NO.39




セ−ヌ河クル−ズ
昼と夜のセ−ヌ河風景を一度に味わおうと、夕暮れの時間を見計らい八時半にセ−ヌ河へ出かける。私の予想では九時半のクル−ズに乗船すれば、クル−ジングしながら夕暮れから夜へと移り変わるセ−ヌの風景が楽しめるはずである。地下鉄アルマ・マルソ−駅で降りてクル−ズの発着所バト−・ム−シュに行くと、大勢の観光客で賑わっている。途中、アルマ橋から眺めるエッフェル塔がなんとも美しい。


 



アルマ橋から見たエッフェル塔









乗船チケット四〇フラン=七二八円を支払い、眺めの良い屋上デッキに上って腰掛ける。日本の 団体ツア−客も大勢来ている。カナダ・バンク−バ−から来たという老夫妻と隣り合わせになる。いっぱいの乗客を乗せた遊覧船は、セ−ヌの河面を渡る涼しい夕風を受けながら、心地よいスピ−ドでクル−ジングする。生バンドが演奏する音楽を聞きながら、ディナ−を楽しんでいる遊覧船も行き交っている。河の両岸には、目の前を通りすぎる船など視野に入らないといった様子の恋人たちが、ひしと抱き合いながら自分たちだけの世界にひたっている。


セ−ヌにかかる二十六の橋をくぐり抜け、両岸の変わり行く風景に見とれていると、やがてパリの空は夕映えに染まり、あたりはゆっくりと夜のとばりに包まれて行く。と突然、ほのかな夜空にそびえるエッフェル塔に、イルミネ−ションが点燈される。ふと、塔上を見上げると、その真上には今しがた輝き始めた半月がかかっている。なんとロマンティックな光景だろう。







エッフェル塔にかかる半月(塔の先端)
















やはり私の読みどおり、この時間帯のクル−ジングは大正解である。夕暮れ時から夜に移り変わる素敵なセ−ヌの流れを満喫し、頬をなでる心地よい夜風に当たりながら帰途につく。今日も暑い一日を心置きなく歩き回り、たっぷりと汗をかく。十一時過ぎホテルに帰り、汗ばんだ下着類の洗濯に励む。


エッフェル塔
第四日目。今日の観光はエッフェル塔、コンコルド広場、凱旋門と回り、夕食後はラパン・アジルでシャンソンの夕べを過ごす予定である。今日も強行軍になりそうだ。


九時半ごろホテルを出て、まずはエッフェル塔へ。最寄りの地下鉄を出て辺りを見回すと、遠くにエッフェル塔がそびえている。やはり、この塔なしではパリは語れない。一度は上ってみたいトゥ−ル・エッフェルである。高さ三百二十メ−トルもある塔の真下に立って見上げると、百五年もの歴史を秘めたタワ−の姿はやはり優美である。                     


最上階行きのチケットを五三フラン=九六五円で買い、途中で乗り継ぎながら頂上までリフトで昇り上がる。パリの町が一望できるここからの眺望は、さすがに抜群である。眼下には、薄グリ−ン色の液体を流したようなセ−ヌの流れが静かに横たわっている。






眼下にはセーヌがゆったりと流れる









遠くのほうには、これから訪れる凱旋門が威張ったように立っている。左のほうに目を移せば、緑のじゅうたんを敷き詰めたようなブロ−ニュの森が広がっている。そうだ、ここにも行ってみよう。


右のほうを見れば、盛り上がったようなモンマルトルの丘の上に、サクレク−ル寺院の白い輝きが見える。確かにここはパリなのだ。快晴の空の下、パリの全景を満喫して地上に戻り、塔を見上げながらサンドイッチの昼食を取る。タワ−の全景写真がほしいと、公園の中を数百メ−トル移動してカメラにおさめる。








 優美な姿のエッフェル塔















コンコルド広場・シャンゼリゼ・凱旋門

再びメトロに乗ってコンコルドへ。全面に小石を敷き詰めた石畳の広場は殺風景で、ただエジプトから贈られたという十メ−トルぐらいのオベリスクや噴水などが目立つぐらいである。しかし、この広場では革命後、マリ−・アントワネットをはじめ、千三百四十三人の首がギロチンで落とされたという。ここにたたずむと、今にもギロチンのガチャンという無気味な音が聞こえて来そうだが、今では傍を通る車の音に掻き消されて、その感傷にひたれる雰囲気はない。






 コンコルド広場










この広場から凱旋門まで真っ直ぐに延びる道が有名なシャンゼリゼ通りである。歩くにはかなりの距離で、メトロの駅だけでもシャンゼリゼ>フランクリン・ル−ズベルト>ジョ−ジ>シャルル・ドゴ−ルと四つの駅もある。でも、ここだけはやっぱり歩いて行きたい。







シャンゼリゼ大通り
遠くに凱旋門が見える













シャンゼリゼ通りの並木道















シャンゼリゼの歩道にはカフェテラスが









“♪オォ、シャンゼリゼ ♪オォ、シャンゼリゼ”と、歌のメロディを独り口ずさみながら、広々とした昼下がりのシャンゼリゼ大通りを闊歩して行く。道の両側には、青々と茂ったマロニエの並木がどこまでも続いている。そのはるか彼方に凱旋門が見える。素敵な光景を逃すまいと、車の往来が途切れたところで道の真ん中に駆け出し、パチリと写真を撮る。そしてまた、あちこちにカフェテラスが出ているシャンゼリゼの広い遊歩道を歩き続ける。







 凱 旋 門









地下道を渡って凱旋門の目の前まで歩み寄る。門の中にはフランス国旗の大きな三色旗が垂れ下げられ、それがうねるように翻っている。その下に設けられた小さな墓地には灯火が燃え続け、それを取り囲むように多くの花束が捧げられている。この凱旋門は、九世紀の初めにナポレオンがフランス軍の凱旋のためにつくらせたものというが、その本人は結局、遺体となってしか通ることはできなかったという。









 凱旋門にはためくフランス国旗



















凱旋門の下には 英霊に捧げられた花束と燈火が絶えない








門の傍に立っていると、ゴ−ゴ−というごう音と川を流れるせせらぎの音が、交互に絶え間なくスピ−カ−から流れてくる。これは一体何を意味するのだろうと不思議に思って近くにいる係員にたずねてみるが、返ってくる返事がフランス語のためどうしても理解できない。それにしても、この音響は何のためなのだろう。


ここから地下鉄で二つ先のポルト・マイヨ駅へ移動する。帰る時に利用するドゴ−ル空港行きリムジンバスタ−ミナルを確認するためである。見知らぬ外国では、大事なポイントは必ず下見確認しておかないと、重い荷物を持ってうろたえさまよう恐れがあり、とんだ失敗をおかすことになるからだ。これは独り旅の鉄則で、手抜きはトラブルのもと。そこで頻繁にバスが出ているのを確認し、安心してホテルへ戻る。


パリの地下鉄
パリの地下鉄(メトロ)風景がおもしろい。車内で雑誌などの物売りが回ってきたかと思うと、今度は口上をひとくさり述べて貧困国への寄付金を集めたりする。なかには、ひと駅間のわずか数分間を利用して即興の車内人形劇をやってのけ、コインを集めている者もいる。その手際のよさは、見事なものである。


電車がスタ−トするや否や、一メ−トル幅ぐらいの間隔で立つ二本のポ−ルに黒い幕をさっと張り、人形を取り出してカセットコ−ダ−に音楽を流しながら、エスプリの利いたユ−モアたっぷりの人形劇をやってのけるのである。乗客にはしっかり受けていて、雑誌販売なんか見向きもされないのに結構コインを集めている。お金を集める時間もちゃんと計算に入れているのが憎らしい。このほか、ホ−ムに至る地下道には、楽器を演奏してコインを集めたり、物乞いがいたりと、なかなか賑やかである。これらのほとんどは黒人たちがやっている。
 

そういえば、このパリの町にも黒人の多さが目立つ。ロンドンもそうだったが、ここでも大勢暮らしている。しかし、彼らの多くは清掃など、いわゆる三Kの仕事で働いている姿が目に付く。


ラパン・アジルのシャンソン
ホテルで休息した後、六時過ぎになって例のカフェテリアで夕食。スパゲッティとビ−フにトマトサラダ、ビ−ルで七一フラン=一、二九〇円。ラパン・アジルの開演は九時からとなっているので、それまで食後の一服を取りながら八時になってホテルを出る。メトロを乗り継いでラマルク・コランク−ルで下車、でも、ここからの道程がわかりにくいところなのでたずねるしかない。


出口に向かっていると、地元の人らしい老夫人が前を歩いているので、「パルドン マダム.ウ エ ラ シャンソニエ“ラパン・アジル”?」とたずねてみると、よく知らないふうである。一緒に来なさいとジェスチャ−でいうので連れだって行くと、出口を出たところにある商店に立ち寄って、親切にも場所をたずねてくれる。たまたま彼女と一緒の方向なので途中まで連れだって行き、「メルシ− ボ−ク− マダム」と礼をいって別れる。
 

教えられた道順を歩いていると、すぐ後ろを在住日本人らしい女性が歩いているので、また彼女にたずねてみる。若奥さんらしい彼女はパリに住んで五年になるそうで、いま知り合いの家を訪ねているところだという。ラパンの住所を教えると、確かこの近くなのだがといいながら見回していると、すぐ近くに看板を掲げたラパン・アジルの建物が見える。
 

看板を見ると、一応“キャバレ−”となっている。店の前で待つこと三十分、九時過ぎにやっと入り口が開く。店の主人が取り仕切って、お客は指定された場所に座らされる。屋内は二十畳ぐらいの広さでテ−ブルが七台配置され、周りには背もたれのない古い木製イスが置かれている。六十人ぐらいで満席になるこぢんまりした部屋である。しかし、いかにも歴史を刻んださびのある建物といった感じである。壁には時代ものの絵が掛けられている。その昔、ピカソやユトリロ、ルノワ−ルなど、画家たちのたまり場だったという。お客もぼつぼつ集まり、満席になる。日本人の顔も二人ばかり見える。
 

九時半になって老ピアニストの演奏が始まり、ム−ドが盛り上がったところで男女七人の歌い手(うち女性二名)が一緒に出てきて中央のテ−ブルに座る。そして座ったまま、一人ずつ交互にシャンソンを歌い始める。他のメンバ−も合唱している。お客もざわめきながら一緒に歌ったりしている。ひとしきり歌い終わったところで全員が引き揚げ、ここからが本番。特別の舞台は何もなく、ただ部屋に通じる入り口のカ−テンを閉めて、その前に立ちながら歌うだけである。
 

最初の登場は女性歌手で、シャンソン数曲を歌い聞かせる。あまりいい声ではなく、声量ももの足りない。次は男性歌手が登場して数曲を歌う。これが終わると、再び全員が入って来てテ−ブルに着き、かわるがわる歌い始める。ひとしきり終わって全員退場すると、今度は男性歌手がギタ−とハ−モニカを持って登場しシャンソンを歌う。エスプリの利いた歌らしく、みんなよく笑いながら聞いているが、こちらにはとんと理解できないのが悔しくてならない。これが終わったところで時計を見ると、もう十一時を回っている。これからが盛り上がって二時近くまであるらしいのだが、地下鉄の終電時間が気にかかり、後ろ髪を引かれながら中座する。 


老ピアニストの演奏が実に素晴らしい。一人で長時間弾きっぱなしである。シャンソンの合間には、ショパンの曲など二曲をソロで聞かせてくれる。帰りに入場料一一〇フラン=二、〇〇〇円(果実酒一杯とジュ−ス一杯のドリンク付き)を払って外に出ると、見上げる空には星がまたたいている。まだ耳に残るシャンソンの響きにうっとりしながら、夜のモンマルトルの丘をゆっくり下って行く。
 

ホテルに着いたのは十二時。入浴、洗濯をすませて一時に就寝。今日で四夜連続、遅い夜を過ごしてしまう。最後の訪問地パリに来てから、昼夜の見境もなく憑かれたように出回っているが、ここにきてさすがに疲れが出てしまう。明日から夜の部をひかえなくては。


サクレク−ル寺院・ブロ−ニュの森

第五日目。ここのホテルの朝食はあっさりしすぎている。フランスパン一本にクロワッサン一個、それにコ−ヒ−とバタ−、ジャムが付いているだけで寂しい。朝食をすませて十時過ぎサクレク−ル寺院へ向かう。今日は、この寺院とブロ−ニュの森で遊んでみよう。メトロに乗ってピガ−ルで降り、モンマルトルの丘を寺院のほうへ上って行くと、道の両側には土産品店や飲食店などがずらっと並んで賑わっている。坂道と長い階段を上り詰めた丘の頂上には、白亜に輝くサクレク−ル寺院の三つのド−ムが美しい姿を見せてそびえている。この寺院は、一八七六年から半世紀がかりで建てられたという。






白亜のサクレクール寺院















サクレクール寺院の内部
この日は日曜日でミサの最中













サクレクール寺院の前からパリ市内をを望む









今日はちょうど日曜日で、ミサが始まろうとしている。中に入ると、パイプオルガンにも似た素晴らしい音が堂内いっぱいに響きわたり、全身に荘厳な雰囲気が染みとおってくる。その響きに合わせて賛美歌のハ−モニ−が流れてくる。この心安らぐ雰囲気にどっぷりとひたりながら、一時間のミサを共に過ごす。寺院内の天井の高さや広さには圧倒されるばかりで、その広い空間いっぱいに響きわたるオルガンの音は、人びとの魂をゆさぶらずにはおかない。


外に出ると、寺院に上る階段や広場には多くの黒人たちが所狭しと店を広げている。カバンあり、帽子あり、オモチャあり、食べものありで、絵のはしにいたるまで様々なものが置いてある。突然、地面に広げた品物を敷物にくるんで、みんな一斉に潮が引くように逃げ始める。どうしたのだろうとうかがっていると、向こうから警官の乗った車が巡回してくる。それが通り過ぎるとまた、同じ場所に店を広げ始めている。その素早い機敏な動作が見ていてとても面白い。


再びピガ−ルからメトロに乗って、次はブロ−ニュの森へ。森の中ほどにある湖のほとりで昼食を取ろうと歩き出すが、歩けど歩けど見当たらない。間違ったかなと思って聞いてみると、湖はまだ先だという。エッフェル塔から見下ろした広大な森の全体像はつかんでいるのだが、中に入ってみると象の体を撫でているようで、とんと広さの見当がつかない。        


やっとたどり着いてみると、湖水は濁り、周囲には腰を下ろしたくなるような芝生もない。その上、森の中を車道が縦横に通り抜け、森全体の雰囲気も台なしになっている。北欧の静かで美しい公園を見て来た私には、期待はずれもいいところである。             


今日は日曜日とあって家族連れが多く、湖にボ−トを浮かべて遊ぶ人、ショ−トパンツ姿で周囲をジョギングして回る人など、思い思いにレジャ−を楽しんでいる。やっと一軒の店を見つけ、そこでハムサンドとジュ−スを買って湖のほとりに腰を下ろし、独り昼食を取る。二時間ばかりぼんやりと時を過ごし、三時過ぎホテルへ戻る。






 ブローニュの森










帰路、地下鉄のチケット売場付近で、「WAIT! WAIT!]と大声がするので振り返ると、アメリカ人らしい老夫人が一人の少年を懸命になって追っ掛けている。バッグをひったくられたらしい。パリにも観光客を狙ったドロボ−が多いと聞いていたが、それをまのあたりにして思わず身を引き締める。ロ−マ、アムステルダムなどでは、なんとなくうさんくさい感じがしたが、その他の地域では安心できた。特に北方の国になればなるほど、国内にいるときのように安心して旅行ができたのだが。
 

今日は日曜でカフェテリアも休み、仕方なくマクドナルドでチキンバ−グとポテトチップにビ−ルで物足りない夕食となる。久し振りに夜をゆっくり過ごす。


カルチェ・ラタン
第六日目。パリに来てからも快晴続きで、これまで一日だに雨の日がない。テレビの予報では気温二十五度になるといっているが、日中は三十度ぐらいの感じである。でも、日陰は爽やかである。今日は学生の街カルチェ・ラタン周辺を歩いてみよう。出かける前に、念のためもう一度帰りの航空便のリコンファ−ムをしておこう。パリ到着の日に一度はリコンファ−ムの電話を入れたのだが、ドゴ−ル空港は広いのでチェックイン・カウンタ−の場所を聞いておかなくては迷子になりそうだ。
 

「ハロ−。こちらはタイ航空です。」「ハロ−。明日二十一日発バンコク行きフライトの再確認をしたいのですが。」「お名前をどうぞ。」「ムカイ・ヤスオです。」「しばらくお待ちください。あ、あなた様のお名前確認できました。明日のお越しをお待ちしております。」 「出発時間の変更はありませんか?」「予定どおり正午十二時発です。」「出発タ−ミナルとチェックイン・カウンタ−の場所を教えてください。」「ナンバ−ワン タ−ミナルで、カウンタ−はゲイトナンバ− シクスティ−ンです。」「ありがとう。あなたのお名前を聞かせてください。」「ラチュニといいます。」「ありがとう。バイバイ。」 こんなやりとりでリコンファ−ムもOKとなり、安心して外出する。時計を見ると十時である。
 

地下鉄サン・ミッシェル駅を降りるとカルチェ・ラタンの中心街サン・ミッシェル通りに出る。学生の町だけあって本屋がたくさん並んでいる。商店街の並ぶ大通りをリュクサンブ−ル公園のほうへ進んで行く。公園の前で、それと反対側へ曲がって行くと丸いド−ムのパンテオンに出る。ここはルソ−、ユ−ゴ−、ゾラなど国に尽くした偉人たちが眠る埋葬所になっているという。ここには観光客の姿は見られず、ひっそりかんとしている。


 




偉人たちが眠るパンテオン
















 ソルボンヌ大学(パリ大学)















その左手の道を行くとソルボンヌ大学の横手の玄関に出る。今は夏休みのためか、学生の姿も少なく、ちらほら見られる程度である。ここからムフタ−ル通りめがけてさまよい歩く。ここには果物屋、鮮魚店、肉屋、八百屋などの生鮮食料品店がずらっと並び、パリの胃袋の町として知られている。なかなか分かりにくい場所で、ここにたどり着くまで通行人やら警官などに何回も道をたずねる羽目となる。
 

ムフタ−ルの通りは意外と狭く、両側には多くの食料品店をはじめ、いろいろな店がずらりと並んでいて下町の雰囲気を漂わせている。しかし、ちょうどお昼時のためか、たいした賑わいはなく、ひっそりとしている。これが朝夕になれば多くの人で賑わい、大活況を呈するそうなのだが。


通りの中に小ぎれいな中華スナック店があるので、ここで焼き飯にモヤシとエビのサラダ、エヴィアン水を取って昼食にする。これで二六フラン=四七〇円と下町だけあって安い。    


ムフタ−ル通りを抜けてから、今度はセ−ヌ河のほうへ歩を運ぶと間もなく大きな植物園に至る。広い庭園の中には青々と茂った並木が二百メ−トル以上にわたって涼しそうな木陰をつくっている。その隣には、とりどりの花が植えられた芝生の花壇が続いている。この美しい緑の園の中で、深呼吸しながらしばし憩う。






 植物園の並木









 





植物園の美しい庭園










二時過ぎ、ホテルに帰着。今日もずいぶんと歩き回った。でも、もうこれでパリ見物もおしまい。後は泊まり慣れたホテルでゆっくり休息する。パリ最後の夕食もカフェテリアでスパゲ ッティにソ−セ−ジ、サラダ、ビ−ルを取ってしめくくる。六三・一〇フラン=一、一五〇円。考えてみると、二日目に取った夕食と同じメニュ−である。


パリのこと                                    
花の都パリ。私の憧れの町でもある。夜の顔にしても昼の顔にしても、さすがにパリの懐は深く、どこまで入り込んで探ってみても、とても味わい尽くせるものではない。ましてや一週間の滞在ぐらいでは、その片鱗さえ掴めそうもない。しかし、これまで永年にわたり写真や映像、記録などを通 して何回となくパリのイメ−ジを描いてきたが、いま実際にこの地に来て「ああ、あれがそうなのか。」「ああ、ここがそうだったのか。」と、自分の目と足で一つひとつ確かめ、鑑賞できた喜びは、何ものにも替えがたい貴重な経験である。これぞ旅の醍醐味とでもいうものだろうか。これは今度の旅すべてに通じていえることなのだが……。
 

確かにパリは素敵かも知れない。が、とにかく喧騒だ。人も多い。観光客も多い。くるまも多い。もう少し静かなパリがほしい。でも、何度となく訪れてみたい町でもある。アテネに始まり、パリに終わった今度の旅で、一つの結論に達した。それは「これまで旅行したなかでは、どこが一番よかったと思いますか?」という質問に対する解答である。今ならこう答えるだろう。「観光目的ならパリ、リゾ−ト目的ならレマン湖」だと。
 

パリの町を歩いていて、「エクスキュゼ モワ(すみません!)」とフランス人に呼び止められ、二度も道をたずねられたことがある。その度に「ジュ ヌ セ パ(知りません)」といって断わるしかなかったのだが、私も現地在住の外国人と思われるほどパリに馴染んできたということなのだろうか。


(次ページは「あとがき」です。)










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