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     N0.10




クロアチア編



旅のコース





古都トロギール観光
シベニクのブロデッド料理でお腹を満たした後は、これもアドリア海沿岸に位置する古都トロギールへ向けて出発する。シベニクから50kmの距離だから時間はかからない。海岸線を走る車窓からは次々に移り変わる素敵な沿岸風景が流れて行く。沿岸地域に浮かぶ数々の島の風景が旅人の心をときめかす。アドリア海沿岸の景観は、どこを切り取っても美しく絵になる景色である。シベニクを午後1時過ぎに出発したバスは、ひとしきり走って1時間後、トロギールの町に到着である。


海岸線からこんな風景が見られる


海岸線には多くの島が見られる


トロギールの世界遺産のマーク。この橋を渡るとトロギール旧市街。
向こうの塔はロヴロ大聖堂。



トロギールのこと
トロギールの町はクロアチア国のアドリア海に面する港町で、クロアチア本土とチオヴォ島の間の小さな島にある。97年から、古都トロギールはUNESCO世界遺産に登録されている。


第二次世界大戦中、トロギールはイタリアに占領され、1944年に解放されたが、その後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属し、91年から独立したクロアチアの一部となった。トロギールは2300年にわたって続く植民都市としての伝統が築かれ、その豊かな文化は古代ギリシャ、古代ローマ、ヴェネツィア共和国の影響から生み出されたものである。


トロギールは東西500m、南北300mの大きさで、外周は高い城壁で囲まれている。この小さな島の中に宮殿、教会、塔が多数存在し、要塞もある。また、中欧でももっとも保存状態のよいロマネスク=ゴシック建築群があり、中世から続くトロギールの中心部は城壁で囲まれ、城、塔、住居、宮殿など、ロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロックといったさまざまな時代の建物が保存されている。


(トロギールの航空写真:上下左右に移動して見られます)

城壁で囲まれた狭い区域であることが分かる。北側が本土。


トロギール旧市街観光
海岸近くのバスターミナルに到着したバスを降りて現地ガイドの案内で観光が始まる。ターミナル裏手の細い運河にかかる橋を渡ると、高い城壁に囲まれた旧市街が現れる。この町は当時のまま残る城壁に囲まれたちっぽけな区域で、この中に様々な歴史的建造物が残っているいわば歴史の缶詰の町なのだ。


本土側のパン屋さんにはいろいろなパンが並ぶ

もともとは本土と繋がっていた突端部分を人工的に運河を掘って切り離し、“孤島”の状態にしたらしい。もちろんそれは外敵からの防御を考えてのことだろう。その様子は上の航空写真を見ればよく分かる。


橋を渡って進むと、まず右手に現れたのが高い城壁門の北門で、その上にはこの町の守護聖人イヴァン・ウルシーニの像が立っている。城壁門越しに見上げる高い尖塔は、この町のシンボル・聖ロヴロ大聖堂である。


北門の上には町の守護聖人の像が、向こうの尖塔はロヴロ大聖堂。


聖ロヴロ大聖堂
門をくぐって中へ進むと、大聖堂の見上げる尖塔が待ち受ける。1193年に建造が始まったとされるこの聖堂は、13〜15世紀の建て替え時にヴェネツィアの影響を受け、教会はロマネスク様式、鐘楼はゴシック様式で建てられた。高さ47メートルの鐘楼はヴェネチアが支配した15、16世紀にかけて建てられたものだが、後から鐘楼を建てたため、教会部分はロマネスク様式、鐘楼の2階部分からはヴェネチア風のゴシック様式になっている。


ロヴロ大聖堂の鐘楼


聖堂入口前に立つと、それはそれは見事なレリーフや装飾彫刻で埋め尽くされたアーチ門にしばし見とれてしまう。やはりここでも両側にライオン像が置かれ、その上にアダムとイヴの彫像が乗っている。ライオンは昔のヴェネツィア共和国のシンボルであるが、その強い影響がここにも及んでいたことがこれでも推察できる。これらはクロアチアの宗教美術の傑作と言われる。


大聖堂の入口門。左右にライオン像とアダムとイヴの像が立つ。


これと全く同様の構図が午前に観光したシベニクのヤコブ大聖堂の入口門にも見られるのだが、ここにもヴェネツィアの影響が及んでいたということだろう。ここではアダムとイヴの位置がライオンより離れた上になっており、しかも2人の配置が左右反対になっている。


門の素晴らしさに圧倒されながら堂内に入ると、薄暗い中に高い天井から吊るされた黄金色に輝く大十字架(15世紀ごろのもの)が目に飛び込み、これに強く印象づけられる。正面中央には壁面にくぼみが設けられて、そこに中央祭壇が安置され、左側には石造りの八角形の説教壇が設けられている。いずれも歴史を感じさせるものばかりである。


大聖堂の内部。左が説教壇。天井から吊るされた大十字架
が印象的。


ここの礼拝堂は聖イヴァン礼拝堂と呼ばれる有名なもので、ルネサンス様式で15世紀の建造と言われ、荘厳な雰囲気がただよっている。そこには天使に護られて横たわる初代トロギール司教でこの町の守護聖人イヴァン・ウルシーニ(北門の上の像)の石棺が安置されている。


礼拝堂に置かれた守護聖人の石棺


大聖堂の鐘楼
高さが47mという鐘楼に挑んでみよう。それほど高くはないので恐れることはない。だが、その階段が予想以上に急で、頂上の展望台に上りあがる所は人1人がやっと抜けられるぐらいの狭い穴になっている。最後のここが難所で、みんな逡巡してしまう。


鐘楼へ上る最後の階段は、こんなに急階段。


この穴をくぐり抜けて展望所に出る

なんとかくぐり抜けて展望台に上ってみると、鐘楼の写真でも分かるように柱が多くて、うまく眺望がきかない。それでも本土の町並みやチオヴォ島の様子が見渡せる。苦労して上った割には収穫が少ないというところだ。



(動画)ロヴロ大聖堂の鐘楼より眺めた風景。旧市街、本土側の風景が見える。


市庁舎中庭・ロッジア
大聖堂の横は中央広場で、これに面して石造りのどっしりとした市庁舎が建っている。その中庭の壁面には宮殿を思わせる豪華な石造りの回り階段が設けられ、周りの列柱とあいまって荘重な雰囲気を醸し出している。


ローマ風の宮殿を思わせる市庁舎の中庭。中央には井戸が見える。

また大聖堂の向かいには「ロッジア」と呼ばれる屋根つきのオープンスペース(露台)があり、ここは裁判所、税関、集会場などとして使われたらしいが、その壁面には、公正を期すという天秤を持つ聖母像などのレリーフ(15世紀)が彫られているのが歴史を感じさせる。


ロッジアの壁面に彫られたレリーフ。右が天秤を持つ聖母像。


海岸へ
ロッジアから細い路地を南へ抜ければ、すぐに南門へ突き当たる。この町は狭い領域なので、歩くのには時間はかからない。


細い路地を南門へ向かう。手前左側角がアイスクリーム店。前は広場。


歴史を刻んだ細い路地

南門を出ると目の前は海岸でボートやヨットなどが停泊している。


海岸線。フェニックスの向こうがカメルレンゴの砦

その海岸向こうにはチオヴォ島が横たわり、トロギールと跳ね橋(開閉する)で結ばれている。この海岸の西の突き当りには15世紀前半に造られたというカメルレンゴの砦が建っているが、その見物には時間不足である。


トロギールとチオヴォ島(右側の島)を結ぶ跳ね橋

南門を出て振り返ると、築かれた高い城壁が続き、当時の姿をそのまま残している。


海岸側から南門を見る。



 高い城壁で囲まれたトロギール旧市街。中央は南門。




突然の夕立
ここでフリータイムとなり、再度城壁内に戻って散策する。まずは待望のアイスクリームだ。現地ガイドさんが、ここのアイスクリームはおいしいんですよと紹介してくれた店があるのだ。その店は町の中ほどにある小さな広場の前にある。そこにはパラソルとテーブルが幾つも並べられてカフェテラスになっている。


早速、バニラアイスクリームを注文してイスに腰を下ろし、居合わせた仲間と談笑しながら、ゆっくりと味わい始める。評判どおり、なかなかの味で念願が叶い心満たされる。


良い気分になって談笑していると、急に暗雲垂れ込めて雲行きが怪しくなってくる。間もなく雷鳴が轟き始める。やがて大粒の雨がぽつりぽつりと降り始めたかと思うと、みるみるうちに土砂降りの大雨になってしまう。幸いパラソルの下なので雨濡れの心配はないが、雨が止むまで動きが取れない。これまで晴天だったので傘を持参する考えは毛頭なく、虚を突かれた感じで、まさに青天の霹靂である。


ままよとばかり、小雨になるのを見定めて軒伝いに急ぎ足で通り抜けて北門に出る。そこから小走りで本土への橋を駆け抜け、バスターミナルへ走り込む。すぐ近くには野菜などの生鮮食料品などのフリーマーケットが開かれていたのだが、その取材を後回しにしたのが悔やまれる。傘なしでは見物もできない。あきらめて、やって来たバスに乗り、今宵の宿泊地スプリットへ旅立つ。午後5時過ぎのことである。こうしてトロギール観光は、突然襲来した夕立のお見舞いでしめくくりとなる。



(次ページは「スプリット観光」編です)










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