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           NO.8





ナポリ・ポンペイ・ソレント観光

第二日目。アテネに到着してから、晴れの好天続きである。今日も素晴らしい快晴の中、ナポリ→ポンペイ→ソレントの一日観光へ出かける。目にしみるような緑の田園風景が広がる中、ハイウェイ“太陽道路”を突っ走って約三時間、私たちを乗せたバスは最初の目的地ナポリへ到着。鏡のように静かなナポリ湾に、すべり落ちるようにゆるやかなスロ−プの丘陵地帯が続いており、その一帯にナポリの町が開けている。高台からの眺めはとても印象的で、いやが上にも旅情をかきたてる。
 

数ヶ国語のガイド案内を聞きながら、バスはポンペイへと向かう。南国イタリアは“太陽がいっぱい”という感じで、四月下旬というのに強烈な日差しで汗ばむほどである。西暦七十九年にヴェスビオ山の大噴火によって三日間で埋もれてしまったというポンペイ遺跡は、期待に違わずその壮大なスケ−ルと迫力に圧倒される。




ポンペイ遺跡
前方にヴェスビオ火山が見える。
79年に大噴火し、3日間で古代都市が埋没。
1748年に発掘開始、1900年前の古代都市が出現。







パン焼きガマのあるベ−カリ−跡、車の轍で深くすり減った石畳の道路、壁画で飾られた部屋など遺跡の数々を見て回っていると、ほんの今まで人がそこに住んでいたという生活感が匂い、とても二千年近い前の遺跡とは思えない生々しい雰囲気が漂っている。





石畳の道には轍の痕が













   

 パン焼きガマの跡











「ではこれから、ポルノショウをご覧にいれましょう。ご婦人方は期待をもっていて下さい。」と、ガイドがユ−モアたっぷりに話す。こんな遺跡の中で何が始まるのだろうと期待しながら部屋の中へ進む。「これをご覧下さい。」と指差すほうを見ると、入口近くの壁面に男性の立像が描かれている。なんと、その男性の腰までまくし上げた衣装の下から、三〇センチ以上もあろうかと思われるたくましい男性のシンボルが堂々とのぞいているではないか。それも鮮やかな色彩で描かれているので、迫力満点である。ユ−モアをまじえたガイドの説明に、みんなくすくす笑いながら問題の壁画に見入っている。
 






 ポルノ壁画





















進んだ文明生活の跡がわか る。













死亡したそのままの状態で埋もれた遺体 










遺跡の見学が終わって、近くのレストランで昼食をとる。中は観光客でいっぱい。隣り合わせたメキシコ美人と楽しい会話を重ねながら、ビ−ルで乾杯。食事の間中、二人の歌い手がギタ−を片手に本場の歌を聞かせてくれる。それはつとに有名な「フニクリフニクラ」や「帰れソレント」などで、イタリア人らしい素晴らしい声量で歌ってくれる。こんな所で、本場地元の世界的に有名な歌を聞けるなんて夢にも思わなかったので、大感激である。それに応えて、熱い拍手を送る。
 

思い出に残る感激の昼食が終わると、次はソレントへの旅である。美しいリゾ−ト地で有名なソレントは、湾岸で急に切り立つ断崖をつくっている台地の上に広がる素敵な町である。






美しいリゾート地・ソレントの眺望














 ソレントの街















 ソレントの市街










ここでは小一時間の滞在だが、豪華な家具・調度品の製造元を訪れたり、今ではすっかり仲良しになったドイツ娘と海岸まで歩いて、ソレントの浜風に打たれたりしながら楽しい時を過ごす。「帰れソレントへ」は子供の頃からなじんだ歌だが、今その町に自分が立っているのだと思うと、何だが全身がぞくぞくする感じである。ソレントが、こんなに美しい有名なリゾ−ト地だとは知らなかった。
 

さまざまな国の人たちが乗り合う国際色豊かなバスは、今日の日程を終えて一路ロ−マへと帰路を急ぐ。高かった太陽も今では大分傾いている。世界一美しいといわれる夕日に映えるナポリ湾の海岸線をバスはひた走る。






ナポリ湾に沈む夕日が美しい











 

 ナポリ市街の眺望  











車窓いっぱいに開けるその美しい光景に見とれながらうっとりと時を過ごしていると、前方の席にいたドイツ娘が自分の名前と住所だといってメモ紙を持ってくる。それを見ると名前は「モニカ・エンゲルケ」、住所はドイツのハノ−ファ−となっている。それに続いて、宿泊しているホテル名とル−ムナンバ−が書いてある。彼女は英語が結構上手でポンペイ遺跡以来、お互い一人旅同士と日いうよしみで写真を取り合って来た仲なのである。


そこで、こちらも返事を書くことにする。揺れむるバスの中では、なかなか思うように書けない。やっとの思いで自分の住所氏名、ホテル名とテレフォンナンバ−、それに次の招待文を書き添えて彼女に手渡す。「明日の晩、私はカンツォ−ネを聞きに行く予定です。もしよかったら、あなたをぜひ夕食にご招待したい。そして一緒にカンツォ−ネを聞きながら素敵な夜を過ごしたいと思います。“Yes”の返事を期待しています。」
  

彼女はすぐにやって来て、空いている私の隣の席に座りながら話しかけてくる。「あなたのご招待に感謝します。私もぜひ参加したいと思います。でも費用は自分で負担するので気を遣わないで下さい。」という。ドイツ娘は堅実だ。
 

とにかく、彼女と明晩のデ−トの約束がとれたわけだ。それからロ−マ到着まで、楽しい会話が交わされていく。彼女の年齢は二十五歳で建築家だという。ハノ−ファ−郊外の小さな町に両親は住んでいるが、いま自分一人でハノ−ファ−市内にアパ−トを借りて住んでいるとのこと。ボ−イフレンドもいて、時々デ−トしているそうだ。建築専門学校に通って建築士のライセンスを取り、今では小さな設計会社に勤めている。なかなか忙しいそうで、今度のイタリア旅行もやっとボスに了解をもらって来たとのこと。建築家らしく、古代ロ−マの建築物に興味を抱いている。まだ日本へは行ったことがないというので、一緒に来ないかと冗談を飛ばすと、今は仕事があるので行けないと笑いながらいう。
 

彼女との楽しい会話に時間が過ぎるのを忘れていると、いつの間にかバスはロ−マ市内に到着し、明日のデ−トを再確認して別れを告げる。夏時間のせいもあるのだろうが、ヨ−ロッパの日は長く、夜八時ごろでもまだ外は明るい。ホテルの近くに見つけたカフェテリアで八百円の夕食をすませ、朝食用にパン一個を買って帰る。(ナポリ・ポンペイ・ソレント一日観光朝七時半〜夜九時までの行程)


(次ページは「ローマ市内観光編」です。) 










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