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5.祝福の山・ゴラン高原・エルサレム
イスラエルの旅4日目。今朝も5時起き。快眠熟睡で快適に目覚める。天候は晴れ。窓からはガリラヤ湖のきれいな朝焼け風景が眺められる。今日も一日穏やかな天候のようだ。


ガリラヤ湖の朝焼け風景(ホテル窓より)

今日の日程は祝福の山に上って山上の垂訓教会〜ゴラン高原のコラジン遺跡〜ワイナリー見学〜バニアス遺跡〜エルサレム到着というコースである。


朝食を済ませると、その足でガリラヤ湖畔を散策してみる。昨夜は賑わっていた湖畔の屋台も、早朝とあって人の姿もなく静かに眠っている。人気のない湖畔には広いプロムナードが設けられ、格好の散歩道になっている。湖の対岸から今ちょうと朝日が昇り始めたところで、湖面に黄金色の光を落としている。なんともぜいたく風景である。


ガリラヤ湖畔のプロムナード


ガリラヤ湖のサンライズ風景


山上の垂訓教会(正式名:八福教会)
朝食を済ませ、身支度を整えると出発である。8時にホテルを出発したバスはガリラヤ湖畔の小高い丘、祝福の山(湖面からの高さ125m)を目指して移動する。


祝福の山へ向かって走行中

20分ほどかかって、緑の多いなだらかな斜面を上りあがるとガリラヤ湖が眼下に広がる見晴らしのよい山上に到着する。眼前にはなだらかな祝福の山の斜面が広がり、その遠く山裾にはガリラヤ湖がのどかに横たわる風景が見える。この小鳥さえずる場所に静かに建つのが「山上の垂訓教会(Church of the Beatitudes)」である。


(動画)教会より眺めたガリラヤ湖の風景(駐車場にて。雑音は車のエンジン音)



山上の垂訓教会(正面)

イエスが多くの群衆を前に垂訓(instruction)を説いたとされる場所がどこかは定かではないが、ガリラヤ湖畔のカペナウムを中心に伝道活動をしていたことは間違いなく、その周辺の小高い丘の一つを祝福の山(Mount of Beatitudes)と呼び、そこに教会を建てたらしい。それは1936年〜38年のことで、フランシスコ修道会によって建てられている。八角形の建物は“八福”を象徴しているそうだ。


イエスが弟子たちと群衆を前に垂訓、つまり「幸いの教えor八福の教え」を説いたのはマタイの福音書では“山上(丘)”となっているが、ルカの福音書では“平地”でなされたとあるそうだ。そのどちらが正しいかの結論は不明だそうだが、教えの内容については間違いないと思われている。また、垂訓の場所はイエスが12人の弟子を選んだ所でもあるそうだ。


その八福とは聖書にある「八つの幸い」の教えのことで、マタイの福音書5章に次のように書かれているという。

・こころの貧しい者は幸いである。天国は彼らのものである。
・悲しんでいる者は幸いである。彼らは慰められるであろう。
・柔和な者は幸いである。彼らは地を受けつぐであろう。
・義に飢えかわいている者は幸いである。彼らは飽き足りるようになるであ
 ろう。
・あわれみ深い者は幸いである。彼らはあわれみを受けるであろう。
・心の清い者は幸いである。彼らは神を見るであろう。
・平和をつくり出す者は幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。
・義のために迫害されてきた者は、幸いである。天国は彼らのものである。
                                    (マタイ5:3-10)



さらに有名な・・・
「右の頬を打たれれば、左も向けなさい」
「汝の敵を愛せよ」
「何でも人にしてもらいたいと思うことは、その人にしなさい」
「狭き門より入れ」
といった言葉もここで生まれている。


イエスが群衆を前にこうした教えを説いたわけだが、彼が立つ位置は群衆の上部位置ではなく、斜面の下部に立って話をしたはずだと思われる。と言うのは、山上の上部から見下ろす位置だと群衆に声が通らないからだという。それが下部からだと、風に乗って声がよく通りやすいからだという。


また、イエスの話には例え話が多いと言われるが、その多くは花、鳥など身近な自然の物が多いと言う。そうした例え話で、群衆に分かりやすく説いて聞かせたという。


この教会の建物の中央部は円形のドームになっており、それを支える外壁が八角形に造られている。この八角形が意味のあるところで、建物内部の八辺の壁面に前記の八福がそれぞれラテン語で書かれている。それはステンドグラスにして壁面にはめ込まれている。建物の外側は多くのアーチが並ぶ回廊になっている。 


山上の垂訓教会(斜め前方より)

教会内部に入ると、八角形の壁面の中央部に祭壇が置かれ、それを取り囲むように椅子が置かれている。上を見上げれば黄金のドーム天井が輝きを放ちながら、祭壇を見守っている。


中央祭壇


(動画)山上の垂訓教会内部。上部八角形の壁面には八福のラテン語表示が見える。


ここで半時間ほどを過ごし、すぐ近くのコラジン遺跡へ移動する。


我らがバス。このバスでイスラエル一周を走破した。


コラジン遺跡
ガリラヤ湖の北に位置する都市遺跡で、現在は岩タヌキが住む廃墟となっている。この古代都市は紀元前1世紀ごろに造られたらしく、ガリラヤ地方で重要な町であったそうで、イエスもたびたび訪れ伝道したらしい。しかし、人々は言うことを聞かなかったという。新約聖書のマタイ書、ルカ書でイエスの教えを聞かない人たちで悔い改めないとして非難され、罰を予言された町の一つという。


コラジン遺跡の案内板。英語、ヘブライ語、アラビア語で書かれている。

祝福の山から10分ほどで到着。現在はその遺跡発掘も終わり、保存されている。かなり広い遺跡で当時のシナゴグ跡もあり、その一角には「モーセの座」と言われる石の椅子が置かれている。長老がこれに座って話をしたらしい。ほとんどが瓦礫となった遺跡で、わずかにシナゴグ跡に石柱が残っている程度である。


中央の石の上に犬のように座っているのが岩だぬき


瓦礫と化した遺跡


シナゴグの復元予想図


シナゴグへの門


シナゴグ跡


モーセの椅子


メドゥーサの浮き彫りの写真(下の写真参照)


メドゥーサの浮き彫り(上の写真参照)


遺跡群


遺跡


ゴラン高原ワイナリー
コラジン遺跡で30分少々を過ごした後、ゴラン高原の草原がなびく中を走行しながらワイナリーへ向かう。


ゴラン高原を走行中


(動画)ゴラン高原を北へ向かって走行中


途中、草原の中にイスラエル軍の戦車基地が見えたりして、のどかな気分がかき消されたりする。


(動画)ゴラン高原走行中。イスラエル軍の戦車基地が見える。


この高原は酸性の火山灰土でミネラル分を多く含み、ワイン造りには適した土地だとのこと。だから良質のブドウが収穫され、ワインを生産する大きなワイナリーがあるわけだ。


<ゴラン高原(Golan Heights)
車窓から眺める広大な高原の風景は実にのどかで、一面に草原が広がって風にそよいでいる。だが、そののどかな風景も人間どもが複雑な緊張関係を生む高原に変えてしまっている。現在でも随所に地雷が埋まっているという。


この高原地帯はイスラエル、レバノン、ヨルダン、シリアの各国がそれぞれ国境を接する地域になっている。それだけに複雑な緊張関係を生むわけで、各国が高原の一部または全部の領有を主張し合い、それが未解決のまま現在に至っている。


ゴラン高原は面積約1150キロ平方メートルで、東京都の約半分に当たり、平均標高は600m。そのため冬には雪が積もり、その雪解け水で年間を通して水が豊富な地域となっている。そのため乾燥地帯で水資源が非常に乏しい中東にあっては、水資源の確保の面から隣接各国は戦略的にも重要な地域として重要視してる。


この高原はもともとシリアの領土であったが、1948年のイスラエル建国以来、4次にわたる中東戦争を経て、イスラエルとシリアとの間の紛争が74年5月に両国間で兵力引き離し協定が締結され、停戦ラインが引かれた。その後、81年にはゴラン高原併合法案がイスラエル国会で可決され、イスラエルはゴラン高原は自国の領土であると主張している。


そして現在、シリア南西部のゴラン高原地域におけるイスラエル、シリア両国間の停戦監視及び両軍の兵力引き離し等に関する合意の履行状況の監視を任務とする国際連合兵力引き離し監視隊(UNDOF)が駐屯しており、日本からも46名の自衛隊員が半年交代で派遣され、国連基地に駐屯している。


この自衛隊のゴラン高原駐屯だが、その入国ルートがやっかいなのだ。高原はイスラエルの支配下にあるので、イスラエルに入国して高原へ行けばスムーズなのだが、そのイスラエルルートを取れば、ゴラン高原がイスラエル領土であることを認めたことになるとの横やりで、わざわざシリアのダマスカスに入国し、そこから国境を越えてゴラン高原の駐屯基地に至るというややこしいルートを使っていると言う。


このように穏やかで小鳥もさえずるのどかなゴラン高原だが、現在でも緊張の風が絶えず吹き続けている紛争地帯なのである。走行する車窓からイスラエル軍の戦車部隊が駐屯している様子が私の目にも留まり、そのことは立証される結果となった。



 ゴラン高原の緩衝地帯。中央に見えるのは国連平和維持軍の駐屯基地。



ワイナリー到着
コラジン遺跡からゴラン高原の雄大な風景の中を走ること30分、ゴラン高原ワイナリーに到着である。「GOLAN HEIGHTS WINERY」という魔法のランプのマークがトレードマークのワイナリーである。素敵な環境の中にワイン工場が建てられ、日々生産が行われている。ここは観光ルートに組み込まれた場所らしく、多くの観光グループが訪れている。


建物にはゴラン・ハイツ・ワイナリーの表示が・・・

来訪者用の玄関を入ると、棚にずらりとワインが並ぶワイン売り場があり、観光客で賑わっている。皆、よく買っている。そして、売り場に隣接してワインのテイスティングルームがあり、ここで来訪者は説明を受けながらテイスティングできるようになっている。


ワインの売店

工場見学があるまで、玄関外の庭に出て辺りを散策する。木陰の下のベンチには老夫婦や子供たちが憩いながら遊んでいる。ふと見ると、わが一行の仲間の女性が子供たちに折り紙を教えて遊んでいる。鶴やだまし舟など、いろいろと折って見せている。子供たちは興味津々で、もらった折り紙で自分たちも折って楽しんでいる。なかなか素晴らしい国際交流だなあと感心しながら眺め入る。


折り紙で子供たちと国際交流

子供たちの側に座っている老夫妻に話しかけてみる。
「どちらから来られましたか?」
「ポーランドからなんですよ。クラクフの近くの町に住んでいます。」
「クラクフは素敵な古都ですよね。私はワルシャワとアウシュヴィッツを訪れたことがあります。」
などと話し始める。


すると、
「この子たちはみんな私の孫たちなんですよ。一族郎党で旅行してるんです。」と言いながら目を細めている。そして、「この子は私の娘たちです。小学校の教師をしています。」などと言いながら紹介する。俄然、楽しい話になり始めたところで、工場見学の時間となり、固い握手をして別れる。


案内係がやって来て工場見学が始まる。かなり大きな工場で内部に入るとワインの匂いがただよってくる。工場の片隅には山積みされたワイン樽が整然と置かれ、出番を待っている。瓶詰めラインでは、ずらりと並んだボトルがコンベヤで流され、それがパッキングされて箱詰めされている。


ワインの製造装置タンク


(動画)ゴラン高原ワイナリー。ワイン樽の山積み風景が見える。



(動画)ゴラン高原ワイナリーの瓶詰めライン


そんな様子を見学すると、次はテイスティングルームに戻ってワインのテイスティングが始まる。女性のスタッフが3種類のワインを持参して試飲させる。テイスティングの要領などを教えながら説明する。白2種類、赤1種類のワインを試飲する。私には最初に試飲した「ガムラの白」が口に合う感じである。出されたスナックをつまみながら、3種のワインを試飲する。


テイスティングの説明


Gamla White Riesling 2009年(白)


おつまみ・スナック


Yarden Merlot 2006年(赤)


Golan Mascut 2008年(白)

このテイスティングが終わると、隣室の売り場でワインのお買い上げをどうぞと言うわけである。売り場ではみんな結構買い込んでいる。私は荷物になるのでボトル類は禁物だ。


ヘルモン山を望む展望所へ
ワイナリーで1時間半近くを過ごした後、イスラエル最高峰のヘルモン山やシリア国境を遠くに望む展望所に向かう。下車して眺望を楽しむと、左手遠くに低い山並みが見える。あれがヘルモン山でシリア、レバノン、イスラエルの国境が重なり合っている複雑な領有関係を持つ山でもある。このヘルモン山の名は聖書に何度も登場するのだそうだ。(いくら見てもヘルモンじゃない、ヘルモン山)


(動画)ヘルモン山展望所。立っている背後の山上にイスラエル軍の監視所がある。


標高は2814mで最高点はシリアが支配し、南部稜線のゴラン高原はイスラエルの支配下にある。前方遠くにシリアの国境線があり、そのぐっと手前にイスラエルの国境線がある。その中間地帯がいわゆる緩衝地帯で、ここに国連平和維持部隊が駐屯し、日本の自衛隊も参加している。


この展望所は少し高い山の麓になっているのだが、この山上にはイスラエル軍の監視所があり、シリア国境をにらみながらその動きをチェックしている。撮影のために立っている私の背後にその山はあり、その方向の撮影は厳禁とされている。


ここから眺めるヘルモン山はそれほど高くは見えないが、この展望所の位置が標高600mの位置にあることを考慮しないといけない。この小鳥さえずる草木豊かな高原に平和の風が心地よくそよぐのはいつの日のことだろうか。


バニアス遺跡
展望所で15分ほど過ごした後、さらに北へ30分ほど走ると、イエスも訪れたことのあるバニアス遺跡(標高330m)に到着する。レバノンの国境まで5km、シリアの国境まで10kmという国境沿いの地点で、ゴラン高原に隣接している場所である。ここは当時フィリポ・カイザリアと呼ばれていたそうで、この地で12使徒の一番弟子としてぺテロがイエスから天国の鍵を授与された地でもあるとされている。(天国の鍵授与の絵画⇒こちら


ヘロデ大王の第1子ヘロデ・ピリポは、父からこの町を譲り受け拡張したそうだが、父が造った地中海沿いのカイザリアと区別するため、自分の名前を冠してフィリポ・カイザリアと名付けたそうである。


バニヤス遺跡の案内板

この町の古名はナフル・パニヤスと呼ばれ、紀元前の古代オリエント時代にギリシャ神話の牧羊神「パン」(半人半獣)が祀られており、その祭壇があったため「バニアス」と呼ばれていたという。その後、アラブ・イスラム帝国の支配になった時、アラビア語には「パ」(P)の発音が無いので、それが訛って(Banias)と呼ばれるようになったという。


紀元前3世紀のヘレニズム時代の想像図によれば、ここには大きな2つの神殿があり、牧神パンを祀っていたようだ。


現在ここには、断崖に残る大きな洞穴が見られ、その周辺断崖には大小の洞穴跡が残っている。そして断崖前には当時の神殿跡とみられる礎石などが残っており、修復工事が進められている。


バニヤス遺跡の全体景観。この断崖に大小の洞穴がある。


上の写真にある大洞穴


(動画)バニアス遺跡の全景


古代ではこの大洞穴中に泉が湧いていたそうだが、地震による地殻変動で今は枯れて消失したという。しかし、その手前の所に今もこんこんと湧き出る泉があり、これが澄み切った清流となって流れている。アユやマスなどの型のよい魚が群れをなして泳いでいるのが見られる。


遺跡の手前には泉から湧き出た清流が流れ魚影も見える(黒っぽいのが魚)

これがヨルダン川の源流の一つとなり、それがガリラヤ湖に流れ込んで、さらに下流へと流れ、死海へと注ぎ込んでいるという。この素敵な清流が流れるバニアス遺跡で、ほっと一息つきながら30分ほどを過ごし、昼食場所へ向かう。 


昼食は野外レストランで
バニアス遺跡を発ったのが13時過ぎ。遅い昼食を取りにキブツのレストランへ向かう。キブツを探すのに迷いながら、遺跡より30分の走行でようやく到着。時間は14時少し前である。


キブツのレストランの案内板

小鳥のさえずる自然豊かな環境にある門をくぐって域内に入ると、なんとここのレストランは緑陰に設けられた野外レストランで、木々に囲まれた地面に長テーブルとベンチが並べられているだけの簡素なもの。またこれが素朴で何ともいい雰囲気を醸し出している。緑陰に憩いながら、ほっと一息つく。


野趣に富む緑陰の食卓

好天続きだからいいようなものだが、雨ともなれば露天のテーブルは使えない。見回したところ、広い屋内設備はないようだが、雨にはどう対応するのだろう? そんなことを考えていると、それぞれのオーダーが始まる。メニューはケバブ、マス、チキンの3種類で、その中から好みの品をどれか一つ選んで注文する。私には先ほどのバニアス遺跡の清流で泳いでいたマスがイメージされ、マスを注文することにする。


遠くの調理場から運ばれて来たマス料理は1匹丸ごとバター焼きにされたもので、塩味の加減もよくてなかなか乙な味である。結構な大きさなので1匹平らげるとお腹満腹となる。


おいしいマスのバター焼き

これにパンや野菜が出され、デザートのコーヒーは遠くに離れた露天に置かれた給湯器で粉末インスタントコーヒーをセルフサービスでいただく。なかなか野趣に富んだレストランである。


聖地エルサレムへ
この野趣あふれるレストランで小1時間を過ごした後、いよいよ今度の旅のハイライトになる聖地エルサレムへ移動する。イスラエルの北端に位置するこの地から一気に南下し、途中休憩(20分)をはさみながら3時間半をかけての長距離移動である。


ヨルダン川西岸沿いに南下し続け、最後に東に方向を変えてエルサレムに向かう。前半は緑の並木が美しい道路を快適に走行。後半の内陸部に入ると草木は消え、荒野が広がる砂漠地帯を走る。その砂漠地帯には時折、遊牧民ベドウィンの住居が見えたりする。


ヨルダン川沿いに南下中


砂漠地帯に入って来た


荒野の山並みが続く


砂漠の中に遊牧民べドウィンが住んでいる


砂漠の中に何かの工場が・・・

砂漠地帯に入ってかなりの距離を走行すると、やがて丘陵地帯に白い住宅が並んでいるのが見え始める。エルサレムが近いことを示している。


丘陵に家並みが見えてきた


この丘を越えたらエルサレム

さらに進んで峠を越えて行くと、斜面に広がるエルサレムの町が眼下に見えてくる。その一角には夕陽を浴びて金色に輝く、この地のランドマーク「岩のドーム(Dome of the Rock Mosque)」が見えてくる。やっと到着である。


斜面に広がるエルサレムの町が見えてきた。左手には「岩のドーム」が輝いている。

意外に感じたのは、エルサレムの町は標高800mの丘の斜面に広がる町であることだ。だから水平の平地がなく、なんだか安定感のない感じがする。坂の町長崎に住んでいるが、町の中心部は平地になっており、周囲が斜面で囲まれているだけである。エルサレムは水平な平地のない町であることが、私にとっては想定外のことである。


ホテル到着
今宵の宿に到着したのは18時。早速、部屋に入って窓外を眺めると目の前に広い坂道の道路が走って車の往来が激しい。このホテル自体が斜面に建っているわけだ。そんなわけで、窓外の景色も斜面に建つ建物ばかりだ。見回すと、辺りは殺風景で、ショッピングができる店も何一つなさそうだ。道路ばかりでは付近の散策も妙はなさそうだ。


(動画)エルサレム市内のホテルの窓から


夕食はホテルでの食事で、いつものようにビュッフェスタイル。種類豊富な料理に迷いながら、4日目の夕食を楽しむ。


食後の一息をつくと、明日のエルサレム観光を楽しみにしながら、今宵も早い9時就寝でベッドにゆっくりと横たわる。



(次ページは「聖地エルサレム観光」前編です)






    





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