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             NO.24




15.オスロ・・・ ホテル探しと学生コ−ラスと大彫刻群と
 
オスロへ
今日はオスロへ移動する日。七時に朝食をすませ、七時四十二分発のオスロ行き列車へ乗るため駅へ急ぐ。風のない静かな朝、しかし糸を引くように小雨が降っている。駅で牛乳一パックを買い込んで列車に乗り込む。指定された一等車はオ−プンスタイルで、座席も飛行機のビジネスクラス並みのゆったりサイズである。トイレもこれまでの二倍のスペ−スと、もったいないくらいの広さである。乗り心地も快適で、列車の水準も北に行くほど段々とグレ−ドアップしてくる感じである。車内の表示がヨ−ロッパらしく面白い。それは犬の連れ込み禁止のマ−クで、犬の絵が描かれたパネルに、タバコの禁煙マ−クよろしく斜線が入れられて車内に貼ってある。
 

お昼は、ホテルで食べ残したパンとハム、チ−ズを持ち込んで食べる。とんだ失敗は駅で買った牛乳で、それがなんとドロドロのヨ−グルトなのである。辛抱して飲もうと試みるが、いかにもネマリ臭く、ドロドロで飲むに耐えない。牛の絵がついているので、てっきり牛乳と思っていたが、これから無差別買いは注意しなくては。でも、現地語で書いてあるのでよく判別できないのが悔しい。ヨ−グルト騒ぎに攪乱されるている間に、空は晴れ上がって快晴となる。


窓外の眺めも抜群で、静かな田園風景の中に時折出現する鏡のような湖水がなんとも美しい。六時間二十分の列車の旅で、定刻二時にオスロ到着。きれいな駅である。早速、両替をすませ、コペンハ−ゲン行きの列車予約に行くが、例によって整理番号による順番待ち。三十分ほど待たされてやっと予約完了。異国の旅も一ヶ月を超えると旅慣れして、あたかも国内旅行を楽しんでいるかのような気楽さである。必要な手配もロスがなく、手慣れてスム−ズにできる。特に鉄道の旅は、空の旅と違ってうるさい入国手続きがないので気楽である。


それにしても、北極に近いノルウェ−の国までとうとうやってきた。この国は日本と同じほどの面積をもちながらも、人口はたったの四百二十四万人とひっそりした国である。これも日本と同じ海洋国で、捕鯨でも話題に上る国である。またその昔、スカンディナビア半島一帯で跳梁した海賊バイキングを生んだ国でもある。北極圏の町トロムソでは、なんと五月中旬から七月中旬にかけて六十日間も日が沈まず、そして冬には日が上らないという。
 

ホテル探しに泣く
案内所でホテルの予約をしようと行ってみると、三、四人の先客が待っている。あまりいい返事をもらってなさそうだ。順番が来てたずねてみると、市内のホテルはどこも満杯で、電車で二十分ほど郊外へ行ったところでないと空室はないという。一人だけなんとかならないかと掛け合うが、明日なら空くが今日はどうにもならないという。それがいやなら、一人で勝手に探しなさいとそっけない。重い荷物を持って郊外へ移動するのは何かと不便なので、どうしても近くのホテルにしたい。よし、それでは自分の足で探してみてやろうと、バッグを背負って漂泊の旅に出る。もしなければ駅で野宿でもするしかないなあ、と悲壮な気持ちになる。
 

まず駅の隣にあるホテルを見つけてたずねてみると、やはり満室でダメ。次に最寄りのホテルを訪れて聞いてみる。やはりフロントの女性が「残念ですが、今日は空室はございません。」と遠慮がちに断わる。その様子を横で見ていた若いホテルマンが、予約は取っていないのかと聞くので、どこにも取っていないと答えると、こちらへ来なさいと奥の事務室に連れて行く。そして、パソコンで呼び出しながら市内のホテルの空室状況を調べてくれる。しかし、空室は見つからない。彼がいうには、この時期に予約なしでオスロに来るとは無謀だと驚きながらいう。オスロは小さな町だし、いま夏のシ−ズンに入ったばかりで観光客が多いのだという。だから、このシ−ズンにホテルの予約なしで来るのは無理だという。そして親切にも、この辺りを探してみたらといって地図にマ−クをつけて教えてくれる。
 

だんだん駅から遠ざかりながら、一軒、二軒とホテルを探し求めて行くがどこも満室。やはり案内所の係がいうとおりだ。こうなったら疲れ果てるまで探すしかない、と覚悟を決めて歩き回る。あきらめかけていると、天の助けか六軒目のホテルにやっと見つかる。小さな部屋だけどいいかと聞くので、もちろんかまわないと即答する。にこやかに応対する感じの良いホテルマンが、この時ばかりは慈母観音のように見える。


やはり何でも当たってみるものだ。駅から十五分のところだが、ここまでさまよい歩くのに一時間以上もかかり、重い荷物でクタクタに疲れ果てる。オスロのホテル探しにはホトホト参ってしまう。次の機会から注意しなくちゃ。部屋はほんとに小さくてせせこましいが、バス・トイレと全部そろっていて清潔この上なしである。これで一泊六〇〇クロ−ネ=八、九〇〇円(朝食付き)。少し高いが、世界で二番目に物価水準が高いオスロではやむを得まい。
 

一服して夕食探険へ。ここでもなかなか適当な食事どころが見当たらない。物価が高いからへたにレストランには立ち入れない。駅に行くと結構なカフェテリアが見つかり、そこでマトン肉数切れ、ポテト、サラダにビ−ルをとって夕食。これで一一七クロ−ネ=一、七四〇円とやはり高い。駅の地下商店街でリンゴ三個、オレンジ三個、バナナ三本を買って帰る。これで三一・五〇クロ−ネ=四七〇円とは意外に安い。
 

街角にある気温表示をたどって見ると、夕方五時十八度、六時十七度、七時十六度となっている。ストックホルムより少し冷やついているいる感じである。夜八時というのに太陽はまださんさんと輝いている。日本の午後三時ぐらいの太陽位置ではないだろうか。白夜に近い感じである。ところで、北欧三ヶ国だけは物乞いに出会わない。やはり寒い国だからだろうか。
 

フィヨルド・ツアー
第二日目。ホテルの朝食はなかなかのもので、一通りそろっている。当地らしく、サケの薫製が珍しい。今日は十時半からのフィヨルド・ツア−に参加する。(費用はランチ付きで二八五クロ−ネ=四、二四〇円) ここオスロは、六月中旬から八月の間に来て北部の大自然の景観を観光しなければ値打ちがない。五月下旬では時期尚早で、まだメインの観光ツア−も始まっていない。オスロ市内の主な見所はそれほど多くない。


出迎えのバスに乗ると民俗衣装を着た係のお嬢さんがいるだけで、他にだれもお客は乗っていない。そこで彼女に、昨日は市内のホテルは満室だというのに、どうしてお客が少ないのだろうと質問すると、多分会議などで来れないのだろうという答え。明日は週末だから多くなるだろうという。一人だとスペシャルサ−ビスが受けられるネ、といって笑い合う。彼女の話では、オスロにも多くの日本人が住んでいるそうで、自分にも日本人の友達がいるという。 


波止場でチケットを購入し、フィヨルド・ツア−の遊覧船に乗る。二時間の海上めぐりである。さきほどの彼女に“フィヨルド”とは何のこをいうのか聞いてみると、ノルウェ−の狭い海峡を通って流れるオ−シアンの海流だという。遊覧船のガイドに聞いてみても同じような答えである。これはノルウェ−に見られる「両側が切り立った狭くて長い湾」のことを意味するらしいのだが、現地の人たちの説明とはやや意味合いが違う。残念ながら、本格的なフィヨルドは北部へ行かないと見られず、今はシ−ズンオフである。
 

遊覧船は別に変哲もない沿岸の海域をめぐるのみで、写真を撮るほどのシ−ンには出会わない。でも、空は晴れて小春日和のようにポカポカ、波も穏やかで絶好の海上クル−ズである。






オスロ市街を海上より望む














オスロ郊外の風景
フィヨルドツアー船上より










船上では素晴らしい珍客に出会う。ドヤドヤと男女の学生が乗船してきたかと思ったら、彼らはアメリカ・バ−ジニア州のブリッジウォ−タ−・カレッジのコ−ラスクラブの一行二十四名だという。五月二十五日から六月十日まで半月間にわたり、スカンディナヴィアン・コンサ−ト・ツア−で北欧三国を巡回演奏旅行中という。船上で一曲披露してほしいと所望すると、快く受け入れてくれて二曲も素晴らしいハ−モ−ニ−を聞かせてくれる。ノルウェ−の潮風に乗って船内いっぱいに響き渡る男女混声の美しいハ−モニ−に、乗客みんなは盛んな拍手を送る。 


このコンサ−トツア−は一年置きに実施されるというので、それならこのクラブに入っていれば在学中に二度も参加できるのかと聞くと、そのとおりだという。若い時にこんな経験ができて素晴らしいネというと、自分たちもラッキ−だと思っているとみんな異口同音に答える。費用のほとんどは学校持ちで、自己負担はほんの少しだという。学生の一人に、ガ−ルフレンドはいるのかとたずねるが、それがどうしても相手に通じない。こちらの発音が悪いらしい。何度も「ガ−ルフレンド」を繰り返し、ゆっくりと発音してみせるのだが、それでも通じない。“girl”の発音がこんなにむずかしいとは思わなかった。最後にやっとわかってくれる。「ガ−ル」ではなく、「ゴ−ル」に近い発音なのだ。
 

ランチ
コンチキ号博物館の前でみんなと別れて下船し、すぐ近くのレストランでランチタイムとなる。ランチ付きのツア−を選んだのは、三人連れのメキシコ人と私の四人だけである。ランチは豪華なバイキング料理で、海洋国らしくエビ、サケ、ニシン、その他の魚介類、それに七面鳥、ラム肉などの肉類、サラダ類、フル−ツその他のデザ−ト類と豊富で見事な内容である。ランチにしてはちょっと贅沢すぎる。四人一緒に腰掛け、ビ−ルで乾杯しながら昼食となる。彼らは老姉妹と姉の息子の三人で九日間の旅をしており、次はストックホルムへ行く予定という。英語が話せるのは姉のほうだけなので、二人の間に話がはずむ。
 

ここからは勝手に自分で帰らなければいけない。一九四七年に六人の乗組員を乗せてペル−からポリネシアまで百一日間漂流したといういかだ船コンティキ号などを見学してから港のほうへ引き揚げる。波止場では数隻の漁船で取れたての小エビを売っている。当地ではエビがよく取れるらしく、ホテルの料理にも必ず出てくる。二時ごろホテルへ戻り、便り書きと休息で過ごす。
 

フログネル公園散策
第三日目。雲は少しあるが、風はなく穏やかで暖かい行楽日和である。今日は大彫刻群のあるというフログネル公園へ出かけてみよう。十時過ぎフロントに行き方を聞いて、ホテル前のチュリンロッカ駅からマジョルステン駅まで市電で十五分走る。片道運賃一六クロ−ネ=二三八円。そこで下車して約三百メ−トルほど歩くと、目指す公園の入り口である。広大な公園の中には彫刻群が林立し、正面中央の奥には高さ十七メ−トル、重さ二百六十トンもある花崗岩の一本石(モノリット)に百二十一体の老若男女が刻まれている塔がある。グスタヴ・ヴィ−ゲランという彫刻家の作品だそうである。これらの彫刻群はみんな人間の裸像であるが、そのさまざまな姿態の表情は見る者を深い瞑想の世界へ誘い込む。






大彫刻群のあるフログネル公園

















121体の老若男女が刻まれているモノリット














広々とした美しい公園の片隅で、時の流れを忘れながら一人ぼんやりと過ごす。緑の芝生の上では、家族連れやアベックが水着姿でのんびりと日光浴を楽しみながら寝転んでいる。北欧らしいのどかな風景である。






広々とした公園
正面遠くにモノリットが見える








アヒルたちが戯れる池のほとりで二時間ほどを過ごしてから出口のほうへ歩いていると、たどたどしいバイオリンの音が聞こえてくる。近寄ってみると、公園の一角で一人の少女が楽譜を見ながらバイオリンを弾いている。前に広げた楽器入れのボックスには、コインが少々投げ込まれている。年端もいかないこんなに可愛い上品な身なりの美少女が、どうしてこんなところでパフォ−マンスをしているのだろうと不思議に思う。練習を兼ねているのだろうか。






バイオリン弾きの少女










あれこれ詮索しながらもと来た電停へ戻り、帰途につく。今度は女性の運転手である。乗りながら「チュリンロッカで止めて下さい。」と頼むと、「OK」と応答してくれる。下車してからメインストリ−トのほうへ出かけてみると、今日は週末とあって人出で賑わっている。たまたま王宮の近衛兵と思われる軍楽隊のパレ−ドが、二頭の騎馬に先導されてスマ−トな行進を見せている。
   





目抜き通りのパレード











王 宮
通りを歩いていると、どこからともなくパンを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。その匂いをたどりながらパン屋を見つけ、ド−ナツ、菓子パンと牛乳を買い込んで近くの公園で昼食とする。






とある建物の前で新婚カップルがみんなの祝福を受けている。














市内の一角に銅像が・・・










その後、ここからほど近い王宮へと足を向ける。宮殿の建物をぐるっと一周していると、今から衛兵の交替式が始まるらしい。式は総勢三十人ばかりで行われる簡素なもので、華やかさは見られない。






 王宮の正面入口















 衛兵交替式










三時過ぎ、ホテルへ戻って休息。ここのフロントのおじさんは、いつも優しい笑顔で親切に応対してくれる最高のホテルマンである。ポケットのコインが重くなってきたので、紙幣に替えてくれと頼むと、コインが大きいからすぐに重くなりますからね、とにこにこしながら替えてくれる。最初の時も、彼がにこやに優しく応対して部屋をとってくれたので、疲れがいやされたものである。
 

六時過ぎ、目星をつけていた中華レストランへ夕食に出かける。この時間ではまだ夕食には早い時間らしく、どこのレストランもガランとして人影は見えない。七時ごろになって、やっとボツボツ客が入ってくる。いつものように、焼き飯と北京ス−プを注文する。今日はワンタンス−プができないというので北京ス−プとやらを頼んだら、ドロついておいしくない。焼き飯はまあまあの味で、相変わらずボリュ−ムたっぷりである。でも、この二品で一二六クロ−ネ=一、八七〇円と高い。やはり当地でのレストランは避けたがよい。満腹した後は、北欧最後の夜をぶらりと散歩して過ごす。この時間になると、メインストリ−ト以外はひっそりとして人影もなく、ただ沈み切れない太陽の淡い光が路面を照らしているばかりである。


16.オスロからコペンハ−ゲンまで・・・ 快適なサロン列車
 
九時、ホテルをチェックアウトし、十時十五分発のコペン行き列車へと急ぐ。一等車両はデラックスで、これまでの最高。車両の半分がサロンになっていて、両サイドに三人掛けのゆったりシ−ト、中央部にテ−ブルを挟んで一人掛けのシ−トが二つ並び、合計八人掛けの部屋になっている。ここに老婦人を連れだった二人の紳士と私の四人が同席することになる。私は一方側の三人掛けのシ−トを独り占めにして足を投げ出し、窓側に背をもたれながらゆっくりとくつろぐ。


10時間の列車の旅
これから夜八時まで十時間の旅は長いが、ガイドブックの研究にたっぷり時間がとれて好都合だ。列車が走り出して間もなく、小雨が降り始める。同室の客は、早くも寝息を立て始めている。昼食は、サロンにはおよそ不似合いな、持ち込みのド−ナツ、バナナ、牛乳で辛抱する。
 

列車は午後一時ごろスウェ−デン国境を通過し、三時過ぎになってこの国二番目の都市ヨ−テボリに到着。この駅から二十代の若夫婦が同乗してくる。なかなかの美男美女のカップルである。それから下車するまで三時間、楽しい旅連れとなっていろいろと話に花が咲く。
 

結婚して二年目、子供は二歳の男の子と一歳の女の子がいる。主人の用事でヨ−テボリへ一泊旅行に行った帰りだという。「あなたも美しいけど、あなたのハズはとてもハンサムで俳優みたいですね。モテモテの争奪戦の中でどうやって射止めたのですか?」と質問の矢を向けると、「そんなでもないですよ。私がフットボ−ルで膝を怪我し、入院した折に知り合ったの。」という。そして、私のいったことをハズに耳打ちしたのか、彼はテレ笑いしながら「サンキュウ」といってウィンクで返す。
 

片手に電卓を持ち、絶えず金額を相互に換算しながら、生活内容に立ち入っていろいろ聞いてみる。いま住んでいる家は貸家で五部屋あり、家賃約六万円だという。現在は不況で失業者が多く、なかなか職がない。でも自分たちは幸い二人とも職に就いている。二人の収入合計月二〇、〇〇〇クロ−ネ=二七四、〇〇〇円で、これで親子四人なんとか生活できている。託児所に預ける費用は月三万円。自家用車は持っているが、旅行に行けるほどのゆとりはない。それでも少しばかりの貯金ができる。ガソリン一リットル約百円。給料にかかる税金は三十パ−セント。(これはストックホルムのレンタサイクルの青年がいっていたのと同じ) 
 

話は続く。教師の待遇は中クラス。学校の夏休みは三ヶ月、それに春休み二週間、秋休み二週間がある。労働時間は一日八時間、労働日は週五日制、有給休暇以外に夏休みバカンス四十日がある。定年は六十五歳という。結婚したら一般的に夫側の姓を名乗っている。自分もそうしているが、どちらの姓を名乗るかは自由である。結婚後は夫の実家も妻の実家も同等の比重を置いている。家の中にはクツを脱いで上がるのが一般的。日本酒は時々飲むことがある。夫がいうには、日本の“サケ”はうまいという。言葉もちゃんと知っている。テレビで日本人が生の魚を食べているのを見るが、ナマではとてもとても食べきれないという。そして、「オゥ! ブルルル……」とジェスチャ−で示しながら、思い出すだけでも鳥肌が立つという。自分たちはオ−ブンで焼くか、煮て食べるという。
 

デンマ−クへは近いので、気軽にショピングや飲み食いにしょっちゅう出かけている。国境はフリ−パスになっているという。私の年収を聞いて驚き、それならスェ−デンではハイクラスの生活が可能だという。そして、ヨ−ロッパを一人で旅して回るなんて、本当に度胸がありますねと感心し切っている。ついでに、この十一月にあるというマ−ストリヒト条約批准の国民投票のことを聞いてみると、賛成か反対か自分たちは判断に迷っているという。(九四年一一月一三日に国民投票が行われ、過半数を少し超える多数でスウェ−デンのEU(欧州連合)加盟が承認された。)
 

ヨ−テボリから海岸線に沿って走る列車の窓から、時折現れる美しい入り江の風景に「見てごらんなさい!」といって会話を中断しながら案内してくれる。六時過ぎ、彼らの住まいのあるヘルシンボリ駅に着くと、子供へのおみやげを手にした夫妻は別れを告げて降りて行く。この駅から列車ごとフェリ−に乗ってデンマ−クへ渡り、コペンへ向かうのである。
 

船内の放送が、航行の所要時間は二十分しかないので用事は早くすませて列車に戻るように注意を促している。ここで腹ごしらえをしておかなくてはと思い、船内のカフェテリアへ急ぐ。そこには行列ができているので時間に間に合いそうもなく、仕方なくスタンドでハムの乗ったパンとビ−ルですませる。支払いはノルウェ−クロ−ネでいいかと聞くと、コインはダメだけど紙幣ならOKという。そこで紙幣を支払うと、お釣りはデンマ−ククロ−ネで渡される。ここでは通貨が入り乱れてややこしい。
 

夜行列車
定刻八時十五分にコペンハ−ゲン到着。予定になかった北欧三ヶ国の素敵な旅も終わり、いい知れぬ満足感にひたりながら、見慣れたコペンの駅に降り立つ。ここで五十分の待ち合わせで、息つく間もなく九時五分発パリ行き夜行列車に乗ることになる。ス−パ−で牛乳を仕入れ、一等寝台車へ行ってみると、すでに先客が入っている。二人部屋だが狭くて窮屈で、これまで五回の夜行寝台を利用したなかで最低である。


相客は気のいいデンマ−クの紳士で、ツ−リズムのコンサルタントをしているという。ツ−リストの動向調査を幅広くやっていて、旅行の目的、動機、費用など面接調査で詳しく調べており、すでに数百名分のデ−タを集めているという。これからケルンへ出てライン河経由でマインツへ行き、そこで講義をする予定だという。 


車掌にパスポ−トとユ−レイルパスを預け、列車は定刻発車する。しばらくして相棒のドイツ人を車掌が呼びに来る。戻って来た彼がいうには、「私たちはラッキ−だ。お互い一人で休めますよ。私は別の部屋に移動するのでごゆっくり。」という。車掌が気をきかせてくれたらしい。今度もお陰で独占できるというわけだ。ニ−スからの夜行列車で、コロンビアの青年と相部屋した以外は、すべて一人独占の寝台列車の旅となる。このまま終点まで乗ればパリに行ける。でも、その前にドイツ>オ−ストリア>スイスと、まだまだ長く楽しい旅が待っている。                    


(次ページは「ドイツ・ケルン編」です。)










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