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  N0.7





6.ホ−タン(和田)への道・・・刃物の町・砂嵐・豪雨
 
4日目。6時に起床。毎日、ソックスや下着類は洗濯しているが、あっという間に乾燥してしまう。それほど湿度が低く、乾燥状態なのだ。早いもので、シルクロ−ドの旅も中程にさしかかっている。楽しみのタクラマカン砂漠縦断は2日後にひかえている。今日は1日がかりでタクラマカン砂漠の外周に沿ってホタ−ン(和田)の町へ大移動する日である。さて、どんな旅が待っているのだろう?
 

朝食の準備
身仕度を整えると、別邸にあるいつものレストランへ向かう。外に出ると気温は低めで爽やかである。食事の前に、昨日と同様前の道路に出て様子をうかがう。すると、道路向かいの食堂前で何やら調理をしている。近づいて見ると、パン生地のようなものを作って並べている。これをぶつ切りにして両手に握り、それを引き伸ばして写真のように油でじゃ〜じゃ〜と揚げている。試食しないと分からないが、なんだかド−ナツ風のお菓子みたいなものだろうか? これも朝の主食になるのだろう。まだ、お客の姿は1人も見えない。
 

並べた生地をぶつ切りにして・・・


それを両手で引き伸ばしながら油に入れる。

ヤルカンドへ
いつものレストランでカシュガル最後の朝食を済ませると、いよいよホ−タンへ向けて出発である。早朝から、現地ガイド君がわざわざ見送りに来てくれている。今朝は昨日と違って普通の大型バスに乗り替えて走行する。ところが外観はいいのに、中に乗ってみるとシ−トが壊れているのがあったりして、かなり痛んでいる様子だ。前途を案じながら8時半、ホテルを出発。
 

まずはカシュガルから192km先のヤルカンドの町を目指して走り続ける。郊外に出て走っていると、右手遠く草原の彼方に冠雪した崑崙山脈の山並みが見えてくる。低く棚引くように伸びた崑崙山脈のスカイラインは素晴らしいものである。しかし、砂塵のためにどんよりと曇った背景では、惜しいことにその姿もくっきりとは見えない。その素敵な風景に誘われるように、車内からフォトストップのリクエストがかかる。
 

フォトストップ
そこでみんなは下車し、写真撮影と格好の休憩タイムとなる。車も通らない、どこまでも真っ直ぐにのびる草原の中の一本道を走るのは、実に気持ちのいいものだ。道路は一応舗装されてはいるものの、あちこちに穴ぽこが点在しており、また波打ったりもしているので、昨日と同様アップダウンの揺れが大きい。通常以上に揺れが大きいところをみると、この車両自体の問題もあるようだ。



冠雪した崑崙山脈の山並み。背景が青空でないので白銀の様子がよく分からない。


草原の中の1本道。進行方向。


こちらが来た方向。われらがバス。





刃物の町・イエンギサル
バスは再び砂塵をあげ、ほとんど曲線のない道路を順調に走り続ける。しかし、上下振動は止むところをしらない。もう1時間半は走ったのだろうか? ようやく小さな町にさしかかる。イエンギサルの町だ。ここは刃物作りで有名な町らしい。そこのとある商店前でストップする。この店はウイグルナイフの専門店で、自家製の様々なナイフを店頭いっぱいに陳列している。このウイグルナイフはウイグル男性のシンポルとして欠かせないもので、その帽子と顎髭を合わせて彼らの大事な象徴となっている。1本ぐらい買ってみたいが、機内持ち込みの手荷物だけの私は、預け荷物がないため買っても置き場所がない。
 

ウイグルナイフの専門店。ナイフのオンパレードは壮観。


手作業でナイフを作っている


原板を切っている

店の裏手に回ると、職人たちがナイフを作っている。たいした用具も使わず、素朴な手作業で作っている。いかにも職人技といった感じで、まぎれもない手作りの良さが製品に伝わっている。見学ついでにトイレを借りると、これまた素朴で開放的なものとなっている。腰ぐらいの高さの壁で区切ってあるだけで、床には長方形の落とし穴が開けてあるのみで底は丸見えだ。昔懐かしい田舎のトイレを思い出す。
 








 開放的なトイレ
















無造作につくられた落とし穴

珍しいダム
店を後にして走っていると、この砂漠地帯に珍しく溜め池みたいな風景が現れる。これは崑崙山脈の雪解け水をせき止めてダムにしたものだそうだ。あまり水かさはなく、今は水田のように見えるが、これから雪解け水が多くなれば水位が増すのだろう。崑崙山脈は玉石だけでなく、砂漠の町にこんな恵みをももたらしている。
 

砂漠地帯に造られた貴重なダム。8月には満タンになる?

途中の風景
瓦礫の広がる単調な砂漠地帯の道路を走っていると、たまに小さな村を通りかかり、思わぬ心なごむ風景を見せてくれる。そんなとき、オアシスに出会った時のようにほっとした気分になる。青々と伸びるポプラ並木が見えたり、ロバ車を引く地元の人たちや麦秋に黄ばむ麦畑の風景が見えたりなど、疲れた旅行者の目を慰めてくれる。おや? 建物の側に羊の群れが見えるぞ……。これは羊の売買取り引きが行われているのだろうか? 
 

麦秋の風景が郷愁を誘う


羊の市が・・・

ヤルカンド通過・葉城の町で昼食
ナイフの店を出てから2時間は走ったのだろうか? 相変わらず振動の激しい車と道路である。ようやく大きな町に入ってくる。ヤルカンドである。この町は16〜17世紀にかけて栄えたウイグル国家の都城だった古いオアシス都市なのだ。ここでは賓館でトイレ休憩しただけで、ほとんど素通り同然で駆け抜けてしまう。そうしてしばらく走った先の葉城の町にストップして昼食となる。午後1時半のことである。相も変わらず定番の中華料理である。
 

砂漠の中の1本道
昼食休憩を終わると、再び悪路の走行が始まる。この地域はすでにタクラマカン砂漠の周辺域に入っている。だが、砂の砂漠ではなく、瓦礫が散乱するいわゆる泥砂漠である。空は砂嵐のためか茶色に染まり、見渡す不毛の地平線も遠くは砂塵に霞んで見通せない。砂漠の中を一直線にのびる路面にも砂が踊り舞い、時には砂の煙幕が覆い被さる。この地帯で見られる人工的なものは、ただ舗装された道路とその両側に行儀よく延々と並んだ細い電柱(電話線とのこと)だけである。それ以外は、どこまでも広がる砂漠とそれが巻き上げる砂塵の風景しか目に入らない。ここでは砂と戯れる以外に何もなく、それだけに砂漠の表情をたっぷりと観賞することができる。
 

道路に砂が舞い踊る


砂塵が道路を覆う

砂嵐の襲来
だが、いくら走ってもこの砂漠地帯では、きれいな砂丘が見られない。ただ石ころなどが散らばる味気ない泥平野が広がるだけである。そんな中を走行しているうちに、砂嵐に巻き込まれる頻度が多くなる。ひどいのになると、5m先は何も見えなくなってしまう。これでは運転はできそうにない。ところが、ドライバ−は慣れたもので、ライトを点けながら視界ゼロの中を突っ走って行く。
 

こんな砂漠地帯の中を走って行く


遠くは砂嵐で見えない


砂嵐が迫ってきた


砂嵐に突入し視界がゼロになった


運転席の窓から前方を見る。砂嵐で前方は何も見えない。

ガイド氏の話によれば、ひどい砂嵐の場合は3日間ぐらい続き、視界はほとんどきかなくてもライトを点灯しながら車の運転をするのだという。洗濯物は部屋の中に干すので問題ないとのこと。砂漠地帯に暮らす人たちには、やはり風土病として砂で眼を痛める砂眼病を患うそうだ。それ以外には砂漠特有の疾病としてはないらしい。私の推察では、これほどの粉塵を長年吸い続けていると、呼吸器系の疾患が起こるように思えるのだが……。
 

今度は豪雨
こうして砂にまみれながら走っていると、珍しくも砂漠の雨がパラパラと降り始める。年間の降雨量がわずかに50mm程度というこの地域では、こんな雨はきわめて珍しいものという。地域の人たちにとっては貴重な恵みの雨なのだろう。そのうち土砂降りの豪雨になり、生憎というか、幸いというか希少な砂漠の雨を体験することになる。とは言え、砂嵐の中の雨とあって、車の窓ガラスはたちまち砂だれの帯ができて汚れてしまう。運転席のフロントグラスは大変で、ワイパ−を動かしてもへばり付いた砂がうまく取れない。小止みになったところで車を止め、ミネラル水を窓にぶっかけて雑巾で拭っている。
 

ここまでの間に、砂嵐あり、豪雨ありの激しい気象変化を体験したが、生死をかけてシルクロードを往き来した古代の人たちも、きっとこんな体験をしたに違いない。しかし、クッションのきいた車に乗って気楽に舗装道路を走るわれわれと違い、彼らにとっては気象の変化が即、死に結びつくだけに、命がけの過酷きわまる旅だったに違いない。これまでで、その片鱗でも体験できたのだろうか・・・。


10時間かかってホータン到着
さすがの土砂降りもそんなに長続きはしない。30分ぐらいで雨の地域を通り抜け、再び乾燥した砂漠の1本道をホ−タンに向けてひた走る。こうしてカシュガル出発から10時間かかって、ようやくホ−タン(和田)の町にゴ−ルインである。夕方6時半のことである。とはいえ、外はカンカンに明るい。ここで、ホ−タンの現地ガイドが出迎えてくれる。
 

玉石で有名なホータン(和田)
カシュガルから南東に508km離れたここホ−タン(和田)の町は、タクラマカン砂漠の南周辺部を通るシルクロ−ド・西域南道の最大のオアシスで人口15万の町、そのほとんどはウイグル族である。その昔、中国の漢族やインド人が移民して来たことから始まるらしいが、6世紀頃からトルコ化し、11世紀にはそれまでの大乗仏教からイスラム教が信仰されるようになる。
 
            ホータンの位置(赤線)

ホ−タン国では古代より希少な玉石が採れることで有名で、中国朝廷が欲しがる玉石と交換に絹を入手し、それを今度は西洋へ送るという東西交易によって繁栄したという。そして「絹都」と呼ばれるほどホ−タン人の絹織り技術は巧みで、その品質の良さは東西に知れ渡ったという。それは現在にも引き継がれてホ−タン絹として知られ、また絨毯織りでも名を轟かせている。またこの町は、100歳以上の長寿人口が多いらしく、1985年には世界4大長寿地区の一つとして指定されている。
 

アラビア風ホテル
ここでの宿泊ホテルはラビア風のおしゃれな感じで、玄関前のロ−タリ−には赤い花が咲き揃っている。


アラビア風の瀟洒なホテル


チェックインを済ませて部屋に入ると、すぐに洗濯、シャワ−浴びに移る。驚いたことに、洗髪後、バスタブの底を見ると、なんとそこにはかなりの量の砂が溜まっているではないか! これが証明するように、今日の道中が、いかに砂まみれであったかが分かるというもの。こんな体験は初めてのことで、それもまた楽しである。
 

中華の定番料理
心身さっぱりなったところで、ホテル内にて夕食となる。例にもれず、ここでも中華料理である。毎日3食とも、似たりよったりの中華料理ばかりだが、みんなもそろそろ辟易してきたようだ。この4日間にわたって食した中華料理を総括してみると、ほぼ次のような品目が定番料理となっている。ご飯orお粥、饅頭(まんとう=まんじゅうにアンコが入っていないと思えばよい)、ス−プ、羊肉料理、シシカバブ(串焼き)、鯉の魚料理(揚げ)、キュウリの炒め、キクラゲ料理、ナスの炒め、野菜料理、ポロ(焼き飯やピラフに似ている)、デザ−トに西瓜などである。これ以外に、たまに鍋料理やラグマン(麺の上に具をのせたもの)も出されたが、さすがにイスラム教徒が多い地域だけに豚肉料理は一度もお目にかかれない。
 

たまたま今日はメンバ−の女性が誕生日だとのことで、この最果ての地で心尽くしの誕生祝いが行われる。いつの間にか用意された大きなケ−キを前に、みんなで祝福する。こんなことは滅多とない機会だけに、きっと生涯に残る誕生記念となることだろう。祝・誕生日〜!
 

ラクダ乗り募集
ところで、ここホ−タンでは、砂漠の中でラクダ乗りができると耳にしたので、添乗さんにリクエストしてみる。ラクダ乗りにはエジプトでほんの1分ほどの体験があるが、砂漠の中をラクダで歩いたことはない。折角、本場の砂漠に来たのだから、この機会にぜひ体験してみたいのだ。結局、その要望が聞き入れられ、相当人数の希望者がいればということで夕食時に募ることに。すると、9人の希望者が出たので、明日早朝からのラクダ乗り観光が実施されることになる。
 

高価な玉製品
夕食が終わった後、ホテル内の売店をのぞいてみる。さすがにこの地は玉石の産地だけに、陳列されているのは玉で作られた玉杯、各種の置物、それにネックレスや宝飾品などばかりである。玉の最上級とされる羊脂玉を見せてもらうと、それで作られたネックレスを見せてくれる。乳白色の柔らかい光沢を放つ玉を連ねて作られたものだが、値段を尋ねるとなんと8万円という。これでも他の地域で買えば10万円台はするのだという。こんな高価な物には手が出ないので、記念のみやげに小物を少々買うことに。
 

あとは、なくなったミネラル水の補給に中ビン1本(3元)を買って部屋へ戻る。砂まみれになりながら走った10時間のバスの旅の疲れを、これからゆっくりと癒そう。それには早寝がいちばんだ。明日は早朝6時半出発でラクダ乗りに出かける。ラクダの背に乗って砂漠の中に入るのが楽しみである。素敵な夢を見ながらやすむとしよう。



(次ページは「ラクダ乗りとホータン市内観光」編です)










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