NO.1
60日間・13ヶ国
ときめきのヨーロッパ独り旅
出会いの旅・ふれあいの旅・感動の旅
(1994年4月20日〜6月22日)
1.ヨ−ロッパへの思い
なまり色に垂れ込んだ梅雨空の下、小雨にけぶる福岡空港に降り立つ。二ヶ月前、この空港からヨ−ロッパへの夢をいっぱいにふくらませながら旅立ったことが、昨日のことのように思い出される。今、それと入れ代わりに、はちきれるほどの思い出を胸に秘め、これまでにない安堵感と満足感に浸りながらゆっくりと地面を踏みしめる。一九九四年六月二十二日、午後五時半のことである。二ヶ月間の長旅であったが、これまではぐくんできたヨ−ロッパへの夢をとうとう実現することができたのだ。
この三月末、私が定年退職を迎えたのを機に、ヨ−ロッパ大旅行を思い立った。私は、少年期の早くから海外という未知の世界への好奇心が強く、それへの夢を持ち続けていたが、社会的、個人的な諸条件が整わず、永年の間その夢は実現できないままだった。それが十二年前の八十二年に、初めて東南アジア三ヶ国(タイ・マレ−シア・フィリピン)の海外視察旅行が実現したのである。その折、バンコクの空港で夢にまで見た海外旅行の第一歩を印したわけだが、感激のあまり空港に降り立ってからその場にしゃがみ込み、感慨深げにそっと地面を撫でたものである。
その後八十七年にハワイ、九十一年春にはアメリカ・オレゴン州のポ−トランドとセ−レム、それにサンフランシスコ、夏にはロサンゼルスで二週間のホ−ムステイと、ボツボツではあるが海外旅行を経験してきた。これらの旅行はすべて招待旅行で、視察や引率の旅である。
こうして海外へ出かけ始めると、まだ見ぬヨ−ロッパへの思いはつのるばかりで、テレビや雑誌で流されるヨ−ロッパ情報に埋もれながら、実現の機会を今かいまかと待ち望んでいた。学生時代にフランス語を学習したこともあって、フランスへの思いは特に強いものがあった。ヨ−ロッパの思想・哲学や建築・芸術にしても、その歴史の深さは興味津々たるものがあり、なにかロマンをかき立てるものがある。そんな魅力に魅かれてか、一度はヨ−ロッパ文化に触れてみたいという憧れのようなものを抱いていたのである。
こんな私の思いを実現する機会が遂にやってきた。それは定年退職という一つの節目である。自由の身になるこの機会をとらえて、遅蒔きながら退職記念のヨ−ロッパ旅行を思い立ったわけである。こうして満六十歳の春、夢見る旅は始まった。
2.出発まで
当初は二週間ぐらいのツア−旅行に参加してみようかと考えていたが、資料を集めて眺めるうちに、ここもあそこも行きたいという気持ちがつのり出し、それではいっそのこと折角だから思い切って手づくりの個人旅行をしてみようと決心したのである。それが出発の一ヶ月少し前のことである。出発日は、航空運賃の変わり目が四月二十一日となっているので、その前日の二十日に決定した。
旅行知識の入手
これまで多少の海外旅行経験はあるものの、なにしろ個人旅行は初めてのことであり、鉄道を利用する旅など全くの白紙状態であった。そこで早速旅行ガイドブックを買いそろえ、時間の許すかぎり毎日読み耽った。取りそろえたガイドブック類は、次のものである。
*地球の歩き方「ヨ−ロッパ個人旅行マニュアル」ダイヤモンド社(一、五八〇円)
*地球の歩き方「ヨ−ロッパ鉄道の旅マニュアル」ダイヤモンド社(一、四八〇円)
*地球の歩き方「ヨ−ロッパ」ダイヤモンド社(一、六八〇円)
*地球の歩き方「旅の道具辞典」ダイヤモンド社(一、四八〇円)
*地球の歩き方「旅の会話集・ヨ−ロッパ六か国語」ダイヤモンド社(九八〇円)
*「ヨ−ロッパ鉄道時刻表」ダイヤモンド社(一、九八〇円)
これらのガイドブックは、小さな文字がビッシリ詰まったボリュウムのあるもので、読み上げるだけでも相当の時間を要した。しかし、詳細で懇切丁寧な記述ぶりにはほとほと感心させられたが、その的確な解説ぶりは現地に行って立証され、高い信頼が置けるので推奨できる。これだけの知識が得られれば、ヨ−ロッパ旅行に関してはほぼ万全といえるのではないだろうか。旅行知識ゼロからスタ−トした私であったが、これらをマスタ−することによって旅行への自信がついてきた。
旅行には「鉄道の旅マニュアル」「ヨ−ロッパ」「会話集」「時刻表」の四冊を持参したが、それだけで二キロの重さになり、旅行荷物総重量十キロのうち二割も占める結果となった。しかし、これだけは旅行の羅針盤となるだけに省略するわけにはいかない。
航空券・ユ−レイルパスの手配
長崎から出かけるため、福岡空港発とした。ヨ−ロッパ最初のスタ−ト地点をアテネと決めたのだが、そこへは福岡発の直航便がない。そこで、やむを得ず南回りのル−トでバンコク経由で行くしかなかった。チケットは大手旅行社で手配し、期間は三ヶ月のオ−プンだが、一応二ヶ月後の日付にしておいた。往きはアテネまで、帰りはパリからの往復運賃で一四五、〇〇〇円。
ヨ−ロッパ十七ヶ国共通の鉄道周遊券ユ−レイルパスは、期間二ヶ月で一等クラスのパスを購入した。料金は一二三、〇〇〇円。
旅行用具の準備
個人旅行ということもあり、とにかく荷物の量を最小限に抑える努力をした。それでも膨れ上がって総重量十二キロにもなり、これを十キロに抑え込んだ。
【バッグ類】
*ショルダ−バッグ大(五五×三九×二五センチ)
*ショルダ−バッグ小(三〇×二五×一二センチ)外出時のみ使用する。
【服 装】
*ブレザ−(冬物)
*ズボン(合いもの)
*ポロシャツ(長袖)二枚
*下着シャツ(半袖)二枚
*パンツ二枚
*ロングパンツ二枚
*靴下三足
◎毛のセ−タ−一枚
◎下着シャツ(長袖)一枚
◎メリヤスロングパンツ一枚 ◎印は登山用
*靴下一足(綿厚手のもの)
*パジャマ一着
*ネクタイ一本
*Yシャツ一枚(ディナ−やコンサ−ト用)
*ポロシャツ(半袖)バンコクで着るためのもの
*帽子(野球帽スタイルのもの)
*腕時計
*革靴(ズックと同じ重さで軽く、皮もソフトで柔らかく歩きやすい。)
【日用品】
*目覚まし時計 *折り畳み傘
*洗面セット
*電気カミソリ(二二〇ボルト用)
*プラグセット(五個)
*メッシュケ−ス(大・中・小)
*石鹸
*洗剤(チュ−ブ入り)
*シャンプ−・リンス(安ホテルには用意されていない)
*タオル
*ツメ切り
*裁縫セット
*洗濯セット
*スリッパ(機内は長時間なのであったほうがよいが、ホテルの部屋は裸足でOK)
【安 全】
*貴重品入れ(ベスト型)
*貴重品入れ(ベルトに通しズボンの内側に入れる)
*南京錠
*チェ−ン
【観光・記録】
*前掲のガイドブック類四冊
*ペンライト
*カメラ
*フィルム(三十六枚撮り十五本)
*電卓(外貨換算が自動的にできるもの)
*ノ−ト(中)
*手帳
【健 康】
*胃薬
*整腸剤
*ビタミン剤
*感冒薬
*バンドエイド
【書類関係】
*パスポ−ト
*クレジットカ−ド
*旅行傷害保険
*顔写真(二枚)
以上が二ヶ月間の旅行用具類であるが、これだけで何不自由のない生活ができた。このほか、持参したほうがよいと思われるものを挙げれば、サングラスと接着剤だろう。この時期でも南欧の日差しは強いし、登山の時も雪の反射で目が痛くなるので必要だ。また、万能ナイフを持参したかったが、荷物を機内持ち込みにするため断念した。その代わり、プラスチック製のナイフ・フォ−クを持って行くとよい。
旅行計画
どこをどのようなコ−スでめぐるのか、おおよそのプランを立ててみた。まず、ヨ−ロッパの白地図上に自分の訪れたい場所をマ−クしていく。それを、一筆書きの要領で線を引きながら結んでいき、コ−スを決める。それがすんだら、場所間を移動する交通機関を調べ、発着時間を考えながら無理のないように次の宿泊地を決めていく。そして、滞在日数をそれぞれ何日にするかを決める。私が最初にリストアップした訪問地は、次のとおりであった。
*ギリシャ−−アテネ・エ−ゲ海
*イタリア−−ロ−マ・ヴェネツィア・ポンペイ
*フランス−−パリ・ニ−ス
*モナコ
*スペイン−−マドリッド・バルセロナ
*イギリス−−ロンドン
*オランダ−−アムステルダム
*ドイツ−−ベルリン・ライン河下り・ハイデルベルク・ロマンチック街道・古城街道
*オ−ストリア−−ウィ−ン
*スイス−−ジュネ−ブ・レマン湖・ユングフラウヨッホ
これらは旅行の途中で予定変更し、次の場所を追加することになった。
*デンマ−ク−−コペンハ−ゲン
*スウェ−デン−−ストックホルム
*ノルウェ− −−オスロ
*フランス−−モンブラン
コ−スの設定は、同じところを二度も行き来しないように考え、アテネからスタ−トすることにした。そして南欧から北欧にかけて左巻きの渦巻き状に周遊することにし、最後はパリに至るというコ−スを選んだ。この順路は正解であった。というのは、早春の時期に南欧を回り、気温が高めになってから北欧地域を回ることになって快適な時候を過ごすことができたからである。四月下旬でもギリシャ、イタリア、南仏、スペインなどの気温は高く、太陽の日差しも強くて、日中は長袖ポロシャツ一枚でも汗だくの日が多かった。
旅行日程
ガイドブックと時刻表をもとに次のような旅行日程をつくり、これに従って旅を進めることにした。
ヨーロッパ旅行日程表
日 付 |
日数 |
ルート |
泊数 |
タイムテーブル |
4/20(水) |
1 |
福岡 ーーー> バンコク |
@ |
〈18:40発)ー−−>〈22:15着) |
21(木) |
2 |
|
|
|
22(金) |
3 |
バンコク ーーー> アテネ |
@ |
朝到着 |
23(土) |
4 |
アテネ |
A |
エーゲ海クルーズ |
24〈日) |
5 |
〃 |
B |
|
25〈月) |
6 |
〃 |
C |
|
26(火) |
7 |
アテネーー>ローマ(空路) |
@ |
|
27(水) |
8 |
ローマ |
A |
ナポリ・ポンペイ |
28(木) |
9 |
〃 |
B |
カンツォーネの夕べ |
29(金) |
10 |
〃 |
C |
|
30(土) |
11 |
ローマ ー>ヴェネツィア |
@ |
(8:50発) −>(13:09着) |
5/1(日) |
12 |
〃 |
A |
|
2(月) |
13 |
〃 |
夜行 |
(20:28発) |
3(火) |
14 |
ヴェネツィア ー>ニース |
@ |
(8:30着) モナコ観光(日帰り) |
4(水) |
15 |
ニース |
夜行 |
(22:05発)Port Bou 乗り換え |
5(木) |
16 |
ニース −> バルセロナ |
@ |
(9:35着) 市内観光 |
6(金) |
17 |
バルセロナー>マドリッド |
@ |
(8:05発)>(14:55着) |
7(土) |
18 |
マドリッド |
A |
|
8(日) |
19 |
〃 |
B |
|
9(月) |
20 |
マドリッド>ロンドン(空路) |
@ |
|
10(火) |
21 |
ロンドン |
A |
|
11(水) |
22 |
〃 |
B |
|
12(木) |
23 |
〃 |
C |
|
13(金) |
24 |
ロンドン>アムステルダム |
@ |
空路 |
14(土) |
25 |
アムステルダム |
A |
|
15(日) |
26 |
〃 |
B |
|
16(月) |
27 |
〃 |
C |
|
17(火) |
28 |
アムステルダム>ベルリン |
@ |
(9:02発)>(17:32着) |
18(水) |
29 |
ベルリン |
A |
|
19(木) |
30 |
〃 |
B |
|
20(金) |
31 |
ベルリン −>ケルン |
@ |
(8:53発)>(15:14着) |
21(土) |
32 |
ケルン>ライン川>マインツ マインツ>フランクフルト |
@ |
ライン川下り 9:00発 (13:38発)>(14:22着) |
22(日) |
33 |
フランクフルト > ハイデルベルク |
@ |
(9:48発)>(10:42着) |
23(月) |
34 |
ハイデルベルク > ローテンブルク |
@ |
古城街道(ユーロバス) |
24(火) |
35 |
ローテンブルク > フュッセン |
@ |
ロマンチック街道 |
25(水) |
36 |
フュッセン > ミュンヘン |
@ |
(13:08発)>(15:12着)午前中ノイシュバンシュタイン城見学 |
26(木) |
37 |
ミュンヘン > ウィーン |
@ |
(8:25発)>(13:05着) |
27(金) |
38 |
ウィーン |
A |
|
28(土) |
39 |
〃 |
B |
|
29(日) |
40 |
〃 |
C |
|
30(月) |
41 |
ウィーン > チューリヒ |
@ |
(7:35発)>(16:26着) |
31(火) |
42 |
チューリヒ > ベルン |
@ |
(9:30発)>(11:09着) |
6/1(水) |
43 |
ベルン > インターラーケン |
@ |
(9:12発)>(10:21着) |
2(木) |
44 |
インターラーケン |
A |
ユングフラウヨッホ登山 |
3(金) |
45 |
インターラーケン> spiez 乗り換え
spiez > brig 乗り換え
brig > ジュネーブ |
@ |
(8:11発)>(8:31着)(8:54発)>(9:59着)(11:14発)>(13:16着)レマン湖畔ニヨンに宿泊 |
4(土) |
46 |
ジュネーブ |
A |
ニヨンに宿泊 : レマン湖遊覧 |
5(日) |
47 |
ジュネーブ > パリ |
@ |
(10:00発)>(13:29着)TVG乗車 |
6(月) |
48 |
パ リ |
@ |
|
↓
13(月) |
↓
55 |
↓
パ リ |
↓
H |
|
14(火) |
56 |
パリ > バンコク |
機内 |
(12:00発) 乗り換え |
15(水) |
57 |
バンコク > 福岡 |
|
(10:30発)>(17:20着)帰国 |
これが当初の日程であるが、前述のように途中で北欧三ヶ国とモンブラン登山を追加し、次のように変更した。
5/19(木) |
30 |
ベルリン |
|
|
20(金) |
31 |
ベルリン > コペンハーゲン |
@ |
(00:09発)>(8:31着) |
21(土) |
32 |
コペンハーゲン |
A |
|
22(日) |
33 |
コペンハーゲン>ストックホルム |
夜行 |
(21:45発)>(7:47着) |
23(月) |
34 |
ストックホルム |
@ |
|
24(火) |
35 |
〃 |
A |
|
25(水) |
36 |
〃 |
B |
|
26(木) |
37 |
ストックホルム > オスロ |
@ |
(7:42発)>(14:00着) |
27(金) |
38 |
オスロ |
A |
|
28(土) |
39 |
〃 |
B |
|
29(日) |
40 |
オスロ > コペンハーゲン
コペンハーゲン>ケルン |
夜行 |
(10:15発)>(20:15着)
(21:05発)>(7:20着) |
30(月) |
41 |
ケルン |
@ |
|
31(火) |
42 |
ケルン>ライン川下り>フランクフルト |
@ |
|
6/1(水 |
43 |
フランフルト>ハイデルベルク |
@ |
|
2(木) |
44 |
ハイデルベルク>ローテンブルク |
@ |
|
3(金) |
45 |
ローテンブルク > フュッセン |
@ |
|
4(土) |
46 |
フュッセン > ミュンヘン |
@ |
|
5(日) |
47 |
ミュンヘン > ウィーン |
@ |
|
6(月) |
48 |
ウィーン |
A |
|
7(火) |
49 |
〃 |
B |
|
8(水) |
50 |
ウィーン > チューリヒ |
@ |
|
9(木) |
51 |
チューリヒ > インターラーケン |
@ |
|
10(金) |
52 |
インターラーケン |
A |
|
11(土) |
53 |
インターラーケン > spiez
spiez > brig
brig > martigny
martigny > chamonix |
@ |
(7:39発)>(7:59着)
(8:28発)>(9:29着)
(9:48発)>(10:40着)
(11:09発)>(12:57着) |
12(日) |
54 |
シャモニー |
A |
モンブラン登山 |
13(月) |
55 |
シャモニー > martigny
martigny > ジュネーブ |
@ |
(7:54発)>(9:42着)
(10:40発)>(12:12着) |
14(火) |
56 |
ジュネーブ(ニヨンに宿泊) |
A |
レマン湖遊覧 |
15(水) |
57 |
ジュネーブ > パリ(TGV乗車) |
@ |
(10:00発)>(13:29着) |
↓ |
↓ |
パリ |
↓ |
|
20(月) |
62 |
パリ |
E |
|
21(火) |
63 |
パリ > バンコク |
機内 |
(12:00発)乗り換え |
22(水) |
64 |
バンコク > 福岡 |
|
(10:30初)>(17:20着) |
このように、北欧三ヶ国を回るのに九日間、モンブラン登山に二日間をそれぞれ追加し、その代わり帰国を一週間延長するとともに、ウィ−ン一日、ベルン一日、パリ三日間をそれぞれ短縮することにした。
旅行費用
これまでの海外旅行は、招待旅行などのため費用はすべて主催者負担であり、したがって自費負担で旅行するのは今度が初めてである。今度の旅行費用として予算計上した額は、次の内容のものであった。
航空運賃(往復) 145,000円
ユ−レイルパス(1等2ヶ月間) 123,000円
ホテル・食事・観光(1万円×60日)600,000円
その他予備費(含航空運賃) 132,000円
計 1,000,000円
交通費以外の費用では一日一万円を予定した。その内訳はホテル代が一日六千円程度、残りの四千円が観光代と食事代である。しかし、結果的には滞在日数が四日間オ−バ−したこと、それにホテル代が予定よりも若干高くなり、観光代もかなり高くついて約二割程度予算オ−バ−となった。
(次ページは「出発編」です。)
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