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「地球の旅(ブログ版)」
N0.11
(
クロアチア編
)
旅のコース
スプリットへ
午後5時過ぎにトロギールを出発したバスは、一路30km先のスプリットを目指して走行する。トロギールで遭った夕立はどこへやらという感じで、空には青空がのぞいている。流れる車窓風景を楽しんでいると、早くもスプリット到着である。
スプリットのこと
アドリア海東海岸の小さな半島に位置するこの町はクロアチア第二の都市で、人口約19万人。295年~305年、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が宮殿を造営したことが都市の起源となる。この宮殿の廃墟の中に街が形成されており、独特の景観を誇っている。旧市街は1979年に世界遺産にも指定されており、古代都市が残る石畳の美しい街でもある。また、アドリア海の島巡りの拠点の街にもなっている。
ホテルは海岸通り
今夜の宿は、海岸通りにあるホテルである。チェックインして部屋に入ると、窓の外には青い海が開けている。なんと、オーシアンビューの部屋なのだ! これは素敵~!と心で叫びながらヴェランダに出る。眼前には夕暮れのスプリットの港の風景が広がっている。
ところが、ここでも沖合いに暗雲が垂れ込め、今しがたから夕立が降り始めている。どうも不安定な天候である。そのお陰か、眼前の港の上に見事な虹の架け橋が現れ、我々の到着を歓迎しているかのようである。虹の左端は旧市街の大聖堂にかかって素敵な風景をつくり出している。
すぐ目の前の右岸は多数のヨットが停泊するマリーナになっており、遠く左岸は大型クルーザーが接岸する岸壁となっている。アドリア海に浮かぶ島巡りの拠点の町だけあって、マリン施設も整っている。第二の都市だけに町の規模も大きいようだ。
(動画)スプリットの港の風景
(動画)スプリットの港の夜景
ホテルの部屋から眺めたスプリット湾の風景。左端の虹の近くに見える塔はディオクレティアヌス宮殿内の大聖堂の鐘楼。
夕食はパスタ
夕食の時間になり食堂へ。今夕のメイン料理はパスタ(フィットチーネ)、これにスープ、サラダが加わり、デザートはうれしいアイスクリームである。昼食にアイスケーキが出たが、本格アイスクリームが出たのはこれが初めてである。しっかりとお腹を満たして満腹となる。
食後は部屋に戻ってくつろぎの時間。TVのチャンネルをいじりながら放送を楽しむ。そうそう、下着の洗濯もしなくちゃ! いよいよ明日はスプリット観光の後、ドブロヴニク入りだ。今度の旅の後半のハイライトだけに、好天を祈るばかりだ。青空が見える割には夕立があったりと、どうも不安定な天気ばかりが続くのだが・・・。とにかく五体を休めるとしよう。就寝は10時である。
スプリット観光
バルカン半島の旅7日目。朝6時に起きてみると、空は冴えない模様で雲が垂れ込め、小雨が降っている。今日も不安定な天気になるのだろうか? 旅のあいだ中、気をもませる天候である。そうは言いながらも、これまで傘を開く機会はないのだから恵まれていると言わなければなるまい。昨夕のトロギールの夕立は別にして・・・。
バイキングの朝食を済ませると、9時にホテルを出発してすぐ近くの旧市街へ向かう。ここの最大の観光目的はローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿跡と城塞都市である。この宮殿のある旧市街までは、ホテルから歩いても15分の距離にある。宮殿の少し手前でバスを降り、そこから綺麗な大理石張り?の海岸通りを歩いて行く。雨上がりの濡れた路面にフェニックスの陰が映えて、トロピカルムードがあふれる素敵な風景をつくり出している。こんな豪華できれいな通りは見たことがない。
トロピカルムードただよう宮殿前の美しい海岸通り
途中、見事なアーチ型の回廊の素敵な建物に目が留まったり、いにしえの建物を眺めたりしながら、歩いて行く。海岸の一角には城壁で囲まれた旧市街のブロンズ製模型が置かれている。これで概観をつかんで観光すると効率よく回れる。
美しいアーチ型回廊のあるビル
海岸側の城壁遺跡には現代の住まいが見える
ブロンズ製の町の模型。四角に見えるのが宮殿遺跡。
(スプリット:ディオクレティアヌス宮殿遺跡の航空写真:上下左右に移動して見られます)
四角の範囲が宮殿遺跡。中央部分の広い空間が中心広場で大聖堂が建っている。
ディオクレティアヌス宮殿と旧市街
スプリットの観光は、みんなここを目指してやってくる。世界遺産にも登録されているアドリア海沿岸最大のローマ遺跡があるからだ。この宮殿遺跡は、
ローマ皇帝ディオクレティアヌス
が造営させたもので、295年から10年の歳月をかけて建設された。彼は病のため305年に退位したが、その後故郷のスプリットで隠居生活を過ごすための宮殿だったのである。皇帝はスプリット郊外のソリンの町の出身なのだ。
高さ15~20m、厚さ2mの城壁で囲まれたこの宮殿区域は、東西150m、南北200mの長さのほぼ正方形の形で、城壁内の面積は3万8千平方キロメートル。東西南北の城壁面にそれぞれ東門(銀の門)、西門(鉄の門)、北門(金の門)、南門(銅の門)の4つの門を備えている。南門側は海に面して、往時は船舶が着岸していたようだが、現在は埋め立てられて、上の写真で見るように美しく、広い素敵な海岸通りになっている。皇帝はこの南側に居住し、北側には使用人を住まわせたという。当時、宮殿内やその周辺には8000人~10000人が暮らしていたという。
当初のディオクレティアヌス宮殿の復元図。南の海岸側は埋め立てられている。
正方形のこの宮殿域はメインの十字路で4区画に分けられており、この十字路の交差する中心点が宮殿中庭の広いテラスになっている。前には大聖堂がそびえており、エジプトから持ち込んだとされる花崗岩と大理石の円柱の列柱が並んでローマ遺跡の雰囲気がただよっている。その素敵な舞台設定は、夏のフェスティバルに格好の場所を提供しているようだ。
この宮殿もローマ帝国崩壊後は廃墟と化し、ゴミ捨て場となって埋もれてしまったらしい。7世紀になってスラブ人が侵入してくると、ローマ人は難民となってこの宮殿跡に住み着き始め、その後、上記のテラス周辺には次々とゴシック、ルネッサンス、バロックといった様式の建造物が建ち、次第に都市を形成し始めたという。
現在でも約1000人の市民が居住しているそうで、スプリットの街の一区画を構成している。宮殿内部では洗濯物やTVアンテナなどが見られて古代都市に息づく現代生活の様子が面白い。この古代遺跡の中に現代人が住み着いて生活を送っているという風景は、他の古代遺跡ではまず考えられないことであろう。
例えば、ピラミッドやマチュピチュ遺跡に人々が住み着いて生活することは、現代では考えられないことである。それがここでは至極当然のことのように行われているのだから驚く。それは歴史的な流れの中で自然に形成され、それが何世紀にもわたって連綿と引き継がれて来た結果だと言える。この古代遺跡に住民が住むという現象は、ここスプリットだけに見られる特異なケースといえるのだろう。
ディオクレティアヌス皇帝は在位中に自発的に予定どおり退位したのだが、これは歴代の皇帝の中では珍しい例だとされる。その彼は、キリスト教徒を弾圧迫害して処刑したりしたそうだが、その死後は皇帝の像を破壊し、霊廟を破壊して大聖堂を建造し、神殿は洗礼堂に改造されたという。これがテラスに面して建つ聖ドムニウス大聖堂である。この大聖堂も過去、地震でかなりの損傷を負ったらしいが、今ではきれいに修復されている。
この宮殿内の地下には幾つもの部屋があって遺跡が残っているのだが、市はこれを食料貯蔵庫として転用したそうで、その通路にはみやげ品店などのショップが並んでいる。遺跡の中にはまだ発掘されず、そのまま土が放置されたままになっている部分も見られる。この遺跡が地下になっているのは、地盤沈下したためだろうか? その点を尋ねる機会を失してしまう。
宮殿遺跡見学
現地ガイドに案内されて「ディオクレティアヌスの遺構」と書かれた看板の入口門から入って行く。高い石積みの遺跡を見た後、階段を地下室へ下りて行く。重厚な石組みの柱で支えられた部屋が次々と現れる。各部屋の天井部分は何かで損傷したのか荒々しい傷跡むき出しの状態で、それがいかにも古代の遺跡を実感させる。中には未発掘状態の土がそのまま残っている箇所もあったり、石造りのワイン搾りの道具も見られたりする。
この門より入って行く
堅固な城壁
地下室にはこんな遺跡の空間が広がっている
天井の損傷が痛々しい
門の奥には未発掘の土がそのまま残っている
石棺が置かれている
ワイン製造の石造りの道具
また、通り抜けの地下通路には、みやげ品などのショップが並んでいる。そこを通り抜けて階段を上がると、遺跡の中心広場のテラスに出る。先述したように、ここにはアーチ型の列柱廊が並び、一瞬ローマに迷い込んだ?と思わせる雰囲気がただよっている。目の前には高さ60mのドムニウス大聖堂の鐘楼がそびえており、その一方にはクロアチアのシンボル・巨大ネクタイが壁面高く垂れ下がるネクタイ店がある。その面白い組み合わせに興趣をそそられる。
地下通路にはショップが並ぶ
宮殿遺跡の中心広場。左手には大聖堂が建ち、周りには列柱が並ぶ。
大聖堂とその前の列柱
大聖堂の鐘楼(高さ60m)
裏側から見た大聖堂の鐘楼
中心広場にはローマ兵のコスチュームを着た兵士が立って雰囲気を盛
り上げている
洗礼堂
洗礼堂には石造りの洗礼池が置かれ、側面には十字架を持つ人のレリーフや模様が彫られている。堂の天井は模様が刻まれた石板がドーム型に張られ、手の込んだ造作になっている。
十字架に繰り抜かれた洗礼池
洗礼堂の天井には石造りの装飾板が張られている
ニンスキ司教像
ここから通り抜けて北門(金の門)へ出ると、その前は公園になっており、その一角に巨大な立像が立っている。これは1929年に作られたグルグリ・ニンスキ司教の像とか。この巨像の足に触れると幸せになるとかで、訪れる人々はみんなが触ることになる。その人たちの手指の脂で青銅製の足はピカピカと輝いている。ここを最後に、広場を通り抜けたりしながら南門へ出ると、2時間ほどの見学は終わりとなる。この後はしばしのフリータイムだ。
遺跡の中の路地
こんな路地も・・・
これが北門(金の門)
門の前の公園にはニンスキ司教の巨大像が立つ
幸せを呼ぶという司教の像の足は触る人々の手脂でピカピカに・・・
北門側の城壁。古代遺跡に住民の窓が見えたりして面白い。
北門側の城壁はつぎはぎだらけ
広場に出た
像の立つ広場を通り抜ける
南側の海岸通りにあるケーキ屋さん
スプリットのアカペラ
宮殿遺跡の見学で巡っていると、どこからともなく素晴らしい合唱のハーモーニーが聞こえてくる。ドームの天井がぽっかりと開いた遺跡の中で男性6人のメンバーがアカペラ(無伴奏の合唱)で素晴らしい歌声を次々に披露しているのだ。ホールみたいになったこのスペースは反響が実に素晴らしく、そこに立っていると見事なハーモニーになって響き渡る。ここを通る観光客は、みんな足を止めてうっとりしながら聞き入っている。いや~、ほんとに素晴らしい。
(動画)素晴らしいアカペラの演奏
後で現地ガイドに尋ねると、スプリットでは有名なアカペラのグループだそうだ。彼らはこうして歌いながら、用意した自分たちのCDを売っている。実はそのためのデモなのだが、これは効果満点で、聞いている間に数人の聴衆がCDを買っている。これならつい誘われて記念に買いたくなるのも無理はない。
マーケット
フリータイムを利用して真っ先に向かったのは東門前に開かれているマーケットである。海岸通りの城壁に沿って東へ移動し、角を左へ曲がって進むと、前方にマーケットのテントが見えてくる。ほとんどが仮設のテント張り出店である。かなり広い範囲に広がって設営されたマーケットには衣類、帽子、靴、みやげ品、花、野菜、フルーツ、チーズなどを販売する多種多様な店がずらりと並んで賑わっている。一巡りして探索してみるが、特別珍しい物は見出せない。
人出で賑わうマーケット
新鮮な野菜が並ぶ
きれいな花屋さんも・・・
いろんな木の実類を売っている
チーズ屋さん
果物屋
大聖堂鐘楼の展望台
マーケット見物が終わると、次は鐘楼登りだ。私もきっと“バカの高登り”の類だろうか? 高い所を見ると、すぐに登りたくなる。本格登山の体験はないのだが・・・。これまで人工建造物では台北の世界最高ののっぽビル・101ビル(高さ508m)、山岳ではペルーのラ・ラヤ峠(標高4300m)を体験したぐらいである。余談はさておき、ここでも鐘楼で展望台ありとなれば、バカ振りを発揮して上らざるを得ない。
マーケット前の東門をくぐって中心のドムニウス大聖堂の前へ出る。鐘楼上り口に来ると、入場料が必要という。インフォメーションのおじさんが入口前に腰掛けて番をしている。幾らかと尋ねると「○○クーナ」という(金額は失念。200円相当だったと思う)。代金を支払うと、引き換えに鐘楼の写真が載った小さなカードを渡してくれる。ついでに「階段は何段あるんですか?」と尋ねると、即座に「183段!」と返事が返ってくる。ほぼ想定の範囲なので、覚悟を決めて上り始める。
ところがである。取り付きの石段の段差がバカに高いのである。下の写真で見るように、普通の2段分もある感じである。これはご婦人には少し抵抗があるかもしれない。しかし、この高い階段は最初の十数段だけで、その先は問題ない程度の階段が続いている。とにかく狭いので、上下に行き交う人との間隔が取れず、触れ合いながら上って行く。
段差の高い鐘楼台への階段
高さ60mの展望台に上りあがると、眼下に広がる港や市街地が眺望できる。ここでも申し合わせたようにオレンジ色の赤屋根が家並みをつくっている。360度の景観が見渡せるのだが、なにせ大きな柱が邪魔して連続して見渡せないのが難点である。かなりの風が吹いている中、ひとわたり動画を撮り終えると、降下に取りかかる。
鐘楼台の鐘。残念ながら鐘の音は聞かれなかった。
(動画)大聖堂鐘楼台からの眺望。スプリットの町の風景が見える。
(動画)スプリットの港の風景
クロアチアとネクタイ
クロアチアは
ネクタイ発祥の地
として知られる。今度の旅行でそのことを初めて知ったのだが、道理で街のあちこちでネクタイの宣伝が見られるわけだ。その最たるものが宮殿の中心広場前にあるネクタイ店の広告だろう。建物の壁面いっぱいに垂れ下がった大ネクタイのデモは、否が応でも観光客の目に留まる。そこでその店内に入り、物色したついでに許可を取って店内を撮影させてもらう。ネクタイ、ワイシャツ、スカーフなどが陳列さているが、クロアチアの土産としては格好の品なのかもしれない。
中心広場前にあるネクタイの店。巨大ネクタイが目をひく。
上のネクタイ店内の様子
昼食はシーフード
2時間近くの宮殿観光が終わると、お待ちかねの昼食である。旧市街の細い路地にある小さなレストランに案内され、そこで食事が始まる。料理はアドリア海の新鮮料理でイカ、小エビ、ミニロブスターなどが盛られたものである。肉料理のように腹応えはないが、日本人には好まれる料理ではある。飲み物は昼間なのでビールは避け、ミネラル水1本(10クーナ)を注文する。
昼食を取ったレストラン前の路地
昼食のアドリア海新鮮料理
ドブロヴニクへ
腹ごしらえが終わると、次は今日の宿泊地ドブロヴニクへの移動開始である。こうして午後は、アドリア海沿岸の景色を眺めながら、ひたすら走り続けることになる。ここからドブロヴニクまでの距離はかなり遠い。
(次ページは「ドブロヴニクへの道」編です)