NO.1
(8 日 間)
南太平洋に浮かぶ常夏の楽園
パシフィックの真珠・ボラボラ
画家ゴーギャンと映画「南太平洋」の舞台となった島
(2004年1月26日〜2月2日)
タヒチ旅行日程
日付 |
日数 |
ル − ト |
泊数 |
タイムテ−ブル・内容 |
2004年
1/26
(月) |
1 |
成田 → パペーテ
パペーテ→ ボラボラ
|
3 |
11:30発 → 3:40着
カタマランクルーズ
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27(火) |
2 |
ボラボラ |
4WDサファリ |
28(水) |
3 |
ボラボラ |
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29(木) |
4 |
ボラボラ → パペーテ |
3 |
タロット |
30(金) |
5 |
パペーテ |
モーレア島観光 |
31(土) |
6 |
パペーテ |
パペーテ市内観光 |
2/1(日) |
7 |
パペーテ → 成田 |
機内 |
1:30発 → |
2(月) |
8 |
成田 |
|
9:25着 |
1.タヒチへの思い
もう半世紀近く前の話になるが、ミュ−ジカル映画の傑作「南太平洋」(1958年アメリカ映画:ロッサノ・ブラッツィ、ミッツィ・ゲイナ−出演)を観た折、まるで別世界にいる思いをした記憶がある。スト−リ−の面白さもだが、当時としては珍しい南国の楽園ム−ドいっぱいのこの映画のシ−ンに、我を忘れて見入ったものだった。あの世界的ヒット曲「バリハイ」や「魅惑の宵」は、今でも口ずさみたくなる名曲だ。その舞台背景になったのがこのタヒチだ
ったのだ。
そんな思いから、タヒチへの思いは古く、長く、今日まで抱き続けることになった。当時は、遙か遠くの別世界という感じで、そこへ行けるなどとは夢にも思わなかった。それが海外旅行も一般化し、海外の情報もふんだんにもたらされるにつれ、テレビの取材や旅行パンフレットなどでタヒチの様子がつぶさに見られるようになった。あの透明な海と南国の太陽が輝く楽園に一度は行ってみたい。それも、あの水上コテ−ジに何としても泊まってみたいと言う願望は強くなるばかりだった。
それが今回、ようやくにしてその夢が叶うことになった。旅行が決定すると、もう心はタヒチへ飛んでいた。この目と耳と鼻と足で南国の空の色や海の色、それに風の音や土と花の香りを確かめてみたい。そんな心おどる思いでタヒチへと旅立った。
2.タヒチのこと
正式国名は「フランス領ポリネシア(タヒチ)」で、一般的にはタヒチの名で総称されている。日本からの距離は約9,500km、飛行時間は約11時間。ヨ−ロッパ並みの長い飛行時間である。赤道を越え、日付変更線を横切って南太平洋まで南下する。ハワイから飛行機で南へ5.5時間の距離にあり、時差は19時間でハワイと同じである。また、それぞれシドニ−から6,100km、オ−クランドから4,000km、ロサンジェルスから6,400kmの距離にあり、カリフォルニアとオ−ストラリアの中間に位置している。
タヒチの位置(タヒチ観光局サイトより転載)
ポリネシア人のル−ツは紀元前10世紀頃、東南アジアから渡来した海洋民族と考えられている。1767年にイギリスのサミュエル・ウォリスがヨ−ロッパ人で最初に発見し、次いで68年にはフランス人のブ−ゲンビル、69年にはジェ−ム・クックがタヒチを訪れている。1844年から3年間続いたフランスとタヒチ間の戦争でフランスが制圧。その後、イギリスとフランスの間で海外領の利権争いが起こり、その関係でポマレ王朝が成立。1880年にはポマレ5世がタヒチ諸島とフランスの併合に署名し、その植民地となる。1886年にはフランスの法律が導入され、1945年、タヒチ人はフランス国籍を取得することになる。
1957年に「フレンチポリネシア」と命名してフランスの海外領土に昇格し、現在では広範な自治権を確立している。1963年からムルロアの原爆実験センタ−が建設され、92年に原爆実験中止が宣言される。98年には付加価値税制が創設され、またロ−カル航空会社「エア−・タヒチ・ヌイ」が設立されている。
中国人の最初の移民は1856年で、その9年後には大量の移民があり、綿花やコ−ヒ−園で働いた。1907年には二度目の移民があり、それが現在の資産家商人の先祖たちである。太平洋戦争に入った1942年、日本と戦うアメリカ軍は南方海上を封鎖する目的でフランスと合意の上でボラボラ島に基地をつくった。46年には地元女性と兵士たちとの間に100人以上の子供が生まれたという。その当時に造られた空港など、幾つかの基礎施設が今でも使用されている。また、赤錆になった当時の7インチ砲がボラボラ島の山上に残っている。
いわゆるタヒチは、大小118もの島々で構成され、これらは大きく5つの諸島(ソシエテ諸島、ツアモツ諸島、マルケサス諸島、ガンビエ諸島、オ−ストラル諸島)に分けられている。これらのうちで一番広い島はランギロア島(1,600平方キロ)とタヒチ島(1,000平方キロ)で、観光で有名なタヒチ島、モ−レア島、ボラボラ島などは、このソシエテ諸島に属している。
(全島地図はこちらをご参照)
人口は約24万5千人(2003年2月現在)で、そのおよそ86%がソシエテ諸島に住んでいる。その人種構成はポリネシア系(83%)、ヨ−ロッパ系(12%)、中国系(5%)となっている。宗教はプロテスタントが47%、カトリック37%となっている。
産業面では観光、黒真珠が主力で、1999年には観光客数が20万人に達し、輸出面ではそれぞれ1位、2位を占めて輸出総額の30%に上っている。観光客の動向を見ると、2000年には25万人に増加し、平均滞在期間は12日、出発地別には北アメリカ34%、フランス30%、ヨ−ロッパ14%、日本6%などとなっている(1999年度)。距離的に近いこともあって、アメリカからの観光客が一番多いのだろう。
気候は亜熱帯海洋性気候に属し、年間の平均気温が27度、海水温の平均が26度という常夏の楽園である。11月〜3月は雨季で真夏にあたり、美しい花が咲き乱れる季節。雨季とはいっても、日本の梅雨のように終日じめじめ降り続くのではなく、時折シャワ−があってまた晴間がのぞくといった感じである(だが、今度の旅では終日降り続く雨に遭った)。4月〜10月は乾季で若干気温が下がるが、それでも最低気温は23度前後、最高は28度前後と過ごしやすい季節になる。
物価はかなり高い。例えば、ボラボラのモツ(小島)にあるホテルでは、バイキング料理だと1人6000円、アラカルトの一品料理で2000円〜4000円もする。特殊な環境条件とはいえ、毎食食べるのではかなりの出費になる。ただ、バゲットのフランスパンは政府の補助があるらしく、ス−パ−では1本60フランで売られている。タヒチは自給できる物品が少なく、主要な商品を輸入に頼っている。ところが、輸入品にかかる関税が高く、いきおい物価も高くなるというわけだ。それに98年から導入された付加価値税が全てのサ−ビスや食料品に7%〜11%もかかり、これがさらに物価を高くしているのは間違いない。将来は15%になるそうだ。
(この他、環礁の形成過程、日焼け止めクリ−ム、蚊とマラリア・デング熱、危険なノノ・くらげ・微生物、タヒチでのアクティビティなどについては本旅行記の巻末をご参照)
3.南太平洋の楽園・タヒチヘ
搭乗案内のアナウンスがあり、いそいそと搭乗ゲ−トから機内へ進む。エア−・タヒチ・ヌイに乗るのは初めてである。入口ではタヒチの国花「ティアレ」の白い花を一輪ずつ配っている。私にもくれるのかと思って期待していると、それは女性だけへのプレゼントなのだ。
少し失望して一歩中に入ると、おや? これは……。これまで過去に乗った飛行機の雰囲気とは全く違うのである。なんだか一気に南国のタヒチに飛んだかのような気分にさせられたのだ。それと言うのも、淡いブル−カラ−の座席が機内いっぱいに広がり、タヒチのラグ−ンの海の色を演出しているかのように見えたのである。そして、後方の隔壁にはゴ−ギャンの裸婦の絵が掲げられている。さすが、エア−・タヒチらしい配色と心づかいだなあと感心させられる。途端に、心うきうきとなって、早くもタヒチム−ドいっぱいになる。
機内はタヒチムードがいっぱい
定刻に出発した機は、一路南に向けて飛行する。乗客のほとんどが日本人で、かなりの空席が目立つ。機内放送によると、飛行時間は約10時間と告げている。11時間とばかり思っていたので、これはありがたい。往路は追い風で早いらしい。機は日付変更線を横切り、赤道を越え、南東に向けて飛行する。その間に昼食、朝食のサ−ビスがあり、その中間食にカップヌ−ドルやサンドイッチが自由に食べられるように用意されている。
空港での歓迎
長い飛行時間の後、機はようやく高度を下げて着陸態勢に入り、深夜の3時過ぎにタヒチ・ファアア国際空港に到着。真暗闇の中にライトアップされたタラップを下りて目の前のタ−ミナルビルへ歩を進める。気温30度近くあるのだろうか、さすがにむっとする暑さで、冬服を脱いでもやはり暑い。
深夜のタラップを下りて入国審査へ
玄関口に入ると二人のタヒチアン女性が待ち受け、国花の白い花「ティアレ」を一人ずつ手渡してくれる。匂いを嗅いでみると、甘い香りのクチナシの花に似ており、花弁もよく似ている。帰国後、調べてみると、やはりクチナシ科の花である。この花弁の絵が、タヒチ・エア−・ヌイの飛行機の尾翼にも大きく描かれている。
ティアレの花をプレゼント
クチナシの花に似たティアレ
エアー・タヒチ・ヌイの機体の尾翼に描かれたティアレの花
タヒチの香りに酔いながら奥へ進むと、今度は南国ム−ド漂うメロディ−が聞こえてくる。「タヒチはあなたを歓迎します」と書かれた看板のあるベンチに腰掛けたアロハ姿のタヒチアンたちがウクレレなどで歓迎の音楽を奏でているのだ。なんと心あたたまる歓迎ぶりだろう。
歓迎の音楽を奏でる
いい気分になりながら入国・通関をすませて到着ロビ−に出ると、今度はタヒチ女性によるレイのプレゼントである。これはみんなもらえるので、私ももれなくいただき、満悦気分に。ここでもまたタヒチアンミュ−ジックを奏でて歓迎している。重ね重ねのもてなしに、感激もひとしおである。
民族衣装でティアレの花のレイをプレゼント
一人ひとりにレイをプレゼント
到着ロビーでも歓迎の音楽が・・・
両替を終えると、出迎えのスタッフに案内されて2階のカフェへ移動し、そこで宿泊に必要なク−ポンや国内便チケット、案内パンフなどを手渡され、説明を受ける。そして、ジュ−スを飲みながら現地での過ごし方や注意についてガイドを受ける。この地では、多くの若い日本人男女が旅行関係で働いているが、彼らの話では、なんとか生活できる程度だと言う。これから有名なボラボラ島へ国内便で移動するのだが、それまでまだ2時間以上も待ち時間がある。
4.ボラボラ島へ
6時の出発までようやく1時間を切ったので、1階のチェックインカウンタ−に行き手続きを行う。国内便はすべて自由席で、早い者勝ちである。上空からの撮影をしたいので、なんとか窓際の席を確保したい。そう思いながらゲ−トに最寄りのベンチに座って搭乗を待つ。待っているうちに次第に夜も明け、辺りの景色も見え始める。ふと飛行場を見ると、その遠く向こうに朝ぼらけの空を背景に美しい島のシルエットが見える。起伏に富んだところをみると、きっとモ−レア島に違いない。この島にもぜひ渡ってみたい。そこはこの海岸沿いの飛行場から、ひとまたぎの距離にある。
海の向こうにモーレア島が見える
いよいよ搭乗時間となり、真っ先に並んで飛行機に向かう。小学1年生よろしく、一列に並んで女性スタッフに引率され、てくてくと飛行機まで歩いて行く。後方の搭乗口から機内に入ると、一番先頭の座席に向かって進む。すると待ち受けていたスチュワ−デスが、「こちら側がベスト・ビュ−ですよ。」と親切に教えてくれる。この双発のタ−ボプロップ機は、主翼が窓の上側に付いていて、窓外の眺めが翼で遮られるという心配がない。それに配慮して機種を選んだのだろうか?
ついでに、あの島影のことを尋ねると、やはり思ったとおりモ−レア島ということだ。
晴れ上がった青空のもと、短い滑走で朝空の中に飛び立った機は、北に向けて飛行する。すぐ眼下には朝日を浴びたタヒチ島が静かに横たわっている。このタヒチでは二番目に大きな島で、なだらかな山のスロ−プを持っている。
タヒチ島の東端が見える
ほどなくして、今度はモ−レア島が見えてくる。のこぎりの歯のように切り立った山々が朝日を浴びて美しいスカイラインを描き出している。この中に、あの有名な歌にもなったバリハイ山があるのだ。飛行するに従って、島の姿が刻々と変わっていく。斜めから差す朝日が影をつくり出して、浮き彫りにしたように島の立体感を見事に演出している。美しいラグ−ンも見えてくる。実に素晴らしい眺めだ。確かに、この窓側がベスト・ビュ−なのだ。
起伏に富んだモーレア島の全景
別の方向から見たモーレア島。険しい山並みが見える。
島を取り巻く美しいラグーン
えぐるように深く入り込んだ入り江のある島の上空を通り過ぎると、高度を下げて着陸態勢に入る。目的地のボラボラ島ではなく、その途中の島に立ち寄るらしい。この島で少々の乗降客があり、それが終わると再び機は小さな滑走路から離陸する。
入り組んだ入江が美しい
そこから20分足らずでボラボラ上空に達する。見えて来た、見えて来た!
あの美しいタ−コイズ・ブル−の海が!!
エメラルドグリーンの海に囲まれたボラボラ。水上コテージが飯粒のように並ぶ。
おや、島の中央にど〜んと突き立つような山が見えるが、あれはボラボラ島のシンボル、オテマヌ山(標高727m)ではないか!
鏡のような淡いブル−の海面に水上コテ−ジが米粒を並べたように見える。こんな風景に見とれていると、いやが上にも胸が高鳴る。すぐに機は着陸態勢だ。タヒチ島から途中の島を経由して、1時間10分の飛行である。
上に見えるのがボラボラ本島。雲に隠れたオテマヌ山が見える。
着陸したのは本島ではなく、それから少し離れたモツ(小島)の上につくられた小さな飛行場である。タ−ミナルハウスは、この地にふさわしい植物の草葺きの屋根である。そののどかな風景に心癒される思いを抱きながら、のんびり歩いて行く。おっと、その前に乗ってきた飛行機の写真を撮っておこう。
これが乗ってきた国内便飛行機
南国らしい草葺のターミナルハウス
ホテルへ
ロビ−に出ると、ホテルのスタッフが出迎えに来ている。愛想の良いタヒチアンで、すぐにホテル専用のシャトルボ−トに案内してくれる。桟橋にはしゃれた白い双胴船が待っている。ゆったりした船内には、すでに数組みの新婚カップルらしい日本人が乗っている。外国人の旅行客は1人も見えない。落ち着いたところで、ふと目を横にそらすと、目前にはゆったりと横たわるボラボラ本島が優美な姿を見せている。
ホテル専用のスマートなシャトルボート
全員そろったところで出発だ。白波をけ立てながら、高速船は桟橋からどんどん遠ざかって行く。オテマヌ山の頂上には、少し雲がかかっている。この静かな透明のブル−の海、どこまでも深く澄んだ青い空、生い茂る椰子の木々……これらはまさに南国タヒチの風景なのだ! はるばるタヒチへやって来たのだという実感が、今ようやくじわっとわいてくる。ボ−トが進むにつれて、本島のシルエットがゆっくりと変わって行く。うっとりと見とれるほどの素敵な風景である。
正面前方がボラボラ空港の波止場
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