ったのである。それ以来、無性にこのカスバが見たくてたまらない気持ちになっていた。
 

カスバとは城塞、支配者の居住地の呼び名だそうで、主にメディナの内外を監視するための城塞をいう。これもいろいろ使い分けられていて、メディナの一角に存在する場合と、地方の小さな砦や地方官の邸そのものを呼んだり、あるいはこれらを中心に高い城壁で囲まれた町全体を呼ぶ場合がある。マラケシュから南東へ延びるカスバ街道に点在するカスバは、この後者の場合である。
 

道路を横切って城壁の左側面に沿って歩き上り、ウダイヤ門をくぐって進んで行く。すると真っ白な四角い箱のような住宅が密集して並んでいる。坂道を奥へ進もうとすると、待ち構えていたように一人の男性が近づいて来て、片言の英語で何やら親しげに話しかけてくる。どうやら、道案内をして小銭を稼ごうとの魂胆らしい。
 

盛んに話しかけてくるのを無視して歩いていると、こっちへ行くと海のパノラマ風景が見られると言う。この入り組んだ路地では見当がつかないので、自然と彼の誘導に従うことになる。どれも似ていて区別さえできない白い建物の壁に囲まれた細い路地が、くねくねと曲がりながら続いている。だから先の見通しはまったくきかない。これでは完全に方向感覚を失うことは間違いない。一人で迷い込んだら、元に戻れそうにもない。住人たちも家に引き込んでいて姿を見せない。だから、路地には人気もなく、聞くにも聞けないわけだ。
 

つかず離れずの状態で彼と同行しながら歩いていると、先を歩いていた若い二人連れの女性観光客が別の案内人に連れられて、とある建物の木戸を開けて入って行くのが見える。多分、この先にパノラマ風景が見える場所があるのだろう。そう独りで勝手に判断すると、彼に「ありがとう。もうけっこうですよ。あとは自分で行けますから……。」と言って断ることにする。それでもなお連れだって来るので、再度同じことを伝えると、しぶしぶあきらめて戻って行く。多分、稼ぎそこなって、くやしいのだろう。こんな得体の知れないガイドには要注意なのだ。後で、法外な報酬を要求される恐れがあるからだ。
 

ようやくガイドを振り払うと、さきほどの女性観光客が入って行った木戸を押し開けて入ってみる。その中は人の住む家なのかと想像していたが、薄暗い空間になっていて、その向こうに出口が見える。そこへ向かって出てみると、細いテラス風の場所があり、そこから視界180度に広がる真っ青な大西洋の大海原が見えるではないか! 彼がパノラマ、パノラマと言っていたのは、ここのことだったのだ。眺めは確かに雄大なオ−シアンなのだが、ただ海だけの風景というのも趣がないものだ。そこに浮かぶ船か島影がほしいところである。
 

すでに先着している二人連れの若い女性に話しかけてみると、ドイツからやって来た大学生だという。ヨ−ロッパからは近いので、この地を訪れる観光客も多いようだ。別れを告げて元来た道を引き返す。再び暗い部屋を通って扉を開き表の路地に出る。ほっとして振り返りながら考えてみると、どうみても独りでは絶対に今の場所には到達できっこない。ある家の扉を開いて、その中を通らなければ行けない場所なのだ。これでは分かるはずがない。たまたま、彼女らが案内されて入って行くのを偶然にも見たから行けたのである。規模は小さな集落のようだが、迷路は一人前である。
 

あまり奥へ進むと迷い込む恐れがあるので、ここらで引き返すことにしよう。果たして、うまく戻れるかな? ちょっと不安な気持ちになりながら、元来た道を慎重に探って坂道を下りて行く。やや広い表通りから幾つもの細い路地が入り組むように走っている。その路地の見通しはせいぜい10mぐらいで、その先は曲り角になっていて壁しか見えない。ここの人たちは、どうしてこんな路地の造り方をするのだろう? その昔、敵の来襲に備えてあざむくための手段だったのだろうか? それが今も町づくりの習慣となって残っているのだろうか? これから想像すると、規模の大きいカスバの迷路は、とてもじゃないのだろう。
 

途中、幾つかの路地に入り込んで様子をうかがってみる。幅1mぐらいの路地もあれば、やや広めの路地もある。そして高さや大きさは異なるが、どの家も四角の角張った建物で、その配色をよく見ると、どの家も申し合わせたように真っ白で、地面から上1mほどの高さは、これも一律ブル−一色で塗りつぶされている。つまり集落一帯が色も形も統一されていて、家の個性は殺されてしまっているのだ。よほど団結力の強い人たちなのか、それとも何か強い統制力が働いているのだろうか? そんなことを考えながら歩いていると、ある細い路地の奥にモスクのミナレットがのぞいている。こんなカスバの中にも、ちゃんとモスクがあるのだ。その珍しい光景を写真に収める。






カスバの入り組んだ路地

















 路地の向こうにモスクが見える。


















(次ページへつづく・・・)










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