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             NO.37




28.パ リ・・・ パリの空の下、エッフェル塔に半月が輝く
 
朝七時過ぎに朝食をすませ、八時の列車でジュネ−ブのコルナヴァン駅へ移動する。ここから十時発のTGVに乗ってパリ・リヨン駅めざして出発である。駅裏の郵便局をやっとこさたずね探して最後の便りを投函し、駅の果物屋で車中用にとバナナ二本を購入する。時間が来てTGV専用の通用口へ行くと、スイス側の窓口には係官の姿は見えず、フランス側に係官が一人いるのみで、こちらがパスポ−トを提示しても見ようともしない。ほんの形式的なチェックに過ぎない。


専用ホ−ムに上がると日本人の団体観光客がいっぱいで、まるでTGVが日本人専用の貸し切り列車になっている観すら感じられる。インタ−ラ−ケン>シヨン城>ジュネ−ブ>TGVでパリへのコ−スは、日本からの団体旅行のメインル−トになっているので、このル−ト沿いでは日本人旅行客がドル箱的存在になっているのではなかろうか。彼らで混雑する二等車をしり目に、こちらは一等車に乗り込む。車内はガラ−ンとして空いている。


TGV
TGVはフランス国鉄が誇る世界一高速の超特急で、時速五百キロを超える記録を持っている。






フランスの超特急TGV









これに乗って、いよいよ今度の旅の大詰め、その最終地点のパリ、それも憧れのパリに行くのかと思うと、いつになく心がはずむ。パリにはたっぷりと一週間は滞在する予定である。オ−プンスタイルの座席に落ち着くと、間もなく一人の老婦人が隣席にやってくる。手伝って荷物を網棚に乗せてやる。おやおや、他の席はガラガラ空いているのに、どうしてこの席ばかり二人掛けに配置するのだろうか。でもパリに着くまでの三時間半、話し相手ができて退屈せずにすみそうだ。早速、二人の会話が始まる。


彼女はアメリカ・テキサス州からやってきて、十日間の旅をしているとのこと。パリからジュネ−ブへ来て、また戻るところだという。彼女はオ−ボエの演奏家で、五歳からピアノを始め、十三歳からオ−ボエを始めた。オ−ケストラのメンバ−だったそうだが、その後カレッジで教鞭をとっていた。今はそれも辞め、数名の個人レッスンを受け持って生活している。だからわりと自由がきくのだという。突然、「日本人バイオリニストの江藤俊哉氏を知っていますか?」とたずねるので、「えゝ、よく知っています。」と答えると、彼女は江藤氏の妹さんと学生時代にカレッジで同級の友達だったという。それで今でも親交が続いているという。思わぬところで、意外なつながりのあることに驚かされる。
 

そして、パリのことについていろいろと話を聞かせてくれる。セ−ヌ河クル−ズのよかったこと、ベルサイユ宮殿の素晴らしかったことなど、楽しそうに話してくれる。また、メトロ (地下鉄)を利用するときはカルネ券(十枚つづりの切符)を買ったほうがお得だとか、自分の泊まった公益団体が運営しているインタ−ナショナルセンタ−は安いから泊まりなさい、などといろいろ教えてくれる。昼近くになったので間食にとバナナ二本を取り出し、彼女と分け合いながら食べる。それを食べ終わると、彼女はビュッフェに行ってジュ−スを持ち帰り、私にもプレゼントしてくれる。
 

田舎の静かな風景が広がる中を突っ走る超特急は、横揺れもなく乗り心地は上々、しかし期待したほどのスピ−ド感は感じられない。一時三十分、パリ・リヨン駅に到着。彼女は一人旅なのに大小四個の荷物を持ち、そのうちのス−ツケ−スがとても重い。タクシ−でホテルまで行くというので、駅玄関前の乗り場までポ−タ−役を買って出る。長いホ−ムを汗だくになりながら自分のバッグと彼女のス−ツケ−スを運んでいると、日本人団体客は涼しい顔をして手ぶらで出口へ向かっている。


その横では、ポ−タ−たちが山のように積まれた団体客のス−ツケ−スを列車から取り下ろして台車に積み込んでいる。玄関前に出ると、ちゃんと団体客を待って貸し切りバスが並んでいる。これぞツア−客のいいところ、至れり尽くせりのサ−ビスぶりである。こちらは、これから重いバッグを背負って宿探しなのだ。彼女をタクシ−に乗せ、感謝されながら別れを告げる。


ホテル探し
とにかく腹ごしらえが先だと、駅のスタンドでパンと牛乳を買って立ち食いむさぼる。落ち着いたところで、もう一度玄関前に出て近くのホテルを探索してみるが、付近の界隈にはそれらしい様子がうかがえない。これでは探すのに苦労すると思い、駅のインフォメ−ションに頼むことにする。そこへ行くと、ホテルの料金別にランク分けされた表を示され、それを見て三〇〇〜五〇〇フランのランクで地下鉄駅に近い便利なところを申し出る。地下鉄のレピュブリック駅近くで、朝食付き三三〇フラン=六、〇一〇円のホテルが取れる。物価の高いパリにしては、まあまあといったところか。
 

道順の説明を受け、早速カルネ(十枚つづりの回数券)を買って地下鉄に乗り、レピュブリック駅まで移動する。







レピュブリック広場の像














広場では何かのお祭りが















 同 上










出口を出ても方向が分からないので、「パルドン ムッシゥ ウ エ……」と通りの名をたずねながらやっとホテルを探し当てる。家族的な雰囲気の小さなホテルで、部屋はその五階である。この値段なら、しようがなかろうといったところ。とにかく、これが最後のホテルで、もう宿探しをしなくてすむのかと思うとホッとした気分になる。フロントには気のいいオヤジさんがいるので、六泊するから値段を割り引いてくれないか、と交渉してみるがダメだという。観光パンフレットをもらって、早速これからの作戦を練る。何がなんでも、パリの昼と夜を存分に堪能しなくては……。


リドのディナ−ショウ
パリに着いた第一夜は、ス−ツにネクタイをきめてリドのディナ−ショウとしゃれ込む。料金は一、二〇〇フラン=二一、八六〇円と高いが、時には贅沢も必要だ。夜七時半バスタ−ミナル出発なので、余裕をみて一時間前にホテルを出かける。地下鉄オペラ駅で下車して上がるとオペラ座の真ん前、






ガルニエ・オペラ座










その前から始まるオペラ通りを真っ直ぐ歩いて十五分、迷いながらバスタ−ミナルにたどり着く。オペラ通りには、日本語で案内を書いた店が目に付く。申し込んだショウは日本人専用ツア−になっていて、日本語ガイドがつくことになっている。
 

ここに集まった日本人は、セ−ヌ河クル−ズに行くという新婚カップルとリドのディナ−ショウに行く新婚カップル、それに私の五人のみである。日本語の上手な若いフランス人の女性ガイドが小型車を運転し、イルミネ−ションに輝くパリの夜をめぐりながらシャンゼリゼ通りにあるリドまで案内してくれる。彼女が話すには「私の名前はセシ−ルというの。日本に同じ名前の下着メ−カ−があるそうですネ。」という。日本人客が教えてくれたそうである。日本語は大学で勉強したというエレガントなブロンド美人である。






有名なリドの前でセシールさんと









新婚カップルと三人でホ−ルのテ−ブルにつく と、すぐにディナ−が始まる。まずシャンパンで乾杯。新郎はビ−ルが好きだといい、新婦のほうはグラス一杯しか飲めないので、口当たりの良さに魅かれてついボトル一本残りを全部一人で杯を傾ける。ディナ−はフランス料理でオ−ドブルに始まり、メインが肉料理、デザ−トとまあまあのものである。パリの夜、いい気分にめいていする。


新郎は東京ホテルオ−クラの勤務で日本料理の調理担当だそうで、新婦も同じホテルで働いているという。二十日間の休暇を取り、十日間の新婚旅行を楽しんでいるという。旅行のセッティングは、全部ホテル側がしてくれたそうである。私たちの若い時代と違って、今ではこんな素敵な旅行ができるなんて、本当に羨ましいかぎりである。
 

食後一服して、ショウが始まる。トップレスの美女群が、次々に繰り広げる目の覚めるよう な豪華で華麗なショウに、ただうっとりとするばかりである。これが世界的に有名なリドのディナ−・ショウなのだ。シャンパンの酔いに身をまかせながら見ていると、いかにもパリの夜にひたっているという感じである。


夢のようなショウが終わると、ガイドのセシ−ル嬢が再びきらめく夜のパリを車で走らせ、ホテルまで送り届けてくれる。帰り着いたのは十二時過ぎ、暑さで汗ビッショリになっている下着を洗濯し、シャワ−を浴びてパリの夢を結ぶ。


ノ−トル・ダム寺院・ル−ブル美術館
第二日目。どうしてこうも快晴ばかり続くのだろう。昼間はカンカン照りで暑くなるので、つい贅沢なグチが出てしまう。午前の半日は、市内観光とノ−トル・ダム寺院、ル−ブル美術館をめぐる観光ツア−に参加する。(料金二五〇フラン=四、五五〇円。英語とフランス語によるガイド) 三時間半のコ−スで、オペラ通りのほうにあるタ−ミナルから九時四十五分出発である。


パリの古い街並みは、さすがに趣があって、しっとりとしたたたずまいを見せている。橋の上から初めて見るセ−ヌ河は、期待もむなしくやはり泥水で濁っている。今度の旅で出会ったヨ−ロッパの河や運河に、清流が見られなかったのは本当に残念である。市内を巡りながらバスはノ−トル・ダム寺院へ。








 パリ市内にそびえる塔




















市内を流れるセーヌ河の風景














セーヌ河から見たノートル・ダム寺院









そこは観光客であふれている。中に入ると、高い天井と美しい柄模様に彩られたステンドグラスに囲まれた寺院の内部が壮観である。ちょうど、少年少女合唱隊が聖歌を歌っており、八百年の歴史を経た重みを見せる寺院内には荘厳な雰囲気が漂う。









 ノートル・ダム寺院の内部





















 ステンドガラスが美しい寺院の内部




















ノートル・ダム寺院の内部










ル−ブル美術館に行くと、ここも人出でいっぱいである。






 ルーブルの前の門















 ルーブル美術館















ルーブル美術館のピラミッド









ガイドの案内はル−ブルの目玉、「ミロのヴィ−ナス」や「モナリザ」などの幾つかだけである。一時過ぎ館内で解散となり、その後は各自で自由にご見学をというわけだ。そこでまず、館内のカフェテリアに入り、チキンと パンにエヴィアン水で昼食を取る。代金約千円。それ以後三時過ぎまで、広大な館内をゆっくりと探訪して回る。もう一度、ミロのヴィ−ナスとモナリザをじっくり見たくて訪れる。ヴィ−ナスとは、約三十年振りの再会で感激である。京都であったル−ブル展で一度お目にかかったのが最初である。何度会っても、何度見ても、やはり彼女の姿は美しく、人の心をとらえて離さない。










 ミロのヴィーナス













モナ・リザの前に立つて、そのあたたかい眼差しやあの微笑をたたえた口許、そしてやさしく組まれた両手の甲などを眺めていると、全身から彼女の豊かな情感が伝わってきそうで、いつまでもたたずんで離れたくなくなる。モナ・リザの絵は、特別のガラスケ−スに入れて保護されており、その内部はエア−コンディションが施されているようである。その前には一・五メ−トルぐらい離れて柵が設けてあり、それ以上近寄れない。思ったよりも絵のサイズは小さいが、非常に柔らかな優しく美しい画面のタッチで、軽く組んだ手もとがなんともいえず美しい。






永遠の微笑をたたえるモナリザ









館内には、古今東西から集めた無数の絵画、彫刻、美術工芸品などが展示されており、二十メ−トル級の大絵画にはとにかく圧倒されてしまう。なかでも、古代エジプトのコレクションは圧巻である。日本語ガイドのパンフも用意されているので、迷わず鑑賞ができる。この美術館にも多くの子供たちが教師に引率されて鑑賞にやって来ており、床に車座になって先生からの説明を熱心に聞き入っている。こういう贅沢な教育ができるのも、やはり地元ならではのことだろうか。日本の教育も、この点では見習う必要があろう。
 





ルーブル美術館の彫刻群















 同 上










三時過ぎ、美術館を後にしてホテルへ戻る。途中、ス−パ−に立ち寄り、リンゴ、オレンジ、エヴィアン水、ファンタオレンジなどを買い込んで帰り、夜の観光に備えて休息をとる。七時になって、すぐ近くのカフェテリアへ出向き、久し振りにスパゲッティとソ−セ−ジを付け、グリ−ンピ−ス・玉子・レタス・トマトのサラダにビ−ルを取って夕食にする。これで六三・一〇フラン=一、一五〇円である。この店が近くにあって便利で助かる。これからの毎日、ここを常食堂に決めておこう。


ピガ−ルのストリップ・ショウ
夜九時半に出発する「パリ“X”」と銘打った成人向けツア−に参加する。料金五三五フラン=九、七四〇円。夜のオペラ通りを歩いて、再び出発タ−ミナルへ。五名(うち女性二名)の参加者を乗せた車は、キャバレ−やナイトクラブが立ち並ぶ夜の歓楽街ピガ−ル地区へ向かって走る。一軒のストリップ劇場に入ると最前列の一等席?に案内され、シャンパンを傾けながらほろ酔い気分で鑑賞する。幕間の長いのが気になるが、すんなりと長い足をしたナイスボディのブロンド美女たちが、パリらしいいきなストリップショウを楽しませてくれる。
 

一時間ばかりして、すぐ近くのもう一軒の劇場へ場所を移す。ここでも最前列に案内され、まぶし過ぎる鑑賞を堪能する。ここでは大胆なライブ・ショウでハ−ドポルノを楽しませてくれる。十二時に集合となっているので中座して外へ出てみると、ネオンサインがきらめく通りは人で賑わっている。パリの夜は、まだこれからなのだろう。向かいの有名な「ム−ラン・ル−ジュ」には、赤い風車のネオンがきらめいて夜のパリを彩っている。今しがたショウが終わったらしく、出口からは多くの観光客が流れ出ている。多分フレンチ・カンカンをたっぷり楽しんできたのだろう。この混雑する店の前から、迎えの車に乗ってホテルへ送ってもらう。着いたのは、今夜も十二時半を回っている。



(次ページは「ヴェルサイユ編」です。)











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