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                 No.1
                         (&ポルトガル)




(11 日 間)

メディナとカスバと砂漠のロマンが旅人を誘うモロッコ
大航海時代のロマンと哀愁のファドの調べに酔うポルトガル


(2002年5月26日〜6月5日)






モロッコ・ポルトガル旅行日程

日付 日数 ル − ト 泊数 タイムテ−ブル・内容
2002年
/26
(日)
成田 → パリ →
機内 21:55発 → 04:15着 乗り継ぎ     
27(月) パリ → カサブランカ 09:35発 → 10:45着、市内観光
28(火) カサブランカ → ラバト 列車で移動。市内観光
29(水) ラバト 市内とサレを観光
30(木) ラバト → カサブランカ カサ市内観光
31(金) カサブランカ → リスボン 12:00発→14:30着。ファド音楽鑑賞
6/1(土) リスボン 市内観光(ベレン・アルファマ) 
  2(日)   8 リスボン シントラ・ロカ岬
  3(月)   9 リスボン シントラ・エドゥアルド7世公園
  4(火)  10 リスボン → パリ → 成田 機内 07:40発→11:15着、13:15発→
  5(水)  11 成田  − 07:45着






1.旅の準備
 
久々、2年半ぶりに独り旅に出る計画をたてた。目的地はモロッコとポルトガルの両国。この間に、南米3ヶ国、南部アフリカ6ヶ国を旅したのだが、いずれも危険地帯ということで、不本意ながらツア−参加の旅となった。そんな間隔をおいて、今度は久しぶりの独り旅である。 


ツア−旅行と違って、独り旅となると心は踊る。すべてを自分で企画する手づくりの旅行はとても刺激的だし、それだけ旅の醍醐味を存分に満喫できるからである。それに、どんな風景、どんな人たち、どんな食べ物、どんな出来事に出会うのだろうという、期待と不安が錯綜するからでもある。
 

費用の面や都合などを考えて、今度の旅は日程を11日間と決める。モロッコとポルトガルは、ともに大西洋に面した近隣の国である。そのことも考慮に入れて、この2ヶ国にしぼったわけである。ところで、ル−トをモロッコから入るとすれば直通便がないだけに、ヨ−ロッパのどこかで乗り継ぎが必要になる。日本を昼間に発つ便を利用すると、どうしても現地到着が深夜になって危険である。これを避けるために、夜間発のエ−ルフランス機を利用すれば、パリ経由で午前のほどよい時間に現地到着となる。そこで結局、この案をとることにする。
 

だがこの案だと、日程上移動によるロス日が1日分余計に生じることになる。そのため、往復の移動に3日を要することになり、実質8泊の旅にしかならない。そんなこともあって結局、それぞれ4泊ずつを2ヶ国に当てることにする。
 

そうなると、両国とも短い日数になってあまり回れそうにない。そこで可能な限り国内の移動の無駄をはぶくため、滞在場所をよほど絞り込む必要がある。ということで、モロッコではカサブランカとそこから近い首都のラバトに、そしてポルトガルではリスボンに腰を据えながら、近郊のシントラやロカ岬を回ることに決める。
 

日数の短いのが難点であったが、結果的には無理のないほどよい行程で満足のいくものであった。モロッコでは砂漠やカスバ街道を訪れたかったが、日数的に無理なので今回は断念した。コ−スと日程が決まると早速、航空券の手配である。成田〜パリ・パリ〜カサブランカ・カサブランカ〜リスボン・リスボン〜パリ・パリ〜成田間のそれぞれのチケットである。2ヶ月前に旅行社に頼んで難なく確保する。
 

次は言葉の準備をしておかなくては…。独り旅では少なくともサバイバル用語ぐらいは知っておかないと話にならない。モロッコの公用語はアラビア語だが、以前フランス領だったこともあって広い範囲でフランス語が使われている。う〜ん、どちらを主に覚えればいいのだろう? ポルトガルではもちろんポルトガル語が使われる。フランス語は過去に覚えている範囲ですませるとして、ポルトガル語も南米旅行の折に覚えたもので何とかなりそう。そこで残るアラビア語を中心に覚えるとしよう。
 

ところがアラビア語には、エジプト方言やモロッコ方言などがあるらしく、結局次のモロッコ方言のアラビア語とポルトガル語を覚えることに。


        【アラビア語(モロッコ方言)】   【ポルトガル語】
・おはよう    (スバ−ハル ヘイル)        (ボン ジア)
・こんにちは   (アッサラ−ム アレイコム)     (ボア タルデ)
・こんばんは   (メサ−ウル ヘイル)        (ボア ノイテ)
・は い       (イィエ )                (シ ン )
・い い え    (ラ− )                 (ノ ン )
・ちょっとすみません (スマホリヤ)          (ダ リセンサ)
・おねがい(please) (ア−ファク)           (ポルファボ−ル)
・ありがとう   (バ−ラカッラ− フィ−ク)       (オブリガ−ド )
・けっこうです  (ラ・バ−ラカッラ− フィ−ク)     (ノン オブリガ−ド)
・い く ら?   (シュハ−ル ハ−ダ?)       (クアント クスタ) 
・高過ぎ(値段が) (ガ−リ− ブッザ−フ)      (カ−ロ )
・ど  こ?    (フェ−ン〜 )              (オンジ フィ−カオ〜)
・ごめんなさい  (スマハニ )              (ペルダン )
・さようなら    (ビッサラ−マ)             (チャウ or チャオ)
・ミネラルウォ−タ−   −                (ア−グア ミネラル)
・ビ − ル    (ビ−ラ )                 (セルベ−ジャ )
・ワ イ ン     (ナビ−ズ )              (ビ−ニョ )
・  1       (ワハドゥ )               (ウ ン )
・  2       (ジュ−ジュ)              (ドイス )
・  3       (タラ−タ)                (トレス )
・  4       (アルバア)               (クアトロ)
・  5       (ハムサ )                (シンコ )
・バ  ス      (ウ−トゥビ−ス)            (アウトカ−ホ)
・バ ス 停     (マウキフル バ−ス)         (ア パラ-ジェン デ アウトカ-
                                           ホ)
・  駅           −                (エスタソン)
・切 符           −                 (ビリェッテ)
・ホ テ ル    (オ−テ−ル)               (オテウ )
・私は日本人です  (アナ ジャポ−ニ−)        (エウ ソウ ジャポネ
                                        −ス)
 

これらの語を出発当日まで繰り返し暗唱し、頭にたたき込んだ。こうして準備は整い、出発当日を迎える。
 

2.パリ経由で懐かしのカサブランカへ
 
カサブランカと言えば、名優バ−グマンとボガ−ドが演じたあの切なくも悲しい恋の物語・名画「カサブランカ」のシ−ンを思い出す。もう何十年も前の映画だが、あの空港での別れのシ−ンは今でも鮮烈な記憶となって残っている。そんな映画の思い出を蘇らせるカサブランカ、私にとっては懐かしの場所なのだ。
 

夜10時、成田を飛び立ったエ−ルフランス機は、日本人で満席の乗客を乗せて北回りでパリへ向かう。これから13時間以上の長い道程だ。どうやって過ごそう? いつもそれが難問だが、結局、眠って過ごすのがいちばん良さそうだ。遅い機内食を食べながら、とにかく時間の意識を取り払うことに専念する。
 

ほとんど眠れないままに、ふと目の前の画面を見ると飛行の軌跡が表示されている。当初はなかなかその軌跡が伸びなかったのが、いつの間にか北欧上空を通過してパリに向かっている。やっとここまでたどり着いたという感じである。間もなく朝食が出され、一服すると、ようやく着陸態勢である。機は高度を次第に下げながら、ドゴ−ル空港へ向かう。そして着陸だ! これで13時間半の空の旅からひとまず開放され、ほっと一息つく。ひとまずと言うのは、この先の飛行がまだあるからだ。
 

シャルル・ド・ゴ−ル空港に着いたのは早朝の4時過ぎ。日本ではお昼近くの時間である。だから身体は徹夜状態だ。降り立ってみると、夜が明け切れない未明の空港は意外と冷え込んで肌寒い。この空港に立ち寄るのはこれで三度目だが、なかなか複雑で分かり難い空港である。 


ここで乗り継いでモロッコのカサブランカへ飛ぶのだが、待ち合わせ時間がなんと5時間半もある。実にもったいない時間のロスである。モニタ−テレビで出発ゲ−トのあるゾ−ンを確認しながら巡回バスで移動する。おっと、その前に帰りのチケットのリコンファ−ムをしておこう。途中にカウンタ−があるので、そこで再確認を申し出ると、これは必要ありませんという。チケット表面の片隅に「OK」と印字されているのだが、これがあると再確認の必要はないと言う。最近は、みんなそうなっているのだろうか? やれやれ、これで一安心。
 

ほっとしたところで、お茶でも飲もう。成田出発時に、早朝着ということでチケットと一緒にスナック券が配られているのだ。それを持って指定の飲食コ−ナ−に行くと、手狭な店内は利用客でいっぱいだ。やっとその一角に席を見つけて座り、スナック券と引き換えにもらったのはクロワッサン1個とコ−ヒ−1杯だけである。待ってる人がいるので、そんなにゆっくりもできず、食べ終わると早々に退散する。
 

有り余る時間を持て余しながら、空いた待合いロビ−を探して腰を下ろす。早朝時間とあって、まだどの店も閉まっている。そうだ、今のうちにシェ−ビングとトイレを済ませておこう。あとは近くのカウンタ−でチェックインに並んでいる外国人乗客の姿をぼんやり眺めたりしながら時間を過ごす。こんな乗り継ぎ乗客のために、仮眠できる設備が設けられていれば便利なのに……。そんなことを独りぼやきながら、この長い待ち時間をなんとかやり過ごす。
 

ようやく時間になったので、いそいそと指定のゲ−トに行ってみると、ここはカサブランカ行きのチェックインをする場所で、搭乗ゲ−トは別のナンバ−だと、なんだかややこしいことをおっしゃる。モニタ−テレビに表示されているゲ−トナンバ−とは違うのである。そこで半信半疑ながら言われたゲ−トに行ってみると、やはりそこに間違いない。こうして、ややこしい思いをしながら、やっと機上の人となる。日本人ツア−の小グル−プが同乗しているだけで、他は外国人ばかりだ。
 

待たされるだけ待った上に、今度は出発までが遅れている。早く現地に到着して活動開始したいのに、これでは時間がへずられてしまう。やきもきしながら待っていると、半時間遅れの朝10時、やっと機はカサブランカに向けて飛び立つ。飛行は順調で、約3時間後の11時半ごろ、カサブランカのムハンマド5世空港に到着。いよいよ活動開始である。まだ見ぬ異国の地モロッコに降り立って、緊張がみなぎる。
 

この国の正式国名は「モロッコ王国」で立憲君主国家、国教はイスラム教である。首都はラバトで、国土面積は日本の約1.2倍、人口は約2760万人。言語は公用語がアラビア語だだが、フランス語が広い範囲で通用する。ここカサブランカは人口約257万人で、モロッコはもとより、北西アフリカ地域のいわゆるマグレブ諸国でも最大の経済都市であり、大西洋岸に面している。


入国手続きとリコンファ−ム・両替
中型バッグの手荷物だけなので、預ける荷物はない。降りると真っ直ぐイミグレ−ションへ直行、スム−ズに入国手続きを済ませて、いざ国内へ第一歩を踏み入れる。ロビ−へ出ると、ゆったりとしたスペ−スで、人混みは見られない。
 

そこでまずは、忘れないうちにリスボン行きのチケットのリコンファ−ムをしておこう。ヘリコプタ−・エア−ラインという名の知れない航空会社である。見かける空港係員(英語が通じる)にチケットを見せながら尋ね、教えられた2階の場所に行ってみると、いちばん隅っこの奥まったところに女性係員が一人デスクに座っている。そこに提示して再確認を求める。すると、これもリコンファ−ムは必要ないとのことで、ただ出発時間の変更だけを教えてくれる。これで、ひとまず安心。
 

次は両替をしておこう。1階ロビ−へ下りて見回すと、片隅に両替所がある。窓口に行って早速、日本円を交換。両替レ−トは1ディラハム(DH)=8.75円である。相場のレ−トが11円台なので、両替となるとかなり率が悪くなる。とまれ、これで行動開始できる。早速、市内へ移動開始だ。


列車で市内へ
カサブランカ市内への交通は、1時間間隔で空港から電車が走っている。そこで空港駅(始発駅)のある地下へ下りて行き、切符売り場を探す。さて、窓口ではフランス語を使うべきか、それともアラビア語か? 一瞬迷ったが、少しましなフランス語で言ってみよう。そこで  「Un billet en deuxieme classe pour Casablanca Port,S'il vous plait.(カサ・ポ−ルまで2等切符を1枚ください)」と伝えて、「C'est combien ?(いくらですか?)」と尋ねながら、紙とペンを差し出して金額を書いてもらう。これがいちばん確実である。すると「30DH(約330円)」と書いて見せてくれる。私のフランス語も、どうにか通用したらしい。もっとも、「カサ・ポ−ル」と言うだけでもOKなのかもしれないが…。こうして料金を払い、切符をゲットしてホ−ムへ向かう。
 

ちょうど今、列車が到着したところである。ホ−ムへ入るには日本と同様に改札がある。人懐こい改札係に尋ねると、カサブランカ行きは今到着した列車だと教えてくれる。乗る前に、ここで写真を撮っておこう。ブル−と紺色のツ−ト−ンカラ−の車両には行き先の表示もないし、ホ−ムにも案内表示盤などはない。路線は1本なので、案内がなくても問題ないのかもしれない。

 




 空港駅のホーム











この列車には1等と2等の車両があるらしい。そこで注意深く見てみると、ほとんどの車両の胴体部に「2」と表示されており、その一部に「1」の表示がある。これが多分2等と1等を意味しているのだろう。それを確認して車両に乗り込む。乗客は少なく、がらがら空いている。座席や車内の様子が意外と美しいので、乗客の一人にチケットを見せながら、ジェスチャ−で「この車両は2等車?」と尋ねて確認する。すると、うなずいてくれたので間違いないらしい。ほっとして、二人掛けのシ−トに腰を下ろす。
 





 車両内の様子










発車までに少し間があり、その間に少しずつ乗客が増え始める。様子を見ると、民族衣装を着ている人は珍しいくらいで、ほとんど見当たらない。やがて発車の時刻となり、ゆっくりと動き出す。ここの列車の運行は日本と同様に定刻が守られている。乗り心地も上々である。列車は空港ビルを抜け出して外界へと走り出す。途端に、ぱっと明るい陽光が車内いっぱいに差し込んでくる。見上げる空はモロッコらしく抜けるように青く澄んでいて、すがすがしい気分になる。見事な快晴なのだ。徹夜状態のしょぼつく目には少しまぶしいが、車窓から飛び込むのどかな野っ原の風景がよい目覚まし薬となる。
 

流れる車窓の風景をぼんやり眺めていると、おや? 車掌が検札に回って来ている。日本のJRとまったく同じだ。改札も車中の検札も、意外ときちんと行われている。ヨ−ロッパの鉄道みたいに、もっと大ざっぱなのかと思っていたのだが…。そんなことを思いながら、スピ−ド感のある走行に身を委ねる。速度100km近くは出ているのだろうか? 
 

途中、幾つかの駅に止まるのだが、どの駅も申し合わせたように駅名の表示がホ−ムのどこにも見当たらない。これでは初めての者は分かりづらいだろう。こちらも注意しなくては! カサブランカ市内には2つの駅がある。カサ・ポ−ル駅とカサ・ヴォワイヤジュ−ル駅だ。中心街に近いのがカサ・ポ−ル駅なので、そこで下車する予定だ。
 

車窓からの風景は、次第に建物が立ち並ぶ風景に変わり、市内が近づいたことを知らせる。やがて、一つのやや大きな駅に到着。近くの乗客に確認すると、カサ・ヴォワイヤジュ−ル駅とのことだ。ということは、次の停車駅がカサ・ポ−ル駅のはずである。この駅を発車すると数分でカサ・ポ−ル駅に到着。みんながぞろぞろ降りるので、そのことが分かる。間違いないことを確認すると、一緒に降り始める。


カサポ−ル駅到着・ホテルへ
乗客のいちばん後にくっついて玄関前に出ると、目の前に車がいっぱい駐車している。横手を見ると、そこには真っ赤な小型タクシ−がずらりと並んでいる。これがプティ・タクシ−と呼ばれるもので、モロッコでは大型車のグラン・タクシ−と呼ばれる2種類がある。まずは駅舎の写真を撮ろうと歩き出すと、早速一人のタクシ−ドライバ−が寄ってくる。しばらく無視して駅舎の撮影に入る。屋上にはフランス語とアラビア語で「カサ・ポ−ル駅」と駅名が表示されている。ということは、アラビア語のほかにフランス語が使われると言うことなのだろう。 






カサ・ポール駅の正面玄関









このドライバ−は白い民族衣装をまとった中年ドライバ−で、結構な英語を話す。国内で予約したホテルは徒歩だと駅から遠いので、タクシ−を利用しよう。そこで、Bd.D'Anfa にあるホテルまで幾らかと尋ねると、「10DH(約120円)」と答える。これなら文句あるまいと商談成立し、早速乗車することに。この地の物価は確かに安い。
 

国内最大の経済都市だけあって、通りは車の波。どの国の大都市でも見かける変わらぬ風景である。しかし、車の多い割りにはスモッグもなく、空気は澄んで空もきれいだ。駅からムハンマド・アル・ハッサン通りを真っ直ぐ走って街の中心国連広場に出ると、そこからF.A.R通りを走り抜けてD'Anfa通りに入る。すると間もなく目指すホテルである。走ること5〜6分で到着だ。
 

途中、ドライバ−が盛んに観光を勧める。2時間200DH(約2360円)で、グランモスクをはじめ幾つかの主要ポイントをめぐって案内すると言う。そこで考えてみるに、市内には観光バスはなさそうだし、自分でバスを利用してぼつぼつ回るには時間もかかる。この値段でタクシ−が利用できるなら効率的かもしれないと判断し、お願いすることに決める。
 

そこで、グランモスクの内部案内は何時からかと尋ねると、最終は午後2時からだという。時計を見るとすでに2時を過ぎている。これでは間に合わないのであきらめ、1時間半後の午後4時にホテル玄関前で会うことを約して下車する。
 

D'Anfa 通りに面したこのホテルは、4つ星の上級ホテルで規模も大きい。独り旅にはちょっと良過ぎる感じだが、旅行初日の宿とあって国内で予約を取った。シングルで8千円台である。ホテルに入り、フロントに「Bonjour ! J'ai une reservation pour ce soir. Je m'appelle YASUO MUKAI..(こんにちは。今夜の予約をしているのですが、名前は…と言います。)」と言いながら持参したク−ポンを差し出す。チェックが終わると、カ−ドに所要事項を記入し、キ−をもらって部屋へ直行。時計を見ると2時半である。早速、室内をチェックすると、部屋のスペ−スも広くて調度品もよく、バスタブもついて申し分なし。旅装を解いてシャワ−を浴び、早速仮眠しよう。


市内観光へ
ぐっすり寝込んだらしく、目覚ましに起こされて時計を見ると、約束の4時近くである。素早く身仕度をし、玄関に出てみると、例のタクシ−の姿はまだ見えない。どうしたのだろう? 良い稼ぎ仕事のチャンスなのに来ないはずはなからろう。そう思って玄関を出たり入ったりしながら待つこと30分。それでも約束のタクシ−はやって来ない。
 

おかしいなあ〜…。いい加減なドライバ−だなあと独り愚痴をこぼしながら立っていると、グランタクシ−が横付けし、中から真面目そうな中年ドライバ−が降りて来て何やらフランス語で話しかけている。どうも観光しないかと誘っているようだ。この地では対外国人にはみなフランス語が使われているようだ。そこで、希望する観光ポイントを数ヶ所あげて「OK?」と言うと「OK」という返事。すかさず、「シュハ−ル ハ−ダ?( いくらですか?)」とアラビア語で問いかけると、「deux heure…200DH(2時間200DH)」とフランス語で返ってくる。
 

この料金だと、前に約束したプティ・タクシ−の料金と同額ではないか。それならこのグラン・タクシ−が大きいだけにましなのでは? と判断し、お願いすることに決める。こうしてタクシ−による独り観光の始まりである。これまで、タクシ−による観光なんて贅沢な経験はしたことがない。これも料金が安いからできることなのだ。


ハッサン2世モスク(グランモスク)
最初の観光ポイントは、この地カサブランカのシンボルでもあり、観光のハイライトと言えるハッサン2世モスクである。観光ポイントが少なく、あまり見所がないと言われるカサブランカにとっては、唯一最大の観光名所であろう。車は大西洋側に向かってしばらく走ると、間もなく天空にそびえるミナレット(光塔)が見えてくる。これがモロッコ最大、しかも今世紀最高の芸術作品として名高いハッサン2世モスクである。
 

車を降りてモスクの領域に入って行く。モスクの内部拝観時間は決まっているらしく、最終は午後2時とのことである。それに間に合わず残念だが、今は外部から全景を拝むしか仕方ない。モスクの敷地に入ると、9ヘクタ−ルもある広大な敷地は全面大理石張りで壮観である。この敷地には8万人、モスク内部には2万人が収容可能という。



 モスク前の広大な大理石張りの敷地。ここに8万人が!




海岸線に沿って建つモスクは、93年に8年がかりで完成したフランス人の設計になる近代的感覚のただよう建物である。その横手に夕日を浴びながら抱かれるようにそびえているのが高さ200mのミナレットで、世界一の高さを誇るという。淡いベ−ジュを基調にして緻密な彫り模様の部分がグリ−ンで彩られ、それが屋根のグリ−ンとうまく調和してなんとも美しい。周囲の広大な敷地のせいか、見た目には200mもあるのかと思われるが、真下近くにいる人物の大きさと比較すると、間違いないと思われる。
 




青空にそびえる優雅なミナレットその高さ200m。









このモスクの建築は国内全土から集められた4000人の職人の手づくりによるもので、内部には気の遠くなるような緻密な模様が彫られているという。近寄ってみると、モスクへの入口は開いており、内部を垣間見ることができる。なんとか中に入って写真だけでも撮らせてもらおうと、入口に立っている関係者と見られる人に許可を求めると、入場はだめだが、ここから写真を撮るのはOKという。
 

そこで、ここから見える範囲をカメラに収める。その広大な床面には一面に大理石が張られ、重厚な雰囲気をただよわせている。部屋の周囲に林立する大小の石柱はピカピカに輝き、周囲の壁面には細かく緻密な細工が施されている。いずこのモスクもそうだが、イスラム教は具像崇拝がないだけに何一つ礼拝対象もなく、内部はすかっとしていて広い空間だけが静かに広がっている。この中に2万人の信者が集って祈りを捧げる風景は、そのすさまじい信仰への熱気がただよって、見る者を圧倒するに違いない。




 重厚な雰囲気がただようモスクの内部。ここに2万人が集まって祈りを捧げる。




目を転じて外部の周辺域を見渡すと、この時間帯には人影も少なく、また参詣者の姿もほとんどなく、観光客の姿も見られない。ただ広い敷地を民族衣装をまとった女性たちがまばらに行き交うのみである。海岸べりに沿って設けられた長いコンクリ−ト防壁には、その上に乗って座ったり、腰掛けたりしながら憩う人々の姿が見られる。
 





民族衣装を着た女性たち写真を嫌うので後姿を・・・
正面はモスク







雲ひとつなく見事に晴れ上がった青空の中に優雅に浮かぶミナレットの姿を最後にもう一度眺めやりながら、車へ戻る。結構日差しはきついが、渡る風はさらっとして爽やか、それが何とも心地よい。この感じだと気温17〜18度ぐらいだろうか? 日本の秋に似て、上着を着てちょうど良い気温である。


アイン・ディアフ
次に目指す所は、ここから西へのびる道路を走った所にあるアイン・ディアフ。ここは大西洋岸沿いに走るコルニッシュ通り沿いに広がるビ−チ・リゾ−トで、高級リゾ−トホテルやレストラン、カフェ、ナイトクラブなどが並ぶ憩いの地である。モスクから10分ほど走ってリゾ−ト地帯に到着。
 

海浜に沿って幾つものカフェテラスがビ−チに突き出すように並んでいて、どこも地元のお客でけっこう賑わっている。とあるカフェテラスからの眺望がよさそうなので、写真撮影に無断侵入を図る。目の前には典型的な紺碧の海をたたえた大西洋が広がり、くっきりとした水平線が海と空を切り分けている。これほど水平線がくっきりと見えるのは珍しい。大抵の場合、霞んで見えるのが多いのだが、よほど空気が乾燥しているせいなのだろうか。海は静かで打ち寄せる波も穏やかだ。それに島影ひとつ見えない。バカンスを楽しむには格好の場所だ。
 

渚までの間隔が短いビ−チは、幾つものプ−ルやリゾ−ト建築物などにつぶされて砂浜の姿はほとんど見えない。泳ぐのはみんなプ−ルなのだろうか? でも、数あるプ−ルには人影が見えず、みんなカフェテラスのテ−ブルに居座って楽しんでいる。泳ぐのには気温が低いのだろうか? 
 

テラスの突端に立ち、6枚連続のパノラマ写真を撮っておこう。車のところに戻ろうとすると、飲物類を売っている店に山積みされたオレンジが目に留まる。いつものことながら、夜のデザ−ト用に4個ほど仕入れる。



 大西洋を望むリゾート地、アイン・ディアフのビーチ。水平線が美しい。




ハッブ−ス街のス−クへ
車はここから再びモスクの方へ道を戻り、その前を通り抜けてカサブランカ港へ出る。途端に、懐かしい港の香りがプ〜ンと匂ってくる。どこの港も同じ匂いなのだ。港に浮かぶ船舶の姿が見える。規模はそれほど大きくはなさそうだ。ここを素通りして、車は高い城壁で囲まれた旧市街の旧メディナ沿いに走り、市の中央部を通り抜けて南下しながらハッブ−ス街へ向かう。約80年ほど前、フランス人によってつくられた新市街地だそうで、その一角にス−ク(市場)がある。
 

その途中、路傍にずらりと並んだ色鮮やかな露店商が目に飛び込んでくる。いったい何のお店だろうと興味深げに眺めると、なんとそれは花屋の露店商なのだ。珍しいので、フォトストップをお願いしカメラに収める。間口1間ほどの狭い露天商が寄り添うように立ち並び、色鮮やかなとりどりの花を売っている。この時間にはだれ一人お客もおらず、店主も退屈そうに店の前にのんびり腰掛けている。
 





一列に並んだ花屋の露天商









ここを通り過ぎると、間もなくス−クに到着。ここには路地が幾つもあって、その両側にはいろんな店が軒を連ね、店頭にあふれんばかりの様々な商品をぶら下げたり、置いたりしている。その雑多さは、見るからに壮観な光景である。ここも買い物客の姿はほとんどなく、静かに客の訪れを待っているという風情である。
 





所狭しと陳列された商品の山









その品物の豊富なこと、圧倒されるばかりである。様々な真鍮製品の壺や器、陶器類、工芸品、衣類、絨毯、香辛料などを売る店がひしめき合うように並んでいる。生鮮食料品などは、ほとんど見かけない。ここは観光客向けではなく、地元の人たちを相手にした商売らしい。何かみやげに適した物はないかと物色しながら歩いていると、各店のおやじさんが盛んに呼び込みを始める。しかし目に付くものは、ほとんどが真鍮製品で、どの店も申し合わせたようにそれを並べている。いわゆる生活用品ばかりで、みやげに向いた物はなさそうだ。
 

ひとわたり見回してから車に戻ろうとすると、思う場所に車の姿が見えない。これはどうしたことだ!  こちらの勘違いなのだろうか? どうも店を見て回りながら、いつの間にか方向感覚を失ったようだ。なにせ、似たような店が並ぶ路地が何本もあるのだ。降車した場所をよく思い出しながらあちこち探し回り、やっとのことで見つけ出して胸をなで下ろす。
 

国連広場とバ−・カサブランカ
ここから車は中心部へ引き返し、街の中心、国連広場へ向かう。この広場には半円形の小さな白いド−ムがあるだけで側を大通りが走り、車の波に埋もれて広場らしい感じはしない。ここでのお目当ては、広場の真ん前に位置する高級ホテル、ハイアット・リ−ゼンシ−の玄関入口横にある「バ−・カサブランカ」である。あの名画「カサブランカ」に登場した「Rick's Cafe American」を再現したピアノバ−なのだ。
 

玄関入口横手の窓にはバ−グマンとボガ−ドのシルエットがおしゃれに描かれており、映画ファンにはこたえられない代物だ。





バーグマンとボガードのシル エットがありし日の姿をしの ばせる。









飲む予定はないが、思い切って中へ入ってみよう。まだ昼間とあって、中はがらんどう。わずかに奥の片隅に3人の客が見えるだけ。飲みもしないのに格好がとれないので、店の主人らしき人に内部撮影の許しを求める。すると、それならちっとも構いませんよと言わんばかりに、笑顔でうなずきながら快く許してくれる。
 

お客がいないことをいいことに、部屋のあちこちをゆっくりと見て回る。正面奥には、一段高くなったバ−がシックな手摺りに囲まれて設けられている。テ−ブルや椅子もしぶい落ち着いた色合いの凝った作りである。左手の壁にはタバコを吸いながらピストルを構えるボガ−ドの大きな絵が掛かり、その前にグランドピアノが置かれている。夜になれば、きっと演奏されるのだろう。



 名画「カサブランカ」に登場した「Rick's Cafe American」を再現したピアノバ−の内部



右手奥の壁には、在りし日の映画「カサブランカ」のスチ−ル写真15枚とバ−グマンとボガ−ドが頬を寄せ合う絵が額に入れて飾られている。映画では、このバ−で二人が何度となく逢瀬を重ねた場所であり、ム−ド満点である。





飾られたスチール写真が往 時をしのばせる。










しかし、残念なことに、このバ−は映画に因んで再現されたバ−で、映画が実際に撮影された本物のバ−ではない。映画の中に出てくるバ−は、ハリウッドで作られたセットなのだそうだ。撮影を終わると、礼を言って退散する。


ホテルへ
ここを最後に、車はホテルへ向かう。こうして午後5時前から始まったタクシ−観光は、2時間後の7時に終了した。約束の料金200DHとチップを渡すと、ドライバ−はにっこり笑いながら「メルスィ−・ボ−ク−」と礼を言って立ち去る。このドライバ−はフランス語しか話せないので、なかなかコミュニケ−ションがとりにくく、また説明も受けられないので少々物足りない面もあった。その点で、英語を話す最初のドライバ−がよかったのだが…。
 

とまれ、今日の予定はなんとか消化できた感じである。残りのめぼしい観光ポイントに旧メディナがあるが、これは後日の楽しみにとっておこう。やはり、タクシ−を利用すれば、効率的な観光ができる。料金が安いので、利用価値はありそうだ。また、この街には真っ赤なプティ・タクシ−があふれていて、道のどこでも簡単に拾うことができて便利である。ただ、グラン・タクシ−は普通の車と区別ができず分かりにくい。
 

夕食時間が迫っているので、この界隈に適当な食堂がないか探索してみよう。ホテル前のD'Anfa通りは片道3車線の広い通りで、両側には白塗りの高いビルが立ち並んでいる。ありそうな感じはするのだが、ピザ屋が目に入るぐらいでレストランや食堂らしきものは見当たらない。あきらめてホテルへ戻り、キ−をもらって部屋へ戻る。シャワ−を浴びて一服しよう。





D'Anfa通りの風景












ホテルでディナ−

やむなく夕食はホテルでとることに。食堂に出向くと、もう8時だと言うのに、まだ人影がない。ウェイタ−の案内で、ひっそりとした中に一人ぽつねんと座り、注文を検討する。モロッコ料理を注文しようと、ガイドブックに紹介されている中からタジンという肉料理を選ぶ。ス−プは何がお勧めかと尋ねると、これが地元料理のハリラというス−プだと言って奥の料理場からわざわざ器に入れて現物を持って来て見せてくれる。見ると、黒っぽいとろみのあるお粥のような感じである。
 

結局、この2種類の料理とビ−ルを注文する。ビ−ルは国産のカサブランカで、なかなか結構な味である。運ばれてきたハリラのス−プを口にする。なかなか複雑な味で、とろみはあるが香辛料がきいて乙な味だ。これは腹応えがある。ガイドブックの説明によると、これは日本の味噌汁に相当するものらしく、羊肉などでダシをとり、ひよこ豆、タマネギ、トマトなどを細かく刻んで煮込んだとろみのあるス−プとなっている。
 

これが終わると、じりじりと煮立ったタジン料理が運ばれて来る。厚めの陶器の器に食材を載せ、それに三角帽子のような円錐形の鍋蓋をして火にかけ煮たものらしい。日本でいう鍋物風料理である。熱々のものが運ばれて置かれると、目の前でその蓋をあけて差し出すのである。これはモロッコ人が毎日食べている煮込み料理だそうで、中身は鳥肉、羊肉、野菜類(じゃが芋、ニンジン、タマネギ)で、弱火でゆっくり煮ていくそうだ。
 

熱いけど、これはなかなか美味しい料理。肉も柔らかで味がとてもよく染み込んで旨味が出ている。でも、ボリュ−ムがあるので食べ上げるのに大変だ。ス−プとビ−ルにパンでかなり膨れたお腹なのに、このボリュ−ムたっぷりのタジンときては、満腹もいいところである。無理するとお腹をこわす心配があるので、少し残すことにする。
 

こうしてモロッコ名物料理で、お腹いっぱいの夕食を終える。料金はしめて205DH(タジン120DH、ハリラ45DH、ビール40DH、合計約2260円)で、この地にしてはかなり高い食事となった。満腹した後は部屋へ戻って、モロッコ初夜の夢を結ぶ。



(次ページは「首都ラバト編」です。)










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