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7.聖ヨハネ教会・ホロコースト・イスラエル博物館・ベツレヘム
イスラエルの旅6日目。今朝も5時起床。明るくなって窓外を眺めると、今朝の空の様子はいつもと違っている。雨の心配はなさそうなのだが、一面スモッグで覆われている感じで外の眺望がきかない。これは砂嵐なのだろうか? この国は砂漠や荒野が6割を占めているので、十分考えられることである。


不審に思いながらも、とにかくいつものように行動し、朝食を済ませて出発に備える。今夜もこのホテルに泊まるので荷物の準備は不要である。


洗礼者ヨハネ誕生の教会
8時半、ホテルを出発してエルサレムの南西郊外に位置するエンカレムへ向かう。ここには洗礼者ヨハネの両親、ザカリアとエリザベツが住んでいたと言われ、この地でイエスに洗礼を施したヨハネが生まれたのである。


路地の向こうに見えるのがヨハネ誕生の教会の門

高い門をくぐって入ると、四角い塔のある建物が見える。これがヨハネ誕生の教会である。内部は高い天井で明かり窓がないので薄暗い。ヨハネは地下の洞窟で生まれたそうだが、その場所には祭壇が置かれ、その下部には誕生場所を特定するエルサレム十字のマークが彫られている。


ヨハネ誕生の教会の門


ヨハネ誕生の教会


内部の礼拝堂


洗礼者ヨハネが生まれた場所(教会の地下の洞窟)


洗礼者ヨハネが生まれた場所(教会の地下の洞窟。中心にはエルサレム十字
が見える。)


外の庭園の壁には、ヨハネの父ザカリアの祝福の言葉「ベネディクトス」が各国の言葉で記されたモニュメントがある。その中に日本語訳も掲げてある。


祝福の言葉の日本語版


周囲の壁には各国語に訳された祝福の言葉のモニュメントが・・・。


ヤド・バシェム(記念と追憶)
ヨハネ教会で30分間を過ごした後、ユダヤ人虐殺のホロコースト歴史博物館へ移動する。その行く先はエルサレム新市街にある海抜843mのヘルチェルの丘。ここにはイスラエル建国の父と呼ばれるテオド−ル・ヘルチェルの墓があるのだが、ヤド・バセム(記念と追憶)もこの丘にあるのだ。この博物館は2005年に完成した白亜の建物である。


ホロコースト歴史博物館の大きなゲート


白亜の歴史博物館


博物館の入口付近にはイスラエル兵士たちが・・・・。見学だろうか?

第二次大戦中、ナチス政権によって組織的に行われたユダヤ人大虐殺(600万人ともいわれている)の史実を記録して後世へ語り継ぎ、人類の大きな過ちを正すことを目的に作られた博物館である。この博物館は、これほど多数の虐殺が行われたことを阻止できなかった世界全体の責任と罪の大きさを示すととともに、人間はこれほど愚かな行為をすることもあることを如実に示している。


入口を入ると、ナチス政権時代の様子が写真展示やビデオで流されている。反ユダヤ主義を風刺するマンガの展示やゲットーでの生活の様子、アウシュヴィッツの内部の様子などが展示されている。また、長い髪の遺品、宝石類の遺品などが展示されている。


その他、内部には多数の写真、資料、遺品などが展示され、ホロコーストの歴史と残虐性をこれでもか、これでもかと見せつけられる。同じ人類同胞でありながら、よくもここまで残忍な殺戮行為ができるものだと痛感させられる。内部は多くの入館者でごった返しており、ゆっくりと見れる雰囲気はない。



博物館の奥端にある展望台よりの眺め。霞んで遠くが見えない。

屋外の庭の片隅にはユダヤ人を救った多くの外国人のネームプレートと記念樹が植えられているが、リトアニア大使館時代に日本への通過ビザを発行して約6000人のユダヤ人を救ったとされる杉原千畝氏の名があるのが印象的である。


杉原千畝氏のネームプレート


杉原千畝氏の記念樹(手前)

別館の「子供記念館」は150万人の子供が殺されたことを記念するもので、内部は暗くされ、壁全体が鏡になっていて、そこに反射された無数のロウソクが灯っている。その中で、犠牲になった子供たちの氏名、場所、年齢がゆっくりと、淡々とエンドレスに朗読されいる。心沈む思いがする場所である。


子供記念館入口


子供記念館の庭園にある子供たちの群像


イスラエル博物館
ホロコースト歴史博物館で小1時間を過ごした後、イスラエル博物館へ移動する。博物館は幾つかのセクションに分かれた規模の大きいもののようだが、我々はその中の「死海写本館」を見学する。


イスラエル博物館入口

その前に、博物館の敷地の一角に造られた2000年前の第二神殿時代のエルサレムの模型を見学する。これは実際の1/50の縮小サイズで精巧に造られており、当時のエルサレムの全体図がよく分かるようになっている。城壁内における神殿の丘の位置やゴルゴダの丘などの位置関係がよく分かる。


2000年前の第二神殿時代のエルサレムの模型。右側に神殿の丘が見える。


死海写本館は、お椀を伏せたような白亜の建物で、陽光の熱射を冷やすために周囲から屋根に噴水がかけられ、冷却されている。このお椀型の形状は発見された巻物が入っていた壺の蓋をかたどったものだそうである。


お椀を伏せたような死海写本館。周囲から噴水がかけられている。

1947年、死海西岸のクムランの洞窟で壺に入った600以上の巻物がベドウィンの羊飼いの少年によって偶然発見された。その巻物には、イザヤ全書・旧約聖書・外典文書・ユダヤ経典等多数が記載されているもので、世界最古の写本と判明した。これは20世紀最大の発見としてセンセーションを巻き起こしたもので、イスラエル国の第一級の国宝となるものである。その巻物の実物がこの写本館に展示されているのである。


館の内部は展示物の保護から光を避けるため薄暗くしてあるが、ヘブライ語が読める人にとっては展示されている写本原本を読み取ることができるわけだ。内部は撮影禁止となっている。(死海写本館でアイスコーヒー1杯4ドル)


昼食はキブツで
死海写本館で約30分を過ごした後、キブツ経営のホテルへ移動し、そこのレストランで14時と遅い昼食となる。ここではキブツスタイルとかで、各自がお皿を持ち、目の前に並ぶ料理の中から好みの料理を申し出て係員によそってもらう方式である。


大皿にチキン、ポテト、ニンジンとポテトサラダ、スイカを盛ってもらい、これに飲み物は7アップを選ぶ。これでお腹は満腹となり、次の観光への出発準備OKである。


ベツレヘムへ
ベツレヘムはイエスが誕生した町として有名であり、世界中からの巡礼者が集まってくるキリスト教の3大聖地(ナザレの受胎告知教会、エルサレムの聖墳墓教会とベツレヘムのキリスト生誕教会) の一つである。ここはヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治区ベツレヘム県に位置する都市で、キリスト生誕教会や聖カテリーナ教会などがある。エルサレムから南へ約10km、車で20〜30分の距離にある。


国境(分離壁)越え
ベツレヘムはパレスチナ自治区にあるので、イスラエルとパレスチナの国境を越えて行くことになる。この国境はコンクリートの高い分離壁(高さ10mぐらい)で仕切られており、係官が監視している。特にパスポートなどの検閲はなく、チェックポイントで一時停止するだけで通過する。


キリスト生誕教会
分離壁を越えてベツレヘムの町へ入り、駐車場へ向かう。ここに観光バスは駐車するようになっているようだ。ここで下車してキリスト生誕教会へ徒歩で向かう。両側に商店が並ぶ坂道を上って行き、最後に階段を少し上ると教会前の広場に出る。駐車場から10分足らずの距離である。(この町ではミネラル水大瓶1本1ドルで売っている)


駐車場からキリスト生誕教会へ向かう


ゆるやかな坂道が続く


道路沿いには果物店が・・・



肉だんごを揚げている店。試食しなさいと、1個をいただく。味はまあまあ。


階段を上り・・・


この短い坂を上れば生誕教会へ出る

広場に出ると、その正面に高い鐘楼のある建物が見える。これがキリスト生誕教会である。


広場の前方に生誕教会が見える

教会内に入ると、高い天井と両側に大理石の列柱が並ぶ壮大で荘厳な雰囲気がただよう礼拝堂が見える。ここは椅子も置かれず、講堂みたいな広いフロアとなっている。


生誕教会の内部


(動画)キリスト生誕教会の内部



生誕教会の祭壇



(動画)キリスト生誕教会の祭壇


このフロアを通り抜けて右奥へ進み、そこの狭い階段を下りて地下へ行くと、キリストが生まれたとされる洞窟の場所がある。そこへの入口は巡礼者や観光客であふれており、順番待ちの行列ができている。


地下の洞窟への下り口


行列ができている


狭い地下は観光客で混雑

やっと順番が来て狭い階段を下って地下洞窟に下りると大理石の祭壇があり、ろうそくが灯されている。その下に生まれたとされる場所があり、その中央に銀製の星型が取り付けられて、生誕場所の特定を示している。イエスの時代は、この洞穴は馬小屋として使われていたらしい。その隣には生まれたイエスを寝かせたという石造りの飼い葉桶がある。当時は木製ではなく石造りだったらしい。


星の穴の周りには、ラテン語で「ここに、救い主イエス、乙女マリアから生まれる」と
刻まれている。




(動画)地下洞窟のキリスト生誕場所



これはイエスの飼い葉桶のあったくぼみ



(動画)イエスを寝かせた飼い葉桶(地下洞窟)


この場所は教徒にとっては神聖きわまる所で、これを自分の目で確かめ、祈りを捧げるために遥か遠くの地からやってくる。教徒ではないが、この私も同様だ。



生誕教会の素敵な回廊


聖カテリーナ教会
生誕教会に隣接してフランシスコ会の聖カテリーナ教会がある。内部はなかなか美しく、アーチ状の天井の梁が均整のとれた模様を作り出しているのがとても素敵である。ちょうどいま、祭壇奥で合唱隊が賛美歌を歌っているところである。


聖カテリーナ教会


白く映える聖カテリーナ教会内部



(動画)聖カテリーナ教会の内部。合唱隊の歌声が響く。



(動画)聖カテリーナ教会の内部。合唱隊の歌声は練習中?



毎年12月24日には、この教会のクリスマスミサの様子が全世界にテレビ中継放送が行われるという。


帰路へ
生誕教会と聖カテリーナ教会の見学で約1時間ほどを過ごし、午後4時ごろこの地を後にする。ここベツレヘムの町も砂嵐?に霞んで遠くはぼやけてよく見えない。往路とは逆に、今度は坂道を下って駐車場へ向かう。(駐車場のトイレ料金:1シェケル)



(動画)キリスト生誕教会前の広場



砂嵐に霞むベツレヘムの町

バスに乗ると、再び国境の分離壁へ向かい、難なく通過すると、パレスチナよさらばである。この分離壁はイスラエル側がパレスチナのテロリストの侵入を防ぐために設けたものらしく、東西ドイツ分裂時代のベルリンの壁を思い出させる。ここパレスチナの分離壁はそれより一段と高い壁でできている。悲しい人間の世界である。


パレスチナ国境の高い分離壁

国境を通過してイスラエル側に入ると、エルサレムの宿泊ホテルへ向かう。約1時間かかって午後5時ホテルへ到着。


(動画)砂嵐に霞むエルサレム市内(ホテルの窓より)


夕食はホテル
夕食はホテルでの食事で、ビール(小ビン:5ドル)を注文して喉の渇きを潤しながらおいしくいただく。


今日は終日スモッグに覆われた感じで、どこに行っても風景が霞んで見え、すっきりしない一日だった。明日はオリーブ山からエルサレム市内の眺望を楽しむ予定になっているが、この砂嵐が続けば明日の観光は台無しである。


明日はクリアラップの天候になることを祈りながら、エルサレム最後の夜を思いにふけりつつ静かな眠りに就く。



(次ページは「オリーブ山・クムラン・死海エン・ボケック」編です。)











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