写真を中心にした簡略版はこちら→ 「地球の旅(ブログ版)」






     N0.





旅のコース





3.日月譚・台南・高雄

2日目。早朝5時に起床。昨夜は7時半と超早寝だったせいで十分過ぎるほど寝足りて、今朝は超早起きである。窓外はまだ暗く、言葉は分からないまま現地テレビのニュースでも見て過ごす。朝食は6時半からとのことなので、お茶でも飲みながら、ゆっくりと朝のひとときを過ごす。


今日の旅程は8時半にホテルを出発して日月譚へ向かい、そこを観光後、台南へ移動する。そこからさらに移動して宿泊地の高雄へ向かう。これからすると、今日はなかりの走行距離になりそうだ。ただただ無事故を祈るばかりだ。


バイキング方式の朝食を済ませると、部屋から見えていたコンビニのセブンイレブンへ出かけてみる。ホテル玄関を出るとすぐの所で、道路の四つ角に位置する好立地の店舗である。店内に入って物色してみる。店内レイアウトは日本のそれと同様だが、置かれている品数は少なく、なんだか物足りない感じである。早朝のことで来店客は少なく、1人のみである。


ホテルの近くにセブンイレブンのコンビにが・・・


日月譚(にちげつたん)へ
8時半の出発時間となり、専用の小型バスはここから南東に位置する明媚な湖・日月譚へ向けて走り出す。この地は台湾12景の一つにあげられており、有数の景勝地として知られる観光名所で、ちょうど台湾のヘソ部に当たる中心点の山間部に位置している。台中より130kmの距離で車で所要1時間半である。


我らがチャーターバス

平坦地を1時間ほど走ると、緩やかな上り道にさしかかる。さらに進んで行くと山間部に入り、やがて木立の間から湖が垣間見える。かと思うと、すぐに森にさえぎられて湖の姿は消えてしまう。全景が分からないままバスは走り、間もなく豪奢な社殿の前でストップ。


台中より日月譚へ向かう途中


文武廟
降り立つ眼前には、赤瓦を載せた多重屋根の大きな門がそびえている。これが文武廟の門で、その奥には前殿、正殿、後殿と三段の社殿が湖水に面した山腹の斜面に建っている。この廟は1938年に建立され、1975年に再建された中国宮殿式の廟宇で、廟としては台湾で最大級のものといわれている。 「水雲宮」と称される前殿には文武廟開基諸神が、正殿には武の神である岳飛や関羽が祀られている。


そびえる文武廟の大門

門をくぐり抜けると朱塗りの前殿が上段にどっしりと構え、そこを通り抜けて奥へ進むと豪壮な伽藍が段上にそびえるのが見える。これが正殿で、その内部は絢爛たる装飾模様で埋められている。金色に輝く祭壇や天井の装飾模様は見事そのものである。


どっしりとした前殿


段上にそびえる正殿


正殿内部の祭壇


孔子の像。「萬世師表」は孔子の称号。


見事な天井の装飾

正殿の横を通り抜けて奥へ進むと、横手から展望台へ上る階段がある。そこへ上りあがると、前面に日月譚の湖面が青空に染まりながら静かに広がっているのが眺望できる。ここから眺めるかぎりでは平凡で、ワンダフル!といえる風景ではない。少々広すぎるせいからだろうか? 予想外に広いこの湖は、その面積100平方キロ、周囲は33kmで、海抜760mの高さに広がっている。名前の由来は湖上に浮かぶ光華島を境に北は太陽の形、南は三日月の形をしていることから、日月潭と呼ばれるようになったという。




 展望台から眺めた日月譚の眺望。樹木と社殿の屋根が視界を遮っている。




日月潭はもともと小さな湖だったそうだが、日本の統治時代に発電所を建設するため、濁水渓から15kmの地下用水路で水を引いた結果、湖面が大きくなったという。また、もともと小山であったところが水に埋もれて数々の島ができ、それが景観にアクセントを添えている。


気候や時間帯により、その光景は大きく変化し、四季の移ろいはまるで山水画の世界を見るようで、とりわけ朝焼けが絶景という。クルーズ船も出ているので、折々の風景が船上からも眺められ、また違った印象が得られるのかもしれない。


日月潭の水は主に発電用に利用されており、1年の発電量は台湾の水力発電全体の56%を占めているという。また、水質がよいのに加え、毎日台湾電力が発電用貯水として循環させるため、藻などの植物が繁殖しにくく、台湾ではめずらしい曲腰魚、奇力魚、潭エビなどが生息しているそうだ。


展望台を後にすると、豪華な伽藍を横目に見ながら正門へくだり下りる。門前には狭いパーキングがあるのだが、意外や意外、ここからの湖水の眺めが素敵である。展望台は高いため、かえって樹木で景色がさえぎられ、湖の全貌が眺望できないのである。



 パーキングより眺めた日月譚の景観




すぐ横には小店が並び、食べ物や土産品を売っている。珍しいのは鶏の丸焼きで、それが無造作に炉の中に突っ込んである。見るからに美味しそうだが、1羽丸ごとを1人では持て余しそうだ。横では来店客の注文に応じて、その1羽を分解している最中である。ナタ包丁を使いながら、手慣れた手つきで豪快に解体している。このお客はどこで食べるのだろうか?


鶏の丸焼きが並ぶ


注文の鶏を包丁で豪快に解体中


台南へ
日月譚を後にすると、バスは台南に向かって南下し始める。原っぱの中を貫通するハイウェーに乗って疾走する。その間、ガイド氏がいろいろと台湾事情を話して聞かせる。


台南へ向かうハイウェーを走行中


      ***********************************************
<ガイド氏の話>

●台湾バナナとバナナ娘
戦後、バナナ農園主は日本への輸出で儲け、資産家になる者が多かったという。そのお嬢さん方は医師などのエリート族に嫁がせるのが風潮で、開業資金などはすべて農園主が負担する持参金付きだったという。そんな彼女たちのことをバナナ娘と呼んでいた。


ところがその後、日本の商社がバナナ農園主から多数のバナナの苗木を買い集め、それをフィリッピンのミンダナオ島に移植して栽培を始めるようになった。そのためバナナの大量生産時代になり、相場は暴落して儲けは少なくなったという。これまで儲けていた台湾のバナナ農園主たちは、こうして次第に凋落し、没落して行ったという。


フィリッピン産のバナナはこうして出回り始めたわけだが、如何せん、その味はどうしても台湾のバナナには及ばないという。それは気候や風土の条件の違いがもたらすもので、こればかりはどうしようもないことだと言う。確かに日本に輸入されるバナナをみると、フィリッピン産は台湾産より味が落ちて格下になり、値段も割安となっている。やはり台湾バナナは独特の風味と甘みを持っている。


●台湾での生活費
一家4人の生活で、1ヶ月5万円程度とのこと。大卒初任給が10万円であることを考えれば余裕の生活ができそうだ。しかし、これには住居費が含まれていないので、借家住まいをすれば結構厳しいのだろう。

      ***********************************************

昼食は和風台湾料理
そんな話を聞きながら走行すること1時間半、バスは12時過ぎに嘉義(かぎ)の町に入る。この町は有名な阿里山へ行く鉄道の基点の町で、北回帰線が通過する町として知られている。他には特徴のない地味な町らしいが、われわれはここで昼食を取ることに。本日は和風台湾料理というのだが、どんな日本料理が出されるのだろうか?


嘉義の町に入ってきた

楽しみにしながらレストランに入ると、店内は何となく和風のムードがただよっている。運ばれた料理は茶碗蒸し、春巻き、焼きソバ、ご飯など数種類の料理が並ぶ。まさに和食と中華料理をチャンポンにしたような料理である。和食は少ないが、いずれも結構おいしくいただける。みるみるお腹は満腹となり、嘉義の昼食は終わりとなる。


和風中華の料理


焼きそば風料理

再びバスに乗ると、台南へ向けて走り出す。日月譚から台南までは、かなりの距離がある。立ち寄った嘉義の町はその中間地点にあり、ここから台南を経由し、そのさらに南の高雄まで行くのには相当の距離になる。ドライバーも大変だが、こちらもバスに揺られて耐えるしかない。


出発して間もなく、左側に風変わりなモニュメントが目に飛び込んでくる。一見、宇宙船のような構造物だが、これが北回帰線が通過する地点のランドマークの標塔だという。う〜ん、北回帰線・・・言葉は聞いたことがあるが、さてその説明となると、とんと分からない。早速、ここで調べてみよう。


宇宙船のような北回帰線の標塔


嘉義の町を通り抜ける


      ***********************************************
北回帰線
回帰線とは、地球の北緯・南緯それぞれ約23°26'の緯線のことをいうのだそうだ。つまり夏至と冬至の南中時刻に、太陽が完全に真上(90°)にくるのが回帰線上の地域で、太陽がそこまでくるとまた赤道の方へ回帰していくことから、回帰線の名がつけられた。この場合、北緯23°26'の緯線を北回帰線、南緯23°26'の緯線を南回帰線というのだそうだ。

例えば、夏至の日の正午には太陽が地面の垂直の位置に来て、理屈上は影がなくなることになる。だから、この日に嘉義の町に居れば、影のない瞬間が体験できるに違いない。

      ***********************************************

台南観光
バスは嘉義から1時間半走り続け、ようやく台南の街に入る。この街は高雄の北方に位置する台湾第4番目の大都市である。台湾内で早くから開けた地区の1つで、鄭氏政権時代には約220年間にわたり台湾の首府であったことから、多くの古跡や寺廟が残る古都として知られている。


街のどこを歩いても史跡に会えるとまで言われるほど歴史的建築や古刹が街中に散在し、オランダ人によって建てられた赤嵌楼(セッカンロウ)や台湾最古の孔子廟、英雄である鄭成功を祭った延平郡王祠、開元寺、五妃廟、官庁の建物もオランダ風のものが多く、見所の多い街でもある。


赤嵌楼(セッカンロウ)
バスはまず赤嵌楼へ回り、そこでストップ。ここは台南を代表する観光スポットで、楼内庭園に入るとその奥に方形のどっしりとした2階建てのレンガ色の館が見える。これは台南がオランダ統治下にあった17世紀に建てられたもので、政治の中心として活躍したお城なのである。


1661年に、鄭成功(ていせいこう)がオランダを撃退したが、その後も鄭成功がそのまま行政の中心として使っていたという。日本統治時代には、陸軍の病院として使用されたりしたそうだが、その後は長い歴史を物語る建物として修繕と復元が行われ、1982年に国の第一級古跡へ指定されたという。


このように赤嵌楼はオランダ→中国→日本と歴史が交差してきた貴重な史跡であり、また鄭成功がオランダを撃退して漢民族のものとなったわけだが、これが台湾にとって民族統治の始まりであり、その意味で赤嵌楼はその象徴としての歴史的意義をもっている。


園内にはよく手入れされた庭園があり、その奥に海神廟、それに隣接して文昌閣が並んで建っている。庭園の片隅にはオランダの将が鄭成功に降伏する図の像が立っている。その前をぐるりと通り過ぎて本殿の近くに行くと、その基台の側壁に沿ってきれいな泉水が流れている。その狭い池に大量の緋鯉が押し合いながら泳いでいるのが印象的である。その縁には亀の背に乗った石碑が並んでいるが、これは功績を残した人の石碑だとか。


赤嵌楼本殿。手前に並ぶのが亀の背に乗った石碑の列。


オランダの将が鄭成功に降伏する図の像(右より2人目が鄭成功)


小さな池には緋鯉がいっぱい

本殿正面に回り、「赤嵌楼」と書かれた入口門をくぐって中に入る。館内には建築当初のオランダ風建物の模型や鄭成功の肖像画などが掲げられている。裏手に回るとオランダ時代の古井戸の跡があったり、堅固な基台、それに赤レンガの塀などが残っていて往時をしのばせている。


赤嵌楼の正面入り口


オランダ時代の古井戸の跡



(次ページへつづく・・・)











inserted by FC2 system