4.サレの町
モロッコ3日目。朝食は7時半からとなっているので、それをめがけて7時半に起きる。今日は、ここラバトの川向にある隣町のサレへ出かけてみるつもりだ。歩くのには遠いので、バスかタクシ−を利用することになる。身仕度を整え、まずは朝食に出かける。どんな食事を食べさせてくれるのか、楽しみだ。
別棟の2階にある食堂へ行くと、お客の姿はほとんど見えない。泊まり客が少ないのか、それともすでに朝食を済ませたのだろうか? 部屋はがらんとして、テ−ブルとイス以外に周りには何も置かれていない。ビュッフェ形式の朝食ではないのだ。少しがっかりしながらテ−ブルにつくと、奥の部屋からウェイタ−が出てきて飲物は何にするか注文を聞く。そこでコ−ヒ−を注文して待っていると食事が運ばれてくる。
テ−ブルに置かれたのを見ると、コ−ヒ−にパン2個(小型フランスパンとクロワッサン)、それにバタ−とジャムが添えられている。朝食は、ただそれだけである。なんとあっさりした朝食だろう。4,000円台の宿泊料金からすれば、こんなものかもしれないと納得しながらあきらめる。全部残さず食べ終わると、けっこうお腹もふくれて満足? フランスパンはとても美味しく、なかなかのものでる。
食事を終えて裏口から横の通りに出てみると、小さな食品店がある。ミネラル水もあるので、ボトル1本を買い込んで部屋に戻る。テラスから街の景色を眺めたりしながら、ゆっくりと過ごし、今日の日程を考える。ガイドブックを再度チェックしてから階下へ下り、フロントでサレ行きのバス停のことを尋ねてみる。するとフロントマンは、バスよりもタクシ−の方が良いだろうと言う。バスの行かない途中の場所に、いわゆる「芸術村」があり、そこにも立ち寄れるからと言う。それならと、タクシ−を呼んでもらうことにする。
しばらく待っていると、老ドライバ−が運転するグラン・タクシ−がやって来る。そこで値段を交渉すると、2時間で200DH(約2,300円)という。やはり、相場は1時間100DHのようだ。そこで契約は成立し、出発となる。
芸術村
このドライバ−もフランス語オンリ−なので、コミュニケ−ションがとりにくい。車はホテルを出るとブ−レグレグ川にかかる橋を渡って対岸のサレの町に向かう。その途中から右へそれてしばらく走ると、広い敷地の中に建つ「AL OUALJA」という芸術村に到着する。ピンク色の1階建て屋舎が横長に連なった施設で、今は人影もなくひっそりかんと静まり返っている。最近では、この地の観光ポイントの一つになり始めている場所らしいのだが……。
「AL OUALJA」
芸術村?
中に入ると、幾つかの展示室が並び、そこには手工芸品を中心にした商品が陳列されている。陶器、カ−ペット、衣類、家具、民芸雑貨、絵画などが、部屋別に上品に展示されている。庶民を対象にした施設ではなく、どうも観光客目当てのようである。一通りめぐりながら、何かみやげ品になるものはないかと探すが、これといった適当な物は見当たらない。
陶器類の陳列
石のテーブル板
両側に立てかけられている。1枚石でできている。
民芸品の部屋に入って物色していると、小型の燭台が目にとまる。鉄製のフレ−ムに花模様入りレザ−で太鼓張りにしたものである。モロッコの記念品をまだ何一つ入手していなかったので、これにしようと買うことに決める。この地では、みやげ品に適した小物がなかなか見当たらない。結局、この時点での来客は、私一人だけという状況だった。
グラン・タクシーとプティ・タクシー
半時間ほど時を過ごして外に出ると、ドライバ−が待っている。ここで記念撮影をお願いすると快く応じてくれる。そこでグラン・タクシ−の愛車の前に立ってもらい、撮影したのがこの写真である。前方のナンバ−プレ−トの上に小さな円盤プレ−トが取り付けられている。これを拡大したものが次の写真なのだが、これがグラン・タクシ−のライセンスなのである。プティ・タクシ−より一段格上のライセンスだけに、取得は難しいらしい。
ヴェテランの老ドライバー
この赤い円盤がグラン・タクシーのライセンス
モロッコでは、プティとグランの2種類のタクシ−があり、そのすみ分けが決められている。プティ・タクシ−は市内だけを走る小型タクシ−で、町によって色分けされている。カサブランカは赤、ラバトは青色となっている。これに対してグラン・タクシ−は、市内外とも走る大型タクシ−で、主に乗り合いタクシ−として利用され、町と町との間を往復している。今日のタクシ−も、ラバトの隣町に当たるサレへ行くので、グラン・タクシ−でないと利用できないわけである。
メディナ
芸術村をあとにして、車はサレの町へ向かう。間もなくすると、メディナの高い塁壁が見え、その中央にひときわ高い門がそびえている。ここは11世紀に築かれた古い歴史のある町で、このメディナ内の建築物の多くは13〜16世紀につくられたものだという。現在では陶器やござの生産など手工業が盛んで、ラバトのベッドタウンのようになっているという。ここで車を止めてもらい、門の写真を撮る。
メディナの大きな門
塁壁に沿って北へ走ると、左手の川向に昨日訪れたハッサンの塔とムハマンド5世の廟が遠望される。
右がハッサンの塔
左の奥が廟
そこを通り抜けてメディナの中に入って行く。どこの位置なのか分からないが、狭くなった路地で車を止め、付近を探索してみる。少し歩いてやや広い通りに出ると、そこには衣類その他の雑貨商が軒を連ねている。ス−ク(市場)なのだろうか? ここでも、遠慮がちに写真を1枚だけ撮らせてもらう。
サレの町のとある通り
写真に写っている建物の窓際には、近代的なパラボラアンテナが幾つも取り付けられているのが見える。TVの衛星放送を受信しているのだろうが、そのことから察すると中流以上の家庭に違いない。別の通りに入って行くと、5、6人の若者たちがたむろしており、もの珍しい様子で私の方を見ながら、「ジャポ−ニ−、ジャポ−ニ−」とひやかすように叫んでいる。珍しい異分子が迷い込んで来たと思っているのだろう。ここはさわらぬ神にたたりなしで、視線を合わせず足早に立ち去る。
車に戻ると、今度は川沿いの通りに出て、さらに奥の方へ走って行く。その途中、川向には昨日訪れたウダイヤ・カスバの突端が見えている。今度は、昨日とは反対側から眺めることになる。この展望の良い所でフォトストップをお願いする。
川沿いから手前の敷地には、見渡すかぎり広大な墓地が広がっている。まさに壮観な風景である。墓の形式は、なんとなく洋風の感じがする。よく見ると、墓標の形には多少の違いが見られるが、大きさはほとんどどれも同じ。そして、墓地はきちんと区画されていて、これも大きさはみんな同じになっている。見事に区画整理された墓地の大集団である。町が住民に割り当てでもしたのだろうか? |
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