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4.ナザレ・カナ・タブハ・カペナウム・ガリラヤ湖畔
イスラエルの旅3日目。今朝は4時に目覚める。早い起床だが、それでも昨夜の就寝が9時過ぎだったので、睡眠時間は7時間たっぷり取っている。床の中で身体をほぐし、テレビを観ながらゆっくりと時を過ごす。


今日も天気は晴れ。雨の心配がないので、落ちついて旅ができる。窓外のビーチを眺めると白い波が打ち寄せている。今日も強い風が吹いている。多くの若者たちは、毎日このビーチの波でサーフィンを楽しんでいるようだ。観察していると、上手な組はうまく波に乗り、まあまあの距離が伸びている。これだと楽しめそうである。


今日の観光予定はナザレなど、イエス・キリストゆかりの地を幾つかめぐり、最後はイスラエル最大の湖・ガリラヤ湖畔のホテルを目指す。さあ、食道に出向いて腹ごしらえをしよう。


7時前、身支度を整えて食堂へ。いつものようにビュッフェスタイルの食事で、パンと玉子、野菜サラダたっぷり、これにスイカ、オレンジと皿に盛りつける。コーヒーを飲みながらゆっくりといただく。ユダヤ教の食事規律で牛乳と肉類を同時食することができないため、牛乳が出されないし、ハム、ソーセージもないのが寂しい。


とにかくお腹を満たした後は、ホテル前のビーチ散策に出かける。ビーチに出てみると、ここもやはりきれいな遊歩道が設けられ、ウォーキングやジョギング姿が見られる。


ビーチ沿いにはきれいな遊歩道が・・・


(動画)ハイファのビーチ(ホテル前)


ビーチに立って打ち寄せる波を眺めていると、向こうから釣り竿を持った釣り人がやって来る。そこで駆け寄り、「釣りですか? ここでは何が釣れるんですか?」と尋ねる。すると、「ほれ、これですよ。」と言いながら釣り上げた魚を見せてくれる。大型のきらきら光る魚で、名前を教えてくれたが失念してしまう。この大型だと引きも良くて釣りの醍醐味が楽しめるだろう。このビーチは良い漁場のようだ。さあ、部屋に戻って出発準備だ。


このビーチではこんな大型の魚が釣れる


カルメル山へ
今朝は8時ホテル発と早い出発である。まずはこのハイファの町を一望するカルメル山に上る。バハーイー教本部が真下に見える地点でバスを下車。ここから眼下に広がるハイファの町を眺望する。朝日に輝きながらハイファの街は静かなたたずまいを見せている。上部斜面一帯にはバハーイー教本部のきれいに手入れされた庭園が広がっている。この地はバハーイー教の教祖の墓がある聖地となっており、その本部建物は9段の美しい庭園に囲まれている。いま工事中とかで黄金のドームが見えないという。門番がいたら庭園の中に入れてもらえるらしいが、生憎と今日は姿が見えない。


斜面に広がるハイファの町


バハーイー教本部の庭園入口門



 カルメル山から眺めたハイファの町と港。向こうは地中海。



ナザレへ
カルメル山で20分ほど過ごした後、イエス・キリストが幼少期を過ごしたという内陸部のナザレへ向かう。丘の斜面に立ち並ぶ家々の風景を車窓から眺めながら走ること1時間でナザレ到着である。時刻は9時半を示している。


ナザレへ移動途中の風景。丘に広がる住宅。

このナザレの町はイスラエル北部地区の中心地である。新約聖書に、イエス・キリストがナザレ人と呼ばれたとあることから、キリスト教徒にとってきわめて重要な土地となっている。またこの地はイスラム勢力、十字軍、ナポレオン、オスマントルコなどが入り乱れて闘争を繰り返した歴史的な土地でもある。


人口約6万5千人のこの町は、その多くがアラブ人キリスト教徒で、イスラム教徒、ユダヤ教徒も多く住んでいる。


受胎告知教会
この地一番の観光ポイントがこの教会である。マリアの家の址とされる場所に、この教会が建っている。手狭な坂道を上った所に位置しているのでバスは教会前まで入れず、坂下でバスを降りて坂道を上りあがる。このなだらかな坂道は、いわゆる“参道”にあたる道で、道の片側にはキリスト関連グッズを並べた土産品店などが軒を連ねている。世界から集まった巡礼者や観光客であふれている。


教会へ上る参道には、こんなキリスト関連グッズの土産品店が多い。

最初の神社は4世紀の中ごろ、マリアが住んでいたとされる洞穴の上に建てられたとされ、その後7世紀にイスラムによって破壊されている。12世紀になって十字軍時代に第二の教会が以前の残骸の上に建てられたが、1954年になって、新しいバシリカ建設のために取り壊され、1960~69にかけて2階建ての現在の教会が再建されている。ここは聖処女マリアに天使からの受胎告知があった場所で、西アジア最大のカトリック聖堂である。またこの教会はベツレヘムの生誕教会、エルサレムの聖墳墓教会と並んで、キリスト教の三大聖地の一つとなっている。


しばらく坂道を上って行くと、右手に受胎告知教会の正門が見えてくる。淡いベージュ色の石積みでしょうしゃに建てられたこの教会はイタリアの建築家による建造だという。1960年代に再建されただけに、歴史的な重みは感じられない。


受胎告知教会正門。三角屋根は高さ78m。


(動画)受胎告知教会


正門横の入口から中に入ると、石畳の前庭が広がっており、その片隅にはマリア像が静かに立っている。


庭の片隅にはマリア像が・・・

M字型になった門扉の中央には丸い円の中に特徴的な「エルサレム十字」が取り付けられている。これは4つの小さな十字によって囲まれた大きなギリシャ十字で、小さな4つの十字は福音書の4冊の本を意味するらしい。大きな十字はエルサレムを意味するとか。


エルサレム十字のマーク(矢印)がついた正門。


壁面の窓枠の中にもエルサレム十字が(矢印)・・・。十字の下の両手はイエス(左手)
と聖フランシス(右手)を表す。その下の球は地球を表している。


建物正面の壁面にはキリストにゆかりのレリーフが刻まれている。つまり最上部には大天使ガブリエルと聖母マリアが、その下部にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人の福音書家が彫られている。また正面には青銅製の重厚な入口門が3ヵ所あり、それぞれの扉にはイエス・キリストの生涯における主なイベントの絵が彫り込まれている。


青銅の扉に浮彫りにされた彫刻。イエス・キリストの生涯における主なイ
ベントの絵が彫られている。



同 上


同 上

教会内に入ると、一段下がった所にマリアが住んでいたとされる洞穴があり、奥には祭壇が置かれている。マリアが実際にここに住み、受胎の告知をここで受けたのだろうか?という疑問がわくが、そのことを考えるのは無意味なことで、この姿勢を貫けば宗教は成り立たなくなる。さらに、人間であるマリアが処女懐胎するのは生理学的にあり得ないことで、不倫の子を美化するための宗教的作り話ではないかとの疑問を投げかける人もいる。


受胎告知のあった洞穴(正面アーチの奥)


(動画)受胎告知を受けた洞穴(前方中央)



至近距離から撮った洞穴内部。当時ナザレではこんな洞穴に住んでいた。


(動画)受胎告知を受けた洞穴(至近距離より)


2階の正面には中央祭壇が置かれ、キリストなどの絵が描かれた壁に囲まれている。祭壇は天井部からの採光で明るく照らされている。中央の天井は傘を途中まで広げたような独特の形で、聖母マリアの象徴である百合の花をイメージしているとか。外部から見るとこの部分は三角屋根になっているが、それはアヴェ・マリアの"A"を、窓はマリアの"M"をかたどっているそうだ。


二階の中央祭壇


(動画)2階礼拝堂。壁面には世界各国より贈られた聖母子像が見える。



百合の花を形どる天井。外部から見るとここが三角の
とんがり帽子の屋根になっている。


2階の側壁には、モザイクで描かれた世界各国の民族の容姿で主イエスを抱いた母マリヤの肖像画が飾られている。日本からも長谷川ルカによる「華の聖母子」像があり、和服姿で描かれている。これは細川ガラシャ夫人がモデルと言われている。この和服モザイク画の袖の部分が豪華にもすべて真珠を貼り付けて描かれているのがユニークである。しかしこれも言われてよく見ないと見過ごしてしまうところだ。また、建物外部壁面にも多くの国々から寄せられた同様の肖像画が掲げられている。









 日本から贈られた聖母子像
 左袖の部分は本物真珠で覆
  われている。
















教会地下の遺構


聖ヨセフ教会
受胎告知教会を出て同じ敷地内に隣接する聖ヨセフ教会へ移動する。ここはイエス・キリストの養父ヨセフが住んでいたという場所に建てられた教会である。“養父”となるのは、イエスは彼がマリアに孕ませた子ではないからである。彼がマリアと婚約時代に“受胎”妊娠したわけで、そのことで世間体もあるので、彼はいったんは破談にしようと考えたそうだ。それが睡眠中に天使が現れ、マリアと結婚するように告げられ、そこで結婚へと踏み切ったという。ヨセフは家具などを作る大工さんだっそうで、60歳代の老人だったと言われている。


教会横手の庭園


聖ヨセフ教会。左の窓枠にはイエスとマリアとヨセフの彫像が立つ。

内部に入ると教会の規模は小さく、中央祭壇も簡素である。地下には大工の作業場と見られる洞窟跡がある。ここでマリア、イエスと3人で暮らしたと思われる。


聖ヨセフ教会内部


同ステンドグラス


同 上


イエス、マリア、ヨセフたちが住んでいたと思われる遺構


当時のミクベ(沐浴場)








 教会のトイレ前にはこんな料金の
 表示板が・・・普通1~2シェケルが
 多い。(番人はいなので良心に頼る)
















2000年前のナザレではこんな洞窟生活が普通だった。だから受胎告知も洞穴
の中で受けることになる。



奇跡が起こったカナの「婚礼教会」
約1時間かけてナザレの2つの教会を見学した後、ここから約6km離れた隣村カナの町へ移動する。バスで10分超の移動時間でカナに到着。ここはイエスが婚礼の席で水をワインに変えたという最初の奇跡を起こした場所で、そのゆかりの2教会がある。それはフランシスコ会の教会とギリシャ正教の教会であり、路地を挟んで建っている。ギリシャ正教の教会は一般公開されていないと言うことで、観光客はフランシスコ会の教会を見学することになっている。


その奇跡の話の概要はこうである。イエスの母マリアとイエス、4人の弟子たちが結婚式に招かれてカナに来ていた。祝宴の最中に、たまたまブドウ酒が尽きてなくなる事態になった。これでは招待客に非礼になるので、マリアがこのことをイエスに告げると、石の水がめを見つけて手伝いの女性たちに水を入れるように告げる。言われた通りに水を入れ、それを汲んで宴席に運ぶと、それがブドウ酒に変わっていて世話役に喜ばれたという。これがイエスの最初の奇跡と言われ、これで弟子たちはイエスを信じるようになったという。当時の結婚式は数日かけて飲み食いが行われたらしく、お酒もたくさん要ったと思われる。


バスを降りた所から狭い坂道をしばらく上って行くと、右手にフランシスコ会の教会が見える。建物の正面左右に小さな鐘塔を載せた石造りの教会である。














 婚礼教会正面
























中に入ると趣のある石組みの壁で囲まれた割りと狭い礼拝堂があり、中央には天窓からの光を浴びたシンプルな祭壇が静かに置かれている。


婚礼教会内部

この場所は古代にはユダヤ教のシナゴーグ(教会)だったようで、その遺構の上に建てられたキリスト教の教会となっている。その証拠に、ここには2000年前のシナゴーグと言われる遺構の一部が残っている。


地下には水ガメが並ぶ。奇跡の謂われの水ガメ?


地下の遺構


同上。教会が再建される時は、よく遺構の上に建築するので地下にはこんな
様子が見られる。



(次ページへつづく・・・)











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