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    no.
(南アフリカ・ケニア・タンザニア・ジンバブエ・ザンビア・ボツワナ)



(ケニア編)






5.アンボセリ(ケニア)からンゴロンゴロ(タンザニア)へ・・・・ キリマン
  ジャロ・マサイ村・大移動


大移動
5日目の朝を迎える。昨夜はドクタ−の深夜にわたる2度の訪問で睡眠が寸断され、睡眠不足である。それにエンジントラブルで到着が遅くなり、疲労もかなり累積していて体が重い。にもかかわらず、今日の日程もとてもじゃないハ−ドである。ここアンボセリ公園を出発して、途中マサイ村を見学、そこからケニア国境へ出て越境し、タンザニアへ入国してンゴロンゴロ自然保護区へ向かうのである。この後半だけで5時間もかかる大移動で、ハ−ドなロングドライブが待ち受けている。
 

今朝もキリマンジャロ見えず
睡眠不足ながら、早朝5時半に目覚ましをかけて起床。それにはわけがある。それはキリマンジャロの姿を拝むためである。山が見えるのは、早朝か夕暮れがいいと聞いているので、早起きしたわけである。眠い目を無理に開きながら、とにかく外へ出てみる。真っ先に空を仰ぐと、まだ暗い。おや? 星が見えないぞ。深夜はあんなに見事な星空だったのに! これはなんたることだ!! まさか、こんなに早く急変するとは! 失望のどん底に突き落とされる。キリマンジャロの姿が見れるのを今朝にかけていたのに……。
 

やがて、東の空が明るみ始める。じっと目を凝らして見ると、やはり厚い雲が空を覆っている。これでは、どうにもならない。折角の早起きも徒労に終わってしまう。落胆にひしがれながら、再びベッドに横になる。昨日のトラブルといい、今朝の曇り空といい、何もかもついていないなあ……。そんなことを思うと、目が冴えて寝入りそうにない。昨日の今日なので、今朝は出発予定を遅らせて8時半になっている。そのため、早朝サファリも省略されている。一つ歯車が狂い出すと、何もかもうまくいかないものだ。あきらめるしかしようがない。
 

昨夜の到着が夜だったため、宿泊したこのロッジの全貌が分からなかったが、今朝になってはじめてその全景がつかめる。やはり、幾つかの建物が分散して建っている。ロッジの周りは広いサバンナに囲まれて、すばらしい景観を呈している。このロッジの名はオルトォカイ・ロッジといい、まあまあの設備である。しかし洗面の水は、やはりここも濁っている。
 





ロッジのコテージ










朝食を済ませて、フロントマンに「今朝の天候はどうなんでしょうか。キリマンジャロは見えませんかね?」と質問すると、彼はにこにこしながら「心配いりません。もうしばらくしたら晴れてきますよ。」と、自信たっぷりに答える。この厚い雲が覆っているのに、本当だろうかと疑いたくなる。ま、当てにしないで聞き流しておこう。とまれ、キリマンジャロの見える位置に立って、その様子の確認だけはしておこう。 

う〜ん、やはりこれではお話にならない。山の方向全体が雲に覆われていて、その全容はさっぱり分からない。でも、よく目を凝らして眺めると、キリマンジャロらしい山の裾野がぼんやりと広がっているのが見える。あれが、そうなのだろうか? 雲がなければ、ここからの山の景色はさぞかしすばらしいに違いない。でも仕方がない。この様子だけでもカメラに証拠として収めておこう。こうして撮ったのが、次の写真である。



 キリマンジャロの裾野がかすかに見えるサバンナの風景。(アンボセリのロッジ前から)




一服すると出発である。くるま2台のうち1台は代わりのジ−プである。みんなが分乗して出かけようとしていると、早朝サファリから帰ってきたグル−プが興奮覚めやらずといった様子で、ゾウと出会ったことなどを誇らしげに話している。「自慢話は、あまりしないでくださいよ。うらやましくなるから。」とだれかが押しとどめている。こうして不運な一行は、昨夜のトラブルのおかげで、今朝のサファリは省略され、マサイ村の見学に回ることになる。
 

サファリができない
ここアンボセリ国立公園は、ア−ネスト・ヘミングウェイがハンティングを楽しみ、「キリマンジャロの雪」を執筆した有名な場所である。アフリカ最高峰キリマンジャロ山(5895m)の山麓の北側に広がるサバンナ地帯だが、この山が噴火してできた古アンボセリ湖が干上がってできた平地だという。ここには800頭のゾウをはじめ、ケニアにいる大型動物のほとんどが見られるという。
 

マサイ村へ
サファリができないことへの悔しさを乗せながら、くるまは昨日来た道をマサイ村へ向けて走り続ける。昨夕の雨はあかって、道路の轍に溜まった水も干上がり、ほとんど残っていない。あれほどぬかるんでいた道路の状況は、一晩のうちにすっかり良くなっているのだ。だから、昨日のトラブった思い出の場所を注意深く探してみても、それがどこだったか見分けがつかない。意外と乾燥するのが早いものだ。
 

象の群れ
突然、くるまが止まる。おや、遠くに何やら動物の姿が見えるぞ。ドライバ−がいちはやくゾウの群れを発見して停車したのだ。5〜6頭のようだ。彼らが至近距離にいてくれたら、もっと迫力があるのになあ……。そう思いなら、3倍ズ−ムのカメラを目いっぱいに拡大しながら撮り収める。いま、この写真を見ると、ご覧のようにやはり小さくしか撮れていない。それに背景が惜しい。晴天ならば、恐らく遠く向こうにはキリマンジャロの姿が写っているはずである。あゝ、なんと惜しいことだ!
 





遠くにゾウの群れが・・・。










さらに、くるまは走り続ける。みんな昨日のナイト・サファリの疲れも残っている上に、多少の負傷も負い、さらには今朝のサファリも実現できず、その上キリマンジャロの姿も拝めないとあって、車内には沈滞ム−ドが充満している。やがて、道路から左にそれて、サバンナの中を突き進んでいく。まだ見えないが、この先にマサイ村があるらしい。
 

キリマンジャロが!
その時、「あっ、見えたっ!」と、突然私が大声で叫ぶ。みんなは一瞬、何のことか分からずに、きょとんとしている。そこでさらに「見えた、見えたっ!」と興奮して叫び続ける。やっとみんなも何が見えたのか理解する。そう、念願のキリマンジャロの姿が、目前にぽっかりと浮かび上がっているのだ!。ドライバ−よりも、そして助手席に乗っている添乗員さんよりも早く発見して、私が叫んだのである。寸前まで山を覆っていた雲が突然切れて、「ほ〜れ、みてごらんなさい。きれいでしょう。少しだけ、見せてあげる!」といわんばかりに、キリマンジャロが恥ずかしそうにその裸身を見せ始めたのだ。なんとも感動の一瞬である。雲は少々かかって霞んではいるが、真っ白に冠雪した頂きがまばゆいばかりにはっきりと見える。この天候で、これだけ見えれば申し分なかろう。みんなは歓声をあげて喜んでいる。ここぞとばかりに、その雄姿を写真に撮りまくっている。あのフロントマンの予測が的中したわけだ。う〜ん、これはお見事!




 突然姿を現したキリマンジャロ。だが、少し霞んでいる。







 キリマンジャロの頂がのぞく





なんとラッキ−なことだろう。きっと、幸運の女神が微笑んでくれたのだ。あれだけ厚い雲が覆っていたのに、それがほうきで払いのけるように雲が払われたのだ。神の仕業としかいいようのない出来事である。ほんとに、天候の変化は微妙で、刻々と変化するものである。こうして眺めている間にも、山は雲に隠れたり、現れたりして、めまぐるしい変化を見せている。何よりの贈り物である。みんなの顔にも笑顔が浮かんでいる。そして互いに「ほんとに見れてうれしいね。すっかり、あきらめていたのに、ほんとによかった!」と口々に喜びを語り合う。興奮もなんとかおさまり、念願のキリマンジャロが拝めた満足感に満ちながら、くるまは静かに動き始める。
 

マサイ村見学
みんなすっかりご機嫌を取り戻し、車内の空気も一転して明るくなっている。浮き浮きした気分で走っていると、前方にマサイ村らしきものが見えてくる。ここマサイ村は、ケニアに住む多くの人種の中の一種族であるマサイ族が住む集落の一つである。このマサイ族はケニアとタンザニア国境付近に多く住んでいるらしく、あちこちでその集落が見られる。ここアンボセリはマサイ族のホ−ム・グラウンドで、その集落が点在しているという。道路を走っていても、マサイ族の派手な衣装をまとった人々とよく出会う。一般的に、彼らは非常に誇り高く、なかなか他の文化を認めないといわれる。だから、写真に撮られるのも嫌うので、安易にカメラを向けてはいけない。トラブルのもとになるので注意が必要だ。
 

その一方で、観光客に慣れたマサイの集落もあり、ちゃっかり入場料を取ってダンスを見せたり、住まいや生活ぶりを見せたりするマサイ族もいる。これから訪問するのは、そんなマサイ族が住む集落で、1人20ドルの観覧料が必要である。村に到着して一行がくるまから降りると、リ−ダ−の村長が迎えに出て歓迎する。もちろん英語を話すのである。前方に低い小さな家の集落が見える。彼が合図を送ると、その陰からカラフルな民族衣装を身にまとったマサイ族の一団が手に手に長い槍を持って一列に並び、何やらかけ声をかけながら小走りに一行の方へ進んでくる。その迫力に圧倒される感じである。みんな、すらりとして背が高く、坊主頭である。だから、男女の区別がつけにくい。
 





マサイ族の一団
こちらへ向かって駆け寄ってくる。








広場の中央に来たところで半円形に整列し、そこで歓迎の歌と踊りを披露してくれる。それが終わると今度は、若者たちが次々と高いジャンプを見せてくれる。列の前に順に出て、ぴょん、ぴょん、ぴょ〜んと、4〜5回ずつ真上に飛び上がってジャンプするのである。その高さはゆうに40〜50cmはあろうか。助走をつけずに、その場で真上にジャンプしてこの高さだから、そのジャンプ力には驚かされる。
 





歌とダンスを披露
カラフルな民族衣装が美しい。













中央の男性がジャンプしている。









ジャンプの妙技が終わると住居のほうへ案内され、そこで彼らの生活ぶりを見せてくれる。まず、地べたの敷物の上に並べられた数種類の薬草について説明が始まる。これは胃腸薬、それは頭痛薬に傷の手当、これは精力剤などと説明がなされる。それが終わると、今度は火おこしの方法を見せてくれる。もぐさみたいなものを置き、キリで木材を摩擦して火を出す原始的な火おこし方法である。もちろん、ここには電気もガスもない。今でも、この原始的方法で生活しているらしい。でも、彼らの中には自転車を所有している者もいたりして、近代化は徐々に浸透しているようだ。
 

ふと地面を見ると、何やら黄金虫に似た虫が逆さまになって動いている。なんと、“フンころがし”が逆立ちしており、その後ろ足でフンを丸めながら後退しているのだ。現物を見るのは、これが初めてである。みると、上手にフンを転がしながらボ−ルを作り上げている。その妙技に感心しながら、珍しい行動にしばし眺め入る。
 

 「フンころがし」の妙技


今度は、リ−ダ−の村長さんのお宅を拝見する。家が狭いので、5人ずつ案内されて中に入る。そこは真暗で、一瞬何も見えない。次第に目が慣れてくると、ぼんやりと内部が見えてくる。中の広さは畳5畳程度。その片隅に夫婦のベッドが作られ、一方の端には子供たちの寝床が設けられた2ベッドル−ムの住宅である。もちろん土台は土で、その上に敷物があるだけ。土間の中央には、火を燃やす場所が設けられ、ここで調理をするのだろう。小さな小窓があるので、ここから煙は逃すらしい。
 





 ここが入口















夫婦のベッド
毛皮の敷物が敷いてある。








彼らの家は、屋根も土壁もすべて泥を塗り固めて造ったものだけに、なかなか重量感がある。この家の耐用年数は5年だそうである。こうした土壁の家を造るのは、みんな女性の仕事だそうで、3週間で完成するという。




 これがマサイ族の住居。背景にはキリマンジャロが見えているのだが・・・。なんとも絵になる風景である。




マサイの女性はなかなかの働き者で、たくましい。40歳前後の村長は、現在2人の妻と4人の子供(男2人、女2人)を持ち、家も2軒所有しているという。資産家になると、何百頭、何千頭の牛や羊を所有し、複数の妻をめとるという。甲斐性さえあれば、何人でも妻帯できるというわけだ。
 

彼らの食事は羊の肉と乳が主食で、ほとんど野菜は食べない。だから割りと短命らしく、50歳前後が平均寿命だという。細身で、すらりと背が高く、肥満は見られない。牛や羊の放牧は、よく子供たちがやっているが、喉が乾けば羊の血をしぼり出して飲むという。
 

彼らの衣服については、昔は動物の皮を赤く染めてまとっていたそうだが、近年になって布地に変わり、写真のような赤色系のカラフルなものをまとっている。この赤色というのは重要な意味を持っている。というのは、ライオンなどの猛獣類は赤色を毛嫌いするそうで、それらから身を守るための代々受け継がれた知恵なのである。衣装は、いずれも袖をとおして着衣するものではなく、ただ布地を無造作にまとっている感じである。村長に、「この衣装は何枚着ているのですか?」と尋ねると、内側に2枚、外側に1枚をまとっているという。
 

こうして彼らを見ていると、素朴な生活ながら、いかに自然に溶け込み、それと調和しなが暮らしているかということである。それにキリマンジャロを背景にして暮らす彼らの生活ぶりそのものが、とても素敵な絵になる風景をつくり出している。こんなことをわれわれ観光客がいうのは失礼なのだろうか。
 

とにかく環境破壊もなく、とてもクリ−ンな生活を送っている。それに比べ、現代文明を謳歌するわれわれの生活はどうであろう。深く考えさせられるところである。彼らは一定の場所に定住せず、各地を移動しながら放牧の生活をしているようだ。モンゴルの遊牧民もそうだが、テント生活ではないところをみると、モンゴルよりはやや定住性があるのだろう。
 

ふと気付くと、家々の入口の扉には、みんな申し合わせたように施錠がされている。いったいどうしてこんなところで施錠が必要なのだろう。こんな地でも盗難が起こるのだろうか。不思議に思って村長に問い質すと、「それは子供たちが中で火遊びをして危険だから、戸締まりをするのです。」という。もっぱら、親が不在の時に、子供たちを家から締め出すために施錠するらしい。意外な面に施錠が利用されているのが、彼ららしくて面白い。
 

最後は住居の裏手に案内されると、そこにはみやげ物を広げて女性軍が待ち構えている。地面に布を広げ、その上に彼ら得意のビ−ズ製品や木彫りの民芸品を並べて売っている。マサイ族は、装飾品にビ−ズを多用するらしく、首や腕には手作りの大小のネックレスやブレスレットを何重にも巻き付けて飾っている。買うつもりはないのだが、お付き合いでひとわたり見回してから引き上げることにする。
 





みやげ物を広げて売っている。
遠く向こうにはキリマンジャロが見える。








巨象と遭遇
小1時間ほどのマサイ村訪問を終えて、再び車上の人となる。しばらく走っていると、1頭のゾウに出会う。くるまを止めて眺めていると、だんだんとこちらへ向かってのそり、のそりと近づいてくる。わずか4mほどの至近距離にまで接近して、これ見よがしにその巨体を見せつけてくれる。口元には見事な2本の象牙が突き出ている。みんなは、ここぞとばかりに写真撮りに夢中となる。アンボセリの神が、サファリができなかったわれわれに申し訳ないと思ったのか、わずか1頭ながら、みんなのはなむけに差し向けたのだろう。
 





見事な象牙を持つ巨象
背中にはサギがとまっている。









ナイロビ郊外のレストランで昼食
キリマンジャロの姿も奇跡的に拝めたし、1頭ながらゾウの姿も目の当りにすることでき、みんなの沈んだ気持ちもなんとか持ち直してご機嫌となる。くるまは、がたがた道をしばらく走ってアンボセリ公園のゲ−トを通過し、ナイロビへ向かう。くるまの振動にも、多少は慣れてきた感じだが、やはり疲れる。
 

くるまは1時前、ナイロビ郊外のとある休憩所に入る。そこは塀に囲まれたブ−ゲンビリアが茂るゆったりした場所で、みやげ品店や飲食できるレストランみたいなお店もある。一行は、ここのテラスを借りて昼食にする。食事は弁当で、箱の中には大きなサンドイッチやスナック菓子、チョコレ−ト、バナナなどが詰められている。分量が多過ぎて、全部は食べきれない。ところが、このバナナがとてもおいしいのだ。まだ青味が少し残ってはいるものの、それなのにコクがあり、甘くてなかなかの味である。こんなうまいバナナは、日本の輸入バナナでは味わえない。これまで南米やエジプトなど現地産のバナナを食べた経験があるが、海外でこんなにうまいバナナに出会ったのは初めてである。アフリカのバナナは、おすすめものである。
 

レストランの出口の横では、いつも暇そうに4、5人の黒人ウェイトレス嬢たちがたむろして談笑している。そこで、その責任者らしき女性に「お店は繁盛していますか?」と尋ねると、「いいえ、今は特にシ−ズンオフなので暇なんです。乾季の6、7月になればお客さんも多くなるのですが……。」という話。これでも、合理化のために従業員を少々減員したのだという。何処も同じ、不況風が吹いている。それにしても、われわれ以外にお客の来る様子がない。彼女らも、暇を持て余すはずである。
 

食後の一服に、隣のみやげ品店を冷やかしに出かける。ここにも、申し合わせたようにアフリカ名物の木彫り製品が所狭しと並んでいる。相変わらず、盛んなセ−ルス活動に悩まされる。その中の一人が、小さな太鼓を手に取って見せ、それに付いた棒の柄をキリを揉むように両手に挟んで回すと、太鼓の両端にぶら下がっている木片が鼓面にあたってパラン、パランと、なかなかいい音を奏でている。ちょうど、ベビ−用のガラガラ風のものである。これなら小さくて荷にならず、格好の品である。
 

これは面白いと気に入り、値段を聞くと「5ドル」だという。再び、ここで値決め交渉が始まる。なんだか株式市場の場立ちの感じである。「2ドルなら買いましょう。」と、最初から低めの値段を切り出す。すると相手は、「3ドルならいいけど、それ以下はダメです。」と、とんでもない値段だといわんばかりの様子である。これは本気のようで、2ドルでは売らない気らしい。そこで、こちらも負けじと、現金2ドルを出して相手に渡そうとするが、まったく受け取ろうとしない。仕方なく、もの欲しそうな顔で、その太鼓をしばらく眺めて時間稼ぎをしてみる。だが、相手の態度は強硬で、その意思は変わりそうにない。とうとう、これで値段は折り合わず、交渉不成立となる。
 

あきらめて、喫茶店のテラスのテ−ブルに座り、食後の一服にコ−ヒ−を注文する。運ばれてきたのは、なんとコ−ヒ−カップに入ったお湯と袋入りのコ−ヒ−粉末である。店を構えていながら、このインスタントとは、なんとお粗末なこと。これで1杯1ドルである。この値段だと、あまり文句もいえないのだろう。粉末コ−ヒ−をお湯に溶かし、粉末ミルクと砂糖を入れて出来上がり。期待外れの面持ちで、ゆっくりと飲み始める。
 

こうして憩いのひとときを過ごしていると、先程交渉した店員が私を探して近づいてくる。どうしたのだろうと思って見ると、例の太鼓を手に持っている。そして、「これ、欲しいですか?」と尋ねるので、「えゝ、欲しいですよ。」と答えると、「じゃ、2ドルでOKです。」とあきらめ顔で差し出す。こうして、ついにこの太鼓を2ドルの値段でせしめることになる。これで、果たして儲けが出るのだろうか、ちょっと気になるところだ。
 

                  (タンザニア編)

6.ンゴロンゴロ(タンザニア)への道・・・・ハ−ドドライブ・巨大クレ−タ
                                        −

 
ンゴロンゴロ自然保護区へ
昼食が終わって2時に出発となる。これから国境を越えてタンザニアに入り、そこから5時間をかけてンゴロンゴロ自然保護区へ移動することになる。これから先の道程は選手交替で、タンザニアの旅行社から迎えに来た4台のジ−プに分乗して走行することになる。これから長く、辛い旅になりそうだ。すでに休憩所に到着している4台のジ−プに3人ずつが分乗して、いざ出発である。ここでその行程が気になり、ドライバ−に「ンゴロンゴロまでの道路状況はどうなんですか?」と尋ねると、「問題ありませんよ。グッドです。」と答える。それは本当だろうか? とにかく、信じることにしよう。
 





このジープに分乗して出発。









ここから目と鼻の先に国境がある。まずはケニアのイミグレ−ションで出国手続きを済ませ、そこから数十メ−トル移動すると、今度はタンザニアのイミグレ−ションである。そこで入国手続きを済ませると、風景は変わらないがタンザニア国内である。国境周辺には、粗末な民家が立ち並び、物売りで人出も多い。国境付近は撮影禁止になっているので、写真が撮れない。
 

駐車しているわれわれのくるまに向かって、みやげ売りの人たちが品物を手に手に持って殺到してくる。だが、くるまへ直には近づけない。というのは、駐車ラインが引いてある線内には立入禁止になっているのだ。だから、その白線上にずらりと立ち並んでみやげ品を持った手をいっぱいに差し伸べながら、これを買ってくれとわめいているのである。興味深い光景である。写真に撮ると面白いのだが、それができない。それにしても、手が届かないのに、どうやって品物の受け渡しをするのだろう。
 

タンザニアのこと
ここタンザニア連合共和国は、アフリカ東部のインド洋に面しており、その周囲はケニア、ウガンダ、ルワンダ、コンゴ、ザンビア、モザンビークといった諸国と国境を接している。面積は94万5千kuで日本の2.5倍、首都はドドマ(実質的にはダル・エス・サラーム)で、総人口は約3千万人、スワヒリ語と英語が公用語になっている。農業が主でコーヒー、紅茶、カシューナッツなどが産物。内陸部は平均高度1200mの高原地帯で平均気温は20度前後。西部の国境付近では反政府勢力との緊張関係があり、また難民キャンプが設営されるなど危険状態が続いているようだ。タンザニア国民は130の黒人系部族がそのほとんどを占め、その他インド系やアラブ系住民がいる。宗教はイスラム教が31%を占め、キリスト教が25%となっている。われわれが明日サファリ予定のセレンゲティ国立公園は世界遺産に登録されている公園である。


町並みを抜けると、一本道のきれいな舗装道路が続いている。ん、これは意外と立派ではないか。ケニアの舗装道路よりは少しましなほうである。穴ぽこや、でこぼこがやや少ない感じである。でも、くるまがジ−プに変わったので、一段とクッションが悪くなっている。それでも100km前後のスピ−ドで突っ走る。先日のトラブルがあったので、ここでもスピ−ドは出さないようにと告げられている。振動は、やはり体にこたえる。
 

2時間ほど南に走ったところで、アリュ−シャという町に到着。その町外れにある休憩所(例のごとく、みやげ品店がある。)に入り、そこでトイレ休憩となる。再びここを出発して郊外に出ると、そこから舗装道路を西にそれて地道に入っていく。これは大変なことになってきたぞ〜。
 

激しい振動
天候は問題なく、シャワ−(にわか雨)もないし、浮かぶ雲の間からは青空がのぞいている。が、くるまの振動とその衝撃はすさまじく、おまけに先行車の砂煙をかぶる始末。この地道は、見た目にはそれほど悪路でもなさそうなのだが、そこから来る振動の衝撃は、ナクル湖への道を走る時よりも身にこたえる。なにせ、背もたれに体を預けようものなら、全身が強烈なバイブレ−タ−にかけられたような感じで、到底辛抱ができない。だから、いつも背中をシ−トから浮かせて離れ、前のバ−を握ってバウンドに備える姿勢を保たなければならない。疲れること、はなはだしいものである。ジ−プという自動車は、普通人の乗るくるまではなさそうだ。 あまりに砂煙がひどいので、持参のマスクを取り出して口に当てる。暑いので息苦しいが、喉の予防のために仕方がない。時折、マスクを取って見ると、それがみるみる茶色に染まっている。このことからも、いかにひどい砂ほこりかが分かるというものだ。なんとまあ、大変なドライブであることよ!
 

途中の風景
とにかく、こんなハ−ドな走行が、地道に入ってから延々と3時間も続くのである。だが、走行中の車窓に流れる風景は、この悪路とは裏腹に、実にすばらしいものである。どこまでも続く広大なサバンナあり、美しい緑の草原あり、そして時には樹木がまばらに生える林ありと、さまざまな変化に富む風景を堪能させてくれる。この地域は例の大地溝帯の中にあり、そこを横切りながら走行しているわけで、はるか遠くにバレ−のエッジ(壁)が望める。
 





走る車窓から眺める草原の風景
遠く向こうに大地溝帯のバレーが見える。








ゲート到着
くるまはようやくバレ−の丘陵に差しかかり、坂道を上って行く。ここを上りあがってしばらく走ると、目指すンゴロンゴロ自然保護区のゲ−トに到着する。ここの事務所で、悪路との闘いに疲れた一行は小休止となる。その間に、この保護区全体の地形を示したミニチュア模型で、この地域の説明を受ける。ここには巨大なクレ−タ−があるのだが、これは火山が噴火してできたものらしく、今夜の宿泊ロッジは、そのクレ−タ−の崖っぷちに建っている。そして、「ンゴロンゴロ」の地名の由来についても説明がある。それによれば、その昔、この地に白人が侵入して来た際、先住民たちが逃げまどうわけだが、その時に体に付けている鈴が“ゴロン、ゴロン”と鳴り響いたそうである。そこから地名が生まれたという。なるほど、面白い由来があるものだ。
 





ンゴロンゴロ自然保護区のゲート










巨大クレーター
ここンゴロンゴロ自然保護区は、南北16km、東西19kmの巨大クレ−タ−の底に広がる区域で、キリンとインパラを除く多くの動物が棲息し、火口壁に囲まれた自然の楽園のようなところである。ほとんどの動物は、ここで一生を過ごすそうで、人間が住んでいない数少ない野性の領域となっている。このクレ−タ−は火口縁が標高2300〜2400m、クレ−タ−底の標高1800m、深さ600mという世界でも有数のものである。
 

再びくるまは走りだし、間もなくロッジに到着かと思われたころ、フォトストップで停車する。下車してみると、そこには視界いっぱいに広がるクレ−タ−の夕暮れ風景が静かに横たわっている。なんとすばらしい景観だろう。もう日も落ちて、クレ−タ−は夕闇に包まれる寸前である。左手前方に広がる湖面が、今日最後の輝きに静かに映えている。このクレ−タ−のサンセット風景に魅せられて、なんとも立ち去り難い気持ちに陥る。




  巨大クレーターのサンセット風景。




ロッジ到着
結局、ゲ−トから40分ほどかかってやっと午後7時にロッジ到着である。ハ−ドなロングドライブも、これでやっと終わりを告げる。ここはクレ−タ−の火口縁に立地するロケ−ション抜群のロッジで、ここのテラスからはクレ−タ−が丸見えである。割り当てられた部屋は反対側で、残念ながらクレ−タ−は見えない。もっとも、今の時間は暗くなっていて、どの部屋からも何も見えないはずだ。
 

ここはンゴロンゴロ・ワイルドライフ・ロッジという名だが、別棟になったコテ−ジ方式ではなく、普通のホテルと同じ1棟の建物となっているので便利である。料金はシングル=$140、ダブル=$196となっている。バスル−ムにはバスタブもあり、申し分なし。ただ、やはりここでも水は茶色っぽい濁り水である。電気は夜遅くに消灯され、早朝に点灯されるようだ。
 

7時半から夕食が始まり、バイキング料理にビ−ルで乾杯。食事が終わると、食堂横のロビ−でアクロバット・ショ−があるというので、見物してみよう。アリュ−シャの町からやって来たという男性のアクロバット・チ−ムによるショ−である。体操競技の延長を見ているようなもので、それほど観客を引きつけるものはない。
 





アクロバット・ショー










ひとしきり見終ったところで部屋へ引き上げ、洗濯、入浴を済ませる。ここには2泊するので、大物の洗濯が可能だ。バスタブがあるので、傷を負った右足を縁に乗せながら不便な入浴を済ませる。さあ、明日は終日草原をかけめぐる本格的なサファリが始まる。気になる天候はどうなのだろう。



(次ページは「セレンゲティ国立公園編」です。)










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