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旅のコース




4.ケロアン観光

チュニジア2日目。懐かしいアザーン(イスラム教の祈りの時間を告げる呼び声)の響きを聞きながら6時に起床。この時季のアザーンは6時と遅いようだ。これを聞きながら、あゝ、いまイスラム社会に来ているのだなあという感慨にひたる。


今日の旅程はまず世界遺産の街ケロアンの観光、その後ローマ、ビザンチン時代の遺跡であるスベイトラへ移動して観光、そして今夜の宿泊地トズールへと移動する。今日も移動の多い日程である。バイキングの簡素な朝食を終えると、8時に出発して観光開始である。快晴の青空がなんとも気持ちがよい。朝晩は冷え冷えしているが、日中はかなり気温も上がって上着は不要の感じである。昼間と朝晩の寒暖の差が大きいので注意が必要だ。


古代の貯水池
最初の見学は9世紀に造られたという貯水池である。当初は14の貯水池が造られ、17世紀ごろまで使われていたという。最盛期には16〜17万人の人口があり、36kmに及ぶ水道橋もあったそうだが、現在はなくなっている。この貯水池は現在4個だけが残っており、1969年に修復されて今でも市民の水源になっているという。現在のケロアンの人口は35万人。


この貯水池の前にそれを見下ろせるホテルがあり、屋上に上ってその景観を眺望する。入場の際、遺跡撮影料として1人1ディナールが要求される。以後、各地の遺跡に入場するたびに同額の撮影料を支払うことになる。階段を上って屋上に出ると、直径100mを超える円形の貯水池が朝日を受けながら静かな水面をたたえているのが見える。ここには2つの貯水池が見えるだけで、他の2つは見られない。一見、何の変哲もないただの池なのだが、当時は長い水道橋で運ばれてきた水がここに貯水されていたのだろう。聖都ケロアンの命の水だったのだ。



 朝日を受けて静かに水をたたえる9世紀の貯水池




シディ・サハブ霊廟
太陽が昇る方向を眺めると、逆光の中にひときわ高くそびえる塔のシルエットが見える。これがグラン・モスクのミナレットなのだ。


逆光の中に浮かぶグラン・モスクのミナレット(中央の突起)

屋上からの風景を観賞すると、次はバスに乗ってメディナの西にある「シディ・サハブ霊廟」へ移動する。シディ=様、サハブ=友だち、の意味だそうで、預言者モハメッドの友人で床屋さんだった人物(聖者アブ・サマエル・ベラウ)を祀ってある美しい廟である。その彼が亡くなった時にモハメッドのヒゲ3本が左手の中にあったという。そうしたゆかりで聖者として祀られているという。


移動中に見かけた花嫁を乗せるラクダ。観光用に使っているらしい。

この廟は9世紀の建築物で、その様式はスペイン・アンダルシアの影響を受けた漆喰と装飾タイルでかためられており、そのためスペインのアルハンブラ宮殿に似ていると言われている。毎週木曜日午後と聖なる金曜日には、願い事をするために地元の人たちや遠くからやって来た多くの人々が集まるという。また、ここでは男児の割礼が行われ、それは現在でも行われているという。この儀式を済ませないとムスリムにはなれないという。ここは霊廟とモスクが一体となって造られており、その一部は神学校として使われている。


まず入った所はモスク部分でコーナーには低いミナレットが建ち、中庭を取り囲む白い漆喰の壁面が朝日に美しく映えている。整然と並ぶアーチの一角から中に入ると、奥へ通じる美しい回廊が現れ、その壁面を飾る見事なタイル模様に見とれたり、ドームの天井の繊細模様にうっとりしながら通り抜けて行く。



 シディ・サハブ霊廟のモスク部分。漆喰の白が朝日に映える。



回廊の見事なモザイク装飾










 回廊の天井の見事な装飾模様




その奥手に現れたのが霊廟部分である。一瞬、う〜んと思わず感嘆の声が漏れ出てしまう。中庭を取り囲む壁面全体が一分の隙間もなくびっしりと装飾模様で埋められているのである。なんと精緻で精巧なタイル模様なのだ。それは総大理石張りの床面とあいまって、廟にふさわしい荘重な雰囲気を醸し出している。なるほど、この廟がマグレブ(リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコなど北西アフリカ諸国を呼ぶ地域名)で一番美しいとされるのもうなづける。



 息を呑む霊廟の壁面装飾




その中央部に棺が安置されている部屋がある。その入口横には貫禄十分の見張り番が座って睨みを利かせている。中に入れないので手前から覗き見するしかない。その奥には棺らしいものが見えるが、果たして聖者のものかどうか分からない。ガイドさんの話では、この中に遺骨があるのだという。


この中に棺が安置されている。見張り番が睨みをきかせる。



中庭のコーナーで素焼きの壺に水を入れて売っている


グラン・モスク
霊廟を後にすると、聖都ケロアンのシンボル、グラン・モスクを訪れる。マグレブで一番古いモスクで、先述したように世界4番目の聖都のシンボルとして信仰を集めている。もともとこの街にはキリスト教のビザンチンと先住民ベルベル人が住んでいたというが、そこにイスラム勢力が侵攻し、この地にモスクと街を建設したという。


鮮やかな土産品を並べる露店

現在のモスクは9世紀に建てられたもので、ローマ時代の遺跡から運び出した大理石の柱約460本が使われているという。よくもまあ、そんな数を持ち出したものだ。これは遺跡破壊もいいとこだ。エジプト・カイロのモスク建設にもピラミッドの表装石を剥ぎ取って使ったというから、いずこも似たようなことをやらかしている。


外から眺めたグラン・モスクのミナレット

このモスクは高さ35mのミナレットを中心に据え、大理石張りの中庭を整然と並ぶ回廊で四角に囲んでいる。この中庭は中央部が低くなっていて雨水を集められる設計になっており、その地下に雨水が貯められるようになっている。ベージュ色の壁面が優しい雰囲気を醸し出してはいるが、垢抜けのしない感じではある。その規模や華麗さ、壮麗さにおいては、シリア・ダマスカスにある世界最古と言われるウマイヤド・モスクには少々劣る。



 グラン・モスクの全景。中庭中央の白い石が日時計




中庭の中央に階段付きの白いコンクリートの塊が見える。これは日時計だそうで、当時はこれで昼間の祈りの時刻を知ったという。台に上ってみると、目盛りが刻まれた大理石が埋め込まれ、その中心部に4本の鉄のクイが立ててある。これで日陰を作るのだろう。こうした日時計まで作って祈りの時刻を決めるところをみると、イスラム教徒にとっては日に5回の祈りがいかに大切な行事であるかということが分かる。


日時計の台(手前の白い台)



日時計の台の上。4本のクイが立つ。

建物の一角に複雑な彫刻模様をあしらった古い扉があるのだが、その中が礼拝堂になっている。









 礼拝堂の入口
 門の木彫り装飾がすごい














異教徒は中に入れないので入口から覗き見してみると、礼拝堂にしては意外と狭いスペースで、それに比し柱の多さが目立つ。その1本いっぽんに装飾の彫刻が施されているのだが、これらの柱がローマ遺跡から運ばれてきたものだろうか? それぞれが継ぎ目のない1本柱だけに、ローマ人の贅の尽くし方がしのばれる。



 礼拝堂の内部。継ぎ目のない大理石の1本柱を使用している。スペースの割りに柱が多い。







(次ページへつづく・・・)










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