NO.29




21.ロマンティック街道・フュッセン・・・ 枯れ草の匂い漂う草原また草
                        原

二時四十五分、フュッセン行きのヨ−ロッパバスに乗車して、いよいよロマンティック街道の旅が始まる。この街道は、ヴェルツブルクからフュッセンまでの間に点在する小さな古都を結ぶル−トで、ドイツで一番古く最もよく知られている。これらの地域が、近代化の波に乗り遅れて開発されなかったため、古い街並みがそっくり残ることになり、そこに目をつけたドイツ観光局が“Romantic Road”と銘打って観光的に売り出したル−トである。現在では、日本からの団体ツア−旅行のメッカ的観光コ−スになっている。そのためか、このル−トのどの町にも日本語版のパンフレットが用意されており、店の表示やメニュ−にまで日本語が書いてある。このことからも、いかに日本人客が多く、お得意さんなのかがうかがえる。 


バスの乗客は少なく、たった十四、五名で貸し切りバス同然である。日本人はわれわれ二人のみ、空いているので一人ずつ分かれて腰掛ける。間もなく、バスガイドが乗車券のチェックに来て、「どちらまで行くのですか?」と聞くので「Japan!」とジョ−クを飛ばしてやると、それが受けてガイド嬢をはじめ車内一同の爆笑を誘う。
 

前の席にはアメリカ・シアトルから来たという三十代の女性がいて、彼女は“霊気”の指導者ということで、これからスイスである霊気の世界会議に出席するところだという。十年来修錬を続けてきたそうで、今でも毎日八時間の修錬は欠かさないという。この霊気をすると精神状態が安定し、健康に非常に良いと強調する。霊気は日本が発祥の地なので、日本を尊敬しそれに感謝しているという。そうはいいながらも、彼女自身はまだ日本へ行ったことがないそうである。


そういえば、古城街道のバスガイド嬢も“気”を勉強しているといっていたが、今や“気”は世界に広がりつつあるのだろうか。彼女が、日本のどこから来たのかと聞くので、長崎の出身で原爆の体験者だというと、「ソ−リ−」という謝罪の言葉が返ってくる。これまで多くのアメリカ人に出会って話してきたが、こんな言葉が聞かれたのは初めてのことである。
 

後ろの席には、これまたアメリカ・アリゾナ州から来たという老夫婦が座っている。この夫妻は三十年ほど前、日本の米軍横田基地に住んでいたそうで、日本語を少し話す夫は元空軍パイロットだという。夫妻は二度も富士山に登った経験があるそうだ。日本語が懐かしいらしく、忘れた日本語をもう一度習いたいので「ひらがな」と「かたかな」を教えてくれと夫人がいう。そこで、メモ用紙に五十音図を書いて渡すと、懐かしそうにうなずきながら何度も発音を繰り返している。
 

横の席には、十歳ぐらいの一人旅の少年がおとなしく座っている。それが驚くほどの美少年で、彼が大人になったらどんなハンサムに成長するのか楽しみである。時々、こちらを向いてはにっこりと微笑む。でも、残念ながらドイツ語しか話せないので簡単な会話さえできない。思い出したように、小さなリュックの中から母親が持たせたと思われるリンゴを取り出して食べている。途中の町で休憩した時、アイスクリ−ムでもプレゼントしようと思って、独りぼっちの少年を一緒に連れ出したが、なかなか店が見当たらない。発車間際になってやっと見つかり、二人で顔を見合わせながらおいしいアイスクリ−ムを口にする。この美少年は途中の小さな町外れに来て下車し、手を振って別れを惜しむ。
 







 ロマンチック街道の途中、
 とある町の教会














街道沿いの景色はさすがに美しく、南下するにつれてさまざまな変化を見せてくれる。渓谷あり、肥沃な耕作地あり、森林あり、野原あり、山岳ありで、その風景の中に溶け込むように集落をつくっている中世の古い町が時折出現する。なだらかな起伏を見せながらどこまでも広がる緑の草原の中に、レンガ色の屋根が見事なコントラストをつくり出しているさまは、美しいオトギの世界そのものである。その中を走る快適なドライブウェイを見ていると、レンタカ−でもよいから一度はこのコ−スをドライブしてみたいという衝動にかられる。古城街道とロマンティック街道の両コ−スには、それぞれの良さや趣の違いがあるが、やはり古城のある風景は旅人の心をくすぐるのに十分である。
 

ロマンティック街道を走っていると、思わぬ副産物に出会う。それは枯れ草の匂いである。もっと正確にいえば、枯れ草がいっぱい敷かれた牛小屋の匂いとでもいおうか。なにしろ、農村地帯の匂いというか、郷愁をそそるのどかな匂いなのである。コ−スを走っている間中この匂いが漂っているのだが、それは一体どこから発生してくるのだろうか。やはり放牧や農業用の堆肥などがミックスした匂いなのだろうか。匂いに敏感な人は、少しがっかりするかも知れない。
 

バスは途中で時々休憩タイムをとりながら、町々の観光に便宜を図ってくれる。ディンケルスビュ−ルでは四十分ぐらいの休憩があり、H氏と二人でぶらりと町を見物しながら小さなホテルでティ−を飲む。これは公衆トイレが見当たらないため、やむを得ず取った手段である。トイレ付きのバスではないので、休憩タイムの時には用足しの気配りが必要である。
 

午後八時半、バスは五時間半かかってやっと夜のフュッセンへ到着。夜といっても、まだ明るい。ここはロマンティック街道の南の終点になり、森と湖の山岳地帯に続く小さな田舎町である。この町を有名にしたのが、郊外の森の中に幻想的な姿を見せる「ノイシュヴァンシュタイン城」の存在である。それ以外は大した見所もなく、商店街も小規模でこぢんまりとした静かな田舎町である。
 

予約していたホテルを探してチェックイン、閉まりかけたホテルのダイニングル−ムに無理を頼んで夕食の注文を受けてもらう。この地方(アルゴ地方)の郷土料理をオ−ダ−してみたが、油のごってりした料理でもうひとつ口に合わない。これがビ−ルを付けて二二マルク=一、三五〇円。明日のお城見物を楽しみにしながら床に就く。


(次ページは「ノイシュヴァンシュタイン城・ミュンヘン編」です。)










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