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  N0.5
(&カンボジア)




5.ホ−チミン市・メコン河観光
 
ホーチミン市到着
こぢんまりしたシェムリアップ空港を18時20分に飛び立った飛行機は、予定より35分も早い19時にホ−チミン空港に到着。わずか40分の空の旅で楽勝である。ハノイに続いて二度目の入国手続を済ませて玄関に出ると、出迎えの係が一行を待ち受けている。揃ってバスに乗り込むと、すっかり暗くなった夜の道路を市中のホテルヘ向けて走行する。市内に入ると、ハノイとは全く違って活気に満ちた夜の街の風景が広がっている。さすがに、ベトナム随一の商都ホ−チミン市だけのことはある。
 

ホーチミン市のこと
この街は人口500万人を超えるベトナム最大の商業都市で、同国南部のサイゴン川の西に位置している。19世紀後半になってフランスの植民地になると、正式名称をサイゴンと規定し、20世紀初頭には事実上インドシナで最大の都市となり、極東の真珠と呼ばれるようになった。1975年の南北統一まで南ベトナムの首都であり、サイゴンと呼ばれていた。今でもこの旧名がよく使われているという。19世紀の最後の20年間に、現在の人民委員会、インドシナ銀行、国庫、サイゴン港、郵便局、教会、牢獄など、西洋建築スタイルによる重要な建物が建てられており、これらは今でも見ることができる。
 

この街の呼称はただのホ−チミンではなく、“ホ−チミン市”と呼ぶのが望ましい。というのは、「市」をつけない呼び方では、この国の建国の父ホ−チミン主席の名を呼び捨てにすることになるからである。
 

ホテルへ
空港から20分ほどでホテルに到着し、早速チェックインすると部屋に入ってくつろぐ。夕食もすでに済ませたことだし、あとは何もすることがない。夜の外出は危険でもあるし、昼間の疲れもあってその元気も出ない。ただ、ホテル前の様子を写真に撮ろうと出てみると、この時間(夜8時過ぎ)でも通りはバイクにあふれて活況を呈している。この辺りは盛り場ではないが、ちょっとした飲食店などが散見される。その後は部屋に戻り、入浴、洗濯を済ませて早目に床に就く。
 

夜も賑やかなホテル前のストリート

二日目
二日目朝、6時に起床。いつものように真っ先に外の様子をうかがうと、今朝もきれいな青空が広がっている。今日は今度の旅の最終日、その後は帰国するばかりである。なんとなく寂しい気持ちになりながらも、最後のメコン川クル−ズに期待を寄せて元気を取り戻す。
 

フォーの朝食
食堂に出向くと、うれしいことに、ここでもフォ−の調理サ−ビスを行っている。それを見つけると、早速注文して調理してもらう。これが最後の朝食で、その有終の美を飾って最後のフォ−を味わい深くいただく。一緒のテ−ブルに座ったマレ−シアから来たという家族連れの父親は、おいしいおいしいと言いながら2杯もフォ−のお代わりをしている。
 

食事を終えると、その足で玄関前に通りの様子を見に出てみる。すると目の前には朝日を浴びながら出勤するバイクの洪水風景が広がっている。どこまでも尽きることのない人とバイクの列、これがベトナムの原風景といえるのだろう。


朝の出勤風景

これが10年後になって、どんな風景を見せてくれるのか、もう一度訪れてみたい。これだけの人がマイカ−通勤になると、恐らく交通は麻痺してしまうだろう。現在のバイク通勤がいちばん経済的で合理的なのかもしれない。
 

市街の風景
部屋に戻ると、窓外の風景をパノラマ連続写真に撮り収める。そこには日本の場合とよく似た風景が広がっている。写真だけ見ると、これが外国だとは判別できないに違いない。それほど家並みの様子が酷似しているのである。ただ、ここの特徴はウナギの寝床のように建物の間口が細く狭くて、奥行きがある点だろう。これはハノイも同様だ。



ホテルの窓から眺めたホーチミン市街




この街ではワンル−ムマンションで家賃の月額が4万円という。都市部だからしようがないのだろうが、それにしてもちょっと高い。生鮮食料品は安くても、ここでは住居費がかさむので暮らしも楽ではなさそうだ。だから、中央部では高給取りでないと暮らせない。低収入であれば、少し離れた郊外の家を探すしかないようだ。
 

メコン河へ
部屋で一休みしていると時間が来て、いよいよメコン河クル−ズへ出発である。クル−ズ船の船着き場があるミト−まで約2時間の行程である。郊外に出ると、両側にはグリ−ンの田園風景が広がっている。その中を貫通するよく舗装された道路を走行するのだが、荷動きが活発で行き交う車の数も多い。この地帯は有名なメコンデルタと呼ばれるベトナムきっての穀倉地帯で、米の生産は年四毛作で収穫されるという。他の地域は3毛作だが、それほどこのデルタ地帯が肥沃だということだろう。
 

メコンデルタ地帯の田園風景

このメコン河は東南アジア地域最大の規模を誇る国際河川で、特にインドシナ半島の自然社会に大きな影響を与えている。メコンの語源は、タイ語で“Mother of the Water”とされるが、実際には地方や国ごとに独特の呼称があるらしい。この河は中国領内チベット山系東縁に水源を発し、→ミャンマ−→ラオス→タイ→カンボジアと通過し、そしてアジアの大穀倉地帯メコンデルタを経て南シナ海に達する。
 

この6ヶ国を流れる母なる河メコンの主流延長は実に4,800kmにおよび、水資源はもちろん、アマゾン河流域に次ぐ多様な生物をはぐくんでいる。この流域は再貧困国を含む発展途上の国々であり、政治的、経済的な利害関係が絡み合って複雑な問題をはらんでいる。
 

メコンデルタ
メコンデルタはこの河が河口に造り出した総面積49,530kuの巨大な三角州で、河川と水路が複雑に入り組んだこの湿地帯は、世界の一大穀倉地帯として知られている。しかし、このデルタ地帯は、かつて海面下に沈んでいたため、硫酸塩土壌という農業にとっては致命的なハンディを背負わされてもいる。だが、それも克服して4毛作を実現しているのは、やはり上流域から運ばれた肥沃な土壌があるからだろう。
 



いまバスは、このベトナム南部に形成された大三角州メコンデルタに向かって走りながら、その一角にあるミト−という町を目指している。ここはホ−チミン市から最寄りの地点にあり、クル−ズ遊覧船はここから出発するのである。メコン河はこのデルタ地帯で4つの支流に分かれているが、ミト−の町はこの一番北側の支流、つまりホ−チミン市に一番近い支流に面している。
 

遊覧ボート
バスはようやく河岸に到着。下車すると早速、屋根付きの遊覧ボ−トに乗船する。河の流れは茶色に濁った泥水で、お世辞にもきれいだとは言えない。これが6ヶ国を流れながらこの地まで運ばれて来た肥沃な土壌ということだ。この堆積が肥沃なデルタ地帯を形成するのだ。この支流の河幅は広く、優に300mはあるようだ。このボ−トのクル−は母子の2人で、母親が舵を握るキャプテン、息子はその助手というところである。
 

遊覧船の発着場


船内の様子。立っているのはガイド君。

船は岸を離れて川中に出ると、下流に向かって進行する。両岸遠くに建物が並び、中には水上生活者の家屋も見える。


メコン河の風景(川下を向く)


上流の風景


ここにも水上生活者の船が・・・。

こうして30分ほど走ったところでUタ−ンし、川中に川州でできた大きなタイソン島に向かう。緑の木々に覆われた島の岸辺に上陸し、ここの果樹園に立ち寄っていろいろ新鮮な果物などの接待を受ける。これもちゃんとクル−ズツア−に組み込まれているようだ。欧米の観光客も大勢上陸している。
 

川州でできたタイソン島
上陸した所は、ジャングルのように樹木が生い茂る自然豊かな場所で、その中に木々で覆われてトンネルのようになった細い路地が設けられている。新鮮な自然の空気に包まれて、なかなか感じのよい所である。そんな緑の中のガ−デンの一角に憩いの場所が設けられている。


緑に囲まれたジャングルの小道

最初の訪問先は養蜂園で、養蜂家が蜜蜂の巣を取り出して見せてくれる。巣に貯められた蜂蜜を指先で取って舐めてみると、口の中いっぱいに自然の甘味がふわ〜っと広がってくる。巣からの生取りは初めての経験である。
 

ミツバチの巣にハチがいっぱい。ここから蜜をすくって舐める。

ここにはテ−ブルセットが置かれて、他の観光客も大勢立ち寄っている。蜂蜜やこの作業場で作られたキャンディなどを商品として販売している。そのキャンディや蜂蜜入りのティなどのサ−ビスあがり、喉を潤しながら憩いのひとときを過ごす。ここの住人は、この島で観光客相手にこれらの商品を製造販売しながら生活している模様だ。


ここで茶菓の接待が・・・。








 フルーツの女王ドリアンの木















この家の裏手に回ってみると、そこにはあのフル−ツの女王ドリアンの木が高々とそびえている。そして、まだ小粒ながらドリアンの実がいっぱいぶらさがっている。女王とは言え、こればかりは食べ慣れないといただけるフル−ツではない。
 

ここを立ち去って少し奥へ進と、今度はやや広いガ−デンにヤシの葉っぱで屋根を覆った風流なハウスが見えてくる。ここで再び休憩である。長テ−ブルに着くと、今度はいろんな種類の新鮮なフル−ツが接待される。パパイヤ、パイン、マンゴ、モンキ−バナナ、それに何やらピンポン玉みたいなフル−ツまで並ぶ。すべてこの島で採れたものなのだろう。ひと切れずついただくと、もうお腹いっぱいになる。甘くてコクのある南国のフル−ツは、そんなにたくさん食べれられるものではない。
 

南国ムードいっぱいのハウス


とりどりのフルーツ

一息ついていると、親が民族楽器を奏でながら子供が歌う家族楽団がやってくる。3人の子供たちが小さい順に交替しながら歌っていく。みんなは、素朴な民俗楽器の音色と可愛い子供たちの歌い振りに聞き惚れている。このハウスでは唄のサ−ビスまでしてくれるのかと、いい気持ちになっていると、何のことはない。歌い終わると、早速チップのおねだりだ。子供の差し出すモミジのような手を見ると、聴衆はみんな懐を緩めてしまう。
 

親は楽器を奏で、子供たちに歌わせる。

ジャングルの水路下り
こうして養蜂園とフル−ツハウスの二箇所で都合30分ほど過ごした後、今度は島の奥に向かってジャングルの中を歩き出す。すると、その先に泥水で濁り切った狭い水路が見えてくる。これが本流まで続いているらしく、ここから小船に乗ってメコン河まで漕ぎ出るというわけだ。なかなか趣向のあるメコンの旅である。これも観光客用の商売なのだろう。
 

小船のたまり場

4人乗りの小船に分乗して水路下りの開始である。船頭は2人で、そのほとんどが女性である。三角帽子のノンを被った船頭さんが小船を漕ぐ風景はいかにものどかで、ベトナム情緒たっぷりである。両岸に生い茂るジャングルのトンネルの中を音もなく漕ぎ進む。時折、戻りの船と離合しながら、なおも進んで行く。


上りの船と行き交う


しかし、この水路の流れを見ると、よくぞここまで泥水に濁ったものだと感心させられる。それほど、どこかで泥がへずられているということなのだろう。多分、この水路は島の灌漑用に設けられたもので、島内で栽培される作物に使われるのだろう。この鬱蒼としたジャングルの様子を見ていると、ふとアマゾン川のジャングルのことを思い出す。この小船遊覧は、なんともリラックスできて心休まるひとときである。
 

ココナツジュース
こうして20分ほどかけてジャングルの水路を通り抜けると、広いメコン河本流に出る。ここで待ち受けていたボ−トに乗り移り、小船に別れを告げて出発点の船着き場に向かう。メコン河の川風に吹かれて、最後のクル−ズを楽しんでいると、後ろの甲板で助手の息子が何やら作業を始めている。見ると、ココナツの実をナタで割っている。これからココナツジュ−スをみんなに振舞おうというのだ。その心憎いほどの演出に思わず感動してしまう。
 


この旅でも同行仲間が食事の折にココナツジュ−スを飲んだりしているのは、度々見かけていたが、自分で飲む機会はなかった。これを初めて飲んだのは、20年以上も前のバンコクでのことである。思わず懐かしい思いに胸が踊り、飲み口をナタで割る様子に見入る。これらのココナツは、多分、上陸したあの島で仕入れたものだろう。
 

ストロ−を添えて配られたココナツを抱えて、乾いた喉を潤す。やや甘味のある飲みやすい天然ジュ−スだか、少し胃には重い感じがしてゴクゴクと飲み干しにくい。半分ほど飲んで残してしまう。このクル−ズは最後の最後まで客を退屈させず、絶えず変化に富んだ体験ともてなしを与えてくれる。なかなかお勧めのクル−ズである。


なお、このメコン河を遡って船で乗り継ぎながら、カンボジアのシェムリアップまで行けるのである。なかなか変化とスリルに富んだ旅ができるようだ。一度は訪れてみたいコ−スではある。
 

名物エレファントフィッシュで昼食
母なる河メコンに別れを告げて上陸すると、今度は近くのレストランへ向かう。今日の昼食は地元名物エレファントフィッシュのご馳走である。このレストランは、支流の川沿いに建てられた静かな南国ム−ドただよう素敵なところで、かなり広い敷地に館が広がっている。ここも観光客の立ち寄るコ−スになっているようだ。


河岸いっぱいに設けられた特等の桟敷席に案内され、リラックスム−ドにひたりながら昼食が始まる。面した川は相変わらず茶色の泥水だが、川向にヤシの木が茂る南国風景を眺めながらの昼食は気分最高である。この狭い川ながらも、時折大きな荷物運搬船が行き交っている。
 

川岸のムードあふれるレストラン


レストランの様子。左側が川。

最初にド〜ンと運ばれてきた料理は、名物エレファントフィッシュ。それがなんと珍しいことに、植物の茎で支えて魚を直立させているのだ。これまで、横たえられた魚しか見たことのない私には、その発想がとても新鮮に思えて感動してしまう。王者の貫禄のあるこの魚は縦幅が広く、象の耳に似ているところから、エレファントフィッシュの名が付けられているという。空揚げされたこの魚は白身であっさりした味をしており、なかなかいける魚である。
 

これがエレファントフィッシュ

出された料理はこれもご馳走で、エビ、揚げ春巻き、鍋物ス−プ、油で揚げた餅のボ−ル、それにフル−ツはモンキ−バナナである。缶ビ−ル(2.5ドル)を注文して、南国ム−ドにひたりながらたっぷりいただく。
 

ガ−デンの一角で、餅のボ−ル揚げの調理風景を見せている。中華料理によく出される丸いボ−ル状に膨らませて揚げた餅料理である。その膨らまし方を見ていると、餅のようにこねた物を少し千切って油の中に入れ、それを長い棒箸でくるくる回しながら揚げるのである。するとみるみる膨らんで中身は空洞のボ−ルのようになる。これを丹念に回しながら揚げるのである。ここのは大きくて、直径が20cmはあるかという巨大ボ−ルである。初めて見る珍しい調理光景に興味津々である。
 

ホーチミン市へ
素敵な昼食で満腹した後は、再びバスに乗ってホ−チミン市へ向かう。市内に至るまでの2時間の行程は、来る時に見たメコンデルタ地帯の広大な田園風景である。車窓から見える範囲では、主に米の植えつけのようだ。このデルタ地帯に異変がないかぎり、この国の食糧は安泰だ。
 

信号機のない交差点
ようやくホ−チミン市内に入ると、これからしばらく市内観光である。訪問場所は統一会堂、サイゴン大教会、中央郵便局、ベンタイン市場などである。今日の帰国便は夜の12時ごろだから、時間はまだたっぷりある。市内の交差点を通り抜けて、まず最初は統一会堂に向かう。ところで、この街の交差点はなんとも風変わりで、そのほとんどに“交通信号機”が設けられていないのだ。それが大通りの交差点でさえもそうなのである。
 

このバイクと車に埋まる通りなのに、どうやって信号機なしに通過できるのか不思議でしようがない。その交差点の様子を見ていると、適当に自分の進む方向に徐々に譲り合いながら勝手に入り込んで行くのである。このやり方で結構混乱することもなく、スム−ズに交差点を通過できる。所変われば品かわるで、なかなか珍しい風習である。日本国内では、ちょっと考えられない光景だ。
 

統一会堂
最初に到着したのは統一会堂である。門を入ると広い芝生の庭園が広がり、その奥に学校の校舎のような建物が見える。これが統一会堂で、その中央には赤地に黄色の星マ−クが付いたベトナム国旗が翻っている。ここは1868年にフランスのインドシナ総督の宮殿として建設されたもので、その後サイゴン政権の手に渡る。
 

統一会堂の全景

しかし、その後の戦乱で破壊されたため、再建築されて現在の姿となっている。広さは2000uで100室の規模を誇り、室内装飾はベトナムの芸術や工芸で飾られている。1976年に南北の統一がなされると、統一を意味する「トングニャット」の名称に変えられている。現在では外交の舞台、式典の場として重要な場所となっている。
 

バスはぐるっと回って玄関前まで入り、そこで下車して内部を見学する。地階には軍事作戦の司令室、階上には大統領の執務室などがあり、1階には大会議室の広いホ−ルなどがある。宮殿ではないので、大した室内装飾も、また特に目新しい興味をひくものもなく、変哲のない各部屋の様子を見るだけである。暑くてへばっているので、あまり見て回る気力も出ない。
 

玄関に立って広い庭園を眺めると、その左片隅に戦車が2台据えられている。ガイド君の話によれば、北ベトナム軍が攻め入った時、この2台の戦車がサイゴン政府のこの建物めがけて砲撃を加え、それが戦争終結をもたらした記念すべき戦車なのだという。だから、その記念物として大事に保存されているのだろう。
 

記念の戦車が2台

サイゴン大教会
ここで小1時間過ごした後、次は市の中心部にあるサイゴン大教会へ向かう。この教会の前にはロ−タリ−があり、それを取り囲むように、フランス植民地時代の「プチ・パリ」と呼ばれていた名残りを示す建物が並んでいる。その一つがこの教会で、聖母マリア教会とも呼ばれる。ベトナムにあるフランス建築物では代表的なものだそうで、フランス本国から運ばれた赤レンガ造りで左右対称の尖塔が印象的なゴシック建築(1883年)である。正面のロ−タリ−には聖母マリア像が立っている。
 







 優雅なサイゴン大教会
















中央郵便局
ロ−タリ−の横手には、これもレンガ造りのようなどっしりとしたベ−ジュ色の建物が並んでいる。これが中央郵便局で、これもフランス植民地時代の建築物である。この周辺にはこうした歴史的な建造物が並んでプチ・パリ時代の瀟洒な雰囲気をただよわせている。
 

フランスの香りが残る中央郵便局

小学校の下校風景
郵便局と反対側に目を移すと、何やら大勢の人が門の前に集まっている。ここは小学校だそうで、夕方の今頃が下校時間らしく、それで各家庭の親たちがバイクで子供を迎えに来ているのだという。バスなどの交通機関が発達していないから、親たちが出迎えざるを得ないのだろう。これだと、子供たちも安全で、途中誘拐されたり、事故に遭うこともなく安心だろう。だが、送り迎えの親たちは大変だ。親子にとっては、こうした登下校中のスキンシップも大事なことに違いない。日本も見習う点があるようだ。
 

小学校前の出迎え風景


土産品店で汗流し
ここを後にすると、今度は土産品店に案内される。ここで入浴できるから自由に使ってよいとのこと。店内に入ると、その奥に入浴設備がある。早速、覗いてみると、バスタブなどはなく、ただシャワ−室だけである。脱衣するのも面倒なので、熱いお湯で首から上だけを拭くことにする。これでも少しはさっぱりなって心地よい。あとは店内でサ−ビスのお茶をいただきながら時を過ごす。みんなも何一つ買う物がなく、ただサ−ビスを受けるばかりで気が引ける。 


ベンタイン市場

小休止をした後は、最後の訪問場所、ベンタイン市場へ向かう。市内の中央部にあるこのマ−ケットは、市民の生活を支える重要空間である。建物の内部は広大で、食料品をはじめ、日用品、衣料品、雑貨、土産品などを売る店が何列にも並んで買い物客で賑わっている。ここで40分ほど過ごすというので、広大な内部をぶらぶらと一巡りしてみる。その豊富な品揃えは壮観で、小物に目がない女性なら、時間がいくらあっても足りないかもしれない。
 

商店の列が並ぶ市場の内部


果物などの食料品もいっぱいだ

ここが最後ということなので、何か安い土産品はないかと物色する。目に留まったのは小さなベトナム人形である。三角帽子のノンをかぶり、アオザイを身にまとった人形である。1個1ドルというので5個買うことにする。ベトナムみやげはこれのみ。カンボジアみやげは小さな仏像1個のみ。今度の旅の記念品はこれだけである。
 

今度は表の通りに出てみる。そこには道幅の広いレロイ通りが走っており、暗くなり始めた夜の通りをバイクと車がびっしりと埋め尽くしている。この前はロ−タリ−になっているようで、その中心には何やら騎馬像が立っている。しばらく立ち尽くして、その喧噪ぶりに眺め入る。
 

市場前のストリート風景


最後の晩餐は海鮮料理
出発の時間が来て、バスは最後の夕食場所へ向かう。最後の晩餐料理はベトナム海鮮料理である。缶ビ−ル(2.5ドル)で乾杯し、ベトナムの味をしっかり舌に記憶させながらいただく。お〜、生春巻きが出て来たぞ! これが最後のチャンスとあっては、ボイコットできまい。これまでお腹を壊してはと遠慮してきたが、あとは帰国するばかりだから、もうその心配もいるまい。思い切っていただくことにしよう。
 

初めて味わう生春巻きだが、私にはやはり揚げ春巻きの方が口に合っている。そのパリパリ感がなんともおいしいのだが、生にはその食感がない。とまれ、生と揚げの両方を口にでき、そしてアオザイ姿の女性が奏でる民族楽器の妙なる音を耳にしながら満足満足のベトナム料理である。
 

レストランで民族楽器の演奏が・・・

空港へ
こうして最後の食事を終わると、あとは空港に向かうばかり。いつも旅の最後に味わう寂寥感にひたりながら、車窓から流れる街の夜景を見送る。空港は街から近いからすぐに到着である。空港玄関には係官が入場をチェックしており、航空券所持者以外は入れない。そこで、ガイド君とはここでお別れである。
 

こうしてすべてに別れを告げ、23時55分、タンソンニャット空港を定刻に離陸した機は深夜の空に吸い込まれて行く。変化と刺激に満ちた7日間の素敵な思い出を残しながら〜…。


6.あとがき
ガイド君が、ベトナムは日本より50年も遅れていると盛んに力説していたが、確かにそれは正鵠を射ているのかもしれない。一国の経済発展には、まず道路、港湾、鉄道、通信施設など、社会基盤の整備充実が不可欠だが、それが実現したとしても、果たしてこの東南アジア地域でそれが可能なのだろうか? 


年中夏の気候にあるこの地域では、暑さによるエネルギ−消耗が激しくて、その発展意欲を阻害するだろうからである。いくら暑さに慣れているとはいえ、年中この暑さ続きでは活動意欲も削がれてしまうだろう。やはり、熱帯地域の発展は人間の気温への順応能力如何にかかっていると思われる。資本力もだが、この点にこそ経済発展の困難性が隠されているような気がしてならない。


ベトナム、カンボジアを含め、この地域への日本の経済援助は欧米先進国をはるかに上回る額を支出している。一日も早く自助努力によって自立できる国に発展し、国際貢献ができる力をつけてほしい。それが実現できれば、対等な立場で相互依存関係が結ばれるし、世界の発展に向けてより望ましい共存共栄が図られることになるだろう。          (完)

                          (04年12月30日脱稿)






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