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カナのワイン
婚礼教会の門を出ると、その路地向かいに小さな土産品店がある。店の屋根の看板には「CANA WINE」と書かれ、看板の上には古そうな水ガメが並べてある。奇跡の水ガメに因んで置いてあるのだろう。ここカナでつくられたワインなのだろうか? それとも近くのゴラン高原のワインなのだろうか?
教会前の土産品店
店内に案内されると、たくさんのワインが棚に並んでいる。愛想の良いおじさんがカップに注ぎ分けてワインの試飲をさせてくれる。これがカナのワインというわけだ。それをもらって飲んでみると、その甘いこと!激甘といってよいほどの甘さである。昔、甘口の赤玉ポートワインというのがあったが、あれよりもっと甘い感じである。私には2杯と飲めないワインであるが、記念に購入する観光客は多いようだ。
これがカナワイン。甘すぎるワイン!
タブハへ
カナワインの甘い後味を口に残しながら、下り坂の路地を下ってバスへ戻る。次はガリラヤ湖畔のタブハへ移動である。見渡す車窓には作物畑やバナナ園が広がって豊かなイスラエルの緑地地帯の一面を見せている。このタブハにはイエスゆかりの「パンと魚の奇跡の教会」と「ペテロ首位権教会」がある。
車窓からの風景
キブツのバナナ園
(動画)移動途中の風景
(動画)ガリラヤ湖畔へ移動途中の風景。ガリラヤ湖が見える。
「ペテロ首位権教会」
カナから約半時間の走行でガリラヤ湖畔に建つ「ペテロ首位権教会」へ到着。青々とした樹木の生い茂るのどかな湖畔の渚近くに建てられたこの愛らしい教会は、グレイの石組みで造られたもので、湖面側のコーナーに鐘塔を備えている。“首位権”とはイエスの後継者としてペテロをトップになることをイエスが認めた意味らしい。
ぺテロ首位権教会正門
横から見た首位権教会
ガリラヤ湖の渚側から見た首位権教会
教会の庭園には赤と白のブーゲンビリヤが咲いていた
教会内に入ると、正面奥の祭壇のある天井部は外壁と同じグレイの石でアーチ型に組まれており、それが白壁との美しいコントラストを見せている。そして祭壇手前には高さ50cmぐらいの
露出した岩が堂内いっぱいに横たわっており、それは外部まで伸びているようだ。そしてその前には
例のエルサレム十字が印された板に「
MENSA CHRISTI
(キリストの食卓=ギリシャ語)」と書かれた表示板が置かれている。
首位権教会内部。祭壇前には謂われの岩が露出している。
この岩がイエスゆかりの岩として、この上に教会が建てらているわけである。この岩の上で復活後のイエスがペトロたち弟子にパンや魚を焼いたりして朝食を取らせたという。その当時は、恐らくこの岩まで湖の水位があったと思われている。しかし、2000年後の現代では、写真や動画でもわかるように、その水位はかなり後退して石ころの渚が広がっている。
ガリラヤ湖の水
この湖はイスラエルの北部に位置するこの国最大の湖で水深45m、面積は165平方キロメートルである。死海と同じく、シリア・アフリカ断層によって出来たもので、海抜マイナス212m(死海は海抜マイナス400m)に位置している。この湖からヨルダン川を経て死海に注ぎ込んでいる。ガリレア湖にはヨルダン川など多くの川が流れ込んでいて、貯水池として使われており、国内で使用される水の30%がこの湖から取水されているという。
また、観光地にもなっていて、静かさを求める観光客に人気となっている。1948年のイスラエル建国時には、この湖はイスラエル領となるが、シリアが湖の東を占領。その後、六日戦争(1967年)でイスラエルがゴラン高原を占領して領有しているが、シリアは湖の東海岸を要求して国境紛争は未解決のままである。
ガリラヤ湖はイエスが宣教して回った場所で、イエスゆかりの特別の場所でもある。ここでイエスは漁師のペテロとその兄弟に出会った場所でもある。
・新約聖書には「イエス、ガリラヤ湖にて風を静める。」
・旧約聖書には「イエス、ガリラヤ湖を歩いて渡る。」
などと記されているそうだ。そんなことから、特別の場所となっている。
ガイド氏の話によると、以前、このガリラヤ湖の水を送ってもらいたいとの依頼があり、長崎の教会に送ったことがあるという。聖水として使うそうだ。それほどキリスト教徒にとっては聖なる湖でもあるわけだ。
そんなわけで、一行の中には湖水をボトルに入れて記念に持ち帰る人もいる。首位権教会前の湖の渚にしゃがみ込んで、手を湖水に浸してみる。水温はさほど冷たくはなく、15℃程度の感じである。この時期(5月下旬)の陽光は強く、気温30℃近くもあるので湖の水温もぬるむのだろう。
(動画)首位権教会前のガリラヤ湖畔の風景
昼食はセント・ピーターズ・フィッシュ
首位権教会の見学とガリラヤ湖の水遊びで半時間を過ごした後は、昼食である。ここから20分ほど走ってキブツのレストラン、エンゲブ・ゲストハウスへ到着。早速、テーブルについての食事が始まる。その昼食の目玉は、なんと言ってもイエス様&ペテロ様ゆかりの「セント・ピーターズ・フィッシュ」という魚料理である。
エンゲブ・ゲストハウスの内部
これはガリラヤ湖に棲む淡水魚クロスズメダイの一種だそうで、ペテロが魚を釣っていたら、銀貨をくわえていたこの魚が釣れたと新約聖書に書かれている、由緒ある魚である。聖書の中に、次のような記述があるという。それは、イエス様が神殿税を納めるために、ペテロに魚を釣ってくるように命じることが書かれているそうだが、命に従い魚を釣ったところ、その魚の口の中にはコインが入っていたという。それをイエス様とペテロの分として納税したという。
このレストランには大勢の観光客が入っており、皆が申し合わせたように、このセント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペテロの魚)を食べるのである。毎日、これだけの魚の量を確保するには、とてもガリラヤ湖で獲れる量ではまかなえないはずだ。どこかで養殖したものだろうか?
運ばれて来た料理を見ると、1匹丸ごと唐揚げされたもので、これにレモン汁をかけて食べる。淡水魚だけに身は白身で淡白、あっさりした味である。ほどよい塩加減なので薬味を使わず、そのまま食べるのが魚の味がしておいしい。だが、この大型の魚1匹をすべて食べ上げると、他の料理がいただけないほど満腹感に満たされる。
これがセント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペテロの魚)
このレストランでは珍しい独特の大型ソフトパンが出され、これもなかなかおいしいものである。このパンには各種のトッピング料理が添えてあり、これをパンに挟んで食べるようになっている。デザートは珍しいシャーベットのアイスクリームにありつき、ご満悦である。
ナンに似た大型のソフトパン。なかなかの味で、これに下の写真のトッピング
を挟み込んで食べる。
上の写真のパンに挟む各種のトッピング
ここのキブツのレストランでは・・・
・ビール(小ビン):5ドル
・缶ビール:6ドル
・コーラ:3ドル
となっている。(2010年5月現在)
イエスが住んだカペナウム(
カファルナウム←ギリシャ語読み
)
昼食で1時間ほど過ごした後、カペナウム(慰めの村の意味とか)へ向かう。バスで15分ほとの距離である。ここもガリラヤ湖の周辺にある場所で、かつてはイエスとぺテロが居住し、宣教の本拠地とした町である。イエス30歳のころの話。しかし今は廃墟の遺跡となって、イエスが説教したシナゴグの跡、それにぺテロが住んでいた家の跡があり、その土台石の上に記念館が建てられているだけである。そして少し離れた所にギリシャ正教の修道院がオレンジ色のドームを輝かせているだけである。
オレンジ色のドームが輝くギリシャ正教の修道院
イエスがなぜここに住んだかと言えば、弟子になったぺテロと兄弟が住んでいたこと、エルサレムから遠く離れて逮捕の危険性が低いことなのだろうと推測されている。最初はぺテロの家に短期間住んでいたらしいが、その後は家を借りたらしい。またイエスは、養父ヨセフから仕込まれた木工技術があるので、この地で農具や漁具を作って暮らしたのではないかと推測されている。そしてユダヤ教の安息日(シャバットと呼ばれ金曜日の夕方から土曜日の夕方に終わる)には会堂に出向いて説教をしていたと推測されている。
しかし、ここの村人からは彼の教えは拒まれたそうである。私生児で大酒飲みで大食漢のイエスが偉そうなことを言っているとの反感から、町はずれの崖から突き落とされようとしたそうだが、何事もなく通り抜けて行ったそうだ。
バスを降りて遺跡へ向かう。ここは遺跡公園みたいになっていて、入口からすぐの所にたくましい姿のぺテロの立像が置かれている。その右手にはフィリポ・カイザリアでイエスから授かったという“天国の鍵”を持ち、足元には魚(セント・ピーターズ・フィッシュ?)も添えてある。彼が漁師であったことを示しているのだろう。(天国の鍵を授与されるぺテロの絵画⇒
こちら
)
たくましい姿のぺテロの立像
右手には天国の鍵、足元には
魚も連れている。
この横を通り抜けて奥へ進むとシナゴグの遺跡やオリーブ油ををしぼる石臼などの出土品が露天にさらされながら並べ置かれているのが見える。
当時(2000年前)の石臼。これでオリーブの油をしぼった。
この石を乗せて押しつぶし、しぼった液は下部の溝から流れ出て前の溜池に
流れ込むようになっている。大変な作業と思われる。
多くの石臼などが展示されている
ローマ時代に造られたというシナゴグはローマ遺跡のようで、神殿のような列柱が残っている。これらはこの地では採れない石灰岩を使って造られたもので、この地底にはイエスの時代のガリラヤ地方特産の玄武岩でできたシナゴーグが発見されているという。実際にイエスが立って説教した会堂はこの下に眠っていると言うわけだ。
(動画)シナゴグの遺跡
このシナゴグ跡の周り一帯には、黒っぽい石(多分、玄武岩?)で組まれた遺構が広がっていて、その向こうにはガリラヤ湖が見えている。温暖な湖畔に住居やシナゴグが造られていたわけだ。
シナゴグは2階建てで男女別々。1階は男性、2階は女性だったそうだ。当時から男女別々の思想はあったのか、それが現在でも引き継がれて「嘆きの壁」の祈りの場所でも男女別々に仕切られている。
当時のシナゴグの復元図
このシナゴク跡から少し離れた所に、ぺテロが住んでいたと言われる遺構が残っている。礎石部分は八角形の石組みで造られているが、これは地震に強い耐震構造の工法と思われている。この地域は古代より地震が多かったそうだ。
ぺテロの住居跡の遺構(八角形に造られている)
この遺構の上に浮いたような形で平べったい建物の記念館(教会)が建てられている。中に入ると祭壇の壁もなく、展望台のように室内の回りはガラス張りになって外部の景色が見える造りになっている。そしてフロアの中央には四角の柵の囲みが設けられていて下部の遺構が見られるようになっている。周囲にはベンチが並べられているところをみると、集会場(シナゴグ)みたいに使われているのだろう。
記念館入口
記念館の内部。真中の柵のところから下部の遺構が見られるようになっている。
遠きいにしえのイエス様の姿をしのびながら、このカペナウム遺跡で小1時間を過ごした後、「パンと魚の奇跡の教会」へ移動する。
またまた奇跡が起こった「パンと魚の奇跡の教会」
カペナウムの遺跡からバスで約5分の至近距離にあるタブハへ移動し、珍奇な名前の「パンと魚の奇跡の教会」を見学する。青空の中に映えながら白い石組みの端正な建物が建っている。これがこの奇跡の教会なのだ。
「パンと魚の奇跡の教会」の正面
入口上部には紋が彫られている。
教会側面にある泉。右側縁には7匹の鯉が並んで口から水を出している。
ここの泉は温水だそうで、これが湖に流れ込み、そこに多くの魚が集まって
獲れたらしい。
この教会の謂われが書いてある掲示板を読むと、紀元28年〜350年間にはイエスが5個のパンと2匹の魚を置いて5000人に食べさせたという奇跡の岩を崇拝していた。それまで祭壇として使われていたこの聖なる岩を紀元350年になって、この岩を中央に配置して最初の教会が建てられた。その後、何度か建て替えられ、最終的には1980年から2年間にわたり、古い教会を土台にして再建されたとなっている。
教会の謂われが書かれた掲示板
吸い込まれるように教会内部に入ると、外壁と同じ白い石で組み上げらたすっきりとシンプルな壁面に囲まれた礼拝堂がある。ここの注目点は、言わずと知れた中央祭壇の床に描かれたモザイク絵である。これが奇跡の由来を示す絵として有名である。その絵を撮影したいのだが、手前にロープが張ってあって側に立ち寄れない。過去の資料を見ると、これを踏み越えて側で撮影する人もいたようだが、いま多くの巡礼者が賛美歌を歌い、祈りを捧げている姿を目の前にしては遠慮せざるを得ない。仕方なくズームで撮影してみたが斜角度からの撮影のため、そのモザイク絵の様子は鮮明でない。
「パンと魚の奇跡の教会」内部
正面祭壇下に謂われの岩があり、その手前の床に奇跡のパンと魚のモザイク
が描かれている。
上の岩とモザイク画をズームで撮ったのだが・・・
床面に描かれたモザイク画
(動画)「パンと魚の奇跡の教会」内部。巡礼団が賛美歌を歌っている。
その絵柄は真ん中に4個のパン(奇跡の話では5個なのだが・・・)が入ったバスケットが配置され、その両脇に各1匹ずつの魚が描かれている。つまりイエスは、このパンと魚で5000人のお腹を満たしたと言うのだ。このモザイク画に、なぜパンが4個しか描かれていないかと言うと、最初は5個置いてあったのだが、巡礼者がそのうちの1個を祭壇に置いたため4個しか残っていなかったという。礼拝堂のフロアには、この奇跡の絵のほか、鳥や花枝などのモザイク画が散りばめられているのが印象的である。
聖書に記されたこの奇跡の話とはこうである。イエスが舟から上がると大勢の群衆がいて、その中の病人を癒やした。夕方になったので、「群衆を解散させ、それぞれ各自で食事させましょう」と弟子たちが進言すると、「行かせることはない。彼らに食べ物を与えなさい。」とイエスが言う。すると弟子たちが「ここにはパン5個と魚2匹しかありません。」と言うと、イエスはそれを持って来させ、天を仰いで祈りを捧げてから、パンを割いて弟子たちに渡し、弟子たちはそれを群衆に与え、すべての群衆は満腹したという。満腹した群衆は男性5000人、この他に女と子供たちもいたという。この奇跡の話はマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つの福音書すべてに書かれているという。
イエス・ボートが展示されている博物館
奇跡の教会で20分ほどを過ごした後、24年前にガリラヤ湖底で発見されたイエスの時代のボートの展示館へ向かう。教会からバスで10分の距離にあるゲネサルトの町である。
この博物館には、その発見された古代のボートが展示されている。1986年、旱魃で湖が干上がっていた時に、たまたま漁師の兄弟が湖底の泥の中から古代の舟の残骸を発見したという。それを炭素年代測定で調べたところ、紀元後1世紀のものと分かり、もしかすればイエスも乗ったことのあるボートかもしれないと言うことで一大センセーションを巻き起こし、特にキリスト教関係界では大変な騒ぎになったという。
2000年もの間、湖底に埋もれていたボートだけに、その引き揚げには時間をかけて慎重に行われるため作業は困難をきわめたという。地元やその他地域から多くのボランティアも参加して引き揚げ作業は行われ、最終的には化学処理を施し、その後現在の博物館に展示されている。
・ イエス・ボートの博物館公式サイト⇒
こちら
(ボートの引き揚げ作業などが分かる)
・ ガリラヤ湖の解説⇒
こちら
・「奇跡の漁」の絵画(ラファエロ)⇒
こちら
(その1)、
こちら
(その2)
イエスは魚が獲れないと言うぺテロに向かい、網を入れるように告げる。
それに従って網を入れると網が破れんばかりの魚が獲れたという。この
時、ぺテロはイエスを主と仰ぐことにした。
ガリラヤ湖畔に建つ博物館に到着すると、上映室に入り、そこでボートの発見から引き揚げ作業の様子などを収録したビデオ映像(日本語版)を観賞する。それが終わると、あとは展示されている実物のボートを見学したりして過ごす。このボート以外には見るべき内容はなく、館内の土産品店などを見物しながら時を過ごす。
ガリラヤボート博物館の案内板
発掘されたイエス・ボートの展示
(動画)発掘されたイエス・ボートの展示
イエスの時代のボートの復元模型
博物館の裏手には発掘された?多くの面が吊るされていた。
ここで小1時間を過ごし、本日の宿泊地になる湖畔のリゾート地・ティベリアへ向かう。
この地図をみると、イエスはガリラヤ湖畔に多くの足跡を残していることがわかる。
ティベリアのホテル
博物館から半時間ほど走ると、ガリラヤ湖畔のリゾートの街・ティベリアへ到着(17時40分)。すぐにチェックインしてレイクビューのしゃれた部屋に入り、旅装を解く。この地はリゾート地だけあって商店街などが並び、カペナウムやタブハのようにのどかな地域とは大違いである。
(動画)ホテル窓からの風景
ティベリアのメインストリート(朝の風景)
同 上
夕食はホテルでビュッフェの食事である。例によって種類豊富な新鮮野菜の山に埋もれながら、お腹いっぱいいただく。ここではビールとワインが飲み放題で、なんだか豊かな気分になりながら満腹となる。
食後は皆そろって、すぐ近くの繁華街や湖畔に出かけ、スーパーにも立ち寄ったりしながら夜の散策を楽しむ。湖岸に向かう通りの両側には屋台の夜店がずらりと並んで賑わいを見せていてる。海浜と違って湖畔はまた格別の素敵な雰囲気があるものだ。
湖畔に並ぶ屋台(朝の風景)
部屋に戻って入浴し、床に入ったのは今夜も9時。今日は一日かけてイエスの奇跡にゆかりの場所を巡り、恐れ入った次第である。今宵はイエス様の奇跡の夢でも見ながら眠るとしようか。
(次ページは「祝福の山・ゴラン高原・エルサレム」編です)