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            NO.11




8.英国調の美しい街並とピナクルス・・・・ パ−ス                     

空港で荷物を受け取り玄関に出てみるが、空港バスも案内表示も見当たらない。同乗の乗客たちはどこに消え失せたのか、だれも玄関には出てこ ない。ロビ−に戻ってバス停を尋ねると、あちらだという。その端の方へ行ってみると、なるほど小型バスが止まっている。でも、車体には空港バスの表示もない。おかしいなあと思いつつ、「これエアポ−ト・バスですか?」とドライバ−に尋ねると、そうだという返事。「この空港は大都市の割りには案内表示が悪いぞ」と、心の中でぐちりながらバスに乗り込む。乗客は他に二人いるのみ。
 

このパ−スはとても美しい街といわれ、オ−ストラリア全土の三分の一を占める広大な西オ−ストラリア州の州都である。バスは空港から二〇分ぐらいで英国調のただよう美しい街並にさしかかる。繁華街のすぐ近くにあるホテルで降ろしてもらい、チェックインする。あまり客がいないのか、ひっそりとしたフロントには若い女性が暇そうに一人で座っている。早速、観光パンフレットをもらい、予定していた明日のピナクルス観光を予約する。キ−が二本ついたカギ束をもらって部屋に入ると、そこにはシングルベッドが一つ、久し振りのシングルル−ムである。
 

まず、やっておかなくてはいけないことは、三日後のシンガポ−ル行きフライトの再確認だ。すでに渡豪する途中チャンギ空港ですませてはいるが、時間変更の有無も確認しておかなくては安心できない。早速、旅行社から番号を聞いていたシンガポ−ル航空に電話してみると、「この電話番号は使われておりません。」とテ−プの声が流れてくる。そこで厚い電話帳をめくって番号を探し、予約係にダイアルを回す。だが、なかなか電話に出ない。仕方なく別の案内係に電話すると、テ−プが流れてフライトの案内をするばかりである。


弱り果てて階下のフロントへ下りて行き、「シンガポ−ル航空に電話しているのだが、なかなかコンタクトが取れない。すまないが電話してみてくれませんか。」と彼女にお願いする。親切な彼女はにこやに応対しながら、電話帳で同じ番号を引き直しダイアルを回す。が、やはりなかなか相手は出ない様子。ずいぶん待ってやっと通じると、彼女は親指を上げながらOKのサインを送って示す。そして座席の希望はどこがいいのかと聞くので、「禁煙席で通路側」と伝える。ここでシ−トの指定も受けるらしい。彼女がいうには、予約受付は午前中で終わるので電話に出ないらしい。出発も予定通りと聞き、これで一安心。彼女の親切に感謝しながら部屋へ戻る。
 

次は、ロック登岩で汗ばんだシャツ類を洗濯にかかる。それがすむと、部屋に準備されたティを沸かして飲みながら、やっと休息の時間に入る。一時間ばかりベッドでまどろみ目を覚ますと、もう夕方の五時過ぎである。体の疲れも少し取れたので、そろそろ夕食を取りがてら街の探索にかかるとしよう。
 

市内散策
このホテルから一ブロック次の通りは歩行者天国で、もう一つ次の通りと二本合わせてパ−ス一番の繁華街ショッピング・モ−ルになっている。そこへ足を向けようと一階へ下りて行くと、玄関ドアは閉められた上にフロントもネットを張って閉められ、だれも受付にいない。えっ、こんなホテルなんてあるのだろうかと驚いてしまう。なるほど、これで二本のキ−を持たされたナゾが解けた。一本は玄関ドアのキ−なのだ。彼女は、そのことについて何の説明もしてくれなかったのが……。ドアの表に何やら掲示が張られている。それを見ると、「御用の方は一ブロック先の通りにある〇〇ホテルまでお越し下さい。」と書いて、その場所の地図が添えられている。なんとのんびりしたホテルであろうか。こんなことは初めてだ。
 

玄関を出ると、外はまだ暑い。パ−スに来たらぐっと涼しくなるだろうと思っていたが、案に相違して気温三〇度と結構高い。今日は週末金曜日とあって、ストリ−トは大勢の人出で賑わっている。通りの店員に聞いてみると、週末は夜の九時までどの店も営業するという。お陰で、今夜はゆっくり街の探索ができる。まず、手前にあるマレ−・ストリ−トの歩行者天国をぶらつき、次いで隣にあるヘイ・ストリ−トの歩行者天国を徘徊する。この二つの通りを囲む一帯が中心街だが、そこには劇場、ショッピング・ア−ケ−ド、デパ−ト、ス−パ−、銀行などが並んでいて大勢の人々を引き寄せている。そして、早くもクリスマス向けのイルミネ−ションが通りを飾り、夜ともなれば美しい電飾を見せている。
 

適当な食事処を探していると、きれいなビルの二階の窓に“パスタとサラダ食べ放題”と大きく書かれた広告が目に止まる。これだ! とばかりにビルの二階へ上がると、そこはしゃれたレストランである。案内されて席に着くと、皿をもらって料理を物色する。スパゲッティにミ−トソ−スなど三種類のソ−ス、二種類のス−プ、それにとりどりのサラダが用意されている。これらを食べ放題の上、ビ−ルを飲んで千円足らずである。でも、スパゲッティは少し柔らかめで物足りない。この店では、他にもいろいろ料理のオ−ダ−ができる。夕食を終えると、イルミネ−ションが輝き始めたストリ−トを散策しながらス−パ−に立ち寄り、朝食用のカップケ−キとミルク、それにリンゴ、オレンジを買って帰る。今日は相当に疲れたので、早く休むことにしよう。
 

ピナクルス1日観光
パ−ス二日目。今日もギラギラの晴天だ。七時四〇分に迎えのバスに乗り、ピナクルス一日観光へ出発する。他に十二時間のコ−スもあるが帰りが夜の八時となって遅すぎるので、今日はピナクルスだけを観光する九時間半のコ−スを選ぶことにする。パ−スでの主な観光は、「石化した原生林」といわれるピナクルス、海の波が押し寄せる形をした奇岩ウエ−ブ・ロック、それに野生のイルカと遊べるドルフィン・ツア−などで、いずれも遠く離れた場所にある。
 

タ−ミナルオフィスで料金を払いバスを乗り換えると、珍しい女性ドライバ−が待っている。彼女の話によると、女性ドライバ−はこの会社でただ一人だそうで、以前は内務をしていたが二年前から運転手になったという。彼女の夫も同じ会社のドライバ−だそうで、内務よりも運転するほうが楽しいという。細身で小柄な彼女はかなりの年配だが、その細腕でハンドルさばきは大丈夫かなと少し心配になってくる。座席の六割ぐらいを占める乗客を乗せたバスは八時ちょうどにパ−スを出発、これから片道四時間のドライブが始まる。
 

郊外に出てハイウェイに乗ると、オ−ストラリアらしい低い灌木が生い茂る平原や草原が広がるなかをバスは走り続ける。あまり変化のないこの単調な風景には、少々退屈してくる。おまけに、目に入る草原はどこも黄金の枯れ草になっていて、目にしみるような緑が見えない。ドライバ−に聞くと、パ−スのベストシ−ズンは九〜十月だそうで、今は夏に入って緑は見られないという。オ−ストラリア大陸の内陸部や、四季の差があまりないシドニ−やパ−スでは、緑が死に絶えてしまうらしい。これは夏に向けて緑が濃くなって行く日本の場合とは逆なのだ。そういえば、メルボルンの公園の緑は印象的な美しさだったが、シドニ−やここパ−スではそれが感じられない。だから私の頭の中では、美しいといわれるパ−スの街よりも電車が走り、緑が美しくて落ち着いたシックな街メルボルンのほうが印象深いものになっている。
 

乗客の中には日本人の母娘二人と青年一人が乗っている。母娘のほうは、大阪に住む母親がシドニ−に一年ホ−ムステイして帰国する娘を迎えにきたのだという。出かけるのがいやで、大阪からほとんど出たことがない母親を、帰国を機会に娘が無理矢理呼び寄せて旅行しているという。本当は、パ−スからシンガポ−ルへ行く予定のところが航空券が取れず、やむなくシドニ−へ戻ってそこからシンガポ−ルへ回らざるを得ないとぼやいている。


そういえば、私の場合も二ヶ月前にチケットを頼んだのだが、パ−ス→シンガポ−ル線だけなかなか取れず、半月もキャンセル待ちが続いたのだった。この路線は、近年東南アジア諸国の経済成長に伴い、その地域からの旅行客が増えて込み合っているらしい。そこから五時間ぐらいで来れるオ−ストラリアは最寄りの旅行先となっているらしく、その証拠にマレ−シア、シンガポ−ルからの旅行者が多く見受けられる。
                     

バスは途中の小さなスナック店で休憩をとり、そこでサンドイッチを仕入れて昼食をとる。再びバスは長い時間走り、ようやく支線へそれて埃っぽい地道をピナクルス国立公園の方え進んで行く。すると突然バスを止めて運転手が降りて行く。どうしたのかと見ていると、道の真ん中に小さな黒いものがうずくまっており、彼女はそれをしゃがんでじっと見詰めている。みんなもそれにつられて降りて行き、彼女を取り巻いて覗き込む。そこには、尻尾がちょん切れたような変わったトカゲがうごめいている。彼女の説明によると、この地域に生息する“ボブテイル スキンク”という珍しいは虫類の一種らしい。みんながカメラに撮り終えると、そっと道脇のヤブの中に帰してやる。 






 ボブテイル・スキンク










やがて荒涼とした砂漠の中に、ポツポツと墓石のような岩石が見え始めると公園の入口にさしかかる。レンジャ−のいる小屋の前でバスを止めて案内パンフをもらい、少し奥まで進んで停車する。四時間かかってやっと目的地のピナクルス到着だ。ここで一時間近くの観光が始まる。もらったパンフを見ても詳しいル−トの案内は載っていないので、みんなの後について適当に歩き始める。すると灌木が途切れた途端、その向こうに広がる広大な砂漠の中に、背丈ぐらいの尖った岩石が無数の墓石のように林立しているのが見える。“荒野の墓標”とはよくいったものだ。黄色っぽい殺伐とした広大な砂漠の中に石柱が立ち並ぶ様は、なんとも異様で壮大な風景だ。






 “荒野の墓標”ピナクルス











 珍しいピナクルスの光景



 ピナクルスの不思議な光景



 ピナクルスの全景


この“墓石”ができるまでの過程を、パンフレットでは次のように説明している。この岩石の素材である石灰石は、もともと古代の海浜生活に伴う貝殻からもたらされたものである。これらの貝殻が砕けて石灰質の砂となり、それが高い移動性の砂丘を形成していく。すると冬期の雨が砂から石灰をろ過し、それが砂丘の低層部で砂粒を固めて行く。やがて植物が生えて砂丘は安定し、同時に酸性の土壌層が石英質の砂の上に広がっていく。この酸性土壌がろ過の進行を早め、固い層が低層部の柔らかい石灰石の上に形成されていく。


やがて、この固い層に裂け目が生じ、植物の根によって浸食されていく。そして、水がこの裂け目を通してしみていき、地底の柔らかい石灰石を浸食していく。次第にその裂け目は、石英質の砂で埋められていく。この浸食は円柱になるまで続けられるのである。やがて植物は死に絶え、浸食でできた円柱形の石灰石を覆っている砂を風が吹き払い、その後にこのピナクルスが出現したのである。だからその事実は、植物の化石ではないのだ。現在でもこのキャップの部分には固い層が残っていて、その下の石灰石部分の浸食を守っているというが、それでも数百年後には消え去ってしまうともいわれている。高いもので四メ−トルもあるという。
 

確かに、このすぐ向こうには海岸線があり、この黄色味を帯びた広大な砂漠地帯は、もともとおびただしい数の貝殻ででき上がった砂丘なのだという実感がわいてくる。このような石柱群があちらこちらと広大な地域に広がっていて、車でないととても見て回れるものではない。われわれは、その中心に当たる部分を見て回るに過ぎない。ドライバ−の彼女がやって来たので、迷わないように一緒に行動する。彼女の説明では、埋もれた植物が集まって化石化したものだといっているが、本当のところは違うのだ。彼女は、仕事が終わって夫君とビ−ルを飲むのが一番の楽しみだという。日本にはビ−ルメ−カ−はあるのかと聞くので、四社の大手醸造会社があると教えてやる。そして、キリンやアサヒの名前は知らないかと聞くと、知らないという。
 

埃っぽい砂漠の中を歩き回ること小一時間、古代人が残した貝殻と大自然が造り上げた石灰石の造形芸術に感嘆しながらバスへ戻る。その後、バスは近郊の小さな漁村を訪れ、そこでランチタイムをとる。これで今日の観光日程は終わり、後はパ−ス市内まで四時間かけてバスは再びひた走る。ドライバ−の話によると、今夜は市内の目抜き通りでクリスマス・パレ−ドが行われるそうだ。三〇度を超える気温の中では、とてもクリスマスのム−ドなんか出ないだろう。もっとも、現地の人達はそれに慣れているので、なんとも感じないのだろうが……。長い道中を終えて夕方五時半、やっと市内へ到着。パレ−ドは七時からだというのに、すでに沿道には大勢の人々が場所取りを始めている。
 

クリスマス・パレ−ド
人垣を縫いながらホテルへ戻り窓から眺めると、そこはパレ−ドが通るコ−スになっていて人垣が見える。思いがけないことに、ここはパレ−ド見物の特等席なのだ。すぐに夕食へ飛び出し、パレ−ドに間に合うように戻ると、窓際にイスを置いて見物の準備に入る。外はすっかり暗くなり、赤、黄、青の電球で飾られたイルミネ−ションがストリ−トに映えて、クリスマスム−ドを一段とかきたてる。だが、なかなかパレ−ドは始まらない。しびれを切らして、シャワ−を浴びることにする。                                                  

やっと行列の先端が見えて、賑やかなパレ−ドが始まる。それぞれのグル−プが思い思いのコスチュ−ムに身を飾り、音楽に合わせて踊りながら観衆に愛嬌を振りまく。その合間を、ディズニ−ランドのエレクトリカル・パレ−ドよろしく、デコレ−トされた様々な見せ物が次々に登場して居並ぶ群集をわかせている。特に最前列に陣取っている子供達は大喜びで、パレ−ドの道化師たちがそのサ−ビスに余念がない。
                     





クリスマス・パレード@















クリスマス・パレードA










この賑やかなパレ−ドは一時間ぐらいで終わり、群集が引き揚げた後にはカミ屑が舞ってストリ−トは夜の静けさを取り戻す。ただイルミネ−ションだけが、人気のなくなったストリ−トを寂しく照らしている。
 

市内観光
三日目。今日は日曜日で、ストリ−トの車や人通りも少なくひっそりとしている。だが、今日もギラギラの陽光は、強い日差しをストリ−トに投げかけている。今日の予定は市内観光である。この街では、シティ・クリッパ−という無料の市内循環バスが運行されているというので、すぐ近くにあるバスタ−ミナルへ出掛ける。すると、そこはガラ−ンとして人の気配は何一つなく、売店も閉まっていてバスが動いている気配もない。どうしたのかと思って、ふと案内所の時間表を見ると、土・日曜日は運休と書いてある。舌打ちしながら、それでは別の手段をと、千円足らずで一日乗り放題の巡回観光バスに乗ることにする。
                     

これはワシントンやシドニ−のそれと同じように、定められた観光ル−トを巡回するバスに自由に乗り降りしながら観光できるものである。パ−スでは、今から百年前に運行されていた第一号の電車を模してつくられたという木造製の電車型バスが運行されており、一時間半で一周する。最寄りの停留所から乗ると、スワン川フェリ−の発着所のあるバラック・ストリ−ト、繁華街に近いヘイ・ストリ−ト、パ−ス一の高級ホテルでカジノがあるバ−ズウッドホテル、スワン川のほとりに広がるキングス・パ−クと市内の要所を巡りながらストップして行く。カジノはラスベガスやモナコの一流どころを体験しているので、キングス・パ−クで降りて昼食休憩とする。
 

この公園はスワン川のほとりに広がる千エ−カ−にもわたる広い森林をそのまま公園にしたもので、ユ−カリの大樹が生い茂り広い芝生を抱えている。だが、ここの芝生も元気がない。ここに立っただけでは見通しがきないので、どのくらいの広さなのか全体像がつかめない。あちらに市街地が一望できる見晴らし台があるので行ってみる。ここからの展望は確かに素晴らしい。目の前には、海と見間違えそうな青い水をたたえた幅の広いスワン川が大きく蛇行しながら流れており、その向こうに林立する高層ビル群が遠望できる。このシ−ンはパ−スの街の一番美しい眺めで、絵葉書と同じ構図で眺望できる。パ−スの美しさは、一つにはこのスワン川の流れが一役かっているのに違いない。この光景を五コマの写真につないで収めておこう。 



 キングスパークよりパース市街を望む


公園の一角に軽食を売っている店があるので、そこでホットドッグとミルクを買う。売場の少年に「その中身は何が入っているの?」と尋ねると、「ソ−セ−ジにトマト、野菜です。」という。そのやり取りを横から見ていた美少女の売り子が、にこにこしながら興味ありげに私の顔を見て近寄ってくる。そして、何か話したさそうな様子である。


そこで、彼女に顔を向けると「どこから来たのですか?」と尋ねてくる。「どこからだと思う?」と問い直すと、「?」と首をかしげてしばらく考えながら、「わかりません。」という。そこで、「ジャパン!」と答えると、「えっ、やっぱりそうなんですか!」と今度は流暢な日本語で応答してくる。その見事なイントネ−ションや発音に感心させられ、「日本語がとても上手ですね。どこで勉強したの?」と英語で聞くと、「ほんの少しだけです。学校で二年間勉強しています。日本人の先生が教えています。」とにこにこしながら日本語で答える。彼女はとても明るくて愛想のいい少女である。
 

思わず話し込んで、いろいろ尋ねてみる。「あなたは幾つなの?」「十五歳。名前はミランダというの。」「ここはアルバイトなの?」「えゝ、毎週土・日の休みに働いているの。」「稼いだお金はどうするの?」「お金を貯めてCDを買うの。」「日本に興味ある?」「えゝ、もちろんですとも! ぜひ行ってみたいです。」「ホ−ムステイを引き受けるから、日本に留学してみない?」「えっ、本当ですか! あなたはとても親切な方ですね。でも、お金がかかるから親がダメといいます。」こんな会話が片言の日本語と英語をチャンポンにしながら続く。 


この店ではボスの他に二人の少女と少年一人が働いている。欧米では中学時代からアルバイトするのは常識になっていて、お金を稼ぐことの厳しさを教え込む習慣になっている。あまり時間を取ると仕事の邪魔になるので、二人で記念写真を撮って別れを告げる。再び市街地の見える見晴らし台に戻り、ベンチに座ってホットドッグをほおばる。すると突然、頭上でバタバタと羽音がして雀に似た小鳥が一羽飛来し、私の肩や腕にとまって餌をねだっている。パン屑をつまんで与えると、喜んでついばみながらどこかへ飛び去ってしまう。なんと人なつこい、そしてあっさりした鳥だろう。あっという間の出来事で戯れる暇もない。思わぬ可愛い闖入者に中断された昼食も再び落ち着きを取り戻し、目の前に広がるパ−スの市街を眺めながらのどかなランチタイムを過ごす。
 

公園内に植物園があるので行ってみようと歩き始めるが、途中で尋ねるとかなりの距離がありそうなのであきらめる。市内観光もそれほどめぼしいポイントは他にないので、中心部へ戻ることにする。実は、得意のレンタサイクルでサイクリングしながら市内観光をと思っていたのだが、この地ではヘルメット着用となっているので断念することにした。ここはヨ−ロッパや日本のようにはいかないのだ。ヘルメット付きで自転車を貸してくれるのだが、重そうでカッコが悪く、その上暑そうなのだ。
 

二時のバスに乗って繁華街に戻り、そこに近いヘイ・ストリ−トで下車する。今日は二本の通りにまたがっているショッピングモ−ル街をゆっくり散策してみよう。一つはヘイ・ストリ−トで二〇〇メ−トルほどのモ−ル(歩行者専用商店街)を持ち、終日歩行者天国になっている。もうひとつは、これと平行して走る北隣のマレ−・ストリ−トで、同じくモ−ルと歩行者天国になっている。この二つの通りを含む一帯がパ−スの中心街で名物となっている。それぞれにしゃれた店舗が並ぶスマ−トな商店街は、数ヶ所で細い横断ア−ケ−ドで結ばれ、二つのストリ−ト間の行き来が便利になっている。今日は日曜なので閉まっている店も結構あるのだが、通りは若者達で賑わいを見せ、その中で大道芸人たちのパフォ−マンスが人だかりを集めている。
 

ア−ケ−ドを渡り歩きながら、二つのモ−ル街をゆっくりウィンド−ショッピングして回る。実際に買物をして回るのなら楽しいに違いないのだが、こちらはその予定がないので様にならない。しゃれたビルが目についたので中に入り地階へ下りると、そこは“インタ−ナショナル・フ−ドセンタ−”と書かれた国際食堂になっている。例によって中華をはじめインド、韓国、日本などのエスニック料理店が並んでいる。日本店ではウドンやスシなどをやっている。よし、今夕の食事はここに決まりだ。そう思いながら一旦ホテルに引き上げ、備えのティを飲みながら小休止する。
 

夕方六時ごろになって再びモ−ル街へ出向くと、昼間の賑やかさはどこへ行ってしまったのか、ストリ−トはガラ−ンとして人はまばらである。お目当てのビルの地下食堂へ行ってみると、ほとんどの店舗が店仕舞いしている。閉店間際の中華店で、残り物の骨付きチキンと焼き飯にやっとありつき、ひっそりとした共用テ−ブルでビ−ルを飲みながら夕食を始める。日曜日の繁華街は店仕舞いも早く、それにつれて人出も潮の引くように退散してしまう。この点は日本と違うところだ。この地の慣習にしたがって、こちらも早く帰るとしよう。
 

明日は早朝出発なので、今日の内にホテル代の精算をしておこう。フロントは今日も閉まっているので、一ブロック先の代理ホテルまで出向かなければならない。そのホテルは少し高級で規模も大きい。そこで支払いを済ませ、明朝六時半にエアポ−トバスを予約する。空港への移動はほんとに便利でこの上ない。部屋に戻ると、ティを入れながらオ−ストラリア最後の夜を思い出に耽りながら静かに過ごす。



(次ページは「シンガポール編」です。)





     





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