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    N0.10
(ヨルダン・シリア・レバノン)




旅のコース




8.パルミュラ遺跡観光

中東の旅6日目。早くも旅の後半を迎える。楽しみの時が過ぎるのは早い。その貴重な時間を逃さないためにも早起きが賢明だ。ということで、今朝も5時半起床。白ずむ空は今朝も変わりなく、快晴のお墨付きだ。


ホテル前の建物は軍関係のビルかと思いきや、政府関係のビルらしい。常時4〜5人の兵士が銃を持って周囲の警戒に当たっている。朝からこの風景を見るのは不愉快で心地よくない。折角の旅気分がそがれてしまうからだ。しかし、これが世界の現状だから仕方ないのだろう。ほんとに愚かな人間どもよ・・・。


本日の予定
今朝も8時と早い出発である。ここから北東に320km走ると今日の宿泊地パルミュラに至る。午前の半日はそこへの移動の時間、そして午後が遺跡の観光となっている。旅後半のハイライト、パルミュラ遺跡の観光だが、これまでにかなりの列柱遺跡や円形劇場を見ているだけに、なんとなく新鮮味にかけるきらいがある。それはともかく、早目に朝食に行こう。


ナン焼き
朝食のバイキング料理をつまんで食べ始めると、すぐ側でコックさんがナンを焼き始める。大きな鉄鍋を逆さにしたようなドーム型鉄板の上に、伸ばしたナンの生地を載せて焼き始める。生地は薄いので直ぐに焼きあがる。ここ中近東のナンは生地が薄く、ペラペラなので噛み応えがない。その点、中央アジアのナンは分厚くて歯ごたえがあり、それだけ味わいも深くておいしい。



生地を伸ばしている


鉄板の上で焼いている

これはシシカバブにも言えることで、中近東ではミンチ肉を串焼きにするのが普通だが、彼の土地ではぶつ切り肉を串焼きにする。だから、肉汁もじゅうじゅうとしたたり、食べ応えがあって美味である。これらの2点では、中央アジアに軍配をあげたい。そんなことを考えながら、焼き立てのナンをおいしくいただく。今朝のナンは中に挽き肉類の具を入れて焼いている。でも、具なしの方が、あっさりしておいしい。


パルミュラへ
8時になって、バスはホテルを出発。みんな元気いっぱいである。今朝からバスもドライバーも入れ替わりとなる。バスはこれまでのよりも一段と高級な感じで乗り心地は満点。これだと快適なバスの旅ができそうだ。バスは車が込み始めた市街を走りぬけて郊外へ出ると、砂漠地帯に伸びる道路をパルミュラに向けて快走する。見慣れた砂漠の風景に少々辟易しながら、ぼんやりと窓外の景色を眺めやる。


朝8時過ぎのダマスカス市街


向かいの丘の麓には民家がいっぱい


パルミュラへ向かう途中の砂漠の風景


こんな砂漠が広がっている


2つの古都を示す標識
ダマスカスから1時間ほど砂漠地帯を走ったところで分岐点にさしかかる。ここを左に進路をとって進めばパルミュラの方向だ。ここを曲った所でフォトストップである。この一帯は何もない砂漠地帯なのだが、何か見るものがあるのだろうか? 不審に思いながら下車してみると、道路の案内表示板が路側に立っている。よく見ると、「BAGHDAD」と「DAMASCUS」の文字が見える。分岐点の左を行くとバグダッド、右へ行くとダマスカスとなっている。


バグダッドとダマスカスを示す道路標識

いずれの都市も中近東では歴史のある古都で、期せずしてその2都市を結ぶ道路の分岐点に立っていることになる。今ではバグダッドの名が新聞、TVなどで報道されない日はないというくらい超有名になっている。残念ながら、芳しくないニュースの発信基地として有名になってしまっている。だが、この人口580万の都市は、その歴史をたどればメソポタミア文明にまでさかのぼる古都の中の古都なのである。


目の前の分岐点から左(東)へ175km走ればイラク国境に達し、そこからさらに東へ数百キロ走ればバグダッドに至る。ここに立っていると硝煙の匂いがただよって来そうだ。そこでは連日のようにテロ行為による犠牲者が出ている状況にあり、実に悲しいことで心が痛む。平和な世界で国民所得も増えれば、こうしてイラクの人々も楽しい旅行ができるのだろうに・・・。


砂漠の中の道をタンクローリー車が走る。右はわれらがチャーターバス。

砂漠の中のドライブイン
再びバスはパルミュラ目指して走り続ける。ここから半時間ほど走った所でトイレ休憩となる。そこには「バグダッド・カフェ」という名の簡素なカフェがあり、各種の飲み物などが売ってある。砂漠のただ中に忽然と現れるドライブインといった感じだが、こんな厳しい環境でよくぞ経営するものだと感心させられる。様子をうかがうと、店の横手には土壁でできたドーム型の住居があり、その向こうにはテントも設けてある。ベドウィンの家族が住んでいるのだ。


砂漠の中のドライブイン「バグダッド・カフェ」


後方にはドーム型の住居が・・・

なんと、ここには井戸も掘ってあり、羊や鶏などの家畜も飼っている。彼らはここに定住しているらしい。周囲の様子を観察していると、テントの中に若い女性の人影が見える。そこで、「サラマレイコン(こんにちは)」と挨拶しながらテントの中をのぞくと、乳飲み子を抱いた若い母親が授乳の真っ最中である。愛想よく受け入れてくれるが、残念ながら言葉が通じない。彼女の夫は外で家畜の世話に余念がない。井戸からくみ上げた水を運んで飲ませているのだ。


鶏や羊を飼っている


仲良く食事にありつく

彼らの珍しい暮らしぶりを拝見した後、再びバスは走り出す。途中、リン鉱石を運ぶ貨物列車と遭遇しながら、先を急ぐ。小1時間ほど走った頃、遠く前方に濃い緑の帯が長く横たわっているのが見え始める。あれがオアシスの町パルミュラなのだ。ナツメヤシの森なのだろうか?

来客用のテントか? それとも宿泊客用のテントなのか?


砂漠の中を貨物列車が走る


墳墓群が見えてくる。この地域が「墓の谷」


遠くに遺跡が見えてくる


列柱も見えてくる


パルミュラのこと
ここパルミュラ遺跡はシリア砂漠のオアシスにある古代都市の遺跡。紀元前2世紀〜1世紀にかけて、シリアとバビロニアを結ぶ街道の中継都市として台頭。その後ローマに編入されたが多くの特権を認められ、3世紀に至るまで隊商都市として繁栄し、3世紀の初めにはローマの植民市に昇格した。当時のパルミュラは国際都市であり、セム系のほかイラン系、ギリシア系民族などが住んでいて、言語もアラム語のほかギリシア語、ラテン語などが話され、最盛期(130年〜270年)には人口50万人にも達したという。


その遺跡群はベル神殿、凱旋門、列柱道路、劇場などが市内に残っており、北西部郊外には地下墳墓がある。またこの遺跡の彫刻・絵画などは、ヘレニズム・ローマ美術やパルティア美術の混合的な影響を受けているという。このパルミュラ(ヤシの町を意味する)は、その名が示すように、今でも青々としたナツメヤシの密林が市内を彩っている。料理やおみやげ品にも、このナツメヤシの実が多く見られる。


デラックスホテルで休憩
バスはパルミュラの郊外にさしかかったらしく、砂漠の中にそびえる高い墳墓群の遺跡が見え始める。ここを通り過ぎて市内に入ると、とあるデラックスホテル前でストップ。ここでトイレ休憩となる。こんな砂漠の中の町に、これほどデラックスな高級ホテルがあるとは驚きである。多分、かなりの料金がするのだろう。世界遺産登録の有名遺跡だけに、海外からの訪問客が多いのだろう。参考のために宿泊客の出身国を尋ねると、やはり欧米が多く、日本人は少ないという。日本からのツアーは、こんな高級ホテルは利用しないはずだから、無理もない話だ。


ベル神殿
ここで一息入れた後、いよいよ遺跡の見学が始まる。昼食前に、まずはベル神殿の見学である。移動するバスの車窓に流れる列柱遺跡の風景を眺めていると、その規模はこれまでになく大きそうだ。弾む心を抑えながら、ベル神殿前で下車。この神殿だけが孤立するようにメインの遺跡とは少し離れている。


一歩中に入ると、う〜ん、見事な列柱のオンパレードである。完全な姿ではないが、まさに遺跡として立ち並ぶ列柱がパルミュラの青空に浮かび上がる様は、なんとも素晴らしいものである。特に神殿側の列柱はそびえるように高く、タテ刻みの模様目が入って一層優美な姿を見せている。



         ベル神殿と列柱。敷地が広い。    



             壮観な列柱とベル神殿(右手)




この神殿はパルミュラに残る遺跡の中でも最大規模の威容を誇るもので、古代セム人の主神ベル(バール)に奉献された神殿である。本殿は32年に奉献されたが、柱廊や正門などを含めた周壁の建設は2世紀半ばまで続いたという。神殿域は東西210m、南北205mの面積で、円柱は390本もあったという。それらの多くは瓦礫となって、敷地のあちこちに転がっているのが痛々しい。多分、大地震による崩壊なのだろう。


神殿の高い壁面をよく見ると、無数の弾痕の穴様のものが見える。これは石の継ぎ目に使われていた真鍮などの留め金が盗まれた跡だという。だから、これらの穴は、すべて継ぎ目のところにあるというわけだ。いつの時代にもタチの悪い輩がいるものだ。金儲けが先にたって、遺跡のことなど眼中にないのだろう。よくもまあ、高い位置の留め金まで抜き取ったものだ。


昼食はベドウィン料理
ここの見学を終えると、いよいよ昼食の時間である。町のレストランへ移動し、珍しいベドウィン料理の昼食が始まる。楽しみに待っていると、台車に載せられて大きな鉢料理が運ばれて来る。なんとなく、パエリア料理風の感じで、ライスにラム肉、アーモンドなどを混ぜて味付けしたものである。この特徴はライスが白米ではなく、独特のムギ飯を炊いたもので茶色っぽく見える。これを皿につぎ分けてくれる。


大鉢に盛られたベドウィン料理

味わいの方は結構イカスのだが、ムギメシがプチプチと歯ごたえがあって、一度に頬張っては食べにくい。かみ締めると、コクのある味わいでおいしいものだが、そんなにたらふく食べられる料理ではない。肉が入っているので、すぐにお腹は満腹となる。飲み物はペプシコーラ(5ドル)を注文、一緒に料理を流し込む。それにしてもペプシ1本が5ドルとは高すぎる。


たまたま隣のテーブルにも日本人団体客が食事している。一足遅れて出された料理をふと見ると、我々の料理と違って、何やら大きな塊が大皿の上に乗っかっている。これは何だろうと、席を立って近づき、失礼して覗き込むと、なんとラムの頭部が丸ごと載せてあるではないか! なんと豪勢なことだ。これには恐れ入りました! 我々より格上の団体さんなのだ。



ラムの頭が大鉢にドカ〜ンと載っている


「墓の谷」
昼食休憩が終わると、午後の部の遺跡観光が始まる。町から少し外れに移動して、墳墓が集まる「墓の谷」へ向かう。来る時にも車窓から見たように、砂漠地帯に墳墓群が広がっているのである。パルミュラ市民が造った墓だそうだが、そのうちの特に高層の墓に入ってみる。これは珍しい石積みの塔墓で、4階建てのマンション墓になっており、壁面が多段式のベッド風になって幾つもの棺が安置できるようになっている。ここに300遺体が収容できるらしいが、遺体の姿はなく、どこかへ消え去っている。



塔墓が多い。左の塔墓が4階建て高層マンション墓。中央遠くの山上にアラブ城砦が見える。



 壊れた墳墓群




塔墓があるかと思えば、今度は地下墓室もある。あたかもエジプトの王家の谷にある墓室を見る感じである。塔墓が一時期流行したらしいが、それらが地震で崩壊したため、その後は地下墓室が流行ったらしい。中には彫像や壁画などが残っているが、有名なのは3兄弟の墓である。


地下墓室



(次ページへつづく・・・)










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