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    N0.9
(ヨルダン・シリア・レバノン)



(シリア編)



7.ボスラ・円形劇場観光

検問所
ジェラシュ遺跡を後にしたバスは、一路真北の国境を目指して走行する。ジェラシュから60kmほど走ると国境の町に到着する。このはずれに国境検問所があり、ここで出国手続きを行う。団体なので現地ガイド氏がパスポートをまとめて窓口へ行き、手続きをしてくれる。一行はバスの中で待機しているだけ。ここで出国税8ドルを徴収される。入国税は不要だが、出国税が必要なのだ。検問所区域は撮影禁止になっているので、その様子が写真で伝えられない。


ヨルダン国境の町アル・ラムタ


ヨルダン国境検問所手前に立つ国王の写真看板

トイレの謎
ここはまだヨルダン側の検問所だが、受付窓口をのぞいて見ると、そんなに混雑はしていない。バスを降りたついでに用を足しておこうと、ゲートの検問小屋にいる係官に場所を尋ねると、「向こうの建物だ。」と、少し離れた建物を教えてくれる。そこへ行ってみると、男性トイレの様子がなかなか変わっているのである。初めて見る方式で、写真のように腰かけ風の円柱が並んでいる。トイレをするのに、これが邪魔になってしようがない。これはいったい何だろう?


男子トイレに並ぶ円柱の腰掛は何?

仲間の話では多分、大便の場合にそこに後ろ向きに腰かけて用を足すのだろうという。なるほど、そう言われてみれば納得がいく。でも、あの高さから落下するのではなかなかうまく行かないのではと気になってしまう。確かに、前面の壁には各所に水道の蛇口が並んでいる。これで流すのだろうが、用便中の様子はお互い丸見えである。これではプライバシーも何もない。所変われば品変わるである。


出 国 税
半時間以上待って、やっと手続きが終わったらしく、ガイド氏が戻ってパスポートを返してくれる。それと一緒に出国税のチケットを渡される。これは次の検問で必要とのこと。バスは出発し、少し走った所に検問の係官が立っている。その前でストップすると係官が車内に乗り込み、1人ひとり出国税の半切れをちぎって確認する。全員分の確認が終わったところで係官は下車し、ゴーサインを出す。これでやっとヨルダン国を出国することになる。


これが出国税のチケット(左側の半切れ)

これからいわゆる国境の緩衝地帯を走って行く。農地が広がる風景を見ながら10分ほど走ってシリア国境の検問所に到着。そこでも同様の手続きが行われる。ガイド氏がみんなのパスポートを預かり、代表で入国手続きを行う。ここでもかなりの時間を要し、やっと入国スタンプの押されたパスポートが返される。こうしてヨルダン出国とシリア入国の手続きを完了し、いよいよシリア入りとなる。ここでヨルダンのガイド氏とはお別れし、代わってシリアのガイド氏が乗車する。バスとドライバーはそのまま代わらずである。


シリア入国
検問所を通過すると、そこはシリア国境の町、ダラーである。


シリア国境の町ダラーに入る


賑わう通り


くるまも多い

ボスラへ
ここを抜けて東へ進路をとると、その地域は見渡すかぎり広大な農地が広がっている。


ボスラへ向かう途中の広大な農地


同 上

ボスラのこと
この中を通り抜けて40kmほど走るとボスラの町に到着する。この町はナバテア人が築いた隊商都市で、紀元前後から栄え、その後ローマの属州となってからは首都として発展する。ペトラが南の首都であったの対し、このボスラは北の首都だったという。


イスラム時代になって遺跡の上に都市が造られ、それが現在でも住民の居住区域となっているため、遺跡として観光できるのは円形劇場と旧市街の一部のみとなっている。ここの円形劇場はローマ帝政時代のもので、当時の劇場としては唯一完全な姿で残っている。中世時代には十字軍の侵攻に備えた要塞としても使われたという。ここボスラの町は1980年に世界遺産に登録されている。


玄武岩でできた円形劇場
ボスラのはずれに来ると、黒っぽい石積みの高い外壁が見えてくる。これが目的の円形劇場なのだ。この前は広場になっており、その一角にあるレストラン前でストップ。ここが本日の昼食場所である。今日の昼食は、珍しく個別料理だという。いつものバイキング料理ではないらしい。どんな料理が出るのか楽しみだ。


円形劇場の外観

おいしい昼食
席について待っていると、大き目の皿にライスとシチュー風のものが添えられた料理が出される。ちょっと見にはカレーライスのようなものである。ラム肉とジャガイモ、野菜類が煮込まれてなかなかいい味が出ている。味わいはカレーとハヤシライスの中間の味と言えばいいだろうか? 


カレー風の料理

ライスは例によってパサパサだが、これをかけて食べると意外とおいしくいただける。なんだか久々に日本食を食べたような気分になる。これに味をしめて、以後のバイキング料理ではライスを見つけると、これに汁をぶっかけて食べるスタイルを多用することになる。


円形劇場見学
食事が終わると目の前の円形劇場の見学である。暗い回廊を通って観覧席最上段の入口へ案内される。ここでもペトラの時と同様に、ガイド氏が目を閉じるようにと指示し、それに従ってそろりそろりと入って行く。「目を開けて!」で一斉に目を開けると、目の前には見事な半円形の観覧席が急傾斜をなして並んでいる。その谷底のように見える下部にはステージが設けられている。なるほど、これは完全な姿が保存されているといっても過言ではない。これで5000人も収容できる大劇場である。観覧席に座って、しばしローマ時代の面影が残るその景観をじっくりと眺め楽しむ。


暗い回廊を通って行く



       最上段から劇場全体を眺めた様子











 見下ろす急階段が怖い




この劇場全体の構造は近隣で産出される玄武岩で造られているそうで、そのため全体が黒っぽい配色になっている。だが、それがかえって重厚感と堅固な雰囲気をかもし出している。また、この劇場の一大特徴は地下を掘り込んで造られているということ。普通、いずれの地域の古代円形劇場も地上に造られるのが通常だが、この劇場だけはその点が異なるというわけである。恐らく観覧席の下半分ぐらいは地下になっているようだ。


上段から眺め下ろした後、今度は下のステージ面まで下り、そこから観覧席を見上げてみる。上から見ても下から見ても、その見事に並んだ観覧席はなかなか壮観で見応えがある。この劇場も反響は素晴らしいようだ。その昔、いったいどんな演劇、音楽、集会などがここで行われたのだろう? 超満員になった5000人の歓声やどよめきは、さぞかし壮観なことだったろう。ここに立っていると、今でもその響きが聞こえてくるようだ。



             ステージ前から観覧席を見上げた壮観な風景




イスラム美人
ステージの所をうろついていると、2人のイスラム美人と男性1人が連れ立って歩いている。観光旅行に来たらしいが、この機会をとらえて女性の撮影を頼んでみる。同伴の男性が快くOKを出してくれ、1人の女性がそれに応えるように応じてくれる。イスラム女性をまともに撮ることはなかなか難しい。勝手に撮れないからである。目鼻立ちのくっきりした若い女性で、なかなか愛想がよい。顔全体を見てみたいが、そこまでは許されない。


黒衣をまとったイスラム美女

イスラム女性は写真のようにみんな黒の衣装を着ているのだが、これには意味があるらしい。つまり、その昔、教祖の死に際し、その喪に服するために黒の喪服を着たそうだが、それ以来連綿として現在に至るもその喪に服しているという意味で黒衣を着ているのだという。期せずして、この黒の衣装が熱暑の中東地域では紫外線除けと日焼け防止の衣服となっている。


旧市街遺跡
円形劇場見学を終えて出発する。ここから少し離れた所で、バスはフォトストップとなる。ここが旧市街跡で遺跡として残っている。ここの観光は予定されておらず、ただフォト撮影のみである。バスを降りて覗いてみると、市街入口には「風の門」が立ち、そこから長く伸びるメインストリートは細めで、ここもまた列柱道路となっている。この左右に旧市街の遺跡が残っており、その中に現在の民家も混在しているようだ。風の門も玄武岩で出来ているので色も黒ずんでいる。近隣に火山地帯があり、そこでこの玄武岩が入手しやすいために、このボスラの遺跡はこれを利用しているらしい。










 ボスラの旧市街遺跡
 「風の門」の向こうは列柱道路
















ダマスカスへ
これで本日の観光予定は終了で、あとは今日の宿泊地首都ダマスカスへ移動するのみである。バスはもと来た道を戻り、そこからハイウェーに乗って一路ダマスカスを目指す。ここから100kmちょっとの距離で、2時間少々の走行である。久々に余裕のある日程で、早目に到着できそうだ。やれやれである。


旧市街付近の家並み

ダマスカスのこと
目指すシリアの首都ダマスカスは4000年の歴史を持ち、現存する都市で最古の街の一つとされる。古代からシリア地方の中心都市で、紀元前10世紀にはアラム人の王国の首都が置かれていたという。ローマ時代におけるダマスカスはギリシャ・ローマ文化の最も重要な中心であり、自由都市連合の名誉都市となった。その後イスラム帝国によって635年に征服され、ウマイヤ朝の首都として栄える。ウマイヤ朝が705年にキリスト教の教会をモスクに改造して設けたウマイヤ・モスクが現存し、シリアで死んだサラディン(イスラムの英雄)の墓もこの町にある。ダマスカスには城壁で囲まれた古代から続く旧市街と新市街が広がっており、人口約200万といわれる。


ダマスカス到着
陽が傾きかけるなか、ようやくダマスカス市内に入り、6時前にホテル到着。この付近は市内の外れの住宅街らしく、辺りには高層のアパート群が並んで商店街らしいものは何も見えない。おまけにホテル正門前は軍関係のビルが立ちふさがっており、殺風景この上なしである。さらに、この一帯は撮影禁止の立て看板まで立っている。


夕陽に映えるダマスカス市内のモスク



夕暮れのダマスカス市内

スーク見物
夕食は7時半とのことで、それまで少々の余裕時間がある。そこで、仲間数人と連れ立って市内探訪に出かけることにする。徒歩では遠いらしく、フロントに尋ねてみると、市内中心部までタクシーで約15分とのこと。料金は14ドルぐらいという。そこでタクシーを呼んでもらうことにする。部屋に荷物を置くとロビーに集まり、タクシーを待つ。


しかし、それがなかなかやって来ない。何度か催促の電話を掛けてもらい、やっと到着。それにみんな乗り込み、旧市街のスークへ繰り出す。目指すはこの町で一番大きなハミディーエ・スークである。10分少々で旧市街の城壁門をくぐり、中へ入って行く。駐車したのは世界最古のモスクといわれるウマイヤド・モスクの側である。これに隣接するようにスークの建物が建っている。









 世界最古のモスク、ウマイヤド・モスク














モスクの夜景を横目に見ながら、スークへ急ぐ。入口に回ってみると、多くの人で賑わっている。人込みに混じってスークの中に入って行く。そこはアーケード付きで道路も広く、左右にはこぎれいな店舗が列をなしている。これは予想外である。これまで各国のスークを見てきた目には、このスークがあまりにも上品過ぎるのである。垢抜けした商店が行儀よく並び、そんなに喧騒もなく、人込みは多いが静かである。これでは普通の商店街の感じである。


ハミディーエ・スークの入口


アーケード街になっているスーク


一瞬、パリの夜景と錯覚?

私の記憶データの中にあるス−クは「人込み」、「ごちゃごちゃ」、「喧騒」といったものだが、ここには人込みだけで他は見られないのである。生鮮食料品などは別の区域にあるらしく、ここは衣服、宝飾品、革製品、香水などの店舗が並んでいる。通りはかなり長いが、あまりもの珍しいものは見当たらない。仲間の2人が革のバッグを買おうと値段の交渉に入るが、とうとう折り合わず見送ることに。意外と店主は固いのである。


あまり時間がないので、半時間ほど過ごした後、待たせてあるタクシーへ急いで戻る。ところがドライバーの姿はなく、車だけが寂しげに待っている。おや? のん気なものだなあ〜、7時15分に戻る約束だったのに・・・。それからいくら待っても彼は現れない。約束の時間から15分経ち、20分経ちと時間は過ぎて行く。これでは食事の時間に間に合わない。いったいどこに出かけたのだろう?


しびれを切らして待っていると、半時間ほど過ぎた頃に向こうからのん気に戻ってくる。「遅すぎる! いったいどうしたのだ!」と咎めるように文句をいうが、ただニヤニヤするばかり。これがアラブタイムというものだろうか? 何せインシャーアッラーの世界なのだ。いくら文句を言っても始まらない。


とにかく車は発車し、ホテルへ向かう。到着して料金を尋ねると、ホテルマンの言うように14ドルという。しかし、約束の時間に大きく遅れたことを理由に割引せよと詰め寄ると、ホテルマンの助けを求めようとする。しばし押し問答を繰り返すが、ホテルマンが中に入ったこともあり、要求どおり14ドルを支払うことに。ただし、チップはなしである。こうして一件落着し、みんなの待つ食堂へ急ぐ。


夕食は例によってアラビック料理のバイキングで、ビールはハイネッケン(5ドル)を注文して喉を潤す。満腹のお腹を抱えて部屋に戻ると、入浴、洗濯を済ませて床に入る。古都のホテルで、いにしえの夢でも見ながら休むとしよう。明日もまた、長距離移動だ。



(次ページは「パルミュラ遺跡観光」編です。)










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