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砂嵐と竜巻が舞うタクラマカン砂漠縦断
シルクロードの原風景・・・それはポプラ並木とロバ車
砂まみれのシルクロード1600kmの旅




タクラマカン砂漠縦断の旅行日程(9日間)

日付 日数 ル − ト 泊数 タイムテ−ブル・内容
2005年
/4(土)

 成田 → 北京 → 西安 → ウルムチ 
   10:55発 → ウルムチ23:20着
 
    
  5(日)  ウルムチ → カシュガル     08:05発 → 09:45着
市内観光
  6(月)  カシュガル カラクリ湖観光
  7(火)  カシュガル → ヤルカンド → ホータン     バスで終日移動
  8(水)   ホータン → ケリヤ    玉拾いと観光の後、バスで移動
  9(木)  ケリヤ → 砂漠公路縦断 → クチャ    終日860kmをバスで移動
 10(金)  クチャ → ウルムチ    15:00発→16:10着、キジル千仏洞
 11(土)  ウルムチ → 西安    市内観光、16:00発→19:00着
 12(日)  西安 → 成田   − 12:00 → 19:00着
                                       ユーラシア旅行社のツアーに参加







茶色の部分が新疆ウイグル自治区


1.シルクロ−ドへの思い
 
シルクロ−ド……これほど旅人のロマンをかきたてるものはない。それは“移動”と“交流”という旅の原点をそこにみるからだろうか? 特に日本人にとっては、そこを通じて運ばれてきた様々な文化や思想になじみ、今日でもそれに密着した生活を送っているからかもしれない。 


そもそも紀元前に始まったとされるこのシルクロ−ド、つまり「絹の道」は、その名のとおり中国産の絹を通じて古代中国とギリシャ・ロ−マ文化圏との交易に歴史的役割を果たし、東西文化圏を結ぶ一大交易路となった。今から約120数年前、ドイツの地理学者リヒトホ−フェンが絹の交易により発展してきた交易路を総称して「ザイデンシュトラ−セ(絹の道)」と命名したのが始まりである。
 

現在では北方の草原ル−ト、南方の海上ル−トも含めてシルクロ−ドと呼ばれることもあるが、元来シルクロ−ドという言葉は、中国の長安(現在の西安)を起点にし、そこからタリム盆地に点在するオアシス都市を横断するル−トのことをいうのである。それには天山山脈の北側を通る「天山北路」と、その南側を通る「天山南路」、そしてタクラマカン砂漠の南、崑崙山脈の北側を通る「西域南道」の3つがある。 




シルクロードの3ルート





今度の旅は、これら3ル−トの主要なオアシス都市をウルムチ→カシュガル→ヤルカンド→ホ−タンとめぐりながら、最後は世界第二の広さをもつタクラマカン砂漠をそのど真ん中から真っ二つに断ち割るように砂漠公路を縦断して通り抜け、クチャに至るコ−スであった。なかでもタクラマカン砂漠を縦走するのは長年の夢でもあり、大砂漠にまみれてみたい強い思いがあった。9日間にわたる今度の旅は壮絶なものとなったが、シルクロ−ドへロマンを馳せ、私の思いを満たすには十分の旅であり、大満足の旅となった。
 

以下は、連日吹きまくる砂嵐の中をかいくぐり、タクラマカン色に染まりながらシルクロ−ドを突っ走った9日間の旅の記録である。玄奘三蔵の過酷な旅に比べれば遠く足元にも及ばないのだが・・・。


旅のコース(赤線





2.旅の準備と予備知識
 
今度の旅はツア−参加なので、なんとなく気楽である。ただ、事前の予備知識を得ようと各訪問地についてはガイドブックやネットで調べてみた。また、少なくとも次の中国語とウィグル語の幾つかを覚えて行くことにした。やはり、「トイレはどこですか?」は、ホテル内でもよく使う機会が多かった。

 
                (中 国 語)          (ウイグル語)      
 おはよう      ザオシャン ハオ         ハイレッケサハル         
 こんにちは  ニイハオ  ヤクシムスィズ
 こんばんは  ワンシャンハオ         −
 ありがとう  シエシェ  ラフメット
 さようなら  ツァイチェン  ハイエル ホッシュ
 (or ホッシュ)
 ト イ レ  ツ−スオ               −
 ど   こ  ナ−ル?               −
 (トイレはどこ?……ツ−スオ ツァイ ナ−ル?)
 い く ら  ドゥオシャオチェン?   カンチェ プル?
 (or ネチプル?)
 ど う ぞ  チ ン  メルヘメット
 は   い  シ−               −
 い い え  プ−シ               −
 数字の 1  イ−   ビ ル
      2   ア ル  イッキ−
      3  サ ン  ユ チ


新疆ウイグル自治区について  
次に今度訪れた新疆ウイグル自治区のことであるが、前述した「天山北路」「天山南路」「西域南道」のいわゆるシルクロ−ド地帯は、タクラマカン砂漠を含めてこの新疆ウイグル自治区の範囲にすっぽりと入るのである。中国には23省5自治区、4特別市、1特別行政区があるが、この新疆ウイグルはその自治区の一つである。
 

この地区は中国の最奥部にあって、日本の4倍の面積をもち、8ヶ国(モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギス、パキスタン、インド、タジキスタン、アフガニスタン)と国境を接している中国最大の自治区であり、その区都がウルムチ(烏魯木斉)である。地理的には北にアルタイ山脈、中央に天山山脈、南に崑崙山脈という地球の屋根が連なり、アルタイ山脈と天山山脈の間にジュンガル盆地が、そして天山山脈と崑崙山脈との間にタリム盆地(タクラマカン砂漠)が広がっている。このタクラマカン砂漠はサハラ砂漠に次ぐ世界第二の大砂漠なのである。
 

この地域には石油、天然ガス、石炭をはじめ、ベリリウム、硝酸ナトリウム、銅、ニッケルなどの鉱物資源が豊富に産出される。農業面では小麦、水稲、トウモロコシ、綿花、ビ−ト、西瓜、メロンなどが生産され、観光資源としては118ヶ所の自治区重要文化遺跡、10ヶ所の国家重要文化遺跡を抱えている。
 

その歴史をたどれば、この地域が独特の歴史的変遷をたどったことが分かる。9世紀以降、次第にトルコ化が進み、それにつれてイスラム文化が浸透し、16世紀のはじめにはそれまで支配的だった仏教勢力はかげをひそめ、代わってイスラム世界が発展することになる。18世紀になると、この地域は中国・清の乾隆帝の支配下に入るのだが、それ以後、「新疆(しんきょう)」、つまり「新しい領土」と呼ばれるようになった。中華人民共和国以後、1955年からは新疆ウイグル自治区と名称が変わっている。
 

この歴史的背景からも分かるように、この新疆地域は元来の中国とは異なる文化圏に属していたため、民族、言語、宗教などの面で大きく異なっている。民族的にはウイグル、漢族、カザフ、モンゴル、回族、クルグズ、タジク、シボ、ウズベク、満族など、47の民族が居住しており、なかでもウイグル、カザフ、クルグズなどのトルコ系民族が50%以上を占めているという。こうしたトルコ系民族のほとんどがイスラム教を信奉しており、オアシスの町にもモスクが見られるのである。


3.ウルムチ(烏魯木斉)へ
 
午前9時、成田空港第二タ−ミナル出発ロビ−に集まったのはツア−参加者17人と元気いっぱいの若き女性添乗員。各自でチェックインを済ませると、みんな揃って出国手続きへ。これから中国東方航空で北京→西安→ウルムチと乗り継ぎながら飛ぶ予定である。
 

機内に搭乗してみると、両側3席ずつのシ−トはほぼ満席状態。気になる反日運動も何のそので、中国への旅客は予想以上に多い。午前11時、ほぼ定刻に離陸した機は一路北京を目指す。機内には座席TVもなく、天井に幾つかの小型TVがぶら下がっているだけである。しかもレシ−バ−の貸与がないので、音量丸出しにされて聞きたくない人には騒音となる。また、日本発の国際線には珍しく日本人乗務員も搭乗していないが、人件費節約のためだろうか?
 

とまれ、順調な飛行のなか一息ついていると、昼食の配膳が始まる。おや? このエア−ラインでは昼食が出ないとのことで、各自弁当を用意するように言われたのだが、その心配はなかったのだ。お陰で、折角買った稲荷寿司と海苔巻きの弁当が無用になる。機内食は好みのヌ−ドルで結構なものである。間もなくすると、出入国カ−ドと税関申告書が配られるが、これらは旅行社が準備していてくれたので、各自のサインのみを記入する。
 

北京空港到着
3時間40分の飛行で、現地時間(日本との時差はマイナス1時間)の13時過ぎ北京空港に到着。ここでトランジットとなるが、北京空港は初体験である。とはいっても、同じ機材で同じ座席を利用するので、ただ機内清掃と給油のみである。ここで入国審査を受けることになるので、トランジットカ−ドをもらい、入国審査ブ−スへ移動して審査を受ける。無事入国を済ませたところで、間もなく再搭乗である。
 

西安空港で夕食
北京で降りた旅客と入れ替わりに搭乗した西安行き乗客で、機内は満席である。ここから2時間足らずの飛行で西安空港到着である。


西安空港到着

いよいよシルクロ−ドの起点の街に入ったのである。我々の旅もここから始まるのだと思うと、感慨深いものがある。ここからさらに乗り継いでウルムチ(烏魯木斉)へ向かうのだが、到着はかなり遅くなりそうだ。ここで4時間の待ち合わせがあるので、その間に空港レストランで夕食となる。
 

西安空港・到着ロビー

きれいな到着ロビ−の片隅に広い中華レストランがあり、そこで円卓を囲んで初の中華料理となる。豆腐、肉、野菜など、すべて油で炒めたものばかりでピリカラ料理が多い。ス−プはなかなかのものだが、ご飯は粘り気がなく、ぱさついて食べにくい。ス−プをぶっかけて雑炊状にすると結構いただける。ぱさぱさご飯は、これにかぎるようだ。振る舞われた珍しい苦瓜ビ−ルで喉を潤しながら、少しずつ料理をつまんでお腹満腹となる。
 

空港レストランでの中華料理

食後の時間をつぶそうと玄関外に出てみると、パラパラと小雨が降り始めている。気温は高くなく、西安の夕風に吹かれながら付近の様子をうかがう。玄関前の広場には、商魂たくましく大型看板が壁のように立ち並んで視界をさえぎっている。これでは折角の風景も台無しである。





西安空港前の広場。大看板が立ちはだかって視界を塞いでいる。




屋内に戻って2階の出発ロビ−へ上がってみる。広々として長く続いたフロア−の片側には、土産品のショップが並んでいる。ぶらりと眺め回してみると、食品類から民芸品など、様々な品物が陳列されている。この時間はお客も少なく、フロア−はひっそりとしている。ここで買い物はないので、1階のレストランへ戻る。
 

ウルムチへ
ようやく搭乗時間となり、チェックインカウンタ−へ。今度は中国南方航空でウルムチ(烏魯木斉)へ向かう。搭乗券を受け取って出発ゲ−トへ向かうのだが、ここで中国らしいうるさい手続きが待っている。なんと、国内線だというのに、国際線と同様に係官のチェックを受けることになる。パスポ−トと搭乗券を提示すると、搭乗券にポンと検印スタンプが押されるのである。国内線でこんな手続きを受けるのは初めてのことである。無用の手間だと思われるのだが、少しでも職務のポストを増やして雇用機会をつくろうという政府の意図なのだろうか? そんな勘繰りもしたくなる。ここを通過すると、荷物検査を受けて搭乗ゲ−トへ向かう。
 

深夜の到着
20時に離陸した機は一路西へ飛行し、3時間半かかってやっと深夜のウルムチ(烏魯木斉)空港に到着である。思えば、今日1日ではるばる中国の奥深くまでやって来たものだ。いにしえの時代であれば、ここまで来るのに気の遠くなるような旅をしなければならい。それは遣隋使や遣唐使の時代を思い浮かべれば容易に察しがつく。
 

日本から船を仕立てて命がけの航海をこなし、やっと大陸にたどり着いて陸路西安に向かう。そしてさらに、そこから西域を目指して戻れるかも分からない過酷な砂漠のル−トを行脚することになる。ここに至るまでどれほどの日月がかかるのだろう? ウルムチ(烏魯木斉)は、日本からみればそれほど遠くの彼方に位置する幻のようなオアシスの町である。


それがなんと、今では乗り継ぎながらも、わずか10時間足らずの飛行で、あっという間に彼の地に行けるのである。これでは旅の味わいもなく、旅のうちには入らないのかもしれない。とはいえ、これから現代人の我々にとっては少々過酷な旅が始まることになるのだが……。
 

ウルムチのこと
現在の区都ウルムチ(烏魯木斉)は標高900mの高さにある街で、人口は200万人を超える近代都市である。ガイド氏によれば、昨日の気温は12〜14度だったという。ここは新疆ウイグル自治区の政治・経済・文化の中心都市となっている街でもあり、また、どこの海岸線からも2300km以上も離れた世界で最も海から遠い都市で、それほど内陸部の奥深くに位置している街でもある。このことはウルムチ郊外にある「亜心」が実証している。


つまり、中国科学院新疆地理研究所が2年間にわる測定の結果、アジア大陸の地理的な中心はウルムチ市の西南約30kmの地点に位置することが確認されたという。それが「亜州地理中心(アジア大陸地理中心)」、略して「亜心」の名で観光名所の一つになっているらしい。ウルムチの地下には石炭でいっぱい眠っているらしい。
 

この街は古代シルクロ−ドの中央アジア交通の要衝にあった歴史的街で、現代シルクロ−ドの十字路ともいえる。ユ−ラシア大陸を横断する鉄道はウルムチを経由して中央アジアにつながり、ウルムチ空港は100以上の航空路線をもつ中国の5大ハブ空港の一つとなっている。
 

この地の気候は典型的な大陸性乾燥気候で、「中国で最も暑く、最も寒く、最も乾燥し、最も風の強い地域がすべてここにある」といわれほど過酷な気象条件を備えており、年間降水量は336mm、年間平均気温は8度で、気温の年格差、日格差はが激しい。ちなみに、「ウルムチ」とはウイグル語で「ブドウのある森、林」を意味しているという。
 

空港の様子
深夜に近い11時半ごろに到着して荷物受け取り場を出ようとすると、仕切られた柵の外側にずらりと小屋が列をなして、そこから何やらわいわい叫びながらチラシを差し出している。他の空港では見られない珍しい光景だけに何事ならんと近寄ってみると、地元の旅行社が観光広告を載せた印刷物を配っているのである。大都市ウルムチだけに、こんなに多くの旅行社がひしめいているのだ。
 

ホテルへ
ここを素通りして到着ロビ−に出ると、地元ガイド氏の出迎えを受けてバスに乗車。ここから市内までは車で30分足らずの近距離で、間もなくホテル到着である。このガイド氏はスル−ガイドで、今度のシルクロ−ドの旅の最後までお付き合いを願うことになる。ホテルに到着して部屋に入ると、なかなかデラックスなホテルで、ここに1人泊まるのはもったいない感じである。部屋の窓からは、都会的な町並みの夜景が眺められる。深夜とあって、街も眠りに就いているようだ。
 

ウルムチ市内の夜景(ホテルの窓より)

デラックスホテル
予備知識はあったものの、この街がこんなにもビルが林立する大都市で、こんなデラックスホテルがあるとは想像できなかったことだ。欧米のホテルに遜色ないどころか、それを上回るレベルである。湯沸しポットに紅茶・コーヒーがセットされ、小瓶のミネラル水が2本も置かれている。そして部屋のスリッパも置かれ、洗面には歯ブラシ、歯磨き粉、クシまで揃えてある。トイレットペ−パ−も上質紙だ。これで1泊1万円もしないのだから、安いことこの上ない。
 

発展し過ぎた街の様子に、ここがその昔、シルクロ−ドのオアシスの町だったなんて思いもよらず、それだけにちと寂しい気持ちにひたる。早速シャワ−を浴びてベッドへ飛び込む。シルクロ−ド最初の夜はこうして更けていく。そうはいうものの、時計はすでに午前1時を示している。明日の出発は早い。



(次ページは「カシュガル編」です。










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