NO.7
6.キュランダ村観光
滞在最後の日。起床は7時。天は最後の贈り物に“快晴”をプレゼントしてくれる。なんとうれしきかな! 今日はキュランダ村へ1日観光に出かける日だが、9時半にピックアップバスが迎えに来るというので、それまでに朝食を済ませておこう。買い置きのパン・牛乳・果物にコ−ヒ−を添えれば準備完了だ。
ロビ−で待っていると、時間どおりに出迎えのバスがやってくる。今日のガイドさんは日本語が上手で陽気な若いオ−ジ・ガ−ルである。幾つかのホテルで日本人客をピックアップすると、郊外にあるキュランダ鉄道・フレッシュウォ−タ−駅に向かう。街中に最寄りのケアンズ駅があるのだが、なぜか郊外のこの駅から乗るらしい。
ガイドの説明によると、今日のキュランダ村行きは往路は鉄道を、帰路は世界で最も長い(現在は第2位?)とされるスカイレ−ル(ロ−プウェイ)を利用すると言う。話によると、その日のキュランダ村行き観光客の総数をまとめ、それをバランスよく配分して往路が鉄道で帰路がスカイレ−ル、または往路がスカイレ−ルで帰路が鉄道を利用する両グル−プに分けるのだという。われわれのグル−プは、たまたま前者に当たったのだそうだ。また彼女の話によると、今は暑いから午前の往きが鉄道利用になるのがベタ−だという。電車と違うから天然ク−ラ−だけなのだ。だから、午後の車内は暑くて大変だという。
“キュランダ”の呼び名
ここで、「キュランダ」の呼び方について記しておこう。原語は「KURANDA」であるが、この呼び方がまちまちなのである。よく“クランダ”とか“キュランダ”、あるいは“カランダ”などと呼ばれている。このうち、いずれの呼び名が正しいかと言うと、正解はなしだそうだ。ということは、どの呼び名でも間違いではないと言うことらしい。この旅行記では“キュランダ”に統一しておきたい。その理由は簡単、最初に目にしたのがこの呼び名だったからでる。これがいちばんポピュラ−のようだ。
フレッシュウォ−タ−駅
間もなくしてバスはフレッシュウォ−タ−駅に到着。のどかな郊外の風景の中に西部劇もどきの雰囲気がただよう駅舎がぽつんと建っている。降りて駅舎内に入ると、しゃれたカフェがホ−ムに沿って作られており、すでに多数の乗客が待っている。珍しく欧米人ばかりで、日本人の姿は少ない。この列車はすべて座席指定になっているようだ。
フレッシュウォ−タ−駅のしゃれたカフェ
ホ−ムに出てみると、真っ直ぐに伸びた単線の線路が朝の陽光を受けてのどかに輝いている。その傍らには鮮やかな色を見せるブ−ゲンビリアの赤い花が咲き開き、列車待ちの乗客たちの目を楽しませている。14号車の乗車券をもらってホ−ムで待っていると、やがて2台のヂ−ゼル機関車に引かれた14両編成の列車が15分遅れで到着。指定された車両はいちばんどん尻の14号車で、ホ−ムの端まで歩かされる。ラッキ−なことに、窓際の席になっている。
駅のホーム
咲き誇るブーゲンビリアの花が美しい
2台の機関車に引かれて列車が到着
14両連結の長い列車
左の建物が駅舎
座席は片側それぞれ4人掛けの計8人が向かい合わせに座るシ−トで、その横側が通路になっている。片側には同じグル−プの日本人ばかり4人が座り、向かい側にはシドニ−からやって来たという家族5人(老夫婦・その息子夫婦とベイビ−ちゃん)が座っている。若い母親に抱かれたその男児のベイビ−ちゃんは、人見知りもせず、にににこしてとても愛嬌がいい。両親は可愛くてたまらない感じで、目の中に入れても痛くないといった様子である。
キュランダ鉄道の歴史
そんな微笑ましい親子の様子を眺めているうちに、列車はガタンゴトンと動き出す。1891年からそのまま使用していると言う年季の入った車両だけに、車内の設備はいまいちのようだ。ガイドの説明によると、トイレは停車中の使用は禁止とのこと。日本でも昔はそうだったが、線路に直接放流する古式豊かな?トイレらしい。そんな昔の面影を残すクラシカルな車両が走るこのキュランダ鉄道だが、いったいどんな歴史を刻んで来たのだろう?
記録によれば次のような鉄道建設の苦難の歴史が残されている。
そもそもこのケアンズとキュランダ間を結ぶ鉄道が建設されたきっかけは、1882年、ハ−バ−トン近くにあるワイルド・リバ−のスズ鉱山の鉱夫たちの怒りを伴う鉄道建設の要望だったという。当時の長雨で鉱夫たちは物資の供給が受けられず、餓死寸前の状態にまで追い込まれたという。それが鉄道建設の強い要望となり、時の労働・鉱業省大臣は同年すぐにアサ−トン高原から沿岸までのル−ト調査を専門家に命じた。その間、ケアンズとポ−ト・ダグラスなどによる鉄道誘致運動が起こっている。
1884年、あげらた候補地を調査の結果、バロン・バレ−山峡ル−トが選ばれることになる。これによりケアンズの住民は歓喜し、ポ−ト・ダグラスなどの住民からは憤りの声があがる。こうしてケアンズ〜キュランダ間の鉄道建設事業は大望と不屈の精神、それに当時の最高の土木工学とそれに従事する労働者たちの苦難の作業の上に遂行された。
この区間の登りはレッドリンチの近くから始まって、標高327mのマイオラ頂上まで続き、区間全体には15のトンネル、93ヶ所の曲折部、それに峡谷や滝の上に架けられた建設困難な橋が多数ある。これらの難工事をブルド−ザ−など近代的工具は何一つなしに、ただ慎重な計画、不屈の精神、手作業用工具、ダイナマイト、バケツ、そして素手でジャングルと闘いながら遂行した。
何キロメートルも覆い茂った雨林をツルハシやシャベルだけで伐採した。(パンフレットより転載)
こうして1891年6月、実に10年の歳月をかけたケアンズ〜キュランダ間の鉄道が運行開始されたのである。このように、もとはと言えば、キュランダの金・スズ鉱山で働く鉱夫たちのために計画された鉄道だったのが、これが完成する頃には金もスズも出なくなり、初期の目的は達せられないままに終わることになる。現在は、こうして観光用列車として利用され、当時の面影を残す車両がそのまま使われている。キュランダ列車を利用する際にには、こうした苦難の歴史を知りながら乗車すると、車窓からの眺めもひとしお感じ入るものがあろう。
沿線の風景
列車は収穫の真っ最中のサトウキビ畑を横目に見ながら、時速20kmぐらいのゆっくりした速度でかたことと進んで行く。やがて勾配にさしかかり、熱帯雨林の中をかき分けるようにして上って行く。カ−ブを曲がったり、トンネルをくぐったり、峡谷を眺めたり、また熱帯雨林の合間から遠くに海岸線を見たり、あるいは草原を眺めたりしながら山間部を上って行く。
ケアンズ郊外の住宅街
ずっと向こうの海上にはグリーン島が見えるはずなのだが・・・。
こんな草原も見える
やがて、座席の横に立っているガイド嬢が、“間もなく素敵な風景が見られますよ。カメラを用意したがいいですね。”と教えてくれる。いったい、どんな景色が……?
間もなく、大きくU字型に湾曲したカ−ブにさしかかる。列車は右にカ−ブしながらゆっくりと上って行く。シャッタ−チャンスを与えようとの配慮からだろうか。好都合なことに、座席は進行方向に向かって右側になっている。それも最後尾の14両目ときているから、前方の車両が走る光景が丸見えである。先ほどのガイド嬢の話は、この曲がりながら走る列車の風景のことを指していたのだ。なるほど、ワインカラ−と淡いブル−のツ−ト−ンカラ−の列車が機関車に引かれながら、きれいなカ−ブを描いて山間を走る様子は、格好の絵になる風景である。これも列車が長いから見れることなのだ。チャンスを逃さずシャッタ−を押す。隣席の人のカメラにもこの列車風景を収めてやる。この風景は、TV番組「世界の車窓から」でも紹介された馴染みのシ−ンらしい。
美しい曲線を描きながら渓谷の上を走る列車
さらに列車が進んで行くと、今度は左側に滝が見えますよと案内してくれる。そこで席を立ってカメラを構えていると、岩肌の崖を流れ落ちる幾筋もの細い滝が現れる。これがバロン滝だ。今は細々と流れているが、水量が多い時季には豪快な滝しぶきが見られるのかもしれない。素早く写真に撮ったのがこれである。
バロン滝
ちょっと水量が少ないのが惜しい
ここで窓側の席と通路側の席とを交代する。コ−スの半分ずつを仲良く交代して窓外の景色を楽しませようというガイドの心づかいである。
バロン・フォールズの景観
ここからしばらく走ると、列車はバロン・フォ−ルズ駅に到着する。ここで15分の停車である。この駅のホ−ム前には熱帯雨林の中にぽっかりと岩肌むき出しの峡谷が広がっており、そこに斜面を流れる幾筋かの滝が現れる。このコ−ス随一の素晴らしい景観である。ホ−ムのすぐ横手には鉄骨造りの展望台があり、そこから見下ろす峡谷の風景は絶景である。水量が豊富ならば、もっと迫力のある滝が見られて、この峡谷をいっそう引き立てることだろう。
バロンフォールズ駅
右側下が峡谷 |
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