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10.ウルムチ市内観光……紅山公園・近代化された二道橋・楼蘭の
                                     美女

 
シルクロ−ドの旅8日目。今朝はゆっくりと7時に起床。眺める空は見事な快晴である。ウルムチの街も爽やかな朝日を浴びてお目覚めのようだ。この分では日中は暑くなりそうだ。今日は市内観光の後、夕方の便で西安へ移動し、そこで旅行最後の夜を迎える。いよいよ旅も終わりかと思うと寂しいかぎりである。




朝日を浴びるウルムチ市街の風景(ホテルの窓より)




24金の護身符
ゆっくりと身仕度を整え、最上階の素敵な展望食堂へ上って行く。「ザオシャン ハオ(おはよう)」と係員に挨拶を振りまきながら、楽しい中華のバイキング料理を取り分けて皿に盛り付ける。席に着いて食事していると、隣の席に3人連れの中国僧が食事している。ガイド氏の話によると、彼らはこの地に寺院を建立する事業の打ち合わせに上海から来ているという。 


その僧の1人が、食事を終えて立ち去ろうとする私を呼び止め、何やら差し出して手渡そうとする。見ると、朱色のカバ−に入ったお守りである。それがなんと金色に輝くクレジットカ−ド大の護身符で、24金と書かれている。表には菩薩像が刻印され、上部に「南無観世音菩薩」、下部に「開光護身符」と書かれている。裏面には色即是空、空即是色の「般若経」がびっしりと書かれている。
 
                   護 身 符

 24Kと書かれたカバー      表には観世音菩薩       裏には般若経

上質の純金製だけにプラスティックと違って少々の重みがある。これは貴重な記念物を戴いたものだと、丁寧に礼を述べて感謝する。中国語を話せないのが残念で、“シエシェ(ありがとう)”以外の語は話せず、どうしようもない。ただただ深くお辞儀をするだけで、あとは手振り身ぶりで謝意を表すのみ。なんとももどかしいかぎりである。
 

朝の街路の様子
この場を去ると階下の玄関前に出て、通りの様子をうかがう。前を走る北京南路は、まだひっそりとして走る車の数も少ない。ここには鬱蒼と茂る並木が続いているのだが、これほどの緑陰ができれば、道路の日照りも避けられて気温の上昇も防げるだろう。だが、落ち葉の掃除が難題で、その維持管理は大変に違いない。そんな思いを浮かべながら、あとは部屋へ引きあげ、出発までのひとときをゆっくりと過ごす。
 

ホテル前を走る北京南路の風景


待ち時間表示の信号機
9時半になってホテルを出発、最初の観光ポイントである博物館へ向かう。バスの中から通りを眺めていると、ふと交通信号に目が留まる。この街の信号機はなかなか合理的で進んでいる。というのは、信号が変わるまでのタイム表示機が取り付けられているのだ。だらか、信号待ちしていても、いらいらせずにすむというわけだ。日本国内では歩行者用にそれに似た表示があるが、ここのように車両向けのものはない。これは見習うべきものだろう。
 

ウルムチ市内の道路。街燈ランプもちゃんと設けてある。


信号機に待ち時間の表示板が設置されている。写真では小さくてよく見えない。

市民憩いの場所・紅山公園
博物館に到着してみると、まだ開館していない。週末土曜日で開館時間が遅いようだ。そこで予定を変更し、今度は紅山公園へ向かう。ここは市内の北側に突起する岩山で海抜910m。ウルムチの街自体の海抜が900mなので、ちょっとした丘といったところである。市民の憩いの場となっているようで、夜のアベック散策にはもってこいの場所のようだ。
 

バスは博物館から少し南へ移動すると紅山公園の入口に出る。そこから赤いゲ−トを通り抜けてスロ−プを上って行く。園内は緑豊かな樹木が生い茂り、それが日照りを遮って格好の緑陰を提供している。


紅山公園の入口

頂上付近で下車し、散策する。敷地は広くないが左手に展望台があったり、朱塗りの遠眺楼が望めたりする。








 中国風建物・遠眺楼
  ここは展望台














そして、いちばん奥の突端の断崖上には清代に荒れる川を鎮めるために造られたという9層の鎮龍塔がそびえ、格好の記念撮影のポイントとなっている。夜になればきれいな電光飾でアップされるという。
 

突端にそびえる鎮龍塔

ここを訪れる観光客にとっては、何といってもここからの市街の眺望だろう。ほどよい高さからの眺めは、市内の中心部に近いだけあってクロ−ズアップされて迫ってくる。こうして眺めると、日本や欧米の大都市とほとんど変わらない風景を呈している。林立する高層ビル群が見え、多くの車両が走る広い舗装道路が見える。ただ違うのは、スモッグがないことと、市街地の回りが砂漠で取り囲まれているという点だろうか? 今日は砂嵐もなく、空気が澄んでいて遠くまでくっきりと眺められ、絵葉書のような風景を見せている。(実はスモッグが多いらしいのだが……。)



展望台から眺めたウルムチ市街のパノラマ風景。高層ビルの林立が目立つ。


左手方向を眺めたところ




この街がどんなに近代化されても、砂漠の中のオアシス都市であることに変わりはない。それにしても、シルクロ−ドのオアシスの町がこれほどの近代都市であることには驚きで、予備知識なしに訪れる旅人は、驚きと失望の入り混じった感想を抱くに違いない。私の想像するウルムチは、こんなはずではなかった!……と。この街にかぎらず、シルクロ−ドのオアシスの町は、いずれも同様にどんどん近代化が進んでいるようで、古代の素朴さを求める旅人の感覚とは、次第にかけ離れて行くような気がしてならない。
 

ウルムチの生活費
この街に住むガイド氏の話によれば、ここでの生活費は普通の場合月額2000元(=2万6千円)、上流になると3000元(=3万9千円)はかかるという。また、この街は水が不足してるため水道料が月額1000元(=1万3千円)と高く、冬のスチ−ム暖房費が8万円もかかるそうだ。人口200万を超える大都市ともなれば、諸物価も高騰して住みにくいようだ。ちなみに、地方の民家の暖房は石炭を焚くオンドルだそうだ。
 

再開発で昔の活気失せた二道橋バザ−ル
公園を後にすると、バスは南に進んで二道橋バザ−ルに向かう。二道橋はウイグル人の常設バザ−ルがある所で、ウイグル街として古い歴史を持つところらしい。しかし、今は雑然と並ぶ活気のある露店風景は見られず、大きなビルの中に移転されて姿を消している。この界隈の再開発があったらしく、今では大きなショッピングセンタ−のビルに変わっており、また隣接して巨大なショッピングモ−ルの新彊国際大バザ−ルのビルが並んでいる。以前の様子を知らない私には比べようがないが、この界隈はすっきりと整理されてビルが立ち並ぶ近代的町並みになっている。
 

二道橋市場の瀟洒なビル

こんなわけで、到着してみると、ここでも完全に肩透かしをくらってしまう。これまでオアシスの町で見てきた人込みと喧噪が渦巻く活気あるバザ−ルの姿が見られないからだ。なんと、そこには大きな三階建てビルがあり、その中に整然と店舗が並んでいて静かな雰囲気が流れているではないか! これはまさにショッピングセンタ−といってよい。この時間帯は客もすくなく、特にひっそりとしている。
 

出店や屋台が並んだ賑やかなバザ−ルを期待してくる旅人は、きっと失望するに違いない。それは、ウルムチの街が高層ビルの林立する様子に驚き、期待外れするのと同様である。開発発展は住民には望ましいことかもしれないが、旅人には古への思いが絶たれて寂しいかぎりとなる。近代化と観光……なかなか難しい問題ではある。
 

ビル内に入ると1階から3階まで一通りめぐって見物する。各階ともフロア−いっぱいに店舗が並び、ウイグルの民族衣装など各種の衣料品類、民族楽器、絨毯、宝飾品、干しブドウなどの乾物類、漢方薬など、ウイグル色の強い店ばかりである。それにロシアのマトリュ−シュカ人形まで揃えてある。また、ウイグル料理の店もある。3階は主に服飾関係の大型店が並んでいる。
 

さまざまな店舗が並ぶ


干しぶどうなどの乾物を売っている


3階には民族衣装などの大きな衣料品店がある

ショッピングに用のない私は、2階のフロアのベンチに腰掛けて一時休息した後、外に出て中央広場の方へ行ってみる。そこには噴水池があり、その中央にちっちゃな木造橋が置かれている。その昔、この場所に木造の二道橋が実際にあったらしく、今は再開発によって消滅したため、その記念のモニュメントとしてこのような形で残したのだろう。この噴水前は格好の記念写真のポイントらしく、お上りさんが入れ代わり立ち変わりやって来ては写真を撮っている。とうとう私もがシャッタ−押しを頼まれる始末で、なかなか賑やかなことである。
 

二道橋の噴水広場。正面に見えるのが新彊国際大バザ−ルのビル

路傍には果物屋が屋台を出し、見るからにおいしそうな各種の果物をところ狭しと並べている。そのおいしさを知っているだけに、見ているだけで涎が落ちそうである。旅行者でなければ、その幾つかを買って帰りたいところである。後ろ髪を引かれる思いでバスの方へ戻る。
 

おいしそうな果物の山積み。そこのスイカと瓜をよこせ!

博物館に眠る「楼蘭の美女」
二道橋に失望しながらバスに乗ると、次は有名な「楼蘭の美女」が眠る博物館へ向かう。正式名称は「新彊ウイグル自治区博物館」と長ったらしいものである。ここは今、豪壮な建物に大改造中で、この10月ごろには完成するらしい。新装なった博物館で見ると、楼蘭の美女も一段と映えるのかもしれないが……。生憎と新装開館には時期尚早で、今日はその裏手の古びた館に行くことになる。
 

新築中の新彊ウイグル自治区博物館

日本語の上手な係員に案内され、館内の展示物を見学する。ここには各少数民族の歴史やシルクロ−ドの文化財などの出土品約3万点が展示されている。なかでも、つとに有名なのが「楼蘭の美女」といわれる古代のミイラで、今でも見事な姿で現物を見ることができる。幾つかの出土品について説明を受けた後、注目のミイラ展示室に入る。
 

手前の目立つ場所に置かれているのが楼蘭の美女のミイラである。ここで感動の対面となる。これまで写真では見たことがあるが、本物と対面するのはこれが初めてである。ここにはこの他に10体ほどのミイラがいとも無造作に展示されており、少々驚かされてしまう。これまで大英博物館やエジプト考古学博物館でファラオなど数あるミイラを見てきたが、ここの展示ミイラはそれらと少し趣が異なり、数千年も前のものというのに何か生々しさを感じてしようがない。


それというのも、これらのミイラはみんな内臓物もそのままの状態で特別のミイラ処理もなく埋められたものだからだ。数千年前と変わらぬ栗毛のロングヘア−、羽の髪飾り、彫りの深そうな眼窩、何かを語るような口元などを見入っていると、今にも起き上がって話しかけてくるような鬼気迫る感じを受ける。
 

エジプトのミイラはその専門職人が特殊技術によってミイラ化したものだが、この博物館のミイラは何の手も施されることなく、自然のままで土葬されたものである。ということは、より生身の人間に近い遺体といえるのだろう。それがたまたま砂漠の乾燥地帯という特殊な条件下で腐敗もせず、結果としてそれがミイラ化したというもので、それを現代人が発掘して発見したに過ぎない。
 

ここで注目のミイラ「楼蘭の美女」は、1980年に中国の調査隊によって楼蘭の近くで発掘されたもので、炭素14の測定から3800年前のものであることが分かっている。身長157cm、死亡推定年齢は45歳で、南ロシアから南下してきた白人系人種と考えられている。栗色の髪、高い鼻筋をもつ顔立ちで、鷹の羽がさされたフェルト帽をかぶり、ウ−ルの着物をまとい、鹿の皮で作った靴を履いている。
 

発掘後に上海で防腐剤処理を行ったため、肌が一気に黒ずんでしまったそうだが、発見当時はその美しさに皆が驚いたという。彼女がどんな思いで、またどんな目的で天山山脈を越え、この遙かなる楼蘭の地にまでたどり着いたのか知るよしもないが、今はただ静かに眠るミイラの姿をとおしてロマンを馳せるしかない。この楼蘭の美女は、平成4年に日本に渡り、展示された歴史がある。(今年2005年8月13日〜10月10日の間、兵庫県立美術館で「新シルクロ−ド展」が開催される予定で、「嬰児のミイラ」が世界で初めて公開されることになっている。) 
 
この展示室には楼蘭の美女以外にも10体余のミイラが展示さており、解説を聞いているとなかなか興味深い。なかでも興味を引くのは、合葬されていたという夫婦のミイラである。夫は37歳、妻は77歳と推定され、40歳も年上の姉さん女房かと奇異に感じるが、そうではないらしい。夫の死後、妻はその年まで生き長らえ、彼女の希望で死後、愛する夫と同じ場所に埋葬されたと考えられている。いつの世も愛は永遠なりというわけだ。この他、毛糸で包まれた嬰児のミイラや、各地の遺跡で発掘されたミイラが何体も展示されている。
 

博物館の苦しい財政事情
見学は以上で終わり、次はセ−ルスの案内であ。博物館にしては一風変わったやり方だが、館の財政面の懐具合が寂しいらしい。これまで蒐集された博物館所蔵の骨董品や出土品などを展示して入館者に売却し、それで資金を得ようとの魂胆らしい。見事な紫檀の棚や掛け軸その他、多数の素晴らしい逸品が展示されている。どれも博物館の証明書付きで売られている。高額なものは棚と置物などのセットで100万円〜200万円もするものがある。輸送は博物館側が責任をもって送り届けるという。たまに、これらを購入する日本人観光客がいるらしい。 


こうした財政難に配慮して、博物館所蔵の文化財の保存、修復などのため、平成13年に日本政府から3210万円を限度とする文化無償協力が行なわれている。わが国も経済協力以外にこうした文化面でも協力をしているわけだ。主要な遺跡の保存にも、もっと注力してほしいものである。
 

最後の昼食
午後2時ごろ、博物館の見学を最後にウルムチ観光を終わり、やっと昼食の時間を迎える。空港横のレストランへ移動し、そこでウルムチ最後の中華昼食となる。後は空路西安へ移動するばかりである。
 

最後の宿泊地・西安へ
午後4時、機上の人となって一路西安へ向かう。これより3時間の飛行である。機は天山山脈の西端上空を飛行しながら東へ向かう。このコ−スは初日にも西へ向けて飛んだのだが、生憎と夜のこと。が、今日は真っ昼間とあって、眼下には冠雪した美しい天山山脈の山並みが見られる。この天山南路の上空に沿って飛行するコ−スでは、雲さえなければこの天山山脈とタクラマカン砂漠の風景を心置きなく愛でることができる。
 

雲の下の細長いのが天山山脈

ぼんやり窓外を眺めていると、時には砂漠に小じわを寄せたような褶曲した黒い山脈が見えたりする。これも恐らくチャ−ル・タグ(不毛の山)なのだろう。なかには、この黒い褶曲山脈が、あたかも砂漠の大海に浮かんだ巨大クジラのように見えるものもある。こうした変化のある下界の様子を眺めながら、機上の時をやり過ごす。


砂漠の中にちりめんの小じわのようなヒダを見せる山脈

 
砂漠の中に大きなクジラが浮いたように見える

最後の晩餐
機内サ−ビスを受けたりしながら3時間が過ぎ、晴れ渡った西安空港にようやく到着。ここも二度目の寄港である。


夕日を浴びる西安空港ビル

到着するなり、これも初日に立ち寄った空港レストランに入り、そこで中華の夕食となる。これが今度の旅の最後の晩餐となるのかと思うと、なんとなく寂寥感を覚えずにはいられない。時の流れに逆らうわけにもいかず、これも致し方ないこと。時の流れは、いまこの時現在をどんどん過去の歴史に変えてしまう。あゝ、やんぬるかな……。
 

夜のホテルへ
満ち足りた最後の晩餐を終えると、ホテルへ一直線。いや、そうはさせまいと、「回り道して…」との声がかかる。西安の町を囲む城壁の夜景を見ようということになり、迂回し始める。間もなく城壁が現れ、それに沿って走っていく。だが、電光飾は少なく、派手なライトアップはされていない。写真にも撮る間はなく、西門を通って町中のホテルへ向かう。到着は夜の9時である。
 

賑わう夜市
部屋に入って荷物を置くや旅装も解かず、そのまま階下へ下りてホテル前の通りへ出てみる。このホテルは東大街の道路沿いに立地しているのだが、道路向かいの路地は人込みであふれている。車の往来も激しく、活気にあふれている。さすが西安の街だと感心しながら、向かいの路地へ行くのに横断歩道を横切ろうとするが、歩行者を無視して停止もせずに突っ走る車の列に恐れをなして立ち往生してしまう。なんと恐ろしい街であろう。
 

車の往来が激しいホテル前の道路


夜店が並ぶ自由市場の通り(東大街)

命がけとは大げさだが、それに近い思いで道路を渡り、やっとこさで路地に入る。そこは商店や露店がぎっしりと並ぶ自由市場の通りなのだ。道の両側には店舗が並び、中央には露店が所狭しとずらり並んで夜店が開かれている。先へ進もうとするが、人込みに圧倒されて奥へ入るのを躊躇してしまう。ちょっと覗き見したところによると、飲食店や雑貨の店などが並んでいるようだ。人込みにはじき出されるように道路へ戻り、必死に横切ってホテルへ戻る。
 

とにかく、こうしてシルクロ−ドの起点の町・西安の夜の空気に肌をさらしながら束の間のロマンを馳せる。飛行機やバスを使ったとはいえ、一応起点の西安からシルクロ−ドを西へ向かい、タクラマカン砂漠の外縁を周回しながら起点に舞い戻ったことになる。古代の旅人には遠く及ばないが、本場の地でシルクロ−ドへの思いを馳せながら8日間の夢を結ぶとしよう。床に就いたのは11時である。



(次ページは「西安」編です。)










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