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  NO.31





23.ウィ−ン・・・ 皇妃エリザベ−トとウィ−ン音楽と
 
今日は音楽の都ウィ−ン行きの日。雨模様の空ながらなんとか持ちこたえている。ビザカ−ドでチェックアウトの支払いをしようとフロントに確認してみると、このカ−ドは取り扱っていないという。マルクの現金をもたないので、列車の時間を気にしながらあわてて駅の両替所に走る。すぐ近くだから助かったものの、こんな体験は初めてである。
 

ウィーンへ
八時二十五分発の列車に乗車、その際ドアの開け方が分からず、一瞬戸惑う。どこにも取っ手が見当たらないので、よくよく調べてみると、ドアの横の小さなボタンを押すことになっている。ヨ−ロッパの列車もいろいろで、ドアのハンドルを持ち勢いよく内側に折り畳みながら開くものやボタンを押して開くものなどがあり、よく知っていないとドアの前で立往生することになる。これは各国の地下鉄でも同じことがいえるのだが、日本のようにドアが自動的に開かないものが多い。


一等のコンパ−トメントは乗客少なく、ガラ−ンとしている。発車して間もなく、ドイツポリスによる車内検閲があり、パスポ−トの提示を求められる。国境駅でもないのに珍しく、初めての体験である。午後一時過ぎ、四時間半の列車の旅でウィ−ン西駅に到着、外は小雨まじりの強風が吹き荒れている。
 

この地に来たからにはウィ−ン音楽にどっぷり浸らなくてはと、まず、駅の案内所で音楽プログラムをもらって見る。このパンフには、今月のコンサ−ト予定がリサイタルからオ−ケストラの演奏会までびっしりと載っている。一番のお目当てはウィ−ン・フィル・ハ−モニ−の演奏会なのだが、残念ながら日程がずれていてベルリン・フィルの時のようにうまく合わない。そこで今夜は、「ヴェンナ・ワルツ・オ−ケストラ」のコンサ−ト予定になっているので、これに決定する。
 
ホテル探し
ホテルの紹介を案内所に頼めば、どこでも四百円前後の手数料が取られるので、見つけやすいところでは、できるだけ自力で探すことにかぎる。そこで、駅前近くのホテルを見つけてたずねてみると、朝食付きでバスタブもあり、テレビも多数チャンネルが見られるいいル−ムがあるという。これで一泊一、五〇〇シリング=一四、六〇〇円というので、三泊するので割り引きしてくれないかと交渉すると、係の若いフロントマンがボスに聞いてくるから待ってくれという。


戻ってきた彼がいうには、一、三〇〇シリング=一二、六九〇円に勉強するという。これで交渉成立し、部屋へ行ってみるとキングサイズのダブルベッドが置かれた広々とした快適ル−ムである。少し高いが、それだけのことはある。早速、フロントに頼んで今夜のコンサ−トのチケットを購入する。A席で五〇〇シリング=四、八八〇円。
 

ウィ−ン美術史美術館
一服する間もなく、ヨ−ロッパ三大美術館の一つとされるウィ−ン美術史美術館へ地下鉄で出かける。地下鉄のチケットの自動販売機の操作が分からないので、係員を探して教えてもらう。運賃一七シリング=一六六円。外国旅行では、ちょっとしたことにも手間暇がかかる。ここの地下鉄には珍しく吊革がついている。地下鉄から上がると、あの権勢を誇ったマリア・テレジアの像が公園に見え、これを挟んで両側によく似た建物の美術史美術館と自然史博物館が並んでいる。






公園に鎮座するマリア・テレジアの像









入館料四〇シリング=三九〇円を払って入場したところ、恐竜をはじめ、さまざまな種類の化石類がびっしりと陳列されており、二階に上ると、これまたいろいろな種類の動物、鳥、昆虫などのはく製が数限りなく並んでいる。美術品は一体どこにあるのだろう、と係員に聞いてみるが要を得ない。どうも美術館を間違えて博物館に入ってしまったらしい。入り口に掲示してある“Museum”の文字だけを見て勘違いしたのだ。
 

足早に鑑賞して、反対側の“Museum”へ急ぐ。今度は入館料四五シリング=四四〇円を払わされる。ここは間違いなく美術館である。五メ−トル四方もある大絵画をはじめ、数知れぬ無数の宝物、美術品が展示されている。息の詰まるようなその美しさには、ただ圧倒されるばかりである。また、建物内の壁や天井の装飾彫刻も見事で素晴らしい。これらは、ハプスブルク家代々の皇帝によって収集された世界の美術品類だそうで、それらをまとめて一大コレクションにしたものだという。
 

本場のコンサート
夕方になるにつれ風雨は一段と強まり、小型台風並みの荒れ模様となって傘もさせない状態である。そんな嵐の中、七時から始まるコンサ−トへ久々のネクタイ姿で出かける。地下鉄に乗っていると、二人の日本人女性に出会う。年配の彼女らは、二人だけで十五日間のオ−ストリア・ドイツの旅を楽しんでいるという。なんとも頼もしいかぎりである。「こちらにお住まいですか?」と、また聞かれてしまう。
 

地下鉄を降りて出口に向かっていると、前を素敵なブロンド美人が歩いている。そこで早速声をかけて、「エントシュルディグング! ヴォ− イスト デア コンチェルトハウス? (すみません。コンチェルトハウスはどこでしょうか)」と問いかけてみる。すると、私も行くので一緒に付いていらっしゃいという。小わきに楽器入れを抱えた彼女についてしばらく歩いて行くと、ここですよといって自分も一緒に入って行く。ホ−ルの階段を上ろうとすると係員が呼び止め、その傘はクロ−クに預けるようにと注意する。そこで、折り畳ん見せるとOKと許可してくれる。やはりマナ−はやかましい。 
 

今夜のコンサ−トは残念ながら大ホ−ルではなく、隣の小ホ−ルである。ヴェンナ・ワルツ・オ−ケストラは若手ばかり二十名のメンバ−で構成され、指揮者も若い小編成でワルツ演奏専門のオ−ケストラである。幕が上がってメンバ−を見ると、なんとバイオリンのパ−トに道をたずねたブロンド美人がいるではないか! 彼女はオ−ケストラのメンバ−の一員だったのだ。いろいろと奇遇があるものだ。
 

演奏はウィンナワルツとポルカの特集で、次々に奏でられるワルツの調べに乗って陶酔のひとときを過ごす。二、三曲に一回ずつ、四人(うち男一人)のバレ−ダンサ−たちがワルツの曲に合わせて踊りを楽しませてくれる。舞台は狭いのだが、衣装も取り替えてとても素敵なバレ−を見せてくれる。そして、その合間にはテナ−とソプラノの男女歌手も出演して、音楽に合わせながらデュエットで歌ったり、独唱したりとなかなか熱演して聞かせる。最後は、「美しく青きドナウ」でしめくくりとなる。こうして、本場のワルツとポルカをたっぷりと堪能する。ホ−ルには、日本人の顔もちらほら見える。帰りは風雨の中を、傘を取られそうになりながらホテルへ帰り着く。
 

オペラのチケット買い
第二日目。昨日の嵐もどうにかおさまり、風はあるものの晴間がのぞいている。プログラムを見ると、今夜はプッチ−ニのオペラ“ラ・ボエ−ム”の上演予定になっているのでフロントにチケットを頼むと、オペラのチケットは取り扱わないという。そこで、駅の観光案内所に出向いて聞いてみると、ここで手配できるが二十パ−セントのコミッションが要るので、直接チケット販売所で買うのがよいという。それではと、オペラハウスへの行き方を聞いて地下鉄で出かける。
 

いつものことだが、地図はあっても地下鉄を出ると方向がどの位置にあるのかさっぱり分からない。ここでも「ヴォ− イスト……」を繰り返しながらオペラハウスにたどり着き、チケット売り場をたずねると裏手にあるブンデスシァ−タ−にあるという。そこに行ってたずねると、四〇〇シリングから二、〇〇〇シリングのランクに分けて値段が決められているのだが、当日なので全部売り切れて二、〇〇〇シリング=一九、五二〇円のA席二枚だけしか残っていない。それも端の席だという。若ければ安い立ち見席でもよいのだが、疲れた体で二時間も立って聞くのは大変だし、折角の機会だからと奮発して購入することにする。


ホ−フブルク王宮
その足ですぐ近くにある王宮ホ−フブルクへ足を伸ばす。入館料四〇シリング=三九〇円を払ってチケットをもらうと、その表には一八六七年に画家ジョルジュ・ラップが描いたという皇妃エリザベ−トの美しい肖像画が印刷されている。












この宮殿は十三世紀に着工され、何世紀にもわたって改築、拡張されたもので、権勢を誇ったハプスブルク王朝が代々住んだ王宮である。エリザベ−が居住した当時の部屋数は一四四〇室だが、今では二六〇〇室の部屋があり、ハプスブルク家の隆盛を今に伝えている。 






ハプスブルク家が代々住んだホーフブルク王宮













 
 王宮の内部

















 ハプスブルク家の膨大な
  図書の集積














一般に公開されている部屋を眺めながら歩いていると、華麗で豪華な部屋がいくつも続いている。その一室にさん然と輝く皇妃エリザベ−トの大きな肖像画が掲げられており、ハッとして思わず釘付けとなる。これが前述したヴィンタ−ハルタ−が、一八六四年に描いた有名な彼女の絵なのである。


十九世紀ヨ−ロッパを代表する美女エリザベ−ト、匂うがごときその美しさ、典雅で華麗、気品に満ちたその美貌、ル−ドヴィヒU世が彼女への思いを断ち切れず、一生を独身でとおしたのも無理はない。出口の売店でエリザベ−トの肖像画写真を売っている。そこで念のために「ノイシュヴァンシュタイン城主のル−ドヴィヒU世がエリザベ−トのいとこだと知っていますか?」と売り子嬢に質問してみると、にっこり笑いながら「えゝ、よく知っていますよ。」という返事が返ってくる。それを聞いて、こちらもなぜか安心した気分になる。
 

昼過ぎ、昼食にサンドイッチと牛乳を駅で買って帰り、夜七時半からのオペラに備えてホテルで休息する。六時になって近くの中華レストランで早目の夕食を取る。いつもの焼き飯とチャイニ−ズティで一一二シリング=一、〇九〇円。駅の周辺でありながら、この辺りには飲食街がひとつもなく、食事を安くあげるのに苦労する。
 

オペラ劇場へ
一旦、ホテルに戻ってネクタイを締め直し、朝方出向いたウィ−ン国立オペラ劇場へ出かける。地下鉄を出ると町の中心、聖シュテファン大寺院の尖塔がそびえている。そこからケルントナ−通りをしばらく歩いて行くと、ルネサンス様式の風格あるオペラ劇場が見えてくる。中に入るとロココ調の装飾がいかにも歴史を感じさせる。座席は一階平土間席の前から十三列目で左端から二番目、思ったより悪くはなかった。ホ−ルを見回すと、六層になった桟敷席が平土間席を取り囲むように華麗に並んでいる。その昔、着飾った貴族の紳士淑女たちが恋をささやき、話に花を咲かせた時代がしのばれる。一度は本場のオペラハウスで歌劇を見てみたいという念願が、いまやっと実現したわけである。
 

今夜の上演は、有名な歌劇「ラ・ボエ−ム」である。ホ−ルの隅々まで響きわたる主役のテナ−とソプラノの音声が素晴らしく、そのボリュウムには圧倒されるばかりである。舞台装置もすごい。本物の小馬の馬車が出てきたり、二百人近い通行人の集団が出てきて歌う大合唱など、本場のオペラに陶酔の二時間半を過ごす。


私がA席チケットを買って残り一席となった隣席には、たまたま若い日本人女性が座っている。話によると、この春短大を卒業したばかりで、ウィ−ンに住む友人を頼ってヨ−ロッパ旅行に来たという。今日は三時間並んで学割を使い、五〇シリング=四九〇円でこの席を手に入れることができて、とてもラッキ−だと喜んでいる。こちらとしては高額料金を払っているのにと、心おだやかならぬ思いである。「こちらにお住まいですか?」と、また聞かれてしまう。幕間休憩にサロンでジュ−スを飲みながらあたりを見回すと、ネックレスにイアリングでおめかしした正装姿の日本人レディたちの姿がちらほら見える。オペラは十時に閉幕となり、ホテルに戻ったのが十一時である。
 

ベルヴェデ−レ宮
第三日目。空は晴れて少し気温が上昇し、歩いているとすぐに汗ばむ。午前中、妻子へ便りをしたためてから、ベルヴェデ−レ宮へ出かける。最寄りの地下鉄から人通りのない静かな街並みを通り抜け、二十分ぐらい歩くと長い塀に囲まれた宮殿に到着する。どこに入り口の門があるのかとんと見当がつかない。そこでまた、通りすがりの人を呼び止めて、「エントシュルディグング!」を繰り返してたずねることになる。


この宮殿はバロック様式の名建築として名高く、長方形に広がる美しい庭園を持っている。入館はしないで、人気のない広大な庭園を静かに散策して回る。庭園の片隅にあるベンチに腰掛けて、これまで見てきた幾つかの庭園と比較しながら眺め入る。やはり、ストックホルムのドロットニングホルム宮殿の庭園のほうが、より美しい感じがするかなあと考えたりしながら、静かな時の流れに身をまかせる。






美しいベルベデール宮の庭園
















 ベルベデール宮










来た道と少しコ−スを変えながら、再び地下鉄のほうへ歩き出す。ウィ−ンは落ち着いた上品な町である。道行く人たちも、なんとなく上品に見える。物乞いの姿はどこにも見当たらない。旅行に出る前は、ハプスブルク王朝のことについてはそれほど関心はなかったのだが、ウィ−ンに来てみると、どうしてもその歴史に魅せられ、深く探ってみたくなる。じっくりとヨ−ロッパの歴史を調べた上で、いま一度この町を訪れてみたい。そんな思いにかられながら歩いていると、もう地下鉄の入り口である。      


ホテルに戻って、昨日買い置きのパンとハムで遅い昼食にする。またまた牛乳とヨ−グルトを間違えて買っている。これで二度目のヘマである。しばらく午睡してから、夕食がてら付近を散策する。この界隈にはシァ−タ−が一軒あるのみで、ほんとに盛り場らしいところが見当たらない。西駅にも商店街はそろっていないし、旅行者には不便なところである。夕食は、また焼き飯とス−プですませる。
 

ウィ−ンには当初四日間ほど滞在する予定だったが、ユングフラウヨッホの他にもう一つモンブラン登山を追加したいと思い、そのために滞在を一日短縮することにする。        



(次ページは「スイス・チュ−リヒ編」です。)










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