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             NO.28




20.古城街道・ロ−テンブルク・・・ 道連れの旅 
 
この街道は“Castle Road”と銘打って、五十にも上る古城や宮殿が点在する地点を結んだマンハイムからニュ−ルンベルクまでの全長三百二十キロに及ぶコ−スである。ヨ−ロッパバスが一日一便通っており、ユ−レイルパスが通用する。
 

古城街道
今日は薄日の差すむし暑い朝で、汗がにじみ出る。駅前から七時四十五分発のヨ−ロッパバスに乗車、乗客は十四、五名と少ない。後ろの座席に日本人母娘が同乗、母親は愛媛に在住、娘さんのほうは東京在住でロンドンに一年半留学したという。また、浦安に住む六十四歳になる元エンジニアのH氏も同乗、彼とは以後三日間の旅を共に過ごすことになる。
 

バスはのどかな田園風景の中を縫いながら走り抜けて行く。時折、古城のある小さな古い町を通り抜けて行く。グリ−ンに覆われた田園を背景に静かにたたずむ古城の風景は、いやがうえにも旅情をかきたてる。このコ−スには、若者のサイクリングやバイクのツ−リンググル−プが多く見られる。
 

隣席に来たバスガイドと話がはずむ。彼女は結婚して二年目でハイデルベルクに住み、ここからロ−テンブルクまでの往復をバスガイドとして乗車している。夫はメキシコでカウボ−イをしているそうだ。休日には「気」を勉強に通っているという。音楽はクラシックが好きで、モツァルト、ベ−トベン、バッハ、チャイコフスキ−がいいという。バイオリンは好きだが、ピアノコンツェルトやショパンのピアノ曲は嫌いで、聞いていると鳥肌が立つそうだ。日本の喜太郎の曲が好きでレコ−ドも持っているという。また、坂本龍一の曲も好きだという。「気」といい、喜太郎といい、なかなかの日本通である。
 

ローテンブルク
バスは午後一時前ロ−テンブルクへ到着、途中の休憩もはさんで約五時間の行程である。今日はここに一泊する予定である。“中世の宝石”といわれるロ−テンブルクは、町全体がすっぽりと昔の城壁に囲まれた小さな町で、ロマンティック街道のハイライトともいえる古い町である。ここは紀元前五百年ごろに入植が始まり、十七世紀にはカトリックとプロテスタント両派による三十年戦争で戦災の打撃を受け、さらに第二次大戦で町の四割が消失するという歴史をもつ古い町である。

十三〜四世紀ごろのドイツ中世時代には重要な地位を占める存在だったが、近代に至り流通の中心からはずれて近代化の波に洗われなかったため、かえって歴史的建築物が保存される結果となり、現在でも中世の面影を残すロマンティックな町となっている。 


小さな駅の真ん前にあるホテルでたずねてみると、シングルが二部屋あるというのでH氏と一緒に泊まることにする。一泊料金七〇マルク=四、三一〇円(朝食付き)と安い。彼の旅は始まったばかりで、お盆ごろに帰国する予定とのことで、それまでヨ−ロッパを気の向くままに旅行するという。途中、幾つかの山にも登るというタフな御方である。在職中は用務で頻繁に渡米し、ヨ−ロッパにも何回となく旅行した経験を持つ国際派である。退職後、歴史の研究でアメリカの大学に一年間留学したという。そして、今後はオ−ストラリアのパ−スに移住する準備を進めているとのことで、その優れた識見と視野の広さには敬服させられる。
 






ローテンブルクの城壁の入口









二人で城壁門をくぐって町へ入り、食品店で昼食用にパンと牛乳、それにカンビ−ルを買って市庁舎前の広場へ出かけて腰を下ろす。さまざまな国から来た多くの団体ツア−であふれている。ヨ−ロッパ系はもちろん、香港、台湾、韓国、それに日本人の団体さんも幾つか見られる。さすがに、日本からのヨ−ロッパ旅行のメインコ−スになっているだけに日本人も多い。パンをかじりながら建物や街並みを眺めていると、中世時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。道の小さな石畳が、いかにもヨ−ロッパ的である。また、一九一〇年に市議会員宴会堂の切り妻の壁に取り付けられたという仕掛け時計の人形がワインを飲み干すシ−ンが面白い。 






市庁舎前で音楽隊の演奏










珍しい中世犯罪博物館があるというので、見学に出向く。ここは西ドイツ唯一の中世の法律に関する博物館で、千年にわたる法律、判決、諸刑罰の歴史に関するあらゆるものが展示されている。その当時使われたという絞首台やギロチンに手かせ足かせ、その他さまざまな拷問用の道具が展示されており、その時代がしのばれてなんだか暗い気持ちにさせられる。


なかでも風変わりなのはバイオリンのカセである。盗人や浮気女の首にバイオリンのカセを首につけて町中を歩かせるのである。バイオリンの形に作った厚い板の中央に首を入れる穴をくり貫き、縦に二つ割りにした板を閉じて首を挟み込むのである。そして、これを首に付けた状態で引き回しながら、恥辱の罰を与えたらしい。また、金属製の貞操帯も展示されており、これまで写真などでは見ていたものの、初めて見る実物の迫力にたじろがされる。これら展示物の説明書きが日本語でも書いてあるのが心憎い。
 

いったんホテルへ戻って夜八時まで待ち、二人で夕食に出かける。この町では遅過ぎるのか、目星を付けていた日本語メニュ−のあるレストランはすでに閉まっている。仕方なく開いているホテルのレストランに入って、ラムステイク、ワインス−プを注文し、二人の出会いにビ−ルで乾杯する。(これで五〇マルク=三、〇八〇円) 久し振りに二人でとる食事だが、やはり一人だけの食事ばかりはどうにもいただけない。帰りにシャワ−に遭い、ホテルへ駆け込む。 


明日のフュッセン行きは、バスの到着時刻が夜の八時過ぎになる予定だし、小さな田舎町でもあるので、ホテルの予約を入れておかなくては心配だ。H氏も一緒に泊まりたいというので、フュッセンの観光案内へ電話すると、ホテルの電話番号を教えるので直接連絡してくれという。そのホテルへ電話してシングル二つを頼むと、生憎満室だという。そこでまた、別のホテルを紹介してもらい電話してみると、今度はOKがとれる。これで一安心。


ローテンブルクでサイクリング
昨夜来の雨もカラリと晴れ上がって上天気。貧弱な朝食をすませ、行動開始である。今日は午後二時四十五分発のバスの時間までたっぷりあるので、それまでお互いに単独行動をとることにする。そこで、駅のレンタサイクルで九マルク=五五〇円を払って自転車を借り、町中くまなく回るサイクリングに出かける。


旧市街は高さ十メ−トルぐらいの城壁で囲まれており、その上は回廊のようになっていて歩くことができるが、一周すると一時間半はかかるらしい。ところどころに設けてある望楼に上がって見渡すと、そこには中世のオトギの世界が広がっている。町全体が、まるでオトギの国をしつらえた箱庭のようである。申し合わせたようにレンガ色で急傾斜の屋根が、紙細工で作ったように立ち並んでいる。でも、その四割は戦後に復旧されたというから、それほど古くはない。城壁の外側に目をやると、見渡すかぎりどこまでも田園地帯が続いている。この町は、そんな中にポツンと取り残されたように居座る中世の古都といった感じである。


 



オトギの国のようなローテンブルクの町並み














 城壁内の街並み










城壁の内側を一周してから市街を縦横に駆けめぐり、最後は町のはずれにあるブルク公園に足をのばす。ここには可愛いリスが走り回り、美しい眺めも一望できる。サイクリングを終え、こじんまりとしたレストランでスパゲッティとビ−ルの昼食を取る。この小さな町には、観光客相手のみやげ品店が結構多い。
 





城壁の外より町を望む













(次ページは「ロマンチック街道・フュッセン編」です。)










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