写真を中心にした簡略版はこちら→ 「地球の旅(ブログ版)」






     N0.1





北回帰線が中央を横切る熱帯と亜熱帯の国・・・台湾
世界一の101ビルと高速鉄道(新幹線)で進化する・・・台湾
世界4大美術館の一つ故宮博物院の至宝が輝く・・・台湾



台湾旅行日程(6日間)

日付 日数 ル − ト 泊数 タイムテ−ブル・内容
2007年
11/18
(日)

 福 岡 → 台 北
 台 北 → 台 中
  1 10:10発→11:40着(台北)
陸路台中へ 
 
  19(月)  台中 → 台南 → 高雄      各都市市内観光、日月譚観光
  20(火)  高雄 → カランビ → 知本温泉   1  最南端カランビ岬、知本温泉泊
  21(水)  知本温泉 → タロコ峡谷 → 花蓮     1  八仙洞、北回帰線、タロコ峡谷
 観光
  22(木)  花 蓮 → 台 北
  1  故宮院見学、市内観光
  23(金)  台 北 → 福 岡     16:20発 → 19:25着



旅のコース





1.出発まで

久しぶりの旅である。しかし、やむなくツアー参加に変更しての旅である。実はマイル数が貯まったので、それを利用した特典航空券で旅に出ようと予定し、下調べを始めていた。ところが直前になって航空会社に問い合わせたところ、提携航空会社が変更になり、これまでより多くのマイル数が必要ということで、貯まったマイル数では不足することが分かった。


便利な福岡空港発を予定していたのだが、成田空港発なら従来のマイル数でOKという。ところが、台湾に行くのに、わざわざ逆方向の成田まで出かけ、前泊と帰国時の後泊をしながら行くのでは不合理と判断し、マイレージを利用しての旅は断念することにした。こうして福岡発のツアー参加に変更した次第である。


どうせ行くなら、台湾をくまなく一周をしようと、6日間のツアーを選ぶことにした。個人で同じコースを周るとなると、交通機関の効率が悪いので、どうしても7〜8日はかかることになる。その点、ツアーは効率的で日数も短くてすむ。そんな思いで出かけたものの、さてどんな旅が待ち受けているのだろう? 期待に胸がふくらむ。以下は6日間の詳細記録である。


2.台中への道

午前8時に出発点の福岡空港国際線に行くと、各自で勝手に搭乗手続きを済ませてくれとのこと。このツアーは添乗員なしなので参加者一行が集合する機会がないのだ。だから、果たして何人の参加者なのか、その人数が分からない。ままよと、早々とチェックインを済ませると、後はベンチに掛けて隣り合わせの老カップルと話に興じる。別のツアーグループで、同じ台湾に行くという。


ようやく時間が過ぎ、セキュリティチェックの列に並んで点検を受ける。その前にボトルのお茶をトイレで廃棄し、腕時計とベルトを外し、ポケットのコインもすべてバッグへ詰め込む。機内持ち込みの手荷物は、かなり厳しい制限が課されるようになったものだ。


搭乗ゲートでしばらく待つと、いよいよ機内への案内が始まる。みんなの搭乗が終わってみると、機内はがらがらで空席が目立つ。これでは航空会社は商売にならないだろうが、乗客にとってはありがたいこと。そんなことを思っていると、いよいよ出発開始である。遅延もなく、定刻10時10分の出発である。


機内はがらがらで空席が目立つ


滑走路に進入し、いよいよ離陸。


雲に覆われた博多市街を眼下に眺めていると、間もなく海上に出る。目指す台北は、ここから2時間ちょっとの飛行時間で、こんなに楽な機上の旅はない。早速、機内では飲み物と昼食のサービスが始まる。この航空会社はチャイナエアーラインであるが、過日、那覇空港で着陸炎上の事故を起こしたばかりである。そんなことを気にしていては、旅行もできない。事故の後は、一段と点検整備も行き届き、より安全かと思うことにしよう。


博多市街上空


飲み物のサービスが始まる


出入国カード
機内食は魚とチキンの2種類。魚を選んでみると、なんと鰻料理で当たりである。食事も終わり、一息ついていると、やがて出入国カードが配布される。記入項目は少なく、

・到着時のFRIGHT NO.
・出発時のFRIGHT NO.
・目的地
・姓名(漢字)・性別
・姓(ローマ字)
・名(ローマ字)
・生年月日
・国 籍
・パスポートNO.
・ビザの種類とNO.(30日以内は不要)
・職 業
・現住所
・台湾での居住先

などとなっている。

ここで注意すべきは、このカードは2枚重ねの複写式になっているということ。そして、その2枚目は入国審査時にパスポートに貼られて返される。これは出国時に必要なので、紛失しないように保管することが肝要である。


さあ、これで入国準備OKだ。あとは到着を待つばかり。機は次第に高度を下げ、台北の郊外にある桃園国際空港に向けて着陸態勢に入る。台北の上空は雲が厚く、下界が見えない。雲の切れ間から垣間見えるのは畑が広がる田園風景ばかりで市街地は何も見えない。霧雨煙る中、やがてスムーズなランディングで滑走路を滑り、中華民国の国旗・晴天白日旗が大きく掲げられたターミナルビルへゆっくりと向かう。2時間10分の飛行で現地時間11時20分の到着である。


桃園国際空港(台北)の近郊の風景


桃園国際空港(台北)に着陸


ターミナルビルには中華民国国旗・晴天白日旗が見える

いよいよ台北到着である。この空港は以前にトランジットで立ち寄ったことがあるので、これで二度目である。気温17℃ぐらいで暖かい。ここで時差1時間の調整を忘れずにしておこう。日本時間より1時間を遅らせることになり、なんだか1時間もうけた感じである。


      ***********************************************
台湾のこと
ここで初めて入国するわけだが、台湾のことについて少し述べておこう。

・正式国名・・・中華民国(台湾は通称で正式な文章においては臺灣と表記)
・国土面積・・・約36000kuで九州よりやや小さい
・人 口・・・2290万人
・首 都・・・台北(人口263万人、主要都市は台北、高雄)
・言 語・・・北京語、福建語、客家語
・宗 教・・・仏教、道教、キリスト教
・政 体・・・三民主義(民族独立、民権伸長、民生安定)に基づく民主共和
       制
・軍事力
 (1)予算 2540億台湾ドル(77.3億米ドル)(2006年)
 (2)兵役 20ヵ月
 (3)総員 約29万人
   陸軍 20万人(主力戦車約930両等)
   海軍 4.5万人、艦艇等約150隻
   海兵隊 1.5万人
   空軍 4.5万人、作戦機約510機
・主要産業・・・電気・電子、鉄鋼金属、繊維、精密機械
・GNP(国民総生産)・・・3660億米ドル(1人当たりGNP=16098米ド
               ル、2006年)
・実質経済成長率・・・4.6%(2006年)
・主要貿易品目
 (1)輸出:電子電気機械、鉄鋼金属製品、プラスチック製品、繊維
 (2)輸入:電子電気機械、原油・鉱産物、化学品、鉄鋼金属製品
・主要貿易相手国
 (1)輸出(2006年):中国、香港、米国、日本、シンガポール
 (2)輸入(2006年):日本、中国、米国、韓国、サウジアラビア

1945年以降、台湾は一貫して中華民国の統治下にあり、1949年に中華人民共和国が建国されて以降、中華民国政府は台湾に移転したが、それ以降は中華民国の通称として「台湾」が用いられている。中国政府と中華民国政府との間では、双方がその統治権を主張しており問題になっている。


1971年、国際連合で中華人民共和国が「中国」の代表権を取得してからは多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認し、中華民国はアメリカと共同歩調を取る西側諸国を含む多くの国から「正統な中国政府」として承認されなくなった。


しかし、民主主義国家である中華民国との非公式な関係維持を望むアメリカや日本などの多くの国では中華民国の統治地域を中華人民共和国の統治地域とは別個の「地域」と判断して、「台湾」という地域名称で中華民国の政府を呼称し始めたのである。


台湾の歴史
台湾の歴史は、先史時代、オランダ植民統治時代、鄭氏政権時代、清朝統治時代、日本統治時代、南京国民政府統治時代、台湾国民政府統治時代、そして現在の台湾総統選挙時代に区分される。

1.先史時代
今から300万年から1万年前の更新世氷河期の時代、台湾は中国大陸と地続きであり、大陸から人類が台湾に移住し、居住していたと考えられている。約400年前まで、南島(オーストロネシア)語族の原住民の祖先が、次々と台湾に漂流してきて、現在知られている限りでは台湾の最初の住民になったとされる。

2.オランダ殖民統治時代  
台湾が本格的に開発され始めたのは16世紀の明朝時代になってからで、その後、大航海時代になると、ヨーロッパ各国から多くの人々が来航するようになり、台湾の戦略的重要性に気がついたオランダやスペインが台湾島を「領有」し、東アジアにおける貿易・海防の拠点とするようになった。日本への鉄砲やザビエルによるキリスト教伝来も、おそらくは台湾を経由してきたのだと思われる。

3.鄭氏政権時代
17世紀、明朝が滅亡すると清が進出した。これに抵抗するため鄭成功の軍勢は、清への反抗の拠点とするため、台湾のオランダ・東インド会社を攻撃して撃退。台湾を「東都」と改名し、現在の台南市周辺を根拠地としながら台湾島の開発に乗り出すなど、反清の拠点化を目指したが1662年に病死した。鄭成功は清との戦いに際し、たびたび徳川幕府へ軍事的な支援を申し入れたが、当時の情勢から鄭成功の勝利が難しいと判断され、幕府の支援は実現しなかった。しかし、この戦いの顛末は日本にもよく知られ、後に近松門左衛門によって国姓爺合戦として戯曲化された。

4.清朝統治時代 
清朝は1683年に台湾を制圧し、その後、1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置して福建省の統治下に編入した。その後、対岸の福建省、広東省から多くの漢民族が移住し、開発地を拡充して行った。台湾島の開発拡充は約2世紀をかけて徐々に北上し、19世紀には台北が本格開発されるまでになった。1894年の日清戦争に破れ、翌年に締結された下関条約に基づいて台湾は清朝から日本に割譲され、以後、台湾は日本の領土として台湾総督府の統治下に置かれることとなった。

5.日本統治時代
この時代に入ると、農業振興政策が採用され、各種産業保護政策や、鉄道を初めとする交通網の整備、大規模水利事業などを実施し製糖業や蓬莱米の生産を飛躍的に向上させることに成功している。また、近代化を目指し台湾内の教育制度の拡充を図り、義務教育制度施行によって台湾人の就学率は1943年の統計で92%、日本語普及率は71%とにまでなっている。

こうした日本が台湾において行ったインフラ整備や人材育成は、戦後の台湾の経済発展、民主化の成功への礎となっており、台湾人は日本への感謝の気持が強く、台湾人の多くが親日である礎となっている。しかし、太平洋戦争期には日本の南方進出の重要拠点となったため、末期にはアメリカ軍の空爆を受けることにもなった。

6.南京国民政府統治時代
1945年の第二次世界大戦後、日本軍の降伏により、台湾を中華民国の領土に編入すると同時に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。1949年に蒋介石が国共内戦で敗れた軍、南京国民政府を引き連れて台湾に移住してきたため、これ以降は事実上蒋介石・国民政府による台湾の直接統治が行なわれることとなった。

7.台湾国民政府統治時代
蒋介石は開発独裁によって鉄道、港湾などの大規模開発を行い、台湾経済は軽工業から重工業へ発展していく。一方、アメリカは共産勢力に対抗するため蒋介石に種々の援助を行い、ベトナム戦争勃発後は台湾から軍需物資を調達するなど、大量のドルが流入することになる。これにより台湾経済は高度成長期に突入する。

蒋親子の死後、国民党主席についた李登輝は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の総統民選を実施、そこで総統に選出された。国際的にはアメリカの庇護下で、韓国・日本・フィリピンとともに共産圏封じ込め政策の一端を担っていた。しかし、ベトナム戦争の行き詰まりから米中が国交を樹立すると、台湾は国連から追放され、日本からも断交されるに至った。しかしアメリカは自由陣営保持の観点から台湾関係法を制定し台湾防衛を外交方針としている。

8.台湾総統選挙時代(現代)
蒋経国の死後、副総統であった李登輝が自動的に総統に就任したが、この時代には自由化は一段と進み、議会が解散され、中華民国初の普通選挙も行われた。一方経済的には、一時は外貨準備高が世界一になるなど、潤沢な資金を背景に、ハイテク産業を中心にした莫大な投資を行い、経済奇跡と呼ばれる経済発展を成し遂げた。

台湾は事実上の独立国家として機能しているが、国際的には中国の一地域として位置づけられ、中華人民共和国との間の軋轢が続いている。台湾国民の中にも、独立派、統一派、現状維持派など様々な考え方があり、複雑な社会情勢が続いている。


(余 談・・・ガイド氏の話)
・台湾北部の気候は2・3・4・5月が日本の梅雨みたいで雨が多く、南部は
 7、8月が雨が多く、スコールとなる。
・台湾の大卒の初任給・・・約10万円(日本は約20万円)
・台中はヤクザの故郷と言われており、ヤクザが多く拳銃所有が多い。
・マッサージは高雄か台北がよい。台中はあやしい。
・看板などの表示
 *汽車・・・自動車のこと。ガソリンのことを汽油と言い、それを燃やして走
        ることから来ている。
 *火車・・・汽車のこと。石炭などの火を燃やして走ることから来ている。 


     ***********************************************

入国審査へ
エプロンが横付けされて降機すると、ピカピカの長〜い直線フロアに出る。その前方末端は遠くてよく見えないほど。その距離300mぐらいは優にありそうだが、そこまで歩くのだろうか? ええっ〜! と思いながらも、とにかく入国審査に向けて歩く、歩く、歩く。幸い「動く歩道」が設置されているので、ずいぶんと助かる。やっと末端まで到達したかと思うと、まだその先がある。左に曲がってまだ歩くのである。


入国審査に向かう長〜いフロア


両 替
審査ブースの手前に両替所を発見。入国審査の前に両替を済ませておこう。ここでひとまず日本円1万円を両替する。レートは・・・(07年11月18日現在)
・為替レート0.2841
・10000円→ 2841台湾ドル
・手数料20台湾ドル
・手取り・・・2821台湾ドル
これからすると、1台湾ドル=3.544円

台湾の通貨の呼称には「ニュー台湾ドル」「元」「圓」の三通りがあってややこしいが、いずれも同じ通貨のことである。紙幣には「圓」が使われている。


台湾の通貨(紙幣とコイン。紙幣には圓の文字が使われている。)


入国審査
両替を終え、やっとのことで審査ブースに辿り着くと、我々の便だけなのか、人は少なく意外と空いている。すぐに順番が来て審査を受ける。入国カードの複写2枚目を切り離してパスポートのページに貼付して返される。これでいよいよ台湾入国だ。


手荷物だけなので預け荷物の受け取りはない。そのまま税関ブースに行くと、フリーパスである。荷物の多い人は、ピックアップ的に検査されているようだ。いち早く到着ロビーに出ると、出迎えの係員を探し、名前を告げて一行が揃うのを待つ。ここで初めてツアー参加者一行の人数が総員9名ということが分かる。ロビーもピカピカで広く、椰子の木が植えられて南国ムードがただよっている。


広々とした到着ロビー


高速道路
全員そろったところで出迎えの専用バスに乗り、いざ台中へ向けて出発である。空港を出ると、すぐにハイウェーに乗り、一路南へ向けて突っ走る。道路はよく整備されており、快適な走行ができる。高速道路の速度制限は箇所によって異なり、最高時速90〜110kmの範囲になっている。道路は右側通行で、右ハンドルの車は使用不可、左ハンドルのみが使用できる規則になっている。そのため外車は日本からの輸入ができず、アメリカから左ハンドル車を輸入しているという。


台中へ向かうハイウェー

台北市内へは立ち寄らず、空港から直接台中へ向かう。台北〜台中間のハイウェーは幹線道路のため行き交う車が多く、トラックが多い。料金所は日本と同様で、ETC(Electronic Toll Collection System)も設けてある。我らがバスもこれを利用して、すいすいと通過する。途中の風景は特に変哲もないもので、まばらに建物が見えたり、草原や山並みが見えたり、川に出会ったりしながら快適に走行する。1時間ほど走ったところでパーキングに入り、一時休憩となる。トイレと飲食店があるのみで殺風景なパーキングである。


ハイウェー料金所


珍しく山並みが見える


一時休憩したパーキング


広い川を渡っている


台 中
ここを後にすると、再び走行を続け台中を目指す。南下するに従って、次第に空は晴れ上がり、台湾の青い空がのぞき始める。台北から約2時間ほどの走行で、目的地台中の街に入って来る。街角では早速セブンイレブンのマークのあるコンビニが目に留まる。そのまま宝覚寺へ向かう。


台中市街に入る。日曜で人通りは少ない。

台中は台北、高雄に次ぐ台湾第三の都市で人口は105万人。近年の台湾経済の発展を支える成長の著しい都市で、現在の台湾経済や文化面でも重要な役割を担っている。19世紀の後半に清朝の台湾府が置かれていたこともあり、街は古都らしい落ち着いた風情も残しており、孔子廟や寶覚寺、中国宮殿スタイルの建物が美しい忠烈祠など歴史的な古跡もある。また、台湾きっての観光地である日月潭や阿里山へ向かう玄関口として、多くの観光客が訪れる観光都市としての機能も持っている。



(次ページへつづく・・・)









a

inserted by FC2 system