ベネズエラ(エンジェルフォール)の旅  N0.






ヴェネズエラの地図




旅のコース





5.カラカス〜プエルトオルダス〜ルエパ〜サンタ・エレナへ
エンジェルフォールの旅2日目。乗り継ぎ待ちでホテル休憩と仮眠を取った後、深夜12時発のカラカス行き便に乗るため、再びヒューストン空港へ。深夜とあって、空港ロビーはがらんとして人気はない。成田から12時間の飛行と13時間の時差をものともせず、一行のみんなは元気溌剌である。


ひっそりとした深夜のヒューストン空港

今日の日程も移動に次ぐ移動で、飛行機を何回も乗り継いで行く。まずここヒューストンからベネズエラの首都カラカスへ5時間かけて飛び、そこから国内線でポルトオルダスへ飛ぶ。そこでまた双発のチャーター便に乗り換えて、さらに奥地のルエパへ飛行する。ここでギアナ高地へたどり着き、今度はジープでサンタ・エレナまでひた走る。睡眠もろくに取れないまま行動するので、かなりハードな日程である。


カラカスへ
ヒューストン空港でセキュリティチェックを受ける際、全員が靴も脱がされてチェックを受ける。そこまでやるかと言った感じだが、テロ防止のためには協力するしかない。


これから搭乗する機もコンチネンタル機で定刻より20分遅れで離陸。暗黒の夜空へ向かって吸い込まれて行く。ヒューストンからメキシコ湾を横切り、5時間の飛行で早朝5時20分、首都カラカスに到着。気温は30度台の感じでかなり暑い。ベネズエラ国への入国も出入国カードと税関申告書が必要で、着陸前にそれぞれ機内で渡されるので作成する必要がある。


入国審査の列に並んで入国カードとパスポートを提示し、何の問答もなく審査終了。税関も問題なく通過してベネズエラ国へ無事入国だ。私にとっては71ヶ国目の訪問国である。ここでヒューストン時間よりマイナス30分の時差調整を行う。日本時間からすると、通算13時間半の時差となる。


カラカス空港出発ロビー


出発ロビーの壁窓が朝日を受けてオレンジ色に映えている


荷物の分割
日本からカラカスまでスルーで運ばれた預け荷物を無事受け取ると、ここでギアナ高地旅行向けに荷物の仕分けを行う。というのは、ギアナではすべてジープによる移動となるため、スーツケースは運ばれないからである。そこで、ギアナ高地の旅行で必要な最少の荷物をまとめて身軽くし、他の荷物はスーツケースとともに当地のホテルに預けて行こうというのだ。


そこで空港フロアの一角で、みんな各自の荷物の区分け整理が始まる。私はスーツケースはなく、手荷物だけなので区分けの必要はない。この小型バッグ一つ(総重量5.6kg)をどこまでも持ち回ることになる。


ベネズエラのこと
初の訪問国だが、その国情を記しておこう。
北はカリブ海、大西洋に面した南米北部に位置する連邦共和制国家で、東はガイアナ、西はコロンビア、南はブラジルと国境を接している。南米大陸でも指折りの自然の宝庫として知られている。


歴史面を見れば、狩猟と農耕を行う先住民がいたところへ、15世紀末にスペイン人がやって来て内陸部を探検、16世紀前半にはカラカスの町が建設されて植民地化が始まる。1811年にはシモン・ボリーバルらがベネズエラ第一共和国を樹立してスペインから独立を果たす。1999年12月、新憲法発効により国名がベネズエラ・ボリバル共和国となる。


ということで正式国名は「ベネズエラ・ボリバル共和国」(通称はベネズエラ)。国土面積は912,050Kuで日本の2.5倍。人口は約2千800万人。首都はカラカス。民族構成は混血66%、白人22%、黒人10%、先住民2%。公用語はスペイン語で国民の大多数がカトリックである。通貨はボリバル・フエルテで、1ボリバル=41.88円(09年9月28日現在)


各種資源が豊富で、世界有数の石油産出国であり、同国経済は石油収入に大きく依存している。その埋蔵量では世界第6位、天然ガスのそれは世界8位で、他にも鉄鉱石、ボーキサイト、金、ダイヤモンド等を豊富に産出する。


主要貿易品目は輸出⇒原油及び石油製品、鉄鋼、アルミニウム、輸入⇒工業用原料、機械、輸送機器、建築資材。


日本の援助実績は07年度までで無償資金援助が10.68億円、技術協力が95.94億円となっている。


国内にはユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件(コロとその港、カラカスの大学都市)、自然遺産(エンジェルフォールのあるカナイマ国立公園)が1件ある。


観光面ではオリノコ高地にはテーブルマウンテン、ギアナ高地には有名なエンジェルフォールがある。カリブ海には、ロス・ロケス諸島やマルガリータ島などのビーチリゾートがある。アンデス山脈の観光地としてはその基地の町メリダがあり、ここには世界最長のロープウェイ(全長12.6km)がある。この最高地点からベネズエラ最高峰のピコ・ボリーバル(5007m)へ行くことができる。


治安面は悪く、一般犯罪は増加傾向にあり、殺人、強盗、身代金目的誘拐などの凶悪犯罪が増加しつつある。ベネズエラ全体の凶悪事件の20%以上がカラカス首都区で発生しており、特にリベルタドール市(ペレータ地区)等の大規模な貧民街を有する場所では、違法けん銃、レンタルけん銃を使用した凶悪犯罪が多発し、極めて危険な状況にある。⇒海外危険情報


首都カラカスのこと
ベネズエラ国の北部に位置し、カリブ海から山を一つ越えた盆地にある。人口は430万人。スペイン人の征服者ディエゴ・デ・ロサーダが、先住民との戦争の最中にサンティアゴ・デ・レオン・デ・カラカスという名でこの街を建設したことに始まる。


20世紀初期にマラカイボ湖で石油が採掘されるようになると、カラカスはベネズエラの工業センターとなり、国内移民の流入が進んだ。その後、現代的なビルが立ち並んで都市化が進むと、さらに人口流入が進み、都市周辺にスラムが形成され、治安は著しく悪化した。1983年にはフランスの技術によってカラカス地下鉄が開通した。


プエルトオルダスへ
ここでプエルトオルダス行きの便まで約6時間足らずの待ち合わせがある。みんなの荷物の整理が終わると、出迎えのバスに乗って国内線ターミナルへ移動する。現地ガイド氏に「国内線と国際線のターミナル間にはシャトルバスは走っていないのか」と尋ねると、距離が300mでバスはなく、みんな徒歩で移動するのだと言う。


国内線の出発ロビーでプエルトオルダス行きのチェックインを済ませると、2階のレストランへ移動し、そこでサンドとジュース・水の朝食となる。内部は広いスペースに椅子とテーブルを並らべただけの簡素なものだが、広い窓から飛行場が眺められる風景だけは一流である。


国内線ターミナル2階のレストランの窓から眺めた風景

やっと搭乗の時間がきて、アセルカ航空便に乗り込むと、やや手狭な機内は満席状態。11時過ぎに飛び立った飛行機はカラカスから500km南東のプエルトオルダスを目指す。


滑走路へ出て、これから離陸するところ。


離陸直後の風景。眼下にカラカスの市街地がみえる。この山を越えた向こう
がカリブ海である。


そこまで1時間の短い飛行である。到着近くになると、眼下には大きな川が広がっているのが見える。これがオリノコ川なのだろうか? 川の風景を眺めているうちに、間もなくプエルトオルダスへ着陸である。空港設備は一応整っているが、規模の小さな空港である。


湖沼が見えてきた


大きな川が見えてきた。オリノコ川?


プエルトオルダス空港ロビー

この町はオリノコ川とエンジェルフォールからの水が流れるカロニ川の合流点にある。プエルトは港、オルダスは土地の名前とか。昔、オリノコ川をさかのぼって大きな港があったのだという。人口100万のベネズエラ東部の中心都市である。


ルエパへ
あっと言う間にプエルトオルダスに無事到着すると、1時間の待ち合わせで今度はギアナ高地のルエパへ飛行する。ここからはチャーター機で飛ぶわけだが、待っていたのは46人乗りの双発飛行機である。珍しくプロペラ機に搭乗というわけだ。チャーター機だから我々だけかと思っていると、同乗の先客がいる。欧米人なので尋ねてみると、ヨーロッパのオーストリアから来たと言う十数名のグループである。


午後1時過ぎにポルトオルダスを離陸したチャーター機はさらに南下して、いよいよ旅の本番、ギアナ高地へ向かう。ブーンと鈍いプロペラ音を響かせながら白い雲が浮かぶ南国の空を飛行する。眼下には茶色の水をたたえた川が文字どおり蛇のように蛇行するのが見える。ずいぶんと奥地まで来たという感じである。透き通るような真っ青な空と白く浮かぶ雲が素敵なコントラストを見せている。


茶色に濁った川が蛇行しながら流れている


ルエパ到着
午後2時、1時間の飛行でルエパ着陸である。さらに乗り継いで別の目的地に行くというオーストリアのグループを残して機外へ降り立つ。その瞬間、待てよ、まさかここに不時着したわけではないだろうな? と、わが目を疑うほど周りには見事なくらい何もない。広大なサバンナ(大草原)のただ中に、ただ細く短い滑走路が1本あるのみ。他には低いやぐらと吹き流しが1本立っているだけのちっぽけな飛行場?なのだ。ここはギアナ高地のグランサバンナの真っただ中にあるのだ。


ルエパの飛行場に着陸した双発機。これに乗ってきた。


ギアナ高地
ギアナ高地はオリノコ川、アマゾン川、およびアマゾン川の支流の1つネグロ川に囲まれた地域に存在する高地帯のことで、ギアナ高地全体にはグランサバンナと呼ばれる草原が広がり、100以上のテーブルマウンテン(卓状台地、テプイと呼ばれる)が天を突くように突出している。垂直に切り立つテーブルマウンテンは標高が1000mを越え、高いものは3000mを超えるものもある。


そのため山頂台地と麓の間では生物の往来が不可能で、山頂台地には太古からの生物が独自の進化を遂げている。有名なのは跳ぶことも泳ぐこともできない真っ黒のカエル、オリオフリネラ(⇒写真)だろう。このカエルはロライマ山と隣のクケナン山にしか生息していないという。近年は観光客の増加に伴い、排泄物による汚染や今までギアナ高地になかった種が持ち込まれるなど、環境破壊が進んでいる。


この卓状台地一帯の地層は、およそ17億年前の先カンブリア時代もので、地球上で最も古い岩盤のむき出しの姿で、 風雨で軟らかい部分が浸食され、硬い地質だけがテーブル状に残ったものだという。この台地群の中には代表的なテプイの一つである標高2810mのロライマ山があるが、コナンドイルの小説「失われた世界(ロストワールド)」の舞台となったので有名である。また、最も大きいテプイの一つであるアウヤン・テプイから落下する世界最長の滝エンジェルフォール(アンヘルの滝:落差979m)はあまりにも有名である。今度の旅はこの滝を目指す旅なのだ。

・典型的な卓状台地(テーブルマウンテン)の写真⇒ こちら


サンタ・エレナへ
不時着した?我々一行を出迎えてくれたのは、1台のジープとワゴン車である。皆の荷物をジープの屋根に載せ、シートでカバーすると、いざ出発。


出迎えてくれたジープとワゴン車

大草原グランサバンナが広がる広大な草原地帯をブラジル国境沿いの町サンタ・エレナへ向けて走り出す。驚いたことに、この草原地帯のど真ん中にきれいに舗装されたドライブウェーが走っている。これは想定外のことである。


サバンナの向こうに低い山が見える


これがギアナ高地のグランサバンナ。遠くに卓状台地(テプイ)が見える。


遠くにテプイが見える

舗装道路を快適に走行する車窓からは、サバンナの遠く彼方に浮かぶテーブルマウンテンの姿が飛び込んでくる。ギアナ高地の旅が本格的に始まったのだという実感と感動が込みあげてくる。とにかく、空と雲が美しい。この地でしか見られない空の青と白い雲である。


レストランで昼食
飛行場から1時間ほど走ってロッジ風のレストランへ到着。午後3時ごろの遅い昼食となる。料理はチキン、サラダ、ポテト、これにチャーハン風のライス付きである。


これが昼食の料理(チキン、サラダ、ポテト、ライス)。かなり食べた後・・・。


レストラン前から遠くにテプイを望む


カマの滝
お腹を満たすと、近くにある滝見物に出かける。レストランから歩いてすぐの所にあるカマの滝である。滝が2つに分かれて落下しているので、双子の滝とも呼ばれている。落差60mのこの滝は、轟々と音を立てながら川に落ちている。みんな写真撮影に余念がない。


カマの滝。落差60m。


(動画)カマの滝


パチェコの滝
滝見物が終わると、再び2台の車はハイウェーを走行する。途中、テプイ(卓状台地)群の素晴らしいビューポイントでフォトストップ。



(動画)テプイの大景観




 これがテプイ(卓状台地)の大景観。フォトポイントからの眺め。




それからしばらく走って、今度はパチェコの滝に到着。ここで思い思いに水遊びしたり、泳いだりと、初の滝遊びをしばし楽しむ。それと同時に、初のプリプリ襲撃にも遭遇する。私も初体験で、早速数か所噛まれることに・・・。


パチェコは発見したスペイン人の名前とか。この滝は、“滝”というよりは、斜面を流れ落ちる急流と言った感じで落差はほとんどない。そのため水遊びには格好の場所で、水溜まりの一部が深くなっているので、これがまた格好の飛び込みポイントとなっている。


パチェコの滝。地元の人たちで賑わっている。



(動画)パチェコの滝



(動画)パチェコの滝。少年たちが飛び込みを楽しんでいる。


大勢の子供連れの地元の人たちが楽しんでおり、高い崖上からは少年たちが入れ替わり立ち替わりで高飛び込みを競い合っている。わがグループの幾人かは、早速水着に着替えて水に入り、ギアナ高地の貴重な機会をとらえて楽しんでいる。




私は蚊とわが身の不測の事態を考慮して水に入らず。足を水に浸すのも靴脱ぎが面倒ということで、もっぱら見学派に徹して撮影だけを楽しむ。


サンタ・エレナへ
パチェコの滝で30分少々を過ごした後、今夜の宿泊地サンタ・エレナへ移動する。途中、前方の空には暗雲が垂れ込め、局地的にシャワーが降っているようだ。いかにも南国の夕暮れらしい空模様に、しばし見とれる。


暗雲垂れ込め、向こうではスコール(シャワー)が降っているのかも。

滝から約1時間の走行でブラジル国境に近いサンタ・エレナの町に到着。宿泊は周囲を森に囲まれた野趣あふれる素敵なヤッコ・キャンプである。ずいぶんと奥まった最果ての地までやって来たのものだ。まさに、このツアーの標題にある「緑の魔境ギアナ高地の懐深く」といった感じである。


この時期のギアナ高地では、午後の6時ごろになると早くも日没時間で、辺りは薄暗くなり始める。このキャンプへ着いたのは夕暮れ6時半で、日はとっぷりと暮れている。


キャンプの様子
このキャンプは幾つものロッジがガーデンの中に点在しており、その中の一つが私に宛がわれる。ギアナ高地での第一夜をここで過ごすわけだ。


(動画)翌朝撮ったキャンプの風景。周囲は森に囲まれ、ロッジが点在する。


室内はがらんとして殺風景。床はタイル張りで、丸太で組まれた寝台にベッドが置かれている。別室に洗面とシャワー設備があり、バスタブはない。しかし、この地でお湯がしゃんしゃん出るので申し分はない。各窓は、しっかりとネットが張られていて、これだと蚊や虫の侵入は心配なさそうだ。


ロッジの部屋の様子。簡素なベッドが置かれている。トイレも水洗でお湯も出る。

夕食まで1時間超の時間があるので早速、洗濯にかかる。下着やソックス類を洗って、ロッカーにあるハンガーに吊るす。明朝までには乾くはずである。ついでにシャワーを浴びて汗を流す。


夕 食
遅い昼食だったので、夕食もずらして7時過ぎの遅い夕食となる。自然に囲まれた素敵なメインロッジのテラスで夕食が始まる。メイン料理はビーフで、これにライスなどが付いている。それらをビールを傾けながらいただく。乾いた喉に冷えたビールの喉越しがたまらない。


食後、その場でエンジェルフォールのビデオ観賞が始まる。日本で放映されている「世界遺産」のビデオ版で、エンジェルフォールの全貌をまとめたものである。数日後に迫ったエンジェルフォール行きの事前学習というわけだ。興味深く見ていたものの、さすがに旅の疲れが出て、みんなこっくりこっくりと舟を漕いでいる。居眠りしている間にビデオは終わり、部屋へ退散する。


部屋では、はるばる持参した蚊取り線香に火を点け、久々に昔のころを思い出しながら床に就く。10時過ぎのことである。こうしてギアナ高地第一夜の夢を結ぶ。



(次ページは「カバナヤンへの道」編です)





   





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