N0.7





8.オリーブ山・クムラン・死海エンボケック
イスラエルの旅7日目。旅もすでに後半に入り、終盤にさしかかっている。残すところあと1日となり、もう終わりなのかと心寂しい思いがする。


今朝も5時に起床し、エルサレム最後の朝をベッドで迎える。おもむろに起き上がり、全身をほぐして体調を整える。洗面を済ませて朝食をいただき、お腹を満たせば出発準備OKである。


気になる今朝の眺望の様子はどうかと窓外を眺めると、昨日よりは霞も取れて見通しはましになっている。これだとオリーブ山からの展望もなんとかいけそうだ。


オリーブ山
8時半にホテルを出発し、オリーブ山の展望台へ向かう。この展望台は岩のドームが輝く旧市街が眺望できる名所となっている。この山は旧市街からケデロンの谷を隔てた東側に広がる高さ825mのなだらかな丘陵地帯で、古くからオリーブ畑になっていたためにこの名がついたと言う。また、この山は旧約、新約の聖書にたびたび出てくる由緒ある丘でもある。この丘陵地帯には「ゲッセマネの園」、「万国民の教会」、「マリアの墓の教会」、「マグダラのマリア教会」などがある。


バスはケデロンの谷を抜け、10分ほどでオリーブ山展望台へ到着。そこにはすでに大勢の観光客が到着して混雑している。ちょうどブラジルからの大団体客と鉢合わせしたようだ。霞も取れて眺望もまあまあの状態で、訪れる者を歓迎するかのように、盛んに小鳥がさえずっている。


眼下には大規模なユダヤ人墓地があり、墓石が密集して並んでいる。旧約聖書で最後の審判の日に神が立ち、死者がよみがえる場所とされているため、この地に墓地が作られるようになったという。この墓地に眠るのがユダヤ教徒の夢だそうだが、限られた墓地の面積しかないため、ここに墓地を得るのは至難の技という。


オリーブ山のユダヤ人墓地。すべて土葬という。


同 上


墓石に書かれた文字

墓地の向こうに目を移せば、ケデロンの谷を隔ててエルサレム旧市街を取り巻く長い城壁が見える。そして、すぐその向こうには朝日に輝く金色の「岩のドーム」が見える。ここから眺める市街全体の様子は緑の樹木が少なく、白っぽく乾燥した潤いのない町並みで、その様子が喉の渇きを誘う感じである。


(動画)オリーブ山展望台からの眺望。



 オリーブ山展望台よりの眺望。眼下にはユダヤ人墓地。その遠く向こうには旧市街の城壁と岩のドームが見える。




主の涙の教会
展望台からユダヤ人墓地の横の急な坂道を100mほど下ると、「主の涙の教会」に出る。


坂道を下る途中からの風景。岩のドームが黄金色に輝く。

「エルサレムに近づき、都が見えた時、イエスはその都のために泣いて言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。』(ルカ19−41)。


エルサレムの滅亡を予言し、イエスが涙を流したという言い伝えにちなんでフランシスコ会が建てたのが、この教会である。涙をかたどったと言われる独特の形のドームを持つ建物である。


涙をかたどったと言われる「主の涙の教会」


庭園から岩のドームが見える

教会内に入ると、ユニークな借景を背景にした祭壇がある。それというのは、大きなアーチ型の格子窓の向こうに神殿の丘に輝く岩のドームが真正面に見えるように造られているのである。その計算された設計には脱帽である。


祭壇の向こうに岩のドームが見える


祭壇は逆光で暗い


ゲッセマネの園
ここからきれいな坂道を少し下ると、ゲッセマネの園に出る。その途中、坂道から斜面に広がるユダヤ人墓地の壮観な眺めが見られる。


オリーブ山の斜面に広がるユダヤ人墓地の壮観な眺め


物売りのおじさん


車も少ない静かな坂道


ゲッセマネの園の表示

ここら一帯はオリーブ山の麓になるのだが、その昔、オリーブ林だったそうで、オリーブの精製が行われていたらしい。ゲッセマネとは「油を搾り出す」という意味だそうである。イエスの時代のものと言われる8本のオリーブの古木が保存されているが、これらは新約聖書の時代から接ぎ木をされながら生き残っているオリジナルの木だという。


オリーブの古木が並ぶ


イエス時代のオリーブの木と言われる樹齢2000年の古木

ゲッセマネはイエスが頻繁に訪れて祈りを捧げた場所であり、またイエスが磔刑の判決を受ける前日、ここで捕らわれの身となった因縁の場所でもある。


「処刑の日が間近に迫っていることを悟ったイエスは、最後の晩餐のあとに弟子たちを引き連れてゲッセマネの園を訪れたが、イエスの弟子たちはこれから起きる出来事を悲しみ、疲れ果てて眠ってしまった。イエスは弟子たちに対して『なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(ルカの福音書22−6)と言った。


ゲッセマネの園で、弟子たちから離れ、月明かりのなかで、イエスはひとり祈っていた。長い間、祈っていた。イエスは三度戻って来て、弟子たちを起こさなければならなかった。三度目にイエスが眠りこけた弟子たちの所に戻って話をしているところに、ユダが祭司長たちの遣わした群衆と一緒にやって来た。群集は手に手に棍棒や剣を持っていた。ユダはあらかじめ、自分が接吻する人がその人だ、その人を捕まえろと、合図を決めていた。


ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。 (『マタイ伝』)


こうして、イエスを売り渡した裏切り者のイスカリオテのユダが何食わぬ顔をしてイエスのもとに現れ、祭司長であるカヤパ(カイアファ)にイエスの身柄を引き渡し、カヤパはイエスを自宅に連行して自宅地下の牢獄に投獄した。このカヤパ邸跡とされる場所は鶏鳴教会となっている。


この際、その場にイエスと共にいた人々のうち、ペトロが剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落としたという。ペトロは警護役も務めていたようだ。イエスは弟子たちに抵抗するなと告げたと言う。その後、弟子たちはイエスを見捨てて逃げ出したそうで、ここがイエスと弟子たちの別れの場所となった。


裏切り者のユダは、その後アケルダマという荒れ地で首を吊ってしまったという。


万国民の教会
ゲッセマネの園の一角に、外装艶やかなこの教会が建っている。最初4世紀に建てられ、1919年にさまざまな国からの献金で再建されたものという。これが名前の由来にもなっている。入り口の壁の上方には、病める人々と貧しい人々を祝福するイエスの美しいモザイク絵が描かれている。


万国民の教会。壁面のモザイク画が素晴らしい


教会内部の祭壇。祭壇の前にはイエスが血の涙を流した岩がある。


(動画)万国民の教会内部


(動画)万国民の教会内部。祭壇前には広い岩が見えるが、これがイエスゆかりの岩。


教会内の祭壇の前には、イエスが捕えられる晩 血の涙を流して祈ったとされる岩が置かれている。(ある説によると、イエスは血涙症ではなかったのかとのこと。)


教会敷地の横手でひっそりと咲くアロエの花


(動画)万国民の教会


(動画)万国民の教会


(動画)万国民の教会前の風景。エルサレム旧市街の城壁が見える。


マリアの墓の教会
隣接してこの教会が建っている。聖母マリアが天にあげられたとされる場所に建つ教会で、ロシア正教とアルメニア教会の建物だそうだ。狭い入口を入ると、地下へ下りる階段が続いている。その下りた所が2000年前のイエス時代の地面だとされる。


マリアの墓の教会


階段を下りて祭壇へ向かう

地下には最後の晩餐の絵が描かれた祭壇があり、その横の入口を入ると、マリアの墓石がある。ただし、死後のマリアの所在は不明なので、ここにマリアの遺体があるわけでない。


最後の晩餐が描かれた祭壇。その右手がマリアの墓石の入口。


マリアの墓石への入口


エルサレム旧市街の城壁とドームが間近に見える。(万国民の教会前から)


クムランへ
朝8時半にオリーブ山に出かけ、ここで10時半までの2時間をイエスにゆかりのある教会などを見学して過ごす。これからエルサレムを離れて死海へ向かう。丘を越えると3日前に通って来た砂漠と荒野が続く風景に変わる。向かう先は死海写本館で見た写本が発見された場所クムランである。標高825mのオリーブ山から、海抜0メートルを過ぎてマイナス400mの世界へ一気に下降することになる。


(動画)死海のクムラン遺跡へ向けて走行中


途中、砂漠の中にラクダが徘徊しているのが見える。野生のラクダなのだろうか? そして間もなく海抜0メートル地点に到着し、そこで下車して記念撮影。そこからさらに下って間もなくするとクムラン到着である。エルサレムから約1時間の走行である。現地は強風が吹きまくって砂嵐が起こっている。


砂漠の中を野生のラクダが徘徊している


海抜0mの標識


アクセサリーを売るおじさん


(動画)海抜ゼロメートル地点


ここにはイエス時代の遺跡群があり、これらを取り込んでクムラン国立公園になっており、写本関係の博物館などがある。まず映写室で写本発見の短い映画を観賞。その後、博物館の展示物を見学する。写本の巻き物が入っていた縦長の壺や写本作りの石の台などがある。


クムラン国立公園の看板。ヘブライ語、アラビア語、英語で書かれている。


(動画)写本発見の映画



この壺に写本の巻物が入っていた


写本作りの石造りの作業台

その後は、この地域一帯に広がるクムランの遺跡を見学する。周りは砂漠の岩山で囲まれた土地柄で、そこに遺跡群が広がっている。1947年から56年にかけてこの一帯の11箇所の洞窟から、ヘブライ語聖書の断片を含む850巻の写本が発見されている。それらはいずれも紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけての写本だとされている。これらはローマ軍に追われるなかで隠したものだとされている。


11個の洞窟のうち、この第四洞窟から最も多くの写本が発見された。

紀元前後、ここには男性だけのクムラン宗団の人たちが居住していたとされており、禁欲と独身主義の集団で、隠遁と瞑想を好み、財産はすべて共同所有になっていたらしい。彼らはトーラー(モーセの五書)の巻物など聖書の写本を正確に書き写し、それを売って利益を得ていたという。ヘブライ語による夥しい死海文書はそのクムラン宗団に属する者たちが綴ったものと言われる。最盛期には3千人の集団が生活していたらしく、イエスとも接触があったらしい。


当時の写本作りの作業場の模型図


発掘された遺跡


同 上


同 上



(動画)クムラン遺跡の様子

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イスラエル考古学庁(IAA)はグーグルと協力し、現存する世界最古の聖書関連文献で、考古学上では20世紀最大の発見のひとつとされる「死海文書」の全文をデジタル化し、来年(11年)に公開することになった。
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昼 食
博物館や発掘された遺跡などを見学した後は、この公園内にあるレストランで昼食となる。遠いいにしえに思いを馳せながら食事をいただき、お腹を満たす。一息つくと、いよいよ楽しみの死海リゾート、エン・ボケックへ向けて出発である。


ロトの妻の柱
エメラルドグリーンの美しい死海を眺めながら、バスは沿岸沿いの道路をひた走る。特に沿岸部の浅い所になると、その色は一段と美しなる。海底に積もる塩が陽光に反射して輝くからである。途中、鹿が沿岸を散歩している姿も見える。


エメラルドグリーンに輝く死海。対岸はヨルダン(昼見てもヨルダン)


死海のほとりを鹿が散歩している


(動画)死海沿岸を走行中。今夜の宿泊ホテルが見える。


(動画)死海沿岸を走行中。ナツメヤシの栽培林が見える。


(動画)死海沿岸を走行中



ホテルに向かう途中、「ロトの妻の柱」という聖書ゆかりの地を訪れる。クムラン遺跡から車で走ること約1時間の距離である。下車して、しばらくフォトタイムである。この地は岩塩でできた切り立つ高い岩山が連なっている。その岩山・ソドム山の末端付近に、目的の「ロトの妻の柱」なるものが見える。それは岩山の斜面に人が突っ立っているような形で屹立している。


この突っ立っている岩が「ロトの妻の柱」


上の写真の岩塩の層


(動画)ロトの妻の柱。すぐ側は死海が広がる。


ロトは旧約聖書に登場す人物だそうで、自分たちが住んでいるソドムが滅ぼされると聞いて、ロトは夜が明ける前にロトの妻と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の町へ向かおうとする。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」なったという。そのいわれの塩柱が写真で見る尖った岩なのである。


この死海一帯の地域は、地質学的には中東のシリアから紅海を抜け、北東アフリカ・エリトリアから南東アフリカ・モザンビークまで、1万キロにも及ぶ地球最大の断層陥没帯、グレー ト・リフト・バレー(地球の裂け目と言われるアフリカ大地溝帯)の端にあたる地域である。この死海及びアラビア半島の沙漠は太古の時代には海底であったものが隆起したものと言われる。死海の塩分や岩塩の山もその時の出現物である。


ここでは撮影のみで、その後ホテルへ向けて出発する。


(動画)エン・ボケックに向かう。左手の岩山は岩塩の山並み。


死海のこと
この死海は“海”ではなく、実は塩湖なのだ。この湖は、東アフリカを分断する大地溝帯の北端に位置しており、この死海を含むヨルダン渓谷は、白亜紀以前にはまだ海であったと推定されている。その後の海底隆起により、パレスチナ付近の高原が形成されると同時に、ヨルダン渓谷付近に断層を生じたと考えられている。


死海はイスラエルとヨルダンの国境に細長く横たわる長さ60km、幅17kmの湖で、最深部は400mで総面積は琵琶湖の1.5倍。塩分濃度は35%でプランクトンも生息できない。南部区域は水深が浅く、結晶化した塩が見られる。


死海の衛星写真。死海の北端にグリーン地帯が細く伸びているのがヨルダン渓谷。
湖の左岸がイスラエルで右岸がヨルダン。


死海の水には健康維持に不可欠なミネラル成分(ナトリウム、カリウム、マグネシウム、鉄、臭素、カルシウムなど)が豊富に含まれており、それらが血液の循環を高め、皮膚からの老廃物の除去を促進させる。このため、身体を健康にし、美容にも効果があるという。実際に死海周辺のスパではこの高濃度のミネラルがアレルギーや皮膚病、リウマチ、関節痛、筋肉痛などに悩む人々を癒している。海水に触るとぬるぬるしているので、その成分の濃さが分かる。


このことは何千年も前から「生命」と「癒し」の源として、またその海水はその地域の特殊な気候条件と相まって美容・健康および皮膚病・傷その他多くの病気に有効であることが認められ、今日に至るまでその効果は世界的に高く評価されている。


海底の泥を身体に塗って太陽光線に当てると、泥が太陽光線を吸収してマッサージ効果があると言う。また、泥を塗って乾かし、それを洗い流せば古い皮膚が一緒に取れて肌が若返るという。でも、あまり長時間ひたると、塩分濃度が高いので浸透圧作用で身体の水分が抜け、脱水症状になるので要注意と言う。


死海の塩分は、国際河川であるヨルダン川および周囲から涌き出る温泉から供給されていると考えられている。この死海からは流れ出る川がなく、年間を通じて大量の水が蒸発するので死海の水の塩分はきわめて濃く、一般の海の塩分濃度が4〜6%であるのに対して、死海は35%の高濃度となっている。

この濃い塩分濃度のため浮力が大きく、人が死海に入っても沈むことはなく、ぷかぷかと浮遊できるのである。写真などでよく見かけるように、浮かんだまま読書もできるという不思議体験ができるわけである。またこの塩分濃度のため、湧水の発生する1ヶ所を除いて魚類などの生物は確認されていない。「死海」という名称の由来もここにあるわけで、何の生物も生息し得ない“死の海”を意味している。


近年問題になっているのは、死海の水位が年々低下しているということ。このまま水位が低下し続ければ、40〜50年後には死海は消失してしまうだろうといわれている。この水位の維持にはヨルダン川などからの流入量と水の蒸発量のバランスが必要だが、近年、ヨルダン川からの取水量増加やビジネス用に死海からの取水量が増えたりして、そのバランスが崩れているらしい。


数年前、イスラエルの観光局が 死海の宣伝のために、相撲取り14〜5人を一緒に死海に浮かべる企画があったそうで、それが評判になったとか。また、日本のテレビ局の企画で、ボーリングの球が死海に浮かぶかの実験があったそうだが、その結果は14号以下は沈み、15号以上の球が浮かぶことが分かったと言う。容積と体積の関係で浮かんだり、沈んだりするらしい。同時に行われた塩を水に溶かす実験では、死海の塩分濃度35%にはできなかったという。塩分濃度25%で飽和状態になり、それ以上は濃度を高められないという。そのことから、死海がいかに特殊な海水であるかが分かるという。


なお、死海の水を土産に持ち帰れるそうで、ビンなどの容器に採取して預け荷物にすればよいとのことである。


エン・ボケックのホテル・死海浮遊体験
「ロトの妻」を出発してしばらく走ると、死海のリゾート地エン・ボケックに到着である。15時と早目の到着である。なかなかしゃれたリゾートホテルである。早速、チェックインを済ませると、待望の死海浮遊体験の時間である。私自身はすでに4年前、対岸のヨルダン側で浮遊体験は済ませている。だから、本日はもっぱら見物側に回ることにしよう。




 リゾート地・エン・ボケックの風景




水着に着替えて身支度が整うと、みんな揃ってビーチへ向かう。玄関を出てビーチまで歩くのだが、それがなかなか遠い。タイムを計ってみると、ビーチまで7分の距離である。これはちと遠い。ゴルフカーのような輸送用の電動ミニカーが用意されているが、時間が定まっているのと5〜6人しか乗れないので、いつでも利用できない。


とにかくビーチに着くと、そこにはパラソルや椅子などが用意されてビーチの雰囲気を醸しだしている。この地一帯のホテルの共同ビーチと言った感じである。このビーチは足場がよくて入水しやすく、怪我の心配はなさそうだ。その点、ヨルダン側で体験したのはホテル専用のプライベートビーチで足場が悪く、入水するにも塩の塊や小石がザクザクあったりして注意しないと怪我しやすい場所だった。


やや風は吹いているが、空は快晴で文句なしの水泳日和。みんなわくわくしながら初の浮遊体験を楽しんでいる。私はもっぱら撮影専門で、その様子を動画に収める。欧米の観光客も多く、日本人はわれわれのグループだけである。添乗氏は皆から多くのカメラを預かり、浮遊中のメンバーの撮影に余念がない。


(動画)死海で浮遊体験中。



(動画)死海で浮遊体験中。気持ちよさそうにプカプカと浮いている。


ふと見ると、依頼の撮影を終えた添乗氏が、ビーチにしゃがみ込んで何やら紙袋から出して作業を始めている。近寄って見ると、なんとおにぎりを握っているのである。ご飯を温めてビーチに持参し、簡易おにぎり器で、ノリ巻きおにぎりを作っているのである。それをビーチで皆に振舞うとは恐れ入ってしまう。その想定外の行動に感動しながらいただくと、そのおにぎりの何とおいしいことか! 実に心憎い気配りである。


ビーチでおにぎり作り。その手際の良さには脱帽。


1時間ほど世にも珍しい死海浮遊体験を楽しみ、ホテルへ引きあげる。その後はエステや泥パックを楽しむ者、部屋でゆっくり過ごす者など、それぞれのひと時を自由に過ごす。


泥パック&マッサージ体験
死海の泥は美容トリートメントとして有名であり、ヨーロッパをはじめ世界各地に輸出されている。死海の泥は死海の底に堆積している沈殿物で、約2万年もの間、川から流れ込む成分などが無菌のまま沈殿しており、ミネラルをたっぷり含んでいる。この泥はクレオパトラも使用していたと言われ、死海の泥を使った化粧品工場まで建てられ、現在も遺跡として残っているという。


そんな泥を使ったパックがホテルで体験できるというので、ものは試しと話の種に、この機会を逃すわけには行かない。昨夜のうちに予約を入れるというので、私は泥パックとマッサージを予約することにしたのだ。さて、どんなことになるのか楽しみである。


それが今から始まるというので、1階のスパ関係専門のレセプションに出向く。予約している旨と名前を告げると、料金の確認が行われる。泥パック(顔を除く全身:30分)=190シェケル(約4200円)、Classic Swedish massage(全身:30分)=180シェケル(約3900円)となる旨を告げられる。それを了承し、係が迎えに来るまで待機する。この料金はフロントで支払の際に若干の割引があるとのこと。(翌朝のフロントでの支払い時には、合計で344.83シェケル(約7600円)となっていた。)


しばらく待っていると、担当のスタッフがやって来た。なかなか愛想のよいハンサム青年である。彼に案内されて施術室へ行くと、そこはタイル張りの部屋で中央に寝台が置かれている。彼は薄いスケスケのパンツを差し出して、「これに着替えてください」という。


(動画)泥パックの施術室。寝台には全身を包むシートが敷かれている。


(動画)泥パックの様子


そこで部屋の片隅で衣服を脱ぎ、パンツ1枚になる。本来ならバスローブが部屋に用意されているので、部屋からそれを着てここへ来れるのだが、なぜか私の部屋にだけバスローブが置かれてない。


寝台に上がって待機する。そこで彼が「心臓に問題はありませんか?」と尋ねる。「ノー・プロブレム」と返事する。すると今度は「温度は高・中・下とありますが、どうされますか?」と尋ねる。そこで「ミドルでお願いします。」と返答する。


間もなく彼は小型バケツ1杯の温かい泥(mud)を用意して私の股の間に置く。そして、上半身を起こした状態で首から下と背中全面に泥を塗り始める。そして寝転ぶと胸部と腹部、それに下半身の両足にも塗りつける。その泥は極小の微粒子でできたもので、手で触るとすごく柔らかくて何とも言えないぬめり感があり、気持ちが良い。


塗り終わると、敷いてあったビニールシートで全身を包み、これで準備完了である。あとは、このまま横たわって蒸されるだけ。「このまま時間までお待ちください。」と言いながら、部屋の明かりを消灯し、部屋を出て行ってしまう。薄暗い部屋の中でただ1人、ほかほかと温かい泥に包まれて身動き取れずに時を過ごす。部屋には小鳥の可愛い鳴き声や川のせせらぎの音がBGMで流されている。不思議と眠気は起こらない。


泥パックは、あまりにもあっけなく簡単過ぎて、えっ、これだけ?と思いたくなるほどである。ただ泥を塗って、後は時間が来るまで放置されるだけ。係も楽なものだ。


そんなことを思いながら静かに過ごしていると、途中15分ほど経過した頃に係が様子見に訪れ、「何も問題ありませんか?」と尋ねる。「心地よいですよ。」と答えると、「もうしばらくで終わります。」と言いながら再び部屋を出て行く。


その後、15分ほどしてから係がやって来て終了を告げる。包んだシートを開き、泥のついた身体のままコーナーのシャワー室へ。そこで全身を丁寧に洗い落としてくれる。ここまでで約30分の行程である。


身体を拭きながら質問してみる。
「あなたはイスラエル人ですか?」
「そうです。」
「この仕事、何年やってますか?」
「5年になります。」
「じゃ、ヴェテランですね。日本人客は多いですか?」
「多くの日本人が来ますよ。」
彼は英語が話せるので会話は困らない。


そんな会話を交わすと、次はマッサージ室へ移動である。パンツ1枚のまま、脱いだ衣服を抱えて少し奥の部屋へ移動する。担当は同じ彼である。


そこは板張りのフロアになっていて中央に寝台が置かれている。その台に上ってマッサージが始まる。ここでも「マッサージのレベルはストロング、ミドル、ソフトがありますが、どれにしますか?」と尋ねられる。そこで「ミドルでお願い」と返答する。こうして「スウェーデン&ミックス」のマッサージが始まる。ここでもBGMが流れている。


マッサージ室の寝台


(動画)マッサージ室の様子


寝台の上にうつ伏せで横たわり、オイルを塗りながらマッサージする。日本の按摩のように揉んだりはせず、ただひたすらにボディの上を両手で滑らせるだけである。それも背面と足のマッサージのみで胸部・腹部などは無しである。これが約40分間続いて終了となる。結論を言うと、私にはマッサージは物足りなく、やはり日本の按摩が好ましい感じである。


こうして泥パックとマッサージ体験は終わり、最後に冷水を飲んで別れを告げる。鈍感なのか、私には泥パックの効果がどうなのかも分からずじまいである。その直後に、オイルマッサージをしたせいもあるのだろう。だが、気分爽快になったことは確かで、話の種になること間違いなしだ。


夕 食
夕食はホテルだが、エステや泥パックなどの希望者もあるため、それぞれ各自の都合に合わせた食事となる。死海のビーチで遊び、泥パックとマッサージを受けて良い気分となり、ビールで喉を潤しながらビュッフェスタイルの食事をいただく。


これがホテルでの最後の食事となり、明日の深夜は帰国の旅となる。お腹が満腹となって部屋に戻ると、心地よい疲れと睡魔に襲われ、今夜も早目の9時に就寝となる。明日の無事出国を祈りながら、静かな眠りに落ちる。


(次ページは「マサダ・エリコ・ヤッフォ」編です)










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