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  N0.1






西太平洋に浮かぶ常夏の島・グアム
チャモロ文化とスペイン文化が織りなす南国の島・グアム
今なお残る横井洞穴が戦争の悲劇を物語る島・グアム




グアム旅行日程(4日間)

日付 日数 ル − ト 泊数 タイムテ−ブル・内容
2005年
/18(月)

 福岡 → グアム     
  10:55発 → 15:35着
 
    
19(火)  グアム  午前市内観光
夕方・サンセットクルーズ
20(水)   〃 島内1日観光
21(木)  グアム → 福岡   − 6:55発 → 10:00着







(グアム政府観光局のサイトより転載)




1.グアムへの旅立ち
 
今度の旅は1人催行のフリ−ツア−(送迎付き4日間)で超短期の旅行である。飛行時間も3時間半と近距離だし、費用も割安なので気楽な旅でもある。それでもここは近場のポピュラ−なところだけに、一度は行ってみたいと思っていた島でもある。そんなわけで、外国とはいえ、なんだか国内旅行にでも行くような気軽な気持ちである。だがしかし、安いツア−だけに、ほんとの素泊まりで1食も食事はついていない。だから、1日3食分を自分で調達しなければならない。それもまた楽しである。
 

これがグアム行き便・福岡空港にて

定刻の10時55分より10分ほど早目に福岡空港を離陸した機は、水平飛行に入ると間もなく昼食の準備が始まる。それと同時に、早くも出入国カ−ドの配布が始まる。これだと到着間際に慌てずにすむ。ビザ不要の白色カ−ドをもらうと、これ1枚だけで他に何も渡そうとしない。そこで、「税関申告書や質問書はないの?」と尋ねると、「お客さんはトランジットではないのですか?」と問い返す。そうでないことを告げて、あとの2枚をもらう。どうして勝手にトランジット客と判断するのだろう? この便には日本人スタッフ2名が乗務している。
 

これらの書類に記入を終えたところで、昼食の配膳が始まる。タマゴ料理を所望していただくが、その半分を占めるご飯がなんともまずい。そこでそれは残し、タマゴの部分だけをいただく。これでお腹も落ち着き、穏やかな安定飛行が続く。隣席にはグアム行き数十回という30代の日本人男性が座っている。現地に店を出しているらしく、時々出向くのだという。景気はぼちぼちという。グアムの事情を尋ねたりしているうちに、次第にまぶたが重くなり、ついには、うとうとし始める。
 

グアム上空
ふと目を開けると、早くも機首を下げ始めている。グアムが近づいたことを知らせている。今度の飛行は短時間なので珍しく窓際の席を確保し、上空からの景色を見てみようと試みる。バッグからカメラを取り出して撮影に備える。海上を眺めると時化の海で、かなりの白波が立っている。強風が吹いているらしい。


やがてグアム上空にさしかかり、高度を下げ始めると暗雲に覆われたグアム島の一端が見え始める。見るかぎりでは割りと平坦な土地が広がっている。遠くではスコ−ルが降っているようだ。この様子では、予報どおり雨の天候なのかもしれない。これによると滞在中の向こう4日間、ずっと傘マークになっていたが、南国のことだら、そんなに雨を気にすることはないだろう。
 

グアム島の北部の一端が見えてきた


市街地が見え始める


空港着陸寸前の様子

グアムのこと
ここでグアム島のことについて少し記しておこう。この淡路島ほどの大きさのグアム島は西太平洋マリアナ諸島の最南端に位置し、同諸島の中では最大の島となっている。この島はその昔、珊瑚礁が隆起してできた北部の島と火山活動によってできた南部の島が結合された島だといわれる。それで盛んにガイドさんが珊瑚の砂で滑りやすいから足下には注意するようにと呼びかけている。また、そんな地理的な理由もあって北部は石灰質の台地が広がり、南部は山(300m〜700m)などの起伏に富んだ地形となっている。
 

人口約16万(チャモロ族45%、アメリカ人25%、フィリピン人21%、あと中国人など)のこの島は政体的には米国準州で通貨は米ドル、首都はハガッニャ(アガニャ)。また公用語は英語、チャモロ語となっている。気候は常夏で年間を通して気温21度〜32度。季節は雨季(6〜10月)と乾季(11〜5月)に大きく分けられる。時差は1時間で、日本より進んでいる。
 

その歴史を垣間見ると、この島に人が住み始めたのは紀元前1500年ごろ、フィリッピンやインドネシアからカヌ−に乗って渡って来たといわれ、彼らが古代チャモロ人と呼ばれている。1521年、ポルトガル人のマゼランに率いられたスペイン探検隊が、世界一周の航海中、偶然グアムを発見し、1565年にスペインの植民地となる。
 

1898年、それまで300年以上も続いたスペインによる統治は、アメリカ・スペイン戦争でスペインが大敗し、幕を下ろすことになる。その後、英語教育と衛生環境設備を充実させ、チャモロ人のアメリカ化が急速に進んで行った。
 

1914年、第一次世界大戦初頭、日本軍はグアム以外のミクロネシアの島々を占領、1941年12月ハワイの真珠湾攻撃と同時にグアムに上陸し、日本軍による占領時代が始まる。しかし1943年、アメリカ軍攻略が始まって、1944年グアムに上陸し、日本軍から島を奪還した。
 

この南国ののどかな小さな島も、ここにみるように、さまざまな国家間の縄張り争いに翻弄され続けたという歴史があり、これから先それがどのような歴史的推移を見せるのかは神のみぞ知るというわけである。ただ確かなことは、このような歴史的変遷をたどった島だけに、今もなおその歴史的痕跡や爪痕を見ることができるということ。そして、それらが今ではこの島の観光ポイントとなり、重要な観光産業の一端を担っているとは皮肉なことである。
 

入国審査
さて、少し寄り道をしたが、元に戻って書き進めよう。出発が早かっただけに、到着もその分だけ早くなって現地時間の午後3時20分の到着となる。エプロンも用意されず、タラップを下りて機外へ出る。そこには気温30度の世界が広がっており、さすがにむっとした空気が流れている。機内で書き揃えた出入国カ−ドと税関申告書、それに質問書を持って入国審査へ向かう。このグアムの出入国に関しては、すべて米国に準じて行われる。それで昨年9月から入国の際に実施されている指紋や顔写真などの生体認証方式がどのように行われるのか興味のあるところである。
 

そんな思いでブ−スの前に行くと、大勢の入国者が列をつくっている。それもほとんどが日本人ばかり。この時間には福岡をはじめ関空、名古屋、成田よりの便が集中的に到着しているらしく、そのためこんなに混雑するわけだ。列に並んで審査の様子を見ていると、確かに指紋と顔写真の撮影が行われている。各ブ−スのカウンタ−台に短いスタンド電球のようなア−ムが伸びており、その先端に直径4〜5cmぐらいの小型カメラが取り付けられ、これが顔の高さの位置に設置されている。そして、すぐその横手に15×10cmぐらいの小型ボックスが置かれ、この上に両手人差指を交互に乗せてスキャンしている。時間はそれほどかからない。 


待つこと半時間以上、やっと順番が回ってくる。ブ−スに進み出て「こんにちは」と挨拶しながらパスポ−ト、EDカ−ド、質問書、航空券を手渡す。すると男性の係官は、「ご機嫌いかが?」と声をかけるので、「上々ですよ。」と返答する。それから「何日滞在するんですか?」「4日間です。」のやりとりを終わると、OKといいながらポンとスタンプを押してパスポ−トと航空券、それにEDカ−ドの半券を返却してくれる。
 

おや? おかしいなあ〜……。どうして顔写真も指紋のスキャンもやらいのだろう? そこでカメラを指差しなら「これ、やらなくていいんですか?」と尋ねると、係官はにやにや笑いながら首を横に振っている。不要だというのだ。おや? 私がそこまで顔利きということか?喜ぶべきことだが、いったいどうしたわけだろう? 規定によれば80歳以上は写真撮影も指紋スキャンもなしということだが、この私もその対象に入れられたのだろうか? もし、そうだとすれば、少々寂しい気もする。とまれ、第一関門はこうして問題なく通過する。
 

次は税関審査だ。預け荷物はないので、クレイムタッグは素通りして税関へ向かう。ここでもすでに大勢の先客が列をなしている。ここにも同じようなブ−スが並んで係官が座っている。やっと順番が来て「こんにちは」と挨拶しながらパスポ−トと税関申告書を手渡すと、それを見ながら「飛行便が書いてないよ。どこから来たの?」と尋ねられる。しまった。記入漏れしたらしい。そこで、「すみません。福岡です。」というと係官が「それならCO916便ですね。」といいながら書き込んでくれる。
 

OKというので、通り過ぎようとしていると、追い掛けるように「1万ドル以上は持ってないよね。」と声をかけてくる。おやおや、私がそんなにリッチに見える? そこで、にやにや笑いながら「とんでもない。私は貧乏人ですよ。」と振り返りざまに返答する。彼も笑っている。こうしてようやく到着ロビ−に出られたのは、到着してから40分後のことである。これでも早いうちなのだろうか? 米国本国では2時間待ちもあったりで、乗り継ぎ便に遅れたりするらしいのだが……。
 

空港玄関
ロビ−には旅行社の出迎えが来ており、名前を告げるとバスへ案内される。その前にグアム国際空港の写真を撮っておこう。この空港はミクロネシア最大の規模を誇る空港だそうで、アメフトのフィ−ルド8個分の広さがあるという。玄関前の広場には、スカ−トをなびかせた女性像が建っている。女神像なのだろうか? 空港建物の正面壁面には「我らが軍隊を支援します。」と書かれたスロ−ガンの横断幕が掲げられている。このことがグアムは米軍基地の島であることを示している。
 

空港ビルの玄関前

この空港はタモンのホテル街まで3kmという至便な位置にあり、車で10分もあれば各ホテルへ到着できる距離にある。ようやく皆が集合したところで出発となる。その前に、帰路の航空券とEDカ−ドの半券を集めますという。帰国するまでにチェックインを済ませ、帰国当日には搭乗券を渡すという。係がそこまでのサ−ビスをしてくれるというわけだ。
 

ホテルへ
空港を発進したバスはしばらく平坦な道を走ったかと思うと、角を曲がって下り坂を下りて行く。この空港は丘陵地帯に位置しており、海岸線に建ち並ぶホテル街へはここを下りて行くことになるわけだ。ホテルロ−ドに入ると、リ−フホテル、アウトリガ−ホテルと順にお客を降ろしながら、次は我らがホテルへ到着である。3時半前には空港へ到着したというのに、この時点ではもう5時近くになっている。これでは何のアクティビティもできはしない。
 

空港を出てホテル街へ向かう道路

アクティビティ
ホテルロビ−で、すでにチェックイン済みになっているル−ムキ−を係から受け取るや、旅行社のツア−デスクへと駆け込む。ここは5時までで閉店となるので明日からのアクティビティの申し込みができなくなる。デスクへ行ってみると、まだ開いている。そこでほっとしながら出発前に決めていたオプションを申し込む。一つは明日のディナ−付きの「サンセットクル−ズ(75ドル)」、他の一つは明後日の「グアム島一周観光(70ドル)」の2つである。明日の昼間は今度の旅行に当初から組み込まれている市内観光があるので、これと夕方のサンセットクル−ズとなるわけだ。
 

電源にとまどう
滞在中の予定行動が決まったところで6階の部屋へ上って行く。ドアを開けて中に入ると、カ−テンで閉め切られた暗い中で、どこにライトのスイッチがあるのか分からない。そこで、まずはカ−テンを開いて光を入れ、電源スイッチのありかを探す。しかし、どこにもなく、スタンドのスイッチを入れても、バスル−ムのスイッチを入れても点灯しない。普通だと、入口ドア横の壁にキ−を差し込んで電源を入れるのが多いのだが、この部屋にはそれらしきものがどこにも見当たらない。
 

とうとうお手上げ状態になって、フロントへ電話をすることに。「ライトの点け方を教えてください。」と頼むと、「ドアの横の壁にキ−を差し込む穴があります。」という。おかしいなあ……、そんなのなかったがなあ……と首を傾げながら再度探すと、小さな鍵穴が取り付けられているのが見える。はは〜ん、これなのかな?と疑いながらキ−を差し込んで回すと電源が入る。やはり、これなのだ。ドアの鍵を開けるように、壁の鍵穴も同じキ−を差し込んで回してスイッチを入れるのである。これまで数あるホテルに泊まったが、こんな方式は初めての体験で、ちょっと戸惑ってしまう。これでライトも点き、エアコンも回り始める。やれやれである。
 

窓を開けてベランダに出てみる。下を見下ろすと、中庭には小さなプ−ルが水をたたえ、リゾ−トの雰囲気をただよわせている。


ホテル中庭にあるプール

周辺探索
それよりまずは、夕食探しをかねて付近の探索に出かけてみよう。カメラと用心のために傘を持って出かける。雨は降っていないが、この雲行きではいつシャワ−があるか分からない。玄関を出てスロ−プを下ると、すぐその先がタモン地区のメインロ−ドであるホテルロ−ドに出る。そこは信号機のある交差点になっており、ここまで数分とかからない指呼の間にある。やはりここもくるま社会だけあって、車の行列である。
 

ホテル街の前を走るホテルロード。左側に免税店がある。

この交差点の角にはこの地最大の免税店ギャラリ−があり、ショッピングの中心的存在になっているようだ。その店内の一角にも旅行社のデスクがあるというので、まずはそこへ行ってみよう。中央玄関から入っていちばん奥の階段を地下へ下りて行くと、そこに数社の旅行社がデスクを並べている。私のツア−の旅行社デスクに入り、周辺事情を尋ねてみる。ここには日本人スタッフがいて対応している。
 

安い食事ができる場所を尋ねると、すぐ向かいの「The plaza」という建物の2階にフ−ドコ−トがあり、そこに何軒かの食堂があるという。よし、いいことを聞いたので、早速そこへ行ってみよう。だが、日が暮れる前にビ−チを見ておきたい。目の前はタモンビ−チなのだが、林立するホテルが視界を遮って折角の海は見えない。それにビ−チへ出る道も分からない。通行人に尋ねながら、道らしい道も造られていないアウトリガ−ホテルの横手の路地を抜けてビ−チへ出る。
 

タモンビーチ
目の前には白砂の長く続くビ−チが、ゆるやかなカ−ブを描きながら波静かな海を抱くように広がっている。優に1km以上はある素敵なビ−チラインで、渚もきれいなようだ。ここから眺めるフィリピン海は穏やかな表情を見せているが、機上から見たように、これと反対の太平洋側は白波の騒ぐ時化の海である。


いま、このビ−チの真正面に夕日が落ちようとしているところだが、惜しいことに暗雲垂れ込めて、黄金色に輝くはずの海面に暗黒の影を落としている。ここからのサンセット風景は素晴らしいに違いないのだが、それを黒雲が邪魔して見れないのは実に残念である。右手の海岸線にはホテルニッコ−のスマ−トなシルエットが浮かんでいる。人影はまばらだが、南国のグアムらしい風景を見せている。しかし、これが最初で最後の夕日を見る機会になろうとは……。



タモン湾に広がるタモンビーチ。右端には白亜のホテルニッコーが見える。




夕 食
しばらくこの夕暮れ風景を観賞したあと、きびすを返して食事へ向かう。plazaの玄関を入って行くと、その奥手にエスカレ−タ−があり、その真ん前にはハ−ゲンダ−ツのアイスクリ−ム店が店を開いている。食後のデザ−トにはもってこいだなあ〜。そう思いながら2階へ上っていく。
 

教えられたように、フロア−の一角がフ−ドコ−トになっており、そこに日本のラ−メン店をはじめ、弁当屋、韓国料理、ステ−キ肉、ソバ屋など10店舗ほどが並んでいる。このラ−メン店は東京の新羽田空港に出店している店と同名のところをみると、多分その支店なのかもしれない。


plazaの2階にあるフードコート

一巡りして物色したあと、韓国料理の店に決める。ここには焼き飯、ヤキソバ、酢豚、肉料理、キムチ、サラダなど10種類以上の料理がケ−スに並び、それをお好みで盛り付けてくれるのだ。韓国というより中華料理に近い感じである。
 

盛り合わせは3品で6ドルの値段となっており、私好みの焼き飯、ヤキソバ、酢豚の3品を選んで盛ってもらう。それにアサヒの缶ビ−ル1本を加えて計7ドルと安い。これをテ−ブルに運んでゆっくりといただく。それぞれにいい味で、これなら毎食たべても問題ない。日本人の団体客がやって来る。その賑やかな様子を眺めながらビ−ルを傾け、3種類の料理をいただくと、もうお腹はいっぱいになる。
 

一息ついてからここを後にし、1階エスカレ−タ−前のアイスクリ−ム店へ足を向ける。覗いてみるとバニラがあるので、これをスモ−ルカップに盛ってもらう(3.25ドル)。ロビ−のテ−ブルに腰掛けて、ゆっくりと食後のデザ−トを楽しむ。有名ブランドだけに、なかなかの味である。スモ−ルカップとはいえ結構な分量で、いよいよお腹は満腹状態となる。
 

朝食の調達
腰をあげてホテルへ戻ろうと外へ出てみると、この建物に隣接して〇〇ストアと表示した看板が目に留まる。中に入ってみると、ちょっとした小型のス−パ−みたいな感じで、衣料品から食品、雑貨、土産品までそろっている。これ幸いに、明日の朝食用に梅干しと昆布入りのおにぎり2個と牛乳1パック、エビアンのミネラル水(大)を購入。全部で6.87ドルをカ−ドで支払う。これで明朝は心配なしだ。こうしてみると、宿泊ホテルの界隈は食料調達にはきわめて便利なところで、何不自由もなくこと欠くことはない。
 

外はすっかり夜の雰囲気に変わっており、くるまのライトの光がホテルロ−ドを明るく照らしている。そこを横切って至近距離のホテルへ向かう。


夜のホテルロード

このホテル内にはコンビニが店舗を構え、何かと便利にできている。そこで部屋に戻るついでに店内をチェックしてみると、おにぎり、パン、カップラ−メン各種、サンドイッチなどの食料品や牛乳、その他の飲料水、それにお菓子類などが揃っている。おまけに熱湯まで売っている。カップラ−メンに使うお湯の湯沸かしポットの設備が部屋にないのだ。そこを配慮してここでお湯を調達できるようにしている。それにしても、部屋までどうやって運ぶのだろう? まさか店内で立ち食いはできないだろうに……。
 

部屋に戻ると早速、下着類の洗濯をし、シャワ−を浴びて汗を流す。さっぱりなったところでベッドに横たわり、TVのスイッチを入れてチャンネルを選ぶ。NCCでは、新ロ−マ法王が選出されたことを繰り返し伝えている。おや? NHKの海外向け放送も入るぞ……。それに中国の放送までも入るぞ。こうして国際色豊かなTVを観ているうちに睡魔に襲われ、ク−ラ−を消して寝ることに。まだ宵の口の8時だというのに……。こうして初日の半端な日は、夜のとばりがおろされる。



(次ページは「市内観光・サンセットクルーズ」編です)











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