1.シルクロ−ドへの思い
シルクロ−ド……これほど旅人のロマンをかきたてるものはない。それは“移動”と“交流”という旅の原点をそこにみるからだろうか? 特に日本人にとっては、そこを通じて運ばれてきた様々な文化や思想になじみ、今日でもそれに密着した生活を送っているからかもしれない。
そもそも紀元前に始まったとされるこのシルクロ−ド、つまり「絹の道」は、その名のとおり中国産の絹を通じて古代中国とギリシャ・ロ−マ文化圏との交易に歴史的役割を果たし、東西文化圏を結ぶ一大交易路となった。今から約120数年前、ドイツの地理学者リヒトホ−フェンが絹の交易により発展してきた交易路を総称して「ザイデンシュトラ−セ(絹の道)」と命名したのが始まりである。
現在では北方の草原ル−ト、南方の海上ル−トも含めてシルクロ−ドと呼ばれることもあるが、元来シルクロ−ドという言葉は、中国の長安(現在の西安)を起点にし、そこからタリム盆地に点在するオアシス都市を横断するル−トのことをいうのである。それには天山山脈の北側を通る「天山北路」と、その南側を通る「天山南路」、そしてタクラマカン砂漠の南、崑崙山脈の北側を通る「西域南道」の3つがある。 |