オーストラリア・シンガポール編




3.「公園の都」・・・・ メルボルン
 
メルボルン行きの便にはさすがに日本人の姿は見られず、ほとんどが欧米人でその中に中国語を話すアジア系の人たちが少々混じっている。眠れないまま早い朝食のサ−ビスが始まり、とにかくお腹にしまい込む。七時間あまりの飛行の後、早朝六時半過ぎ、晴れ渡ったメルボルン・タラマリン国際空港に降り立つ。綿をちぎって空間にまき散らしたような柔らかい雲を浮かべている青空の下には、グリ−ンの芝生に覆われた広大な土地が広がっている。これがオ−ストラリアなのだ! この青い空と広々とした大地がとても印象的である。


ホテルへ
気温二〇度近くで、朝の澄んだ空気が肌に心地よい。早速、両替をすませるとアンセット航空のカウンタ−に出向き、国内便のリコンファ−ムを行う。時刻変更がないかどうかもチェックしてもらうと、ケアンズ発エア−ズロック行きの便が時間変更になっていて三十分遅くなっている。そのことを確かめ、時計の針を二時間進めて現地時間に合わせてから空港バスの乗場へ急ぐ。
 

間もなくやってきたスカイバスにバッグを預けて再前列の席に座る。市内まで三〇分と便利な距離である。隣に座った若いお嬢さんは携帯電話を持っている。「こちらにお住まいですか?」と切り出してみると、「えゝ、市内の中心から少しはずれた所に住んでいます。」という。そこで、これはしめたとばかりに、「コリンズ通りに行くにはどこで降りたらいいのですか?」と尋ねてみる。「ホテルに行くのですか。」と問い返すので、「えゝ、ビクトリア・ホテルです。」と答えると、運転手にその行き方を尋ねてくれる。そして、最初のバス停で別のバスに乗り換えるのだと教えてくれる。
 

今、日本からやってきたところで、これからオ−ストラリア周遊の旅を始めるところだ、などと話している間にバスは最初の停留所に到着。彼女もここで降りるらしく、一緒に降りて乗り換えのバスを尋ねて案内してくれる。彼女の親切に感謝しながら別れを告げ、今度はミニバスに乗り換える。運転手に「ビクトリア・ホテルに行くのですが。」というと、「OK」という返事。数人の乗客を乗せたミニバスは、市内中心部へと走って行く。


やがてバスはリトル・コリンズ通りに入ると、目指すビクトリア・ホテルの前で停車する。「サンキュ−」と礼をいいながらバッグを持ってバスを降りる。なんと、ここの空港バスはホテルと空港間をドア・ツ−・ドアで乗客を運んでくれるのだ。だから一歩も歩かないでホテルまで直行することができるのである。その行き届いたサ−ビスぶりに心からの拍手を送りたい。
 

ホテルのフロントで名前を告げると、ちゃんと予約が取れている。住所・氏名などを記入してル−ムキ−を受け取ると、「これはル−ム・ティ用のミルクです。」といって二〇〇ml入りのパックを渡してくれる。早朝のチェック・インができる上に、こんなサ−ビスまで付いているのかと感心させられる。部屋に行く前に例によって観光案内のパンフレットをかき集め、内容を調べてから早速今日午後の半日ツア−と明日のペンギンパレ−ドを予約する。


部屋に行ってみるとキングサイズのダブルベッドにもう一つシングルベッドが置かれた大きな三人部屋である。タオルからティセットまで、すべて三人分そろえてある。一人寝にはなんとももったいない部屋である。早速、用意してある電気ポットでお湯を沸かし、コ−ヒ−ブレイクとする。まだ一睡もしていないので、しばらくベッドに横たわって体を休める。午後の観光は一時五〇分出発なので、まだたっぷり時間がある。


市内観光
昼近くになったので、昼食がてら街の探索に出かける。このホテルは中心街に位置しているので、目抜き通りのスワンストン通りも目と鼻の先である。人出で賑わう通りに出ると向こうにはタウンホ−ルの時計台が見え、その先にセント・ポ−ルス寺院が視野に入る。その前を市電が走っている。英国風のしっとりとした風情が漂っている。長崎で電車の走る風景に馴染んでいるせいか、こんな光景を目にするととても親しみが持て、落ち着いた気分になれる。メルボルンは人口三〇〇万人でオ−ストラリア第二の都市だが、市電が走っているのはこの地だけである。街角に手頃なスナック店を見つけ、そこでサンドイッチとミルクを買ってテラスのテ−ブルに腰掛け昼食を取る。
 





メルボルンのメインストリート
スワンストン通り










観光バスの出発点はすぐ近くなので、通りのあちこちをぶらつきながら見て回る。繁華街なのでさまざまな飲食店や商店が軒を連ね、賑やかな人出を生み出している。出発点のオフィスには三社の観光会社が受付カウンタ−を並べているのだが、これは後でわかったことだが、この三社は提携しているらしく、お客が少ないときは三社分をまとめていずれか一つの会社がバスを出すことになっているらしい。係に明日のペンギンパレ−ド観光は天候は大丈夫だろうかと尋ねてみると、多分心配ないだろうという。
 

観光バスが来て乗ってみると、乗客は十数人と少ない。その中に珍しく日本人老カップルの姿が見える。午後の観光コ−スは郊外をめぐる三時間半のコ−スである。オ−ストラリアの観光バスはバスガイド付きではなく、運転手がガイド役になって運転しながら案内することになっている。これはどこの都市でも同じことだが、合理化のためにそうなっているのだろうか。だからドライバ−は運転もさることながら、観光案内の知識まで習得しなければいけない。それだけに、どのドライバ−もユ−モラスで愛想がよい。
 

緑多き郊外の広々としたスペ−スの美しさは、日本では見られないだけに羨ましいかぎりである。珍しくもクリケットゲ−ムをしているのが見える。オ−ストラリアでは、英国の伝統を継ぐだけにクリケットゲ−ムが盛んで人気があり、テレビでもよく試合の中継をしている。途中、一番の目玉ポイントであるシェルブル−クの森に立ちより、ここでアフタヌ−ン・ティをとるため小さなテイショップのある休憩所で小休止。                    


この森にはいろいろな種類の植物群が密生していてジャングルのような雰囲気を醸し出している。その中には世界一高いという樫の木の大木も混じっている。いま立っている周りには、二〇メ−トルを越す背の高いユ−カリ樹の大木が林立し、その空間地には飼い馴らされたクリムズン・バ−ド(インコの種類)の群れが人間どもを相手に嬉々として戯れ合っている。この鳥は赤と紫の色鮮やかな羽毛でその体を覆い、人なつこくて餌を差し出す人の頭や肩にとまったりしながら慕い寄ってくる。
 





人なつこいクリムズン・バード










深い木々に覆われた森を抜けると、なだらかな山腹に緑の樹林に埋もれて建つ住宅が見える。う〜ん、これは素晴らしいところだ。が、日常生活にはちょっと不便かなあ……などと考えているうちに、メルボルンの市街地を遠くに一望できる見晴らしのいい高台に出る。ここでバスは再び小休止。広い大陸を思わせるように、地平線が視界いっぱいに遠くかすんでいる。この観光コ−スは二ヶ所でストップするのみで、あとはバスに乗りっぱなしの車中観光である。
 

市中に近づいたころトウ−ラク地区にさしかかる。ここは最高級住宅地だそうだが、その広い敷地にシックなレンガ造りの洋風建物が、競い合うように緑の枝を伸ばした樹林に囲まれて整然と立ち並んでいる。その風情は本当にため息ものである。街全体が森のようになっていて、美しい緑陰の中に瀟洒な邸宅が埋もれている。思わず「住むのなら、ここだ!」と心の中で叫んでしまう。この国で七ヶ所の都市を周遊したが、ここ以上の素敵な雰囲気をもつ住宅地には出会わなかった。
 

三時間半の行程を終えて、バスはそれぞれの乗客が泊まるホテルまで送りにかかる。ドライバ−は乗客みんなの宿泊ホテルを尋ねてメモし、頭の中で送り届けるコ−スを組み立てているのだ。このやり方は欧米共通のものだが、この国のどこでも同様のサ−ビスが行われていて有難い。出発のときも主なホテルやポイントを回って予約した乗客を拾い集めるピックアップ・サ−ビスがある。これも欧米同様だ。
 

夕食は近くのカフェテリアでチキンとパスタをとって満腹。夕方まであんなに晴れていたのに、日暮れてからドシャ降りの雨が降り出す。明日のペンギン見物が心配だ。今日は睡眠不足なので早目に休もう。
 


二日目。熟睡して疲れもとれ、体は快調。今日は待望のペンギン・パレ−ド観光だ。あまり見るべきところのないメルボルンでは、これが最大の観光目玉といってよい。幸いなことに、夜来の雨も上がっている。が、強風が吹き荒れている。気温も下がって寒くなっている。ペンギン見物は海岸のビ−チで、それも日暮れてからじっと彼らの上陸してくるのを待たなくてはいけない。もともと寒いとの予備知識はあるものの、この天候では寒さで震え上がるに違いない。覚悟しなくちゃ……。
 

フィッツロイ公園
観光は夕方五時半出発なので、ほぼ一日余裕時間がある。ここメルボルンには四五〇以上の公園がある「公園の都」でもある。そこでまず、その代表的なフィッツロイ公園へ行ってみよう。地図を手にホテルを出発。通りに出ているキオスクの親切なオバサンに尋ねてみると、公園まで歩いて一〇分ぐらいという。電車に乗るまでもないわいと、人通りのあまりないコリンズ通りを歩いていると、とある店の前に日本人らしき若い女性が立っている。案の定、「お早うございます。観光ですか? 革製品ごらんになりませんか?」とたたみかけてくる。いろいろ聞いてみると、やはりこの店で働くワ−キング・ホリデ−・ビザの女性である。日本の就職が厳しいので、しばらく逃避してここに来ているのだという。
 

今度は中から中年の日本人女性が出てきて話に加わり、ぜひ店内に入れと勧誘する。私は買物をしない主義だから邪魔になるだけと断わるのに、見るだけならタダだからと懸命に誘い込む。この女性はオ−ストラリア人と結婚してタスマニア(メルボルンの北方にある小さな島)に家を持ち、大学生になる一人息子と三人で暮らしていたが離婚して家を放棄し、この息子だけを引き取ってこの地で生活しているという。


この店の商品は、すべてオ−ナ−がデザインしたオリジナルの革製品ばかりだという。衣類にバッグ類、その他いろいろな革製品が取り揃えてある。店内を巡っていると、人なつこいオ−ストラリア人の中年男性オ−ナ−が出てきて紹介を受ける。こちらでコ−ヒ−を飲みませんかとソファに誘われるが、そこまでのめり込むと抜き差しならぬことになりかねない。そこで、いま朝食で飲んだばかりだからとお断わりし、退散する。
 

まだ十一月というのに早くもクリスマスツリ−やデコレ−ションでクリスマスム−ドが漂うショッピングセンタ−で足を止めながら、公園へ向かって真っ直ぐ歩いて行く。やがてスプリング通りに突き当たった所で公園が見えてくる。トレジャリ−公園だ。そこを横切ってさらに奥のほうへ進んで行くと、グリ−ンが映える美しい芝生と大きな幹の樹木が生い茂る広大なフィッツロイ公園が眼前に開けてくる。地図を見るときれいな長方形の公園なのだが、ここに立って見渡すとどこまで広がっているのか見通しできないくらい広い。


 フィッツロイ公園の美しい緑陰


そのコ−ナ−の一角にキャプテン・クック(一七七〇年、オ−ストラリア東海岸に上陸し英王室による領有宣言を行う。)の家があるというので、人に聞きながらその方向へと歩き始める。






キャプテン・クックの家










そこには小さな二階建ての古びた家が立っている。案の定、数団体の観光客グル−プがやってきている。ほとんどが日本人の団体さんだ。この家は観光ル−トになっているらしい。近寄って立て看板の掲示を見ると、クック船長が幼少の頃住んでいた家を一九三四年に買い取り、英国のヨ−クシャ−からこの地に運んで復元したと書いてある。             


入場料が必要なので、混雑していることもあり周囲をめぐって外から眺めることにする。近くのベンチに日本人男性三人組がいるので、その一人に頼んで記念写真を撮ってもらう。「旅行ですか?」と尋ねると、「いえ、仕事で来てるんです。」という。よく見ると写真の機材一式を持っている。なんと彼は、市内で写真業を営む中島氏という写真家なのだ。東京出身で在住二〇年近くになるという。現在は、日本の旅行社と提携して日本人ツア−客の記念写真をこの場所で撮影しているのだという。話している間に二人の若い従業員たちは、訪れた団体観光客を並べ て記念撮影を行っている。


その後、半時間あまり、現地事情についていろいろと話を伺う。メルボルンに住んで九年近くになるそうだが、シドニ−よりこの地が好きで住みやすいという。真夏には四〇度近くにまで気温が上がることもあるそうだが、湿度がないのでシドニ−よりも過ごしやすいという。四人の従業員を抱えているそうだが、年間四〇日の休暇を与えないといけないので雇用者側からみればなかなか厳しいという。


彼と別れてぶらぶら歩いていると、向こうに何やら建物が見える。立ち寄ってみるとそこは温室植物園で、とりどりの見事なアジサイの花が園内いっぱいに咲き乱れている。こんなところでアジサイが見られるなんて珍しい。英語で何というのか確かめようと手入れをしている係員に、「これは何という花ですか?」と尋ねてみる。すると、「ハイドレインジァ」と答える。






温室にはアジサイの花がいっぱい









そこを出ると、しばらく歩いて今度はミニチュアの街を訪ねてみる。ちょうど長崎出島のミニチュア版のように、英国の古いチュ−ダ−様式の建物のミニチュアで可愛い街並みがつくってある。その規模も出島のそれと似たようなものだ。ここを最後に美しいフィッツロイ公園を後にする。
 

ペンギン・パレ−ド観光
もと来た方向へきびすを返し、今度は一つ隣のリトル・コリンズ通りを宿泊ホテルのほうへ歩き始める。再び繁華街のスワンストン通りに出てぶらつくうちにお昼時となり、昨日のカフェテリアでヤキメシを選ぶ。まあまあの味わいである。食後の散歩ついでに出発点のオフィスへ出向いて、「今日のペンギン観光は大丈夫か?」と問い質すと「多分、大丈夫と思う。でも、この風だから寒いでしょう。」という返事。「どこかで毛布を借りられないのか。」と尋ねると、「宿泊しているホテルに相談してみるといいでしょう。」という。


そこで出発まで休息を取っておこうとホテルへ戻り、毛布を交渉して借りることに成功。推測するに、ペンギン観光用に毛布貸し出しのサ−ビスをしているらしい。これがあれば今夜の防寒は大丈夫、安堵の中でテレビを見ながらベッドで休息をとる。
 

帰りの時間が十一時過ぎになるので、出発前に夕食を取っておかなくては食べはぐれてしまう。そこで、この日のために用意してきたメリヤスパッチをはき、下着と靴下を二枚重ねに着た上からセ−タ−を着用し、毛布を袋に入れて四時半頃ホテルを出発。すぐ近くのホテル地下に見つけた中華食堂街に行き、そこで焼きソバ風のシンガポ−ル・ヌ−ドルを注文して夕食にする。味は結構なものだが分量が多く、お腹が空いていないので平らげるのに苦労する。
 

五時半に出発したバスは、ここから二時間かけて北の海岸に位置するフィリップ島へ向けてひた走る。日本人はたった一人で、空いている最前列のシ−トに腰掛けると隣席には英国から来たという太った老婦人が座っている。そして、私の袋に入れた毛布を見ながら「あなたは賢い人だ。ちゃんと毛布を用意して来ているんですね。」と感心する。彼女は昔、東京、大阪、京都を訪問し、楽しい思い出を残したという。旅行の話をしていると、エア−ズ・ロックを回ってきたという。「私はこれから行くのですが、どうでしたか。暑かったでしょう?」と尋ねると、「いえ、寒かったのですよ。」という。「ロック山頂には登りましたか?」と聞くと、「登らずに眺めるだけですよ。」と答える。
 

車の少ない郊外の道路を走るにつれて、雲ひとつない澄み切った青空が開けてくる。その下には遮るもの一つない牧場が果てしなく広がっている。これは想像を絶するケタはずれの広さで、「見渡すかぎり」という表現では納まらない感じである。さすがはオ−ストラリアだ。そこを通り抜けてしばらく走ると、ようやく海岸線が見えてくる。橋を渡っていよいよフィリップ島に到着である。観光ポイントに着いたのは七時半ごろ。だが、まだ外は明るく、日没は八時過ぎという。夕闇迫るころにペンギンたちが上陸して来るのだから、それまで少々時間がある。すでに何台もの観光バスが到着して並んでいる。


このビ−チには観光用のビジタ−・センタ−があって、そこで飲物やスナック類を売っている。この建物を通り抜けると板を張った通路がビ−チへ伸びている。その先に数百人が座れる観覧用のコンクリ−ト製スタンドがビ−チに向けて設置されている。そこにはもう大勢の観光客が腰を下ろしている。見回すと日本人団体客のグル−プがかなり入っている。沖合には白波が立っているが、思ったほどの風ではない。これだけの防寒スタイルだと毛布までは必要なさそうだ。そこで座蒲団代わりに利用して座ることにする。


ゆるやかに湾曲した入江には白い砂浜が広がって格好のビ−チとなっている。白波が打ち寄せる波打ち際に視線を集中しながら、一日のフィッシュ・ハンティングを終えて帰ってくるンギンたちの上陸を、今か今かとじっと待っている人間どもの姿はなんだか滑稽でもある。場内放送でペンギンについての説明や注意事項が流される。日本語を含む数ヶ国語で放送される。






フィリップ島・このビーチにペンギンが上陸









待つこと四〇分近く。ようやく夕日が水平線の彼方に姿を消し、夕闇が迫ってくる。まだ、西の空は白んでいる。やわらかい電光の照明灯が点灯され、ビ−チ全体がほの明るく照らし出される。写真のフラッシュは厳禁されている。みんな前方の渚に目を凝らしている。


と、「アッ、あそこ!」と日本語の声。この位置からは一番離れた所に波に洗われる黒い塊が見える。ペンギンの第一陣が上陸して来たのだ。しばらく間を置いて、今度は反対側からも上陸してくる。そのまま上がってくるのかと見ていると、波打ち際から数メ−トルまで上陸したところで、今度は再びきびすを返し渚まで戻って波しぶきに身をまかせている。こんな行きつ戻りつの奇妙な行動を二、三回繰り返し、やっと決断したようにヨチヨチ歩きながらスタンドの方へ隊列を組んで歩き出す。海中から上がるのが名残り惜しいのか、それとも観衆の多さに驚きと恥じらいを示しているのか、面白い習性である。






上陸するペンギンのグループ









その後時間を追うごとに、あちらこちらの渚からペンギンの集団が次々と上陸してくる。みんな二〇匹ぐらいの集団に分かれてグル−プになっている。一族ごとの集団なのだろうか。このペンギンはフェアリ−・ペンギンという世界最小種のペンギンで、背丈は三〇センチぐらいの可愛いものである。上陸したペンギンたちは隊列を組みながらビ−チを横切り、スタンドの合間を通り抜けて小高い丘の一帯に散在している自分たちの巣に戻って行くのである。
 

スタンドからは遠くて彼らの姿が間近に見られないので板張りの通路のほうに戻って待ち伏せし、そこから観察することにする。丘陵地帯になっているこの辺り一帯に巣が点在しているのだが、渚からここまでかなりの距離をヨチヨチと登ってくるのである。この辺まで来るとグル−プは分散して二、三匹か単独になっている。ほんの三〇センチぐらいの手の届くところを腰を振り振り巣に向かっている。その姿はなんとも愛らしく、つい手を差し出したくなる。でも、手を触れてはいけないというお達しなので、ただ舐めるように眺めるだけである。突然、近くで「ウォ−グゥィグィグィ」とペンギンの鳴き声が辺りに響き渡る。なんとも、たとえようのない鳴き声ではある。この地帯に四、五百匹が生息しているという。
 





丘の巣に向かうペンギン










ひとしきりペンギンたちの観察を終えると、みんなぞろぞろとバスの方へ引き揚げ始める。歩きながらふと上空を見上げると、今にもこぼれそうな星くずが雲ひとつない満天の夜空に輝いている。「降る星のような」とは、こんな様子をいうのだろうか。南半球で見る星座は日本で見るそれとは違うということだが、こんなに星数の多い美しい夜空を見た経験はかってないことだ。この地でしか見られないというサザン・クロス(南十字星)はどこに輝いているのだろうか。
 

バスへ戻ると、まだほとんどの乗客は帰っていない。座席に座ってみんなを待っていると、隣席の老婦人が戻ってくる。両手に杖をつき、人に支えられてステップを大変な苦労で上ってくる。思わず手助けをして座席に座らせる。到着の時は先に降りたので気付かなかったのだが、なんと彼女は足の不自由な障害者だったのだ。でも、よくこんな身体状況で海外を旅行するものだ。彼女にかぎらず、外国人の中には気楽に旅行している身障者がよく見受けられる。それだけ、海外ではこうした人達への援助やサ−ビスが行き届いているのだろう。その証拠に、ここでも移送のためのミニカ−が用意されており、これに乗ってペンギン観覧の特別席まで行けるようになっている。                     


満天に輝く星空の下、バスは一路市内めざして夜道を急ぐ。運転手に「サザン・クロスはどの方角ですか?」と尋ねると、「あちらの方向だ。」といいながら右側の窓を指す。でも、どの位置にあるのかわかるすべもない。後は室内灯も消されて、暗い夜道をただひたすらに突っ走る。市内にたどり着いたのが十一時半。乗客の送り届けをしながらどん尻に降りたのは十二時前である。人気のない深夜のスワンストン通りのイルミネ−ションが、ひときわ美しく輝きを増している。






イルミネーションに輝く夜のスワンストン通り














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