写真を中心にした簡略版はこちら→ 「地球の旅(ブログ版)」






     N0.5






旅のコース







5.ゴルウェー観光(Galway)

アイルランド4日目。今朝は5時に起床。この国第三の都市ゴルウェーへ移動する日である。早朝7時10分発の一番列車に乗るため、6時過ぎには宿を出てヒューストン駅へ向かう。朝食は8時からになっているので、今朝は間に合わない。だから駅で調達するしかない。


そう思いながら身支度を整えると、フロントで宿泊料の支払いを済ませ、いざ出発である。朝が早いので昨夜のうちに支払いを済ませたいと申し出たのだが、24時間フロントに係がいるので心配無用とのことだったが、確かにそれは間違いない。その上、係が「朝食をどうぞ。」と言って勧めてくれる。この宿は24時間いつでもコーヒーや紅茶などが飲めるようになっており、パンなども用意されている。これはありがたいと、急いでパンに紅茶、牛乳で朝食を済ませる。


ヒューストン駅は遠い
別れを告げて外に出ると、Liffey川に沿って西に向け一直線に歩いて行く。この先にヒューストン駅があるはずである。早朝とあって、人も車も少ない。見上げる空は曇天ながら雨の心配がないのが何よりありがたい。荷物を持っての移動だけに、雨に遭うのがいちばんの難題である。これでひとまず安心だ。


川沿いの道をどんどん歩いて行く。歩きながら、果たしてこの道が間違いないのか少し不安になってくる。そこで、たまにしか出会わない通行人に片っ端から駅の方向を確認しながら進んで行く。今のところ、この道で間違いないようだ。


ずいぶんと歩いた感じだが、まだ駅舎の姿が見えないので不安になり、通行人に再確認してみる。すると、あと10分ぐらいの距離だと答えが返ってくる。これを聞いて、少々がっくりしてしまう。そんなに遠かったのか!? その予想以上に遠い距離に困惑してしまう。これはタクシーを利用すべきだったかな?との後悔の念がむくむくとわいてくる。ここまで歩いたところで、もう汗だくの状態である。


最後の力をふりしぼるように、気持ちを切り替えて歩き続ける。6kgの荷物が肩に食い込む。いつもだと、5kg以内の軽い重量なのに、今度にかぎって冬服の準備で重くなってしまい、それが悔やまれる。こんなに軽装で過ごせるというのに、無駄骨を折ったものだ。そんなことを独りぶつぶつ文句を垂れながら、とにかく歩き続ける。


一番列車をめざすわけ
ようやくにして、前方に見慣れた石造りの駅舎が見えてくる。ここまでに25分も経過している。これでは遠いはずだ。ほんとにやれやれである。これで一番列車に乗れるのは間違いなしだ。私がこの一番列車にこだわるのは、ゴルウェーに到着後の時間がまるまる1日使えるからである。


私の想定では、9時47分到着後直ちに“モハーの断崖”見物のツアーに参加し、これができれば翌日は“アラン諸島”の見物ができる。こうしてゴルウェー滞在2泊の旅が効率よく使えるのである。果たして、予定通りにことが運ぶのだろうか? 現地に行ってみないことには、ツアーなどの状況が分からない。


乗車前に、3日後の帰路の時のダブリン空港行きバスのことを調べておこう。駅案内所で尋ねると、玄関前のバス停から出るという。そこで確認してみると、ちゃんと空港行きバスの停留所がある。時間を確かめると20分間隔の運行になっている。よし、これで問題なし。


予想外に遠い7番ホーム
コンコースに戻ってゴルウェー行きのホームを確かめる。空港と同様に、モニターTVで確認できるようになっている。それによると7番ホームになっている。出発時間に少し余裕があるので、待合ベンチに腰を下ろして休息する。これでやっと一息つける。しかし、早目に乗車したが無難だと思い、ベンチを立って7番ホームへ向かう。


目の前に並ぶホームの列かと思って7番ホームを探すと、このホームだけ右奥の方へ矢印案内がされている。それに従って歩いて行くと、これが遠い、遠い。約200mほど歩かされて、やっと目指す7番ホームに到着。これは予想外のことで、勝手に自分で高をくくってのんびり構えていると、乗り遅れてしまうところだ。ゴルウェー行き列車のホームの遠さには要注意である。


奥まった7番ホームに止まるゴルウェー行きインターシティ

週末の列車ダイヤに注意
そして、もう一つ注意すべき点は、アイルランドの列車ダイヤでは週末(土・日曜)のダイヤが一部変更になって早朝便などが間引き運転されることだ。これを知らずにうかつに計画を立てると予定が狂ってしまうことになる。この国の鉄道の旅では、この点にも注意が必要だ。


テーブル付きの車内
ホームの改札口に係が立っていて検札を行っている。ここを通過すると、あとは自由に車両を選んで乗車できる。早朝とあって、どの車両もガラ空きである。車内に入ると、各座席の間にはテーブルがセットされて豪華な雰囲気である。しかし、シートはガタがきているところもあったりして、くたびれた感じの車両である。1人掛けの座席に腰を下ろして、静かに出発を待つ。もう一つ気づいたことは、この国の鉄道はまだ電化されておらず、ディーゼル機関車が引っ張っているということだ。


車内の座席はテーブル付き

窓外の景色は田園風景
定刻の7時10分に発車したインターシティは、一路西海岸のゴルウェー目指して走り出す。時速80km〜90kmぐらいのスピードで快適に走行する。発車して間もなく郊外に出ると、車窓から美しい田園風景が飛び込んでくる。緑の草原の中で、羊たちが草を食むのどかな風景が見える。ヨーロッパではどこでも見られる素敵な風景であるが、日本ではなかなか見られない独特の風景である。


羊が群れるのどかな田園風景


いたるところ羊が・・・


草原には羊がよく似合う

老夫人との出会い
通路を挟んで隣に老婦人が1人座っている。ぼんやり窓外の景色を眺めていると、彼女が「食堂車に行って来るので、座席の下の荷物を頼みます。」と私に頼んで席を立つ。「分かりました。どうぞごゆっくり・・・。」と返事して見送る。おや?この列車には食堂車があるんだ。どんな料理があるんだろう? のぞいてみたい気もするが、動く列車の中を移動するのは億劫である。


程なくして戻ってきた彼女と話が始まる。
「ご旅行なんですか?」
「いえ、自宅のあるゴルウェーに帰っているところなんです。ダブリンに子供
 がいるので、そこに泊まっていたんです。今朝は4時に起きたので眠いの
 です。」
といいながら、あくびをかみ殺している。

「お子さんは何人おられるんですか?」
「8人いるんですよ。みんなダブリンに住んでいます。」
「じゃ、お孫さんは?」
「孫も8人います。」

「ゴルウェーにはご主人とお住いですか?」
「いえ、1人暮らしなんす。ハズは7年前に亡くなりました。」
「それはお寂しいですね・・・。ところで、あなたのご出身はどちらなんです
 か?」
「イングランドのバーミンガムなんです。」
「では、どうしてこちらへ移り住んだのですか?」
「結婚のためなんです。主人がアイルランド人だったんです。今は80歳に
 なりますが、私が22歳の時結婚しました。」

「どんな出会いがあったんですか?」
「私が21歳の時、父に連れられてアイルランド旅行に行ったのです。その
 時、アラン諸島にも渡ったのですが、そこで主人と出会いました。」
「恋に落ちたんですね?」
「そうなんです。帰国してから文通が始まりました。そして、22歳で結婚し、
 ゴルウェーに移ってきました。以来 半世紀以上ずっとここに住んでいる
 んですよ。」
「住みやすいところですか?」
「えゝ、とてもいいところですよ。だから、今でも離れられません。子供たちは
 ダブリンへ来いといいますが、今のところ行く気はありません。」

「昔は何か職業をお持ちでしたか?」
「えゝ、結婚以来、ずっとゴルウェーの高校で絵の教師をしていました。今は
 引退して年金暮らしなんです。引退後はもっぱらイコン画(ギリシア語の
 「アイ コーン」(像)という言葉に由来し、東方正教会の伝統で大切にされ
 てきた板絵の聖画像を指す。)の製作に没頭しています。今度ダブリンに
 行ったのもその関係者の会合があったからなんですよ。」

と言いながら、持参のイコン画についての解説書を見せてくれる。80歳というのに、なかなかエネルギッシュな婦人である。

「ところで、ゴルウェーの観光ポイントではどんなところがあるんですか? 
 “モハーの断崖”(Cliffs of Moher)に行きたいのですが・・・。」
「??? それどこのことか分かりません。」
と怪訝な顔をして首をかしげている。
「有名な“モハーの断崖”なんですよ。知りませんか?」

と、何回も“Cliffs of Moher”を繰り返し発音するが通じない。そこで、
「ゴルウェーの近くの海岸線にある高い岩なんですが・・・。」と説明すると、
「あゝ、それ“キリフ オブ モーハー”のことですね。そこはゴルウェーの街
 から車で2時間ぐらいの距離にあるんです。多くの観光客が来てますよ。」
とやっと理解できて答えが返ってくる。


なんと、発音が違うのだ。私はしきりに「クリフ オブ モハー」と繰り返すのだが、彼女の発音では「リフ オブ モハー」なのである。クではなく→キに近い発音であり、またモハーではなく、モーハーと引き伸ばして発音するのである。これでは通じないはずである。クリフをキリフと発音するのはアイルランド英語なのか、方言訛りなのか分からない。発音の難しさをつくづく感じさせられる。


会話は続く・・・。
「ところで、旅行には時々出かけられるんですか?」
「たまにダブリンに行くくらいで、なかなか出かけません。オーストラリアにイ
 トコがいるので一度は行ってみたいと思うのですが、なにせ遠い国なので
 行けずにいます。」
「ここからだと、オーストラリアはちょっと遠いですよね。彼の国は素敵なとこ
 ろですが、無理されないのがいいかもしれません。でも、惜しいことです。」


こんな会話を交わすうち、いつしか彼女はうとうととし始める。よほど睡眠不足でお疲れなのだろう。その間にも列車は窓外に緑の田園風景を展開しながら走り続ける。出発から2時間半経ったころ、ようやく遠くに海の風景が見え始め、ゴルウェーに近づいたことを知らせている。やがて海岸線に住宅が見え始めると、間もなく終着点である。


海が見えてきた


海岸線に住宅が見えてくる

ゴルウェー到着
とうとうゴルウェーまでやって来た。ここゴルウェーはアイルランド第三の都市。古くから都市国家として発展した歴史と伝統の町であり、この国随一の景観美をもつ都市でもある。おいしいレストランや雰囲気のあるパブが多く、学生と観光客の多い影響で、独特の進歩的、世界都市的な文化を持つ人気の町である。


ゴルウェー駅は規模の小さな田舎駅。ダブリン〜ゴルウェー間は単線のため、たまに途中の駅で離合することになる。沿線の風景ものどかだけど、路線も駅ものどかである。ドア横のボタンを押してドアを開け、短いホームに降り立つと、老夫人と連れ立って出口へ向かう。さて、これから観光案内所を探さなくては・・・と思って狭いコンコースを見回すと、あった! 


到着を待ってくれる現地ツアー
その片隅に案内所の窓口がある。早速、そこで本日の観光ツアーのことを尋ねてみる。モハーの断崖のツアーはあるかと尋ねると、10時発の観光バスがありますという。やはり、ちゃんと一番列車が到着するのを待っているのだ。これはありがたいと、渡りに船で早速申し込む。このツアーは「THE BURREN & CLIFFS OF MOHER(バレン高原とモハーの断崖)」という名のツアーで料金22ユーロ(シニア割引で16ユーロ=2400円)である。


老夫人は私のために観光パンフ置き場から数種類のパンフを選んで持ってきてくれる。その好意に感謝しながら別れを告げる。目指す観光バスは駅玄関前に止まっているというので出てみると、バス停には各地観光コース別にバスが待っている。そのまま荷物を持ち込んで「バレン高原とモハーの断崖」と表示したバスに乗り込む。この後、10時出発で夕方6時前に帰着予定である。想定どおりに事が運び、今日の日が無駄にならずにすむ。


「バレン高原とモハーの断崖」ツアーの様子
20人足らずの乗客を乗せたバスは、カレッジ・ロードを通り抜けて石灰石のカルスト地帯が広がるバレン高原に向けて走り出す。入江に船舶が停泊している風景を横目に見ながら郊外に出ると、きれいに整備された道路を快適に走行する。ドライバーが案内役も兼ねており、通過する要所ごとに説明を加えていく。


ゴルウェーは港町でもある


素敵なドライブウェー

DUNGUAIRE CASTLE
ゴルウェー湾の沿岸に沿ってしばらく走ると、小さな古城“DUNGUAIRE 
CASTLE”が現れる。ここでバスストップとなり、下車して見物する。入江のほとりにひっそりと立つ城だが、1520年に造られた古城なのだ。入場料を払って城内の見物ができるのだが、その時間は与えられていない。ただ周囲から外観を眺めるだけである。


静かにたたずむDUNGUAIRE CASTLE



 古城前の入江の風景




ここからさらに沿岸沿いに走り抜けると、途中から内陸部へ入り込んで行く。間もなく高原らしい風景が広がってくる。しかし、その中に岩石の山も見えてくる。これがいわゆる石灰石のカルスト地帯になっている証拠なのだろう。こうした風景は走行の途中、至るところで出会うことになる。


沿岸を走り抜ける


草原の中に石灰岩の山

期待はずれのAILLWEE洞穴
間もなく走ってバスはAILLWEE洞穴の前でストップ。ここを見学するという。このバレン高原には何百年もの間、雨や川によって複雑に浸食してできた、くぼみや洞窟がいくつか存在するらしいのだが、なかでもこのアルウィー洞窟は、アイルランドで最も古い洞窟の一つとされる。 最初にこの洞窟が発見されたのは1940年代で、一般に開放されたのは1976年からだという。


AILLWEE洞穴の入口

さて、どんな洞穴なのだろう? 興味深く思いながらバスから降りようすると、洞穴の入場券売りの係員がやって来て料金を集めている。あれ? ツアー代金に入ってないのかな?と思ってドライバーに確認すると、これは別料金だという。途端に興味は失せてしまうが、仕方なく7ユーロ(1050円)を支払うことに。


洞穴内に入ると、カフェや土産品店があり、軽食も取れるようになっている。また、トイレも完備している。あとは自由に洞穴に入って見物できるのかと思っていると、勝手に入れず、グループごとに分けられてガイド付きで奥へ入ることになっている。なんと大げさな〜・・・。かなりの時間待たされ、ようやく順番が来て中へ案内される。一通りの講釈と注意事項を聞いて奥へ進んで行く。


細い洞穴にはライトが点されてはいるが、薄暗くて内部の様子は分かりにくい。要するに、この洞穴は石灰石地帯にできた洞穴なので、当然のように鍾乳石が見られるはずである。ところが、ガイドが持参のライトで照らしてくれる鍾乳石を見ると、なんともちっぽけで発展途上もいいところである。これまで有名な秋吉台・秋芳洞をはじめ日本の各地でかなりの規模の鍾乳石を見ているだけに、どうしてもそれとの比較で見劣りしてしまう。


これが鍾乳石?


ただの岩石









 滝が流れ落ちているのだが・・・
 (暗くてよく見えない)















奥の方まで入り込んでUターンして戻るのだが、微々たる鍾乳石のなりそこないが数箇所に見られるだけで、あとはちょっとした滝があるだけ。結局、大した見所も撮影ポイントもないままに、これだけの内容で終わりである。往復30分ほどの行程だが、私の期待は見事に裏切られてしまう。これしきの内容しかないただの“洞穴”なのに、よくもまあ7ユーロの入場料を取ってビジネスにするものだ。その上、大げさにガイドまでつけて案内するとは、これいかにである。これ以上の鍾乳石洞穴なら、長崎県にだってある。ただの洞穴を見に来たのではないぞと文句をつけたい。


失望のうちに洞穴を出ると、早くも外は雨模様である。洞穴に入る前までは曇り空だったのに、わずか30〜40分のうちに雨に早変わりである。なんと移り気なこの地の天候だろう。それだったら入穴前に美しい風景写真を撮っておくべきだったと後悔しながら、雨にけぶる前方の緑の草原の風景を写真に収める。



 洞穴前に広がるバレン高原の様子。雨に霞んでいる。




POULNABRONE DOLMEN 
洞穴を後にすると、霧雨に霞んで見えない草原の中をさらに奥地へと進んで行く。しばらく走ると、雨の草原の中にポツンとたたずむ遺跡が現れる。“POULNABRONE DOLMEN”である(ドルメン=新石器時代から鉄器時代にかけて、世界各地で作られた巨大な石の墳墓)ここでバスストップとなり、降りしきる雨の中、傘をさしながらドルメンの位置まで100mほど歩いて行く。風雨の中、傘を差しての撮影に難儀する。


岩盤の上にぽつんと立つドルメン

このドルメンはカルデラ地帯の岩盤の上に造られており、屋根の部分には大きな一枚岩のプレートが載せられている。古代に、どうやってこの重い岩石を持ち上げて載せたのだろう? この墓に誰が葬られているのか知る由もないが、この付近に古代に生きる人たちが生活をしていたのは間違いないのだろう。


前から見たところ



(次ページへつづく・・・)










inserted by FC2 system