9.緑深きジャングルと近代的高層ビルが混在する多民族国家・・・・
                                シンガポ−ル
 
今日は旅行最後の訪問地シンガポ−ルへの移動日だ。パ−スの気温は二十七度と、今朝はやや涼しい感じだ。六時半にホテル前で待っていると、エアポ−トバスは正確にやって来る。ほっと安心しながら小型バスに乗り込むと、年配の日本人旅行者が一人座っている。彼は一ヶ月かけてオ−ストラリアを旅して回り、今日帰国するところだという。リュックひとつを背負って旅するバッグパッカ−で、かなり旅慣れている様子だ。空港までの途中、いろいろと話がはずむ。
 

彼は五十八歳。元気な間に世界をくまなく旅しようとの計画で、九十五年春、二年早く会社を退職したという。この七ヶ月の間にヨ−ロッパ、東南アジア、そして今度オ−ストラリアと立て続けに旅行したそうだ。旅行費用はどうしているのかと尋ねると、在職中から貯えていたので心配ないという。そして最後の三日間は、十年間も世界放浪の旅を続けているという日本人青年と出会って行動を共にし、大変参考になったという。また、「海外旅行を夢見て回り出してはみたものの、回を重ねるうちにどこも似たように見えて妙がなくなってきましたよ。」と感想をもらす。多分、間無しに続けて旅行したので、新鮮味を欠いたのだろう。
 

シンガポールへ
八時五十分発のシンガポ−ル行き航空便に彼と同乗することになったが、座席が別になって話す機会がない。隣に同席したのは、中米コロンビアから来たという白人の母娘連れで、パリの休日を楽しむのだという。コロンビアは高地なので年中涼しく、気候的には住みやすいという。機は約五時間でシンガポ−ル到着だ。機内の案内雑誌によると、シンガポ−ル空港にはホテルやシャワ−ル−ムの設備があり、乗り換えの待ち時間が四時間以上あれば無料の観光バスが利用できるという。また、預ける荷物がなければマンダリンホテルで搭乗のチェックイン手続きができるという。


とにかく、ここにはまる一日半しか滞在しないので、息つく間もなくフルに駆けずり回らなければならない。間もなく、スチュワ−デスがシンガポ−ルの出入国カ−ドを配ってくる。そこで必要事項を記入していると、下のほうに何やら赤字で印刷された文字が目に入る。見ると、そこにはなんと「麻薬保持者は死刑」と、赤の太文字で書かれている。何かにつけて厳しい国とは知っていたが、それを目の当りにすると一瞬ドキッとさせられる。
 

機は午後二時過ぎ、見覚えのあるチャンギ空港へ予定通り到着。気温三〇度でパ−スとさほど違いはないが、湿度が高いのでかなり蒸し暑く感じられる。空には今にも雨が降りそうな厚い雲が低く垂れ込めている。空港には、日本出発前に予約していた観光会社の係が出迎えに来ているはずである。出迎えのサ−ビス付きなのでありがたい。勝手知ったる空港なので、どんどん進んでイミグレ−ションを通過し、玄関ホ−ルへ出る。そこには、氏名を書いたプラカ−ドを持った係員がすでに来ており、すぐに落ち合って両替をすませ車で市内へ向かう。彼は若い中国系のシンガポ−リアンで、出迎えは私一人だというのでちょっと恐縮する。彼は英語を話すが、家庭では中国語を使うという。
 

ホテルへ
市内へ通じる広々とした美しいハイウェイの両側には、ジャングルのような熱帯樹林が鬱蒼と茂り、南国特有のしたたるような緑がトンネルのように覆いかぶさっている。空港からシンガポ−ル入りする人は、まずこの緑のシャワ−の歓迎に感嘆の声を上げるに違いない。ここシンガポ−ルは、マレ−半島の先端に位置する島国で淡路島とほぼ同じ大きさの国土面積を持ち、大小五十八の島々からなっている。そこには約三〇〇万人足らずの人口が住んでおり、その約八割が中国系、あとは土着のマレ−系とインド系その他という多民族国家である。そのせいか、市内で見かける通行人のほとんどが中国系で、たまにインド系の人が混じっているにすぎない。この国の言語は共通語としての英語が公用語になっており、中国語、マレ−語、タミ−ル語も同様である。
 

空港から半時間ぐらいでホテルに到着。部屋には、ここでもコ−ヒ−とティセットが準備されており、早速お湯を沸かしてコ−ヒ−ブレイクとする。今夕六時からはナイトサファリ観光に参加するので、それまでにメインストリ−ト・オ−チャ−ドロ−ドの見物かたがたマンダリンホテルで航空券のチェックインをすませておこう。オ−チャ−ド・ロ−ドへはバスが便利だというので、小銭を替えてもらいバスの乗り方を習って早速出かける。フロントの係には英語があまり通じない。英語のできる係でも、チャイニ−ズなまりの英語なのでなかなか聞き取りにくい。
 

オ−チャ−ド・ロ−ドへ
ホテル前のバス停からオ−チャ−ドまで料金は六〇セントで、ここから歩くには遠いし、バスに乗ればすぐという中途半端な距離にある。前乗り・後降りのバスで、運転手に行き先をいって料金を払うと、横のボックスから出てくるチケットを自分で受け取る。運転手に、「オ−チャ−ド・ロ−ドに着いたら教えて下さい。」と頼んで座席に座ると、親切な隣の若い女性が「私もそこで降りるので一緒に行きましょう。」と流暢な英語で話しかける。あまり話す間もないうちにバスは目的地に到着し、彼女と一緒に降り立って主な建物の位置関係を教えてもらう。この通りはシンガポ−ルのメインストリ−トで道幅も広く、枝を伸ばした熱帯樹林の街路樹が美しい緑のラインをつくっている。そして今、これらのツリ−にはクリスマスに向けてイルミネ−ションがしつらえられ、夜にはファンタスティックな光景を演出している。
 

この通りに沿って近代的なホテルやショッピングセンタ−が立ち並び、その中には東南アジア最大といわれるショッピングセンタ−高島屋やそごう、ヤオハンなどの日系デパ−トが進出している。その中心的な存在の高島屋の隣に高級ホテル・マンダリンホテルがある。ここは日本からのツア−がよく利用するホテルで、その一角にシンガポ−ル航空のオフィスがある。そこで明日深夜発の航空券のチェックインをすませ、隣の高島屋へ入ってみる。そこはフロアのスペ−スも広くてしゃれた店内である。大勢の客の中には、日本人の買物客も結構混じっていてショッピングを楽しんでいる。
 

あまり時間がないので辺りを少しぶらつくと、帰りのバスを探しにかかる。停留所でベンク−レン通りに行くバスを尋ね聞いて乗ったのはいいのだが、小銭がないので料金六〇セントのところを一ドル払う羽目になる。ここのバスは釣銭をやらないので、小銭を用意してきっかり払わないとみすみす損をすることになる。小額とはいえ、無用の支払いをするのは気分が悪い。ホテルに戻って、そのことをフロントマンにぐちると、ニヤニヤ笑っている。
 

ラッフルズ・シティ
夜の観光の出発場所が有名なラッフルズ・ホテル前のラッフルズ・シティになっている。そこまで歩いて十五分というので、歩いて出かける。ここは世界一のノッポ・ホテル、ウエスティン・スタンフォ−ドなどのホテル二つと、そごうを中心としたショッピングセンタ−が入った一大コンプレックス(複合体)になっている。






ラッフルズ・シティの夜景











ラッフルズ・ホテル
オ−チャ−ド・ロ−ドから続いた大通りを進んで行くと、やがて左手に白亜の館ラッフルズ・ホテルが見えてくる。ここにはサマ−セット・モ−ム、ヘッセなどの他に、近年ではグレ−ス・ケリ−やエリザベス・テ−ラ−なども泊まったことのある超有名なホテルである。一八八七年の開業とその歴史は古く、当時は在住ヨ−ロッパ人の社交場として賑わったという由緒あるところなのだ。九一年に改装されて全室がスイ−トという超デラックスホテルとなった。だからその値段も高く、最低でも一泊六万五千円と貧乏人には縁がない。でも、一度は泊まってみたいところでもある。
               

      



小説の題名にもなったラッフルズ・ホ テル









だが、キ−がないとエレベ−タ−も使えずロビ−までしか入れないので、建物の側面に設けられているショッピング・ア−ケ−ドを一周してみる。そこには優雅なレストランやしゃれた高級品店などが並んで気取った雰囲気を漂わせている。ここには用なしとばかりに、道路向かいのラッフルズ・シティへ移動する。この大きなビルはふくそうしていて、新参者にはどこがどこだか分からない。


集合場所のウエスティン・ホテルを探して行くと、広いロビ−は人込みでごった返しており、ソファ−も置かれていない。ここはいろいろな待合い集合場所に使われているらしい。果たしてこの場所でいいのだろうかと不安になりながら待っていると、やっと旅行社のマ−クをつけた係員がやって来る。この旅行社は日本人観光客相手の現地企業で、スタッフもみんな現地人である。しかし、ガイドはみんな日本語が上手に話せる。短い滞在中に出会った四人のガイドは、いずれも現地の日本語学校で勉強したと話している。
 

ナイト・サファリ観光
今夜はディナ−付きのナイト・サファリ観光である。これは世界初のナイト・サファリだそうで、四〇ヘクタ−ルの広大な熱帯雨林のジャングルの中に百十種類、千二百頭もの動物たちが放し飼いされている。夜の野生動物が見られるということで今、この地で一番の人気コ−スになっており、観光では必ず立ち寄るところである。                    


今夜の客は少なくて十人ぐらいの日本人客が集まっている。私たちを乗せたバスは、夕暮れのストリ−トを郊外ヘ向けて走り抜ける。郊外へ出ると、周りの景色は欝蒼とした樹林やヤシの木の濃い緑に包まれ、なんともいえない南国ム−ドを醸し出している。
                     

市中から四〇分ぐらい走るとサファリ到着だ。ここには、すぐ隣接してシンガポ−ル動物園があり、こちらは昼間だけ、サファリのほうは夜間のみで七時半から0時までの開園となっている。早速、この入口にあるレストランへ案内され、バイキング・ディナ−が始まる。料理は中華と洋食類のミックスで、ビ−ルを飲みながら南国の夕食に舌鼓を打つ。食後の一服を終えると、いよいよ見物である。
                     

見物のコ−スには屋根だけ付いた小型バス風のトラムカ−が走っており、これに乗ってガイドの説明を聞きながら夜の動物観察を行うのである。発着所には多数の日本人観光客が行列をつくっており、後に並んで一緒に乗車する。二両連結のトラムは電動で、ジャングルの中を縫いながらゆっくりと進んで行く。一周四〇分の行程だ。
                     

乗客はみんな日本人らしく、案内は日本語で放送される。真っ暗なジャングルの中には高さ十メ−トルぐらいの照明灯がところどころに設置され、動物たちに遠慮するように柔らかくほのかな光線を投げかけている。ほとんど柵らしい柵はないのだが、大体動物たちの縄張りは決まっているようだ。
 

トラムが進むにつれて、右に左にさまざまな動物たちが夜の顔を見せてくれる。とにかく、その動物の種類の多さには驚かされる。ライオン、トラ、キリン、ゾウ、カバ、サイ、シマ馬、レオパ−ド、ジャッカル、カバ、バクなど、代表的な動物たちはもちろん、多種の動物たちが次々に現れる。突然、大きなバクが目の前に現れて驚かされるが、フラッシュ禁止なのでうまく写真が撮れない。ナイト・サファリは涼しい上に珍しくていいのだが、やはり薄明りの中ではどうしてもはっきりと見られない難点がある。
 





竹やぶにライオンの群れが・・・















 目の前にバクが・・・









四〇分のトラムコ−スが終わると、今度は徒歩で回るコ−スを少し探索する。ここは一段と密生するジャングルで、四〇〜五〇メ−トルの熱帯樹が林立して欝蒼としている。北半球に住む私たちには珍しい体験で、これらの大木を見上げながら半時間足らずの夜の散策を楽しむ。このコ−スにもいろいろな動物が見られるのだが、途中の池にさしかかるとフィッシング・バ−ドが水中に飛び込んで盛んに魚を捕っている場面に遭遇する。このカラスぐらいの大きさの鳥は、夜というのに照明の薄明りの中で狙いを定めて水中に飛び込み、小魚を捕えるのである。時には失敗するのだが、上手に捕えると見物客から拍手喝采が起こる。ほほえましい風景だ。
 

ナイト・サファリを終えてホテルに送り届けてもらったのが十時過ぎ、行き交う車も少なくなった夜のストリ−トにはイルミネ−ションが輝きを増して美しい。今日は、あの砂漠っぽいオ−ストラリア大陸から熱帯雨林の茂る南国の地に移動し、夜まで観光するという変化に富んだ一日だったが、かなりの強行軍でもある。だが、明日はさらに目まぐるしい一日になりそうだ。それに備えて早く休むとしよう。
                     





イルミネーションに輝く夜のストリート











二日目。今日は滞在最終日なので、息つく間もないほど忙しい観光日程だ。まず、午前は市内観光、午後はマレ−シア観光、そして夜はディナ−クル−ズとびっしり詰まっている。随分、疲労もたまっているのだが、最後のエネルギ−を振りしぼって楽しむことにしよう。ホテルのチェックアウトをすませて荷物を預けると、さあ行動開始だ。                    


昨日と同じ集合場所に行こうと外に出ると、空はどんよりとしてこぬか雨が降っている。今度の旅行中初めての傘出動だ。でも、ラッフルズ・シティに着くと、もう雨は明っている。
                     

市内観光
現地の日本語学校で勉強したという中国系の女性ガイドに案内されて、十人足らずの日本人観光客は三時間の市内観光ハイライトへ繰り出す。一行の中には、現地駐在員の若妻が両親を旅行に招待したという三人連れや一人旅の駐タイ日本大使館員婦人などがいる。バスはマ−ライオン公園、チャイナタウン、マウントフェ−バの丘、植物園など、市内の観光ポイントを巡っていく。
                     

マ−ライオン公園では、マ−ライオンを背景に記念写真を撮る。このマ−ライオンはシンガポ−ルのシンボルとして七十二年につくられたもので、上半身がライオン、下半身が魚の奇妙な格好をした像である。ライオンはシンガポ−ルの名前の由来であるシンガ(ライオンの意味)に由来し、魚は港町シンガポ−ルを象徴しているという。ガイドがいうには、これを背景にちょうど手の平の上に載せたようにして写るのがコツだそうな。そこで、そのお言葉通りにポ−ズをしてみたのが上の写真である。だが、その背景に見える工事中の長いクレ−ンなどに阻害されて、折角の写真も台なしだ。
 





シンガポールのシンボル
マーライオンを手のひらに









途中、ヒンズ−教の寺院に立ち寄り見学させてもらう。この国の宗教は多民族国家だけに、仏教(五十四%)、イスラム教(十六%)、キリスト教、ヒンズ−教など多様である。靴を脱いで寺院の中に入ると、高い天井には神々の美しい壁画が描かれており、前面中央には祭壇が置かれて数人の信者たちが祈りを捧げている。今ちょうど礼拝の儀式が行われていて、五、六人の僧侶たちが列をつくりタイコを鳴らしながら寺院の中や外をぐるぐる回っている。黒光りした石畳の床が足にひんやりと心地よい。
             

        



ヒンズー教寺院の内部










チャイナタウンを経て、今度は平坦なシンガポ−ルではここが一番高いというマウントフェ−バの丘へバスは登って行く。そこは小高い丘に過ぎないのだが前方にはセント−サ島、背後には市街地のアパ−ト群や高層ビル群がやっと眺められ程度である。頂上ではないから展望はきかず、その上狭い道路には観光バスの駐車の列と、観光場所としては中途半端で疑問符が付くところ。
 





 セントーサ島を望む















シンガポール市街地を望む










最後は植物園だ。入園口のアイスクリ−ム売りが、ヤシのミルクでつくったキャンデ−を売っているというガイドの案内に乗って、アイスクリ−ム好きの私は早速一本買って試食してみる。乳白色のキャンデ−なのだが、なかなかコクのあるミルキ−な味がして結構な代物である。この植物園の広さは東京ド−ムが十一個半も入るという 広大なもので、ここをひと回りするのにゆうに四時間は掛かってしまうという。園内には原生林をそのまま残したジャングルや熱帯植物が鬱蒼と茂り、その中にシンガポ−ルの国花であるラン園や日本庭園などがある。時間がないので、私たちはラン園を中心に回ることにする。
                     

ここを最後にオ−チャ−ド・ロ−ドにあるホテルへ戻り、そこで飲茶の昼食となる。この観光は昼食付きで、飲茶の食べ放題となっている。しゃれたホテルの食堂の丸テ−ブルに着くと、ギョウザにシュウマイ、肉ボ−ル、ヤキソバ、ス−プ、それに焼き飯までが次々と運ばれてくる。本場だけあってどれもみんな美味しく、待ってましとばかりにどんどん箸を進めて行く。でも、そんなに食べ切れるものではなく、惜しいながら食べ残してしまう。どのテ−ブルも、かなりの量を残しているのがもったいない。「後は持ち帰りにして下さい。」といいたいところだが、それも叶わずただ満腹のお腹を持ち帰るのみである。
                     

ジョホ−ル・バル半日観光
食事を終えると、さあ、次は国境を越えてマレ−シアの国境沿いの町、ジョホ−ル・バルの半日観光だ。バスはこのホテルから一時半に出るので有難い。迎えに来たのはインド系の女性ガイドで、さすがにサリ−はまとっていないが額には赤い紅マ−クを付けている。人なつこくて日本語も上手に話す彼女の案内で、バスは国境のジョホ−ル水道へ向かう。これも十人足らずの乗客だが、午前の観光とは別のコ−スだから乗客もすっかり入れ替わっている。その中には、バンコクの日本企業に勤務しているという若夫婦や現地シンガポ−ル航空に勤務している若い女性と旅行に呼び寄せたという彼女の両親がいる。
                     

越境する前に、まずバスはナイト・サファリの近くにあるマンダイ・ラン園に立ち寄る。園内に ラン園は数千種ものランの花が植えられており、とてもカラフルだ。そこにはさまざまな種類のランが群生しており、白、黄、ピンクなど色とりどりの花が咲き誇って壮観である。こうして、ほのかな匂いを放ちながら咲き乱れるランの花に埋もれていると、なんだかゴ−ジャスな気分になってしまう。                 

    



マンダイ・ラン園










ラン園を離れていよいよ国境へ向かい始めると、ガイドがシンガポ−ルの出入国カ−ドを配ってそれに記入せよという。それが終わると、今度はマレ−シアの出入国カ−ドだ。わずか数時間の滞在なのに、なんと面倒な手続きをするのだろう。行列する出入国者を検閲する係官も大変だろうにと思うと、この地球上に設けられた国境とやらを考え出した人間どもの愚かしさに憤りを感じずにはいられない。
                     

やがてバスは、ジョホ−ル水道にかかる橋の手前の出入国管理事務所に到着。列に並んでシンガポ−ルの出国手続きをすませると、再びバスに乗って橋を渡り始める。片側三車線のこの広い道は、シンガポ−ルとマレ−シアの間にまたがる水道を横切っているので橋のように見えるのだが、実は水道の一部を埋め立てた“コ−ズウェイ”という名の陸続きの道路なのだ。


全長一、五〇〇メ−トルのこの道路は、陸路からの唯一の国境ル−トだけに大量の貨物車が行き交っている。この道路サイドに沿って直径一メ−トルぐらいのパイプラインが三本並んで敷設されている。ガイドの話によると、シンガポ−ルは隣接のジョホ−ル・バル市から二本のパイプで水を輸入し、他の一本を使ってそれを浄水した水を逆に輸出しているそうだ。






ジョホール水道にかかるコーズウェイ










間もなく道路を渡り切ると、今度はマレ−シア側の管理事務所通過である。道路には通過待ちのトラックが大変な行列をつくっている。私たちのバスは観光なので別の関門ル−トへスム−ズに入り、そこで再びバスを降りてマレ−シアの入国手続きを行う。ここでは残存有効期間が六ヶ月以上のパスポ−トでないと入国できない。私のパスポ−トは後り三ヶ月の有効期間になっていたので、このためだけにわざわざ今度新規交付を受けた次第である。これでやっとマレ−シア観光ができるのだ。
 

ここからマレ−シアの男性ガイドが同乗し、案内はすべて彼の手に委ねられる。中年のオッサンという感じの彼は、日本語のうまいユ−モラスな人物である。東京、埼玉で数年間生活した経験があるというから無理もない。バスはイスラムム−ドの漂う国境の街ジョホ−ル・バルの雑踏を抜けて郊外へ向かう。経済成長の格差なのか、街の様子はシンガポ−ルほどの清楚さとリッチさは見られない。もちろん、ここは国境沿いの小さな街に過ぎず、首都のクアラルンプ−ルとは比較できないのだが……。この国に足を踏み入れるのは、これで二回目。十数年前に初めて訪れた時の首都クアランプ−ルの様子が懐かしく思い出されてくる。
 

ジョホ−ル水道に沿ってしばらく走ると、ジョホ−ル州を治めるサルタンの白亜の宮殿サルタン王宮にさしかかる。広々と美しい庭園に囲まれた王宮には、博物館や日本庭園、ラン庭園などがあり、一日コ−スでは入館して見学するのだが、半日コ−スではここは素通りしてしまう。そして、すぐ隣の回教寺院アブ・バカ−ル・モスクへと向かう。このモスクは、ジョホ−ル水道に面した小高い丘の上に水道を見下ろすように立っている。


  ジョホールバル水道 : 対岸はシンガポール


近くに立って眺めると、青色の屋根と白壁が美しいコントラストを見せ、四層になった塔の先端は回教寺院特有の大きなタマネギ型ではなく上品なものとなっている。これでも百年の歴史と二千人も入れる礼拝堂をもっている。夕方になればコ−ランの響きが聞こえてくるはずだが、残念ながら今はその時間ではない。また、回教徒でなければ寺院内に入れないというのも残念だ。外来者はただ外観を眺めて記念撮影する以外に手はない。
                 

    



アブ・バカール・モスク










寺院への登り口で「マンゴのアイスクリ−ム」と日本語で書いてアイスクリ−ムを売っている。これから察するに、日本人客が結構多いのだろう。こちらもその一人となって一本試食してみる。クリ−ムではなくてスティックにしたものだが、一口ふくむとマンゴの味が口内いっぱいに広がって渇いた喉になんとも口当たりがよい。
                     

寺院見学を終わると、バスはサラサをつくっている小さなハンディ・クラフト工場へと向かう。 サラサ生地はなかなか豪華なもので、それを身にまとうマレ−シアの民族衣装サロンには欠かせないものだ。小さな工場に入ると、職人が生地に絵付けをしている真っ最中だ。その見事な技巧は驚 嘆ものだ。こうして一枚一枚手作りされていくのだから、サラサの値段も高いはずだ。表は店舗になっていて、豪華で美しい絵模様の入ったサラサが陳列されている。とてもお土産には買えないので、売り子の娘さんをひやかしながらお茶をにごすしかしようがない。
                  

   



サラサの絵付け










次はマレ−村へ向かう。ここはちょっとした民族村で、鬱蒼と茂る熱帯樹やヤシの木に埋もれて草葺の家が建っている。その周囲にはバナナ、マンゴ、パパイヤなどの樹が生い茂り、それぞれに実をぶら下げている。バナナが樹に生っているのはこれまでバンコクやマニラで見たことがあるが、マンゴ、パパイヤが生っているのを見るのは初めてだ。草葺の館へ案内されると、踊り子たちが民族楽器の演奏に合わせて民族舞踊を踊って見せてくれる。それが終わると、珍しい竹製の楽器を持たせてカタカタと演奏させてくれたり、新婚カップルは民族衣装をまといながら記念撮影をしたりなどと、楽しいのどかな時が流れる。
            

         



マレー村の民族舞踊















 マレー村の風景










そしてティタイムになり、コ−ヒ−や紅茶の接待が始まる。素朴な木製テ−ブルに着くと、採りたてのバナナや試食用のカレ−ライスなどが出される。自然に熟れただけあってバナナの味もコクがあり、日本で食べるのとはやはり一味違う。その昔、タイやフィリッピンで食べたバナナの味が懐かしい。
 

カレ−も試食してみてというので一口ふくむと、スパイスのきいた現地産カレ−の味は結構イカス味をしている。ここでは甘口、辛口と三種類のカレ−粉をビン詰めにして売っている。そこで、甘口を一本だけ分けてくれと頼むと、どうしても三本セットでないと売れないという。これでは荷物が重くなって困るので、あきらめることにする。
                     

ここを最後にマレ−シアの旅も終わりに近づき、再び国境へ向かって車を進める。再度、出国・入国の手続きを繰り返し、コ−ズウェイを通り抜けてやっとシンガポ−ル領へたどり着く。市内へ向かう途中、ガイドの彼女といろいろ話を交わしてみる。話によると、彼女は小学校の教師を二年間勤めてからこの職に転職したという。


その理由を聞けば、教育熱心すぎる保護者からの突き上げがきついらしく、それに耐えられず退職したという。子供たちはよく勉強していい子なのだそうだが、あの親達ではねぇ、と憤まんやるかたないらしい。彼女は独身で今、両親と一緒に暮らしており、自分が生活を支えているという親孝行娘でもある。ボ−イフレンドはいるけど、まだ特定の相手はいないという。
 

話している間にバスは市内へ入り、乗客のホテルを巡りながら送り届けて行く。四時間のマレ−シアの旅もこれで終わりになるが、こちらは六時半からのディナ−・クル−ズに出発だ。そこで、集合場所のウエスティン・ホテルへ送ってもらうことにする。これから夜の部の始まりである。


ディナ−・クル−ズ
このクル−ズは、エアコンのきいた双胴の豪華クル−ザ−でビュッフェの夕食やカルチャ−ダンスなど二時間にわたってクル−ジングを楽しむものである。迎えのバスに乗って波止場に行くと、すでに大勢の乗客が待っている。乗船時間になって船内に入ると、六人掛けのしゃれたテ−ブルが並び、壁ぎわはソファ−になってゴ−ジャスなム−ドが漂っている。だが、指定されたテ−ブルに行くとそこは中央部で窓外の景色が楽しめない。一緒のテ−ブルについたのは、熊本から来たという新婚カップルと三人のみである。一人者の半端は、どうしてもこみやられるらしい。
 

三人でボヤキながら座っていると、窓側の席が空いている。そこで、ウェイタ−を呼び止め座席の移動を頼むと、ボスに聞いてくるという。戻って来た彼がいうには、あの席はふさがっているという返事。みんなで上のデッキに行っているらしい。室内を見渡すと、満席になっている乗客のほとんどは日本人客である。これから察するに、シンガポ−ルへの日本人旅行者は相当数に上っているものと思われる。飲みものはビ−ルを注文し、新婚カップルには結婚祝に好きな飲みものをプレゼントする。
                    

食事が始まったが混雑を避けてゆっくり座っていると、新婚カップルが気をきかせて私の分までビュッフェから料理を運んでくれる。肉類にエビ、カニなどの魚介類をはじめ、スシや中華まで揃えた和洋中印のいわゆるアセアン料理である。ディナ−が佳境に入ったころ、男女二人の歌い手が各テ−ブルを回りながらギタ−を奏でて歌を聞かせてくれる。こうして食事をしている間に、船は暗くなりかけた海上を沖合へと進んで行く。
                     





船内でテーブルを回りながら歌う歌手










デザ−トまで終わって一服すると、席を離れて一番上のデッキへ夜景を楽しみに上がってみる。ニュ−ヨ−クやシドニ−の夜景とは比べようがないが、遠く市街地のほうには真っ暗な夜空に映える光の列が美しいシンガポ−ルの夜景を演出している。






海上から見る中心街の夜景










しばらく潮風に吹かれていると、やがてデッキではカルチャ−ダンスが始まる。中国、インド、マレ−のダンサ−たちが、それぞれの伝統舞踊を見せてくれる。






デッキではカルチャー・ダンスが










一通り踊りが終わると、今度は乗客も誘い込んで踊り始める。すると、かぶりつきで見ていた私も誘われてとうとう観衆の前で踊らされる羽目になってしまう。終わると、やんやの喝采を浴びながら早々にその場を退散する。遠い昔、ハワイのサンセットクル−ズ船上でもダンサ−と踊った懐かしい思い出が蘇ってくる。                     


船は沖合でUタ−ンして港へ向かう。近づくにつれて、街の灯がだんだんと闇の中に大きくクロ−ズアップしてくる。デッキでは、ダンサ−を取り囲んで乗客たちが最後の記念撮影に忙しい。こうして二時間にわたる思い出深いクル−ジングも終わり、船は静かにその白い船体を夜の岸壁に休める。
 

空港へ
ホテルに送り届けてもらったのが夜の九時。ここで預けた荷物を受け取り、深夜便の一時発まであと四時間を消化しなければならない。荷物を持ちながらでは動きが取れず、どこでどう過ごしたらいいのか名案が浮かばない。搭乗のチェックインは、すでに昨日すませているので出発ギリギリに行けばOKだ。ただ一つ心残りがあるのは、シンガポ−ル名物のホ−カ−ズ(屋台が集まった集合屋台街)に行く間がなかったことだ。                    


一度は覗いてみたかったのだが、この過密スケジュ−ルではその余裕さえない。いまさら訪問したところで、お腹いっぱいで何も口に入らない。今日は終日息つく間もなくフルに観光を楽しんで、さすがに体も疲れている。そこで、もうこれ以上ほっつき歩くのはあきらめ、これから空港へ直行してシャワ−でも浴びてすっきりしようと思いつく。
                     

宿泊ホテルから最寄りの空港行きバス停は、たびたび通ったウエスティン・ホテル前だという。キャリ−バッグを引きながら、人気のない夜のストリ−トをそのホテルのあるラッフルズ・シティへテクテクと一人歩いて行く。ラッフルズ・ホテル前に差しかかったので、もう一度ホテルのア−ケ−ドを徘徊してみると、すでに商店などは閉店し、ただレストランやバ−のみが開いているだけでひっそりしている。


そこからきびすを返してウエスティン・ホテルへ到着すると、たっぷり余裕時間があるのでロビ−にあるカフェに入ってジュ−スを注文する。広いスペ−スの一角にあるスタンドに腰を下ろし、一緒に出されたピ−ナツをつまみながらゆっくりとくつろぐ。ここでは飲物と一緒にピ−ナツなどのおつまみが出されるらしい。
 

空港のシャワー
憩いのひとときを過ごして空港バスに乗り込むと、夜も遅いとあってか乗客は私だけの一人っきりである。たった一人の日本人を乗せた空港バスは、夜のハイウェイを突っ走って三〇分でチャンギ空港へ到着する。すぐにイミグレ−ションを通過し、勝手知ったるシャワ−ル−ムへ直行する。これは空港ホテルに隣接して設けられており、そこのフロントでシャワ−を申し込む。料金三〇〇円ぐらいを払ってシャワ−ル−ムへ入ると、そこは日本のビジネスホテルのシングルル−ムより広いスペ−スで、ガラス張りのシャワ−室とトイレ、洗面台まで揃っている。ちょうどデラックスホテルのバスル−ムを大きくしたようなもので、大小二枚のバスタオルに石鹸二個もつけてある。すっかりいい気分になって、鼻歌まじりにシャワ−を浴び始める。 


シンガポ−ルの汗をすっかり流し終わり、気分爽快になったところでロビ−へ出て憩うことにする。まだまだ出発まで一時間以上もある。暑さとアセアン料理のせいか、喉がよく渇く。そこでコ−ヒ−スタンドに立ち寄り、再びジュ−スを飲みながら時を過ごす。遅い時間でスタンドにも客の姿はほとんど見られず、若いウェ−タ−たちものんびりしている。ここでも出されたピ−ナツ豆をつまみながら、暇な彼らを格好の話相手に油を売ることにする。スタッフはみんな中国系で、中国語なまりの英語で話すので聞き取りにくい。話によると働くのは一日八時間で、店は最終便まで営業しているという。日本人客も結構多いそうだが、週末金曜日が日本人客のピ−クだそうだ。こんなことを話しながら時間の消化を図る。                     


スタンドを離れ、まだ営業している二、三の店をひやかしながら搭乗ゲ−トに向かっていると、インフォメ−ションのデスクに案内係の女性が一人ポツンと暇そうに座っている。それを見て、また格好の話相手のタ−ゲットにする。彼女は話し好きと見えて、こちらの問いかけにきれいな英語でいろいろと応対してくれる。


彼女はヒンズ−教徒のインド系女性で、結婚しているという。最終便まで勤務するそうだが、帰りは夫が迎えに来てくれるそうだ。夫の家族と一緒に住んでいるというので、姑さんとの折合いはどうなのか尋ねてみると、「自分が働いているので家事のことは姑にまかせており、その上よくしてくれるので問題ない。」という。故郷のインドには、年に一度は帰郷するのだという。


シンガポ−ル観光のことを聞くと、「この国は小さいから二日もあれば十分ですよ。」という。リ−・カンユ−前首相のことを聞くと「彼はインテリゼンスのある紳士で、これまでよくやってくれたし尊敬している。」という。そして、今の仕事はそれほど高給ではないが、自分に向いているし満足しているという。
 





シンガポール:チャンギ空港










半時間近くも話していたのだろうか、彼女との会話を楽しんでいる間に搭乗案内のアナウンスが流れる。ふと時計を見ると出発二〇分前になっている。これはいけないと彼女に別れを告げ、急いで搭乗ゲ−トのほうへ移動する。広く長いロビ−を五分以上も歩いてやっとゲ−トへ到着。待合室を見ると、ほとんど日本人乗客ばかりだ。帰国便は、まるで日本人専用のチャ−タ−便になってしまっている風だ。


その中に、女子学生風の一団がいるので聞いてみると、彼らは大分の中津から来た女子短大生三〇名の一行だという。彼らは食物専攻とかで、料理の比較研究をして卒論にまとめるために当地まで引率教官と一緒にやって来たという。だが、実体はショッピング・ツア−の観が強い。今まで国内だけだったのが、短大側に運動して今回初めて海外行きが実現したという。ほんとに豪勢な時代になったものだ。
 

間もなく搭乗開始となり、旅行最後の飛行便に無事を祈りながらシ−トに着く。今度の旅行は国内、国際便合わせて九便を乗り継ぎ、ロック登岩やスノ−ケリングまで織り込んだ変化に富む素敵な旅であった。それにシンガポ−ルとマレ−シアのオマケを加えて、なかなか充実した旅でもあった。果てしなく広がるオ−ストラリアの大自然、熱帯樹林に包まれたシンガポ−ルの昼と夜、その中で出会ったフレンドリ−な人たちとの語らい・・・・そのどれもが旅の思い出の貴重なタピストリ−でもある。傘を使ったのは、こぬか雨の中をたったの十五分間という好天に恵まれた素晴らしい旅でもあった。久々の旅の充実感に浸りながらシ−トに深く座り直し、ゆっくりと座席ベルトを締める。やがて機は、深夜のチャンギ空港に爆音を残しながら闇の空間に吸い込まれていく。十七日間の旅は終わり、朝八時にはもう福岡着だ。 (完)









inserted by FC2 system