no.5




二日目。空は快晴。このホテルはメインストリ−ト・ネフスキ−大通りの一方の末端に位置し、アレクサンドル・ネフスキ−寺院が目の前に見える閑静な場所に建っている。ちょうど部屋の窓から林に囲まれた寺院の静かなたたずまいが眺められる。人気のない早朝の風景を窓から眺めていると、散水車が水を撒きながら通り過ぎて行く。今日はプ−シキンとパブロフスクの一日観光だ。
 

七時半を過ぎて、朝食を取りに食堂へ出向く。バイキング方式なのだが、ここの朝食内容はかなりご馳走だ。モスクワのインツ−リストホテルのそれはお粗末だったが、ここのは宿泊代金も安いのに、それより豪華だ。腹調も回復したことだし、今日からガツガツ食って体力を取り戻さなくては……。そんな思いで、スクランブルエッグにハム、ソ−セ−ジ、サラダ、パン、ミルク、バタ−、ジャム、ティ−と、とりどりの食べ物を皿に盛ってテ−ブルにつく。
 

向かいの席では、老紳士が一人座って食事している。そこで、挨拶を交わしながら話し始める。少し手の振るえが見られるかなりの年配のようだ。科学者だという彼の話によれば、これからの大学の在り方について検討するため、ヨ−ロッパ諸国の大学から四〇人ぐらいの教授連が集まってこの地で会議を開いているとのこと。自分はイタリアのロ−マから来ていて三日間滞在し、明日の午後帰国するのだという。私が元高校教師だということで俄然話に弾みがつき、ロ−マのこと、長崎のこと、原爆のことなど、話題が次々に広がっていく。こうして、楽しい会話と朝食を終えて部屋へ戻ると、出発までの時間を利用して妻へ便りする。
 

ホテルを九時に出発というので、少し前にロビ−の観光案内デスクへ集まる。すでに一組の中年カップルが来ている。夫婦の会話を聞いていると、「やっと昨日からお湯が出だしたが、それまでのことはどうなるんだ。料金を割り引いてもらわなくちゃね。」と話している。そこで、その話に加わりながら、それまでシャワ−はどうしていたのか問い質してみると、水をかぶってブルブル振るえていたのだと、ジェスチャ−まじりに体をブルブルッと振るわせてみせる。なんとも陽気な夫妻である。


どこから来たのか尋ねると、ドイツのミュンヘンからという。その懐かしい場所名に思わず話し込んでしまう。あの有名なビヤホ−ル・ホ−フブロイハウスで美味しいビ−ルを飲んだこと、ライン河下りを楽しんだこと、古城街道やロマンティック街道の素晴らしかったこと、などを矢継ぎ早に話し始める。夫妻はニコニコしながら嬉しそうに私の話に聞き入っている。
 

プ−シキンへ
「遅くなってごめんなさい。くるまが込んでたものすから……。」と言い訳をしながら、案内デスクの係がやってくる。集合時間の九時を少し回っている。駐車場に止まっているミニバスに乗るように指示され、前の座席に一人陣取る。数人を乗せたバスは、ネフスキ−大通りをエルミタ−ジュの方へ向かって走り出す。その近くにある主催観光会社のオフィス前で止まると、そこから数人の客と女性のガイドが乗り込んでくる。


彼女は真っ赤な上着に黒のパンタロンというひときわ目立つ服装で、すらりと伸びた背中にブロンドの髪をなびかせたロシア美人である。年の頃三〇代かと思われる彼女なのだが、これまで出会ったガイドの中ではピカ一といえる流麗な英語をあやつるカッコイイ女性である。英語は大学で勉強したというのだが、まだ英語圏には行ったことがないそうだ。それでも、こんなに流暢な英語が話せるなんて不思議に思えてしようがない。
 

ミニバスは十一人の乗客を乗せて郊外のプ−シキン市をめざしながら走り出す。観光案内デスクのオバサンの話通り小人数のグル−プで、車内には家族的な雰囲気が漂っている。一日回っている間に乗客全員と話す機会があり、その内訳はドイツ人夫妻、ブラジルの中年女性二人と男性一人、カナダのエドモントンから来た中年男性、ロンドンから来た老夫妻、オ−ストラリアのメルボルン娘、アメリカのニュ−ヨ−ク娘、それに私の計十一人であることが分かる。 


バスは美しい林や緑の草原が広がる高速道路を走り抜け、およそ一時間ほどでプ−シキンの町に到着。






プーシキンへ向かう途中(バスの車窓より)









ここでバスを降り、お目当てのエカテリ−ナ宮殿へ向かう。ここはエカテリ−ナ女帝が使った離宮で、十八世紀半ばに建てられたバロック様式の優雅な宮殿である。サンクト・ペテルブルクの街中には帝政時代の多くの宮殿があって荘重な趣を添えているのだが、その近郊にも皇帝や貴族たちが華麗さを競うかのように建てた多くの離宮が現存している。これもその一つなのである。
 

エカテリ−ナ宮殿
宮殿の広い庭園の入口に差しかかると、入場者を歓迎する音楽隊が並んで演奏を始める。こののどかな雰囲気の中で繰り広げられる思わぬ歓迎演奏に心打たれてしまう。






エカテリーナ宮殿の音楽隊(庭園入口で歓迎の演奏)








奥へ進んで行くと、前方に白とブル−の柔らかい色合いに包まれた優雅な宮殿が静かにたたずんでいる。横に長く伸びた建物の窓という窓には黄金色の装飾が施され、絢爛たる輝きを放っている。そのロココ様式の優美な姿は溜め息が出そうな美しい光景である。外壁の色がブル−とは意外であったが、いかにもエカテリ−ナ女帝らしい趣を醸し出している。
 





晴れわたった青空を背景に浮かび上がるエカテリーナ宮殿









 絢爛豪華・典雅・華麗・優美・壮観・・・・エカテリーナ宮殿の全景(ペテルブルク郊外プーシキン市にあるエカテリーナ女帝の離宮)




入場口にはすでに行列ができていて、そこに並んで入場を待つ。宮殿内が人込みでごった返さないように入場者を区切って制限しているので、なかなか順番が回って来ない。その間に列を外れて、庭園や宮殿の素晴らしい全景をカメラに収めて回る。 



 宮殿前に広がる美しい庭園

                         



半時間近くもたっぷり待たされ、やっと入場となる。ここでも撮影は有料となっているので、特別にそのためのチケットを購入する。靴の上からそのまま履ける大きなスリッパを着けて、宮殿内部へ入って行く。奥へ進むにつれ、次々と現れる豪華絢爛たる部屋の光景にただただ圧倒されるばかりである。一部屋一部屋、ここは何に使われた部屋だとか、いちいち懇切丁寧にガイドが説明を加えていく。どの部屋もゴ−ジャスな黄金ずくめの室内装飾で、目もくらむようだ。
 

なかでも、広いホ−ルのようになった黄金の間の絢爛さには、思わず息を呑んでしまう。上を見上げると、部屋いっぱいに広がった一枚絵の天井画、部屋を取り巻く窓々の手の込んだ黄金の装飾など、その光景に一瞬立ちすくんでしまう。ちょうどベルサイユ宮殿の“鏡の回廊”を思い起こさせるホ−ルである。

 




黄金の中に埋まったような豪華なサロン









部屋から部屋からへ渡り歩いていると、当時の生活を彷彿とさせるきらびやかな調度品や装飾品が目を奪う。黄金のイスと当時の食器が並べられたダイニングル−ム、ドアを開けば幾つも先の部屋まで見通せる黄金色のトンネル、鳥に乗って天使たちが舞い戯れる天井画、部屋の壁一面に大小さまざまの絵がはめ込まれた絵画の部屋、金縁の額に飾られた軍服姿の皇帝の絵など、息もつかせぬ驚嘆の連続をカメラに収める。






きらびやかなダイニングルーム
















どこまでも黄金の回廊がつづく






















 美しい天井絵




















部屋の壁一面に貼られた絵画














金色の室内装飾と壁面の絵画が絢爛さを演出している















 金の額縁に飾られた皇帝の絵















この宮殿は日本人と深いかかわりをもっている。十八世紀末、大黒屋光太夫を船頭にたてた日本船乗組員が漂流し、ロシアの地に渡った。彼らは北洋の島からペテルブルクまで行き、エカテリ−ナ女帝から帰国の許可を得たのがこの宮殿。生き残った三人が無事帰国したのは、日本を出てから十年後のことである。この光太夫のロシアにおける見聞を記した「北槎聞略」にもとづき、井上靖は小説「おろしや国酔夢譚」を書いている。これは日ロ合作で映画化され、往年の野性派女優マリナ・ブラディが扮するエカテリ−ナ女帝の名演技に見惚れてしまった覚えをもっている。
 

目もくらむような豪華絢爛たるエカテリ−ナ宮殿にたっぷり一時間はひたったろうか。ほっと感動と興奮の溜め息をもらして見学を終えると、もうお昼の十二時だ。出掛けに玄関ホ−ルの土産品店で、ロシアらしい素敵な柄のスカ−フが目に留まり、記念のおみやげに購入する。これからバスへ戻り、隣町のパヴロフスクへ向かう。
 

パヴロフスクへ
美しい林が並ぶ広大な公園の中を縫いながら、バスは三〇分ほどでパヴロフスクの大宮殿に到着する。ここはエカテリ−ナ二世の後継者パ−ヴェル一世の離宮として十八世紀終わりごろに建てられたもので、大宮殿と呼ばれる割りにはエカテリ−ナ宮殿ほどの華麗さはない。その外観は十八世紀後半の典型的な荘園様式をもち、特に六十四本の柱で支えられた勾配のゆるやかなク−ポルがとても印象的である。
 

宮殿で昼食
到着するとすぐに、この宮殿一階にあるレストランでランチとなる。申し込みの際、観光案内デスクの婦人が自慢していたように、ランチにしてはなかなかのもので、ス−プに始まって肉料理も出され、食べ切れないほどのデザ−トケ−キにアイスクリ−ムまで付いている。お腹の調子もすっかり回復したので、ここぞとばかりに安心して腹いっぱいに満たす。


久々のちゃんとした食事に満足しながらコ−ヒ−をすすり、同席のドイツ人夫妻らと談笑する。ドイツ人なのに、どうしてそんなに英語がうまいのだろうと尋ねてみると、「その理由は単純なのさ。娘がアメリカ人と結婚しているからさ。」と旦那がおどけながら答える。時々アメリカへ行ったり、娘夫婦がドイツへ来たりして交流があるそうで、そのため娘婿と話しができるようにとの心掛けからだそうだ。「婿がドイツ語を話さないものだから……。」と婦人が付け加える。
 

この夫妻、人前では英語ばかりで話すので、「自宅でも英語を話すのですか?」と尋ねると、「もちろん家ではドイツ語ですよ。」という返事、面白い中年夫婦である。特に婦人のほうはお茶目たっぷりで、それに楽しそうに相手する旦那の様子を眺めていると、この二人、まるで無邪気な少年少女のように見えてくる。ほんとに陽気な仲良しカップルで、これは夫婦のお手本になりそうだ。
 

大宮殿
ランチが終わって一服すると、今度は大宮殿の見学である。この宮殿は前面にグランドのような広場を備えているだけで、エカテリ−ナ宮殿のような庭園はなく、そのためか一見田舎風の建物にも見える。






パブロフスクの大宮殿










再び靴の上から大きなスリッパを履いて宮殿内に入る。あの黄金の中に埋まったような絢爛たるエカテリ−ナ宮殿に比べると、ここは意外なほど素朴な感じである。幾つもの部屋をめぐりなら、ガイドの丁寧な説明が続く。ここで、彼女のお洒落な姿を一枚写真に撮っておこう。

 




赤と黒の衣服がよく似合うロシア美人のガイドさん









室内見学も終わろうとするころ、とある部屋からフル−トの快い音色が流れてくる。そこでは女性のフル−ト奏者と男性のギタ−奏者の二人が合奏しながら、館内見学者に美しい音色を聞かせている。思わぬしゃれた趣向に心打たれる。エ カテリ−ナ宮殿の音楽隊にしろ、ここの演奏にしろ、これが芸術の国ロシアの粋なところで、その場の雰囲気を一段と盛り上げてくれる。
 





室内演奏で観光客を楽しませてくれる












パブロフスク公園
外に出ると、パブロフスク公園を抜けながらバスへと向かう。この公園は、大宮殿をはさんで北と東に広がる六〇〇ヘクタ−ルの広大なもので、十八世紀の半ば、皇帝一族が狩猟を楽しむ場所だったという。これは有名な造園家たちの手によって宮殿とともに造られ、自然と建物が芸術的調和を保っている。並木道と多くの彫像、池とパビリオン、川と橋など、公園の隅々まで自然と芸術の統一が図られている。こんな雰囲気の大公園の中に、大宮殿は静かにその姿を横たえているのである。



 600ヘクタール(182万坪)の広大なパブロフスク公園の一部(有名な造園家たちによって大宮殿とともに18世紀半ばに造られた):プーシキンの近郊パブロフスク




この素晴らしい公園の雰囲気をたっぷり味わってもらおうと、わざわざバスまで約一kmの道程を歩かせるのである。快晴で上着もいらないポカポカ陽気のなか、ガイドと連れだってのんびりと散策する。見渡すかぎりの林の中に、幾筋もの並木道が走っている。その中の一つを通り抜けながらバスへと向かう。のどかに闊歩する観光用馬車と出会ったり、小川のほとりに建つ白亜のパビリオンを遠くに眺めたりしながら、緑のトンネルを通り抜けて行く。なんと素晴らしい雰囲気だろう。エカテリ−ナ宮殿のあるプ−シキンの町にしろ、この大宮殿のあるパブロフスクの町にしろ、そのほとんどの面積が公園に包まれているといった感じで、その見当さえつかない広大さには驚くばかりである。






パブロフスク公園内をのんびり走る馬車














どこまでも続くパブロフスク公園の並木道














パブロフスク公園の並木道(前方は大宮殿、左端はガイドさん)











 パブロフスク公園の一角に配置されているパビリオンと小川の風景(プーシキンの近郊パブロフスク)





バスに乗って帰路につく。どこまでも続く白樺の美しい林の中を進み、やっと公園を抜け出して市街の道路に出る。途中、今は廃虚みたいになっている離宮の一つを見せてくれる。ここは五分間のフォトストップのみである。



 プーシキンにある古い離宮(現在は公開されていない) 




その後は真っ直ぐペテルブルク市内へ向かい、夕方五時ごろに帰着する。今日の一日観光は、ほんとに素晴らしいの一語に尽きるもので、こんなに感動深く記憶に残るものはないだろう。やはりプ−シキンだけではなく、パブロフスクにも行けたのが満足度をより一層高めてくれたのに違いない。
 

ホテルへ
ホテルまで送り届けてくれるのかと思っていると、帰りは出発点の会社オフィスまでである。ネフスキ−大通りに差し掛かると、山のような人出で車も大渋滞に巻き込まれる。みんなに別れを告げてバスを降り、混雑の中を地下鉄駅へ向かう。歩道が人の波で動きがとれない。特におしゃれした若者たちが道にあふれている。歩道は出店も加わって、すごい人込みだ。今日が土曜日だからといっても、こんなに人出はないだろうに。何かのお祭りだろうか。
 

疑問を残しながら通い慣れた地下鉄プロスペクト駅まで来てみると、入口には大勢の人たちがたむろしており、奥の通路はシャッタ−で閉められている。おかしいなあ、こんな時間に地下鉄が動かないはずはないのに……。昨夜に続き、またしても締め出しをくらうのだろうか。周りの若者に英語で尋ねてみるが、だれも話せない。思い余って、シャッタ−の側に立っている警官を見つけ、「メトロ ニェ−ト?(地下鉄はダメなのですか?)」と質問してみる。すると、出口のほうを指差して何やら話している。多分、裏手のほうに回れといっているのかと察し、外へ出て裏へ回ってみる。


だが、それらしい入口は何も見当たらない。困り果てて、再び警官のところへ戻り、今度は地図を示しながら尋ねてみる。すると、もう一つ近くにある駅を指差しながら「ゴスティンヌイドヴォ−ル駅」と教えてくれる。そこではじめて、その駅から乗れということを理解でき、三〇〇mぐらい離れた駅へ移動する。
 

こうしてやっとホテルへ辿り着き、近くの出店でバナナ三本、リンゴ二個にファンタジュ−スとミネラルウォ−タ−一本を買って帰る。到着するや、気になっていたインツ−リストのデスクへ出向き、明晩のタ−リン行き列車のチケットを無事受け取る。これで明日はロシアから脱出し、自由の世界へ旅立てる。いちいちうるさい旅行の手続きがなくなるかと思うと、なんだかホッとした気分になる。
 

その足で、今度は観光案内デスクへ出向き、明日の市内観光を申し込む。そして、いつもの係に今日の一日観光の素晴らしかったことなどを告げてから、「昨夜も今日もプロスペクト駅は閉鎖されていたのだが、どうしてですか?」と尋ねると、「多分、工事のためだと思います。地下鉄は十二時過ぎまで動いているんですよ。」という返事。これでやっとナゾが解ける。


そんなことなら、昨夜もゴスティンヌドヴォ−ル駅まで行けば乗れたのにと悔やまれる。「それにしても、今日の人出は何ですか?」と続けて質問すると、「今日はペテルブルク市の創設記念日なのです。今夜は花火も見れますよ。」という。なるほど、今日は街のお祭りだったのだ。それで、若い男女や子供連れの人出が多かったのだ。折角だが、一日観光で疲れているので、夜の外出は遠慮しておこう。
 

夕 食
部屋で一服するとホテルのレストランへ出向き、珍しくもちょっと張り込んでロシア料理の夕食とする。時間が早いせいか、席はガラ−ンとしていてお客の姿は見えない。そこで、ウェ−タ−に食事できるのかと尋ねると、「どうぞ」といって席に案内される。何かお薦め料理はないかというと、コ−スの料理があるというので、それを注文する。飲物は“ネフスキ−”というロシアのビ−ルをオ−ダ−してみる。
 

出されたものは、なんとかいう名のロシア産の白魚の料理をメインにしたもので、これに米を使ったピラフ様の料理にサラダなどが付いた数品である。味はあっさりと淡白なもので、ライス料理は食べ残す始末。残念ながらス−プのないのが物足りない。ビ−ルは甘口でまずく、どうもいただけない。代金は料理六五、〇〇〇ル−ブル(一、三〇〇円)、ビ−ル一五、〇〇〇ル−ブル(三〇〇円)と結構高い。食後はシャワ−を浴びて、ゆっくりとくつろぐ。 



(次ページは「ペテルブルク市内観光&夜行列車」編です。)










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