(旅のコース)
17.世界遺産・カルタゴ
チュニジア7日目。今朝も6時に起床。体調は上々である。だが、今日でチュニジア観光も最終日かと思うと、なんだか心は重い。しかし、こればかりは時の流れを引き止めることはできないので、あきらめるより仕方がない。やおらベッドから抜け出し、窓外の様子をうかがう。珍しく、少し雲が出ているが雨の心配はなさそうだ。
今日の日程はかなり詰まっている。まず郊外のカルタゴ遺跡を観光、その後、チュニジアンブルーと白壁がまぶしいシディ・ブ・サイドの町を観光、そして最後はチュニス市内観光である。みんな近場ではあるが、見所いっぱいである。出発は早く、8時スタートとのことである。まずは馴染みのバイキング料理で腹ごしらえだ。
カルタゴのこと
ハンニバルと言えば歴史的にも高名なカルタゴの将軍。その彼の母国カルタゴはチュニスの北北東15km、チュニス湾沿いにある都市国家であったが、現在は遺跡となっている。紀元前814年にフェニキアの女王ディド(エリッサともいう)が建設したと伝承されている。当時は地中海第一の海運国で、多くの軍艦を保有していたという。
だが、紀元前3世紀から紀元前2世紀の3次にわたるポエニ戦争で一時廃墟となるが、ローマ時代に復興し、拡張発展することになる。7世紀のアラブ侵攻以後、首都がケロアンに移り、その後11世紀には都がチュニスに移って再び廃墟となる。
ポエニ戦争でカルタゴが陥落した後、ローマの指揮官スキピオは都市の徹底破壊と焼却を命じ、さらに地面を鍬でならし、そこに塩を撒いて作物もできず、人も住めないようにしたという。カルタゴが再び復活することがないように、カルタゴ人は虐殺されるか奴隷にされ、港は焼かれ町は破壊された。陥落時にローマが捕虜としたのは5万人にも上ったとされる。当時の人口40万人が5万人にまで減少したと言う。こうして焦土と化すわけだが、これによってカルタゴの記録資料などはすべて消滅し、伝説のものとなってしまう。ただ唯一の例外は墓地だけがそのまま残ったという。
カルタゴ市街が一望できる「ビュルサの丘」(ビュルサはギリシャ語で牛の皮の意味)と呼ばれる高台があるのだが、ここがかつての都の中心で、現在は博物館が建っており、周辺には2世紀にローマのアントニヌス帝が造った「アントニヌスの浴場」、軍艦が出入りしたという「カルタゴ港」、古代神を祀る墓地「トフェ」、1万人を収容したという「ローマ劇場」などの遺構が残っている。この遺跡は1979年に世界遺産に登録されているが、遺跡のほとんどはローマ時代のものである。
カルタゴ遺跡・トフェ
8時にホテルを出発したバスは、路面電車の走る市街地を走り抜けて郊外の海岸地帯へ向かう。走ること40分で閑静な住宅街の一角でストップ。ここにはカルタゴ時代の古代神(火の神バール・ハモン、天と豊穣の女神タニト神)が祀られている神殿跡がある。
チュニス市街を路面電車が走る
これらの神に捧げられる生贄のことについて研究しようと、フランス人の歴史学者が19世紀の終わりごろに当地に赴き、発掘調査(6m〜12mの深さを掘った)を行ったという。そこで出土されたのは墓石、金製品、陶器などのほか、2000ほどの灰の箱も発見されたという。この箱の中には鶏、山羊、羊、牛などの動物の灰ばかりで、人間の灰はもちろん、幼児の灰もなかったという。
このことから、カルタゴ人の残虐性について語り継がれて来たこと、つまりカルタゴ人は子供を犠牲にして神への捧げ物にしていたという説についての事実はないことが判明したという。ガイドさんによると、この話はカルタゴ人を嫌うローマ人が彼らの残虐性を流布するための作り話だったという。
しかしその一方では、発掘された共同墓地に2万個の骨壷が発見され、その壺の中には新生児の黒焦げになった骨が入っていたという事実もある。ポエニ戦争で焦土と化したカルタゴだけに、記録文書が何一つ残っておらず、その真相は分からないという。
この周辺には当時発掘された多数の小さな墓石が集められている。その墓石にはタニト神のシンボルマークである丸(○)、横線(−)、三角(△)が彫り込まれているものがある。日本の墓石に名前を彫り込むのと同様なのだ。また、神殿跡には地下洞くつがあり、ここで生贄が捧げられていたという。現在、幾つかの墓石が置かれている。この中は短い洞くつで、両方に出入り口が開いているので中は薄暗い程度で真っ暗ではない。
発掘された墓石が1箇所に集められている
神殿跡付近にも墓石の集団が・・・
墓石に彫り込まれているタニト神のシンボルマーク「○ー△」の人型マーク
ここで生贄が捧げられたという神殿跡の地下洞くつ
カルタゴ港
古代神の神殿トフェを後にすると、そこからぶらりと徒歩で港へ向かう。朝方は多かった雲もなくなり、再び青空が広がり始めている。今日も陽光まぶしい快晴の日になりそうだ。間もなく目の前に広い池みたいな水面が見えてくる。これが古代のカルタゴ港の跡なのだ。静かな水面には岸辺に並ぶ白亜の建物が影を落としている。そして、岸辺では小さな漁船が魚の水揚げをしている。のどかな風景なのだが、今は古代をしのぶよすがは何もない。 |
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