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            NO.11





6.ヴェネツィア・・・ ミサとゴンドラとスパゲッティと
 
朝六時半に起床して、八時五十分発ヴェネツィア行きの特急列車に乗車、初めての長距離列車の旅である。一等車はコンパ−トメントではなくオ−プンスタイルで乗客も少なく、なかなか快適な乗り心地である。出発すると間もなく、パンとサラダ、コ−ヒ−の朝食サ−ビスがあり、車窓に広がる美しい緑の田園風景を眺めながらの朝食は旅情満点である。
 





ローマ・テルミニ駅
ここからヴェネツィアへ









私の席に隣り合わせて、たまたま日本人団体ツア−の十二人が同乗している。オ−ストラリアに一年間留学経験があるという若い女性添乗員に引率されて、同じヴェネツィアへ行くところだという。彼らはロ−マ・ヴェネツィア・パリを十日間(五十万円)で周遊するデラックスの旅である。なかには新婚カップルもいて、よもやま話に花が咲く。久し振りに日本人の仲間と話していると、本国に帰ったような気分になる。尽きない話に引き込まれていると、一時過ぎ列車はヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に滑り込む。彼らは、ここから出迎えの船でデラックスホテルへ向かうそうだが、私はこれから重いバッグを背負って安ホテルを探し回らなければならない。 
 

水の都ヴェネツィア。百七十七の運河と百十八の島。その間を四百の橋が渡る世界一美しい都。そして、くるまが一台も走っていない静かな街。これまで、数々の美しい写真や絵で想像を描いていただけに、その期待に胸がふくらむ。
 

ホテル探し
駅構内のインフォメ−ションに行くと日本語の上手な女性の係員がいて、私を見るなり日本語で話しかけてくる。「なかなか日本語がうまいですね。」というと、「日本語とてもむつかしいです。」と顔をしかめながらいう。彼女の親切な説明に心打たれ、礼をいいながら地図をもらってホテル探しへ出かける。ガイドブックの案内を頼りに歩いて行くと、目当てのホテルはすぐに見つかる。二階のフロントには人の好さそうなおやじさんがいて、早速交渉に入る。


ところが、共同トイレ、共同シャワ−の部屋しかないという。でも、三部屋だけで共用するのみだからというので、他を探すのもめんどうだと思いここに決める。一泊五五、〇〇〇リラ=三、六〇〇円。別棟の三階の部屋に案内されたが、建物も古く安宿の感じである。だが戸締まりだけは厳重で、部屋に入るまでに入口、中間、部屋のドアと三重の扉にロックがかかるようになっていて、カギも三本渡される。お勧めのレストランはこことここだ、他は高いからよしたほうがよい、と地図にマ−クをつけておやじさんが教えてくれる。


サン・マルコ広場
早速、旅装を解いてヴェネツィアのシンボル、サン・マルコ広場へ向かう。駅前のNO1の桟橋からヴァポレット(水上バス、料金二、五〇〇リラ=一六六円)で三十分、写真で見慣れたいくつかの橋をくぐりながら、うるさいエンジン音を響かせて運河を走る。





水上バスの上から見たベニスの運河風景










なんだ、水の都というのに意外と水は汚いではないか! あちこちで観光客を乗せたゴンドラが、モ−タ−ボ−トや水上バスなどが忙しく行き交う中にまじって運河の中を行き来している。ゴンドリエ−レ(漕ぎ手)のお兄さんたちの服装も普段着のようで、帽子もかぶらず、舟歌も聞こえてこない。これではゴンドラ遊びもム−ドが出そうにない。やはり夜でないとだめなのだろうか。少し興醒めして、ゴンドラは高いばかりだからよしたほうがよい、というホテルのおやじさんの忠告に従うことにする。
 

観光客とハトが群れる広場の正面には、九世紀に建てられたというサン・マルコ寺院が歴史を語るように立っている。





サンマルコ寺院のテラスから広場を望む

















サンマルコ広場
上の写真は、向こうに見える白い寺院のテラスか ら撮ったもの。













しばし付近を散策して帰路に着く。昨夜、断わられた「ホテル アッバツィア」に出向いて念のため確認してみると、明日の夜はいけるという。電話では断わられたがというと、キャンセルがあったので今夜も空いているという。一泊一五〇、〇〇〇リラ=一〇、〇〇〇円というので、GIO割引(地球の歩き方ヨ−ロッパ編のブックを見せると割り引いてくれる)を求めたら、一三〇、〇〇〇リラ=八、六〇〇円(朝食付き)にまけてくれる。ありがたい。そこで明日の夜一泊を予約する。
 

本場のスパゲッティ
ホテルで七時まで一眠りしてから、主人が勧めたレストランで夕食をとる。表に写真入りで料理の種類が並べてあるので注文が簡単だ。もちろん本場のパスタにサラダ、ビ−ルを注文する。これで二三、〇〇〇リラ=一、五〇〇円。ロ−マのカフェテリアではもっと安かったので、毎日スパゲッティばかり食べていたのだが、ここのはちょっと高いがさすがにおいしい。チ−ズを好まない私が粉チ−ズをふりかけずに食べていると、ウエィタ−がけげんそうな顔をして、なぜチ−ズをかけないのかと勧めに来る。折角の勧めなのでたっぷりとかけて賞味する。
 

隣の男性客に話しかけてみるとやはり日本人で、佐賀県の名村造船に勤務しているという。長崎在住の私は、隣の県ということで懐かしくなり、いろいろと話がはずむ。彼は北欧の造船事情を視察して来たそうで、これからイタリアの造船所を回って帰るとのこと。北欧はオトギの国のように美しく静かな街ですよ、という彼の話を聞いていると心が動かされてくる。帰ってから留守宅の妻と東京在住の娘へ初の便りを書く。寝ていると二匹の蚊がプ−ンと来襲、まだ四月なのに水の都とはいえ、ちょっと早過ぎるようでこれは意外だ。
 

サンタ・マリア・ディ・フラ−リ教会
第二日目。朝からアッバツィアへ宿替えし、バッグを預けて観光へ。今日は五月一日のメ−デ−でスペシャルデ−に当たり、ヴァポレットの水上バスはみんなお休みで動かない。そこで駅前の橋を渡り、サンタ・マリア・ディ・フラ−リ教会をめざして歩き出す。迷路のように入り組んだ細い路地を迷いながら教会にたどり着き、中の座席に座って休息する。数多いヴェネツィアの教会の中でも特に大きく有名で、十四〜十五世紀のゴシック式教会である。天井の高さ約二十メ−トル、横幅約五十メ−トル、正面奥には聖母被昇天の大画が飾られ、ひんやりとした冷気の中に荘厳さが漂う。その素晴らしい雰囲気にしばし目を閉じてひたりきる。
 

と突然、オルガン演奏が始まる。そのボリュウ−ムのあるオルガンの音にうっとりしながら聞き惚れていると、魂の隅々までが洗い清められる思いがする。半時間ほどで演奏が終わると、今度はギタ−演奏が始まる。若者四人が演奏し、数人の合唱隊がこれに合わせて賛美歌を歌う。その響きは素晴らしいの一語に尽きる。後ろを振り向くと、いつの間にか観光客はシャットアウトされて入れないようになっている。地元の信者百五十人ぐらいが出席する中で、外国人の私がたった一人ミサにまぎれ込んでいるのだ。
 

十時半きっかりに司祭が登場し、ミサが始まる。そうだ、今日は日曜日なのだ。最後にはみんなで手をつなぎ、神に祈る。そしてハレルヤを一緒に歌い、回りの人たちと握手を交わして終わる。それからみんな前に出て行列し、司祭から一人ひとり聖菓をいただき口に含む。私も最後尾に並んでこれをいただく。この荘厳な雰囲気と魂の清浄に謝して五百リラコインを一枚喜捨し、一時間のミサは終わる。
 

市内めぐり
すっきりした気分で教会を後にし、地図を片手に街中を回り始めたが、どうしてもすぐに迷いこんで思うにまかせない。しかたなく、大運河にかかるリアルト橋を渡り、対岸の街をぐるっと一周して帰る。時折出会う小運河を眺めると、どこも水がよどんでドブ臭く、およそ“水の都”とはほど遠い感じである。










 運河を漕ぎ行くゴンドラ










ヴェネツィアというところは、確かに絵や写真にはなるところだが、現地に来てたたずんでみると、どうもロマンティックな水のイメ−ジがわいてこない。この意外な状況に少なからず幻滅する。途中、中華飯店を見つけたので立ち寄り、昼食に焼き飯とラ−メン、それに中国茶をとって食べる。久々の米食である(代金一二、〇〇〇リラ=八〇〇円)。 
 

一時半になってホテルにチェックイン、部屋に入ると室内は輝くように美しく、テレビ・冷蔵庫付きのツインベッドである。窓の外にはしっとりと落ち着いた庭園が広がり、終日小鳥が鳴き合っている。この素晴らしい雰囲気に包まれたツインの部屋に、一人で泊まるのはもったない。ホテル名の“ABBAZIA”とは“修道院”の意味だそうで、これを改造してつくられた新しいホテルだそうだ。だから教会の隣に建っており、時を告げる教会の鐘の音がびっくるするほど頭上に響きわたる。この素敵な部屋でシャワ−を浴び、二時間の午睡をとる。
 

夕暮れになり、例のレストランでまたまたスパゲッティとビ−ルで夕食。路上のテラスに据えられたテ−ブルで、ヴェニスの夕暮れの涼風にあたりながらのディナ−は最高の気分である。いい気持ちになったところで、明晩乗る予定の夜行列車の下検分に出かける。ヨ−ロッパの鉄道駅はどこも改札口がないので、ホ−ムまで出入りは自由である。車内に乗り込んで一等寝台とクセット(簡易寝台)の車両を見比べると、ずいぶんと差がある。
 

ホテルへ戻りながら、やはり一等へ変更すべきかな、と考えながら歩いていると、ばったり日本人親子と再会する。彼らは父親と適齢期の娘さん二人の三人連れで、腰の重い父親を二人の旅慣れた娘さんたちが無理矢理引き連れて来たそうで、ロ−マの宿で一緒だった親子なのである。出発の日も同じで、彼らはミラノを回ってヴェネツィアへ向かう予定ということで、もしかしたら再会するかも知れないですね、といいながら別れた間柄だったのである。先ほど到着してこれから夕食とりに出かけているというので、それならと例のレストランへ案内し、三人の夕食に付き合う。偶然の再会を、父親がボトルで注文したワインで乾杯しながら、福岡在住という親子と同じ九州のよしみで話に花を咲かせる。旅にはいろいろな出会いがあり、楽しいかぎりである。
 

ところで、“物乞い”も所が変わればおもしろい。ロ−マの物乞いは、いかにも懇願しているかのように手を差しのべるが、ここのそれは、犬に小さな銭入れの帽子をくわえさせ、ラジカセで音楽をかけながら注意を引いている。そのちゃっかりさに思わず笑みがもれるが、この知恵比べ、どちらに軍配があがるのだろうか。 
 

再びサン・マルコ寺院
第三日目。このホテル、さすがに快適で静寂。なのに、ここでも三匹の蚊に攻められるとは!朝食はバイキング方式でパン、ジュ−ス、ミルク、コ−ヒ−などがそろっている。ゆっくり、そしてたっぷりと朝食をとってから、まだ内部を見ていないサン・マルコ寺院へ再度出かける。水上バスの中で、日本語ペラペラの若い地元イタリア女性と出会い語り合う。大学で中世日本文学を研究しているそうで、先では翻訳でもしたいという。時々アルバイトで、日本人向けのガイドをやっているそうだが、親のスネをかじって暮らしているので生活には問題ないという。今、そのアルバイトでサン・マルコの集合場所へ行く途中だという。
 

彼女に別れを告げ、寺院の中へ入って内部を見学。昨日のフラ−リ教会の印象が強烈だったせいか、思いのほか感激が薄い。次は寺院に隣接するドゥカ−レ宮殿へ入り、華やかな室内に飾られた数多くの美術品を鑑賞する。壁画が素晴らしい。そして薄暗い通路の先の“溜め息の橋”を渡り、気が滅入るような牢獄を横目で見ながら外に出る。また、水上バスに乗って戻り、駅の窓口で今夜乗るニ−スまでの寝台券をクセットから一等寝台車へ変更する。うまく取れて追加料金四八、〇〇〇リラ=三、二〇〇円を支払う。
 

夜八時二十八分発の夜行列車出発までたっぷり時間があるので、追加料金を払ってチェックアウトを六時まで延長し、ゆっくり入浴した後、出発に備える。ところが再び左の靴破れを発見。どの店も午後は四時まで閉店なので、四時を回った頃、釣り具屋に出向き接着剤を仕入れる。予想通り、ここでちゃんと売っていた。これで靴問題はひと安心だ。


初の夜行寝台列車
それから荷物のまとめにかかり、チェックアウトしてから駅のカフェテリアで夕食をとる。始発の列車は相当早い時間から準備されているので七時過ぎに行ってみると、すでにスリ−ピングカ−はホ−ムに入っている。車掌に案内されて一等寝台のコンパ−トメントに入ると、三人部屋のスリ−ベッドになっている。広軌なので室内もゆったりしており、窓側コ−ナ−にはテ−ブルある。これが蓋がわりになっていて、それを開けると中は洗面になっている。コップ一杯分のパック詰めミネラルウォ−タ−と石鹸・タオルが三人分置いてある。
 





ヴェネツィア・サンタルチア駅
この寝台列車でニースへ向かう








今夜は空いている様子なので車掌に聞いてみると、この部屋はあなた一人だという返事。これからニ−スまで十二時間、この部屋を独占できるなんて何とラッキ−なことだろう、と小踊りして喜ぶ。列車は定刻静かに滑り出し、初の寝台車の旅へと出発する。ひとしきり美しい夜景を眺めてから、ヨ−ロッパ地図を広げて北欧への予定変更を考える。予定ではベルリンまで行くことになっているが、そこからデンマ−クのコペンハ−ゲンまではすぐではないか。じゃ、折角だからコペンまで足を伸ばしてみようかと、ト−マスクックの時刻表をめくって調べ始める。ベルリン発の夜行列車が見付かり、北欧への夢を馳せながら快適な寝台車で眠りにつく。



(次ページは「フランス・ニース編」です。)










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