写真を中心にした簡略版はこちら→ 「地球の旅(ブログ版)」





            NO.13



モナコ・モンテカルロ

第二日目。六時半に起床、朝食はパンとジャム、バタ−、それにコ−ヒ−だけとお粗末。今日は、あの女優グレ−ス・ケリ−が王妃になって住んでいたモナコに一日たっぷりひたる予定だ。ニ−スからモナコまで列車で二十分と近い。出発の前に葉書を出しに中央郵便局へ。そこには親切な案内係の女性がいて、切手販売機から買ってくれた上に貼ってまでくれる。駅で日本人姉妹と出会い、モナコへ同行する。彼女らはパリとニ−ス八日間のツア−(費用二十五万円)だそうで、自由時間を利用してモナコへ行くところだという。
 

モナコ宮殿
モナコの駅は小さくて、駅名は「モナコ・モンテカルロ」と表示されている。一緒に連れだって、宮殿のほうへ階段を上って行く。宮殿の広場へ通じる見張らし台から市内が一望できる。 小さな港を取り囲むようにビルが林立し、湾内にはスマ−トな客船やヨットが静かに停泊している。私がプレゼントしたアイスクリ−ムに歓声をあげて喜ぶ彼女たちと、この高台からの美しい眺めをベンチに腰掛けながら堪能する。ここから対岸に見えるところがF1レ−スで有名なモンテ・カルロである。皮肉にも三日前、世界的に有名なF1モレ−サ−、アイルトン・セナが痛ましい事故死を遂げたばかりである。





高台からモナコ市街の眺望











彼女たちと別れて周辺を一周すると、よく手入れされた公園があり、ここからもコ−ト・ダジュ−ルの美しい海が眺望できる。この一周コ−スを可愛いミニトレ−ンが走っているので、私もチケットを買って乗車する。十一時五十五分に宮殿前広場で衛兵交替があるというので広場のほうへ戻ってみると、もう観光客が人垣をつくっている。やがて紺に赤のストライプが入った制服を着た衛兵たちが出てきて、交替式が始まる。バッキンガム宮殿の衛兵交替式のような規模と華やかさはないが、コ−ト・ダジュ−ルの日差しに紺の制服がはえて美しい。式は十分足らずで終わり、グレ−ス・ケリ−が起居していた宮殿を後にする。
 





モナコ王宮の衛兵交替式
グレース・ケリーがここに住んでいた。








ここから対岸のモンテ・カルロにあるグラン・カジノへ向けて、テクテクと歩き出す。かなりの距離である。一人旅では歩くことばかりで、足が疲れる。途中、昼食用にハムサンドとリンゴ、ペプシコ−ラを買い込む。カジノの前の海岸べりには広い公園があって、そこのベンチに腰掛けながら、いつまでもぼんやりと海を眺めている人たちがちらほら見える。それにならって日陰のベンチを探し、コ−ト・ダジュ−ルの海を眺めながら素敵な昼食としゃれ込む。
 

一人でリンゴをかじっていると、隣に四人づれの外国人がやって来て腰掛ける。両親と美しい高校生の娘、それに母親の姉という四人である。英語が通じるのでいろいろと話がはずむ。彼らはポ−ランド人で、そこからバスで三十五時間かかって数日間の旅行に来たのだという。父親はプロフェッサ−、母親のほうは高校教師だという。私も高校教師だったというと一層親近感を増し、熱い握手を交わしながら談笑する。父親は日本のことをよく知っている。日本のテレビ、映画をよく見ており、みんな日本が好きだという。東芝、ソニ−、黒沢監督などの名がポンポンと出てくる。


冷戦構造終結後の事情を聞いてみると、資本主義に変わって自由になり、パスポ−トも自由に取れるようになって嬉しいという。食糧問題もなく、年に十日間ぐらいはヨ−ロッパ旅行に出かけるそうだ。一人娘は両親が可愛くてたまらない様子で、ブロンドの髪をなびかせる姿は輝くように美しい。「学校は休んできたの?」と、つい教師のくせが出て聞いてみると、いま学校は数日間のバカンスだそうである。英語は学校で習うそうで、会話は結構うまい。
 

グラン・カジノ
十二時を回ったので彼らと別れ、十二時開店のグラン・カジノへ行き、入場料五〇フラン=九〇〇円を支払いパスポ−トを提示して中に入る。入口にはTシャツ、短パン姿や大きいバッグ類を持っての入場は禁止と表示されている。カジノの建物は一八七八年に建てられたもので、内部にはゲ−ムル−ムとオペラの劇場がある。ゲ−ムル−ムに入ると、すでに二、三のテ−ブルでトランプやル−レットが始まっている。別室のスロットのほうには、まだだれも座っていない。





モンテカルロの有名なカジノ










ル−ム内はステンドグラスや彫像、絵画など豪華な装飾に包まれ、落ち着いたハイグレ−ドな雰囲気をかもし出している。アメリカ・ラスベガスのような華やかさはないが、品格が漂っている。撮影はできないかとタキシ−ドに身を包んだスマ−トな係のお兄さんに聞くと、やはりダメだという。しばらく豪華なソファで休んでいると、先ほどのお兄さんが、これをどうぞ、と親切にもきれいな写真の案内パンフレットを持ってきてくれる。豪華な雰囲気にひたりながら、しばらくの間ゲ−ムを眺めてから退室する。着飾った紳士・淑女が現れるのは夜八時過ぎてからなので、この真昼間ではちよっと早すぎる。
 

モナコ・モンテカルロ駅へ戻って待っている間に、隣に座るフィリピン人男性に話しかける。彼は独身で、ドイツ人がオ−ナ−になっているヨットの乗組員だという。時々、地中海近海をセイルするそうだが、ここしばらくオ−ナ−が本国に帰っているので暇だという。ニ−スに住んで五年になるそうで、フィリピンから妹を呼び寄せ一緒に住んでいるという。給料の半分を親元へ送金しているという感心な青年である。四時過ぎにホテルへ戻り、シャワ−、洗濯を終えて九時半発の夜行列車に備え休息をとる。
 

夜行列車
定刻到着の夜行列車に乗り込んで指定のコンパ−トメントに行くと、すでに青年の先客がいる。彼ははるばる南米のコロンビアからホッケ−の試合でパリまで来たそうで、それが終わってからヴェネツィア、ニ−ス、バルセロナと回ってパリから帰国するそうだ。エンジニアで独身、好感の持てる青年で名刺をもらう。彼はスペイン語しか話せないので、辞書や手振りで会話を続ける。ひとしきり話が終わると、今度はスペイン語の学習とばかりに生徒になって教えてもらう。「ブェノス タルデス(こんにちは)」「ブェナス ノ−チェス(こんばんは)」「アディオス(さようなら)」「グラシアス(ありがとう)」などと、一緒に発音しながら教授してもらう。
 

このクセット(簡易寝台)は両側が三段ベッドの六人部屋になっており、一等寝台と比べると数段見劣りするが、寝台車が連結されていないので仕方がない。でも幸いなことに、乗客が少ないとみえて私たち二人だけの専用部屋となり、ゆっくり休むことができる。外国人と一緒にやすむなんて楽しい体験である。こうして青年との愉快な二人旅が始まった。



(次ページは「スペイン・バルセロナ編」です。)










inserted by FC2 system