≪背景写真はウユニ塩湖のサンセット風景≫





     N0.6
(ブラジル&ボリビア)





9.スクレ観光
南米の旅7日目。うかつにも起床時間を1時間も早く間違って4時に起きてしまう。というのは、ブラジルのサンルイスとボリビアは時差1時間遅れとなっているのだが、それをうかつにも目覚まし時計の調整を失念していたのだ。そのことが分かると、ベッドの中でぐずぐずして時間を過ごし、ゆっくりと起床。


今日の予定は憲法上の首都スクレへ移動する。これよりスクレ〜ラパス〜ウユニと高地(標高2000m〜4000m)の各都市を訪れることになるが、いずれも高山病発症の高地帯となる。さて、どうなることかと少々気にかかる。


スクレへ
今朝は出発が早い。ホテルを7時半出発ということで、朝食は6時となる。食後の一息を入れると、空港へ向けて出発である。ボリビア国内の移動なので小型機による短距離飛行である。ただ、小型機だけに、荷物制限が厳しく、機内持ち込み荷物は3kg以内となっている。私の荷物は総重量6kgだが、念のため貴重品類のみを手荷物として、他は預け荷物とする。


サンタ・クルス空港

搭乗機はアマゾナス航空の小型機だが、なんと天候不良のため出発時間が2時間近くも遅延する。ようやく飛び立った機は、約30分の飛行で11時45分にスクレ空港へ到着。あっという間の到着で、こんなに楽な飛行はない。


スクレ空港着陸寸前


(動画)スクレ空港



スクレ空港ロビー


スクレ空港屋舎


世界遺産スクレのこと
「スクレ市」は、ラ・パス市から約400km、ポトシから約165kmの、標高約2790mに在る人口12万の高原都市。スクレ市はチュキサカ県の中心都市でボリビア共和国の憲法上の首都 (事実上の首都はラ・パス) である。しかし、現在スクレ市には最高裁判所があるだけで、その他の国家機関は、ほぼラ・パス市に集まっている。


1825年8月6日にボリビア独立の調印がこの町で行なわれた後、1839年にはボリビア独立の指導者にして、ボリビア初代大統領に就任した “アントニオ・ホセ・デ・スクレ”にちなんで、この町は「スクレ」と改名された。


また、南米の多くの国を巻き込んだ独立戦争によって、この地域がスペインから独立すると、南米5ヶ国の 独立運動の英雄である“シモン・ボリーバル”の名前にちなんで、国名を「ボリビア」とした。


南で巨大銀山 「セロ・リコ銀山」 が発見され、大量の銀が産出されるようになったが、その銀をヨーロッパに 送るための中継地として造られたのがスクレの町で、かつて膨大な量の銀の集積地として栄えた。それだけに、小さいながらも過去の栄華を感じさせる優雅な建物が多く立ち並んでいる。これだけ整った美しい町並みが今も保存されている地区は南米全体でもそれほど多くなく、古都スクレは1991年にユネスコの世界文化遺産へ登録された。


ホテル&市内観光
空港で現地ガイドの出迎えを受け、専用バスにてホテルへ。


(動画)スクレ空港より市内へ移動中

まずはチェックインして荷ほどきをし、小休止。このホテルのロケーションは、街中の地便のよい場所にあり、こぢんまりとはしているが、なかなか趣のあるよい感じ。3階建なのにエレベーターがないから、階上へは階段を利用する。私の部屋は3階なので、中庭を眺めながら上り、下りすることに。



ホテル入口


ホテル中庭


(動画)ホテル屋上より市街を望む

小休止が終わると徒歩で市内観光へ。白壁が印象的な建物が並ぶ世界遺産の街並みをぶらぶら歩きながら、レストランへ。


白壁の町並み


同 上


原住民インディオの人たち


昼 食
午後1時過ぎ、レストラン「La Pasada」にて昼食。料理は野菜スープ、(牛肉のカレー風煮込み、鶏肉のオレンジソース煮、トマトソースのパスタから好みの料理を選択)、パッションフルーツのムースなど。私は牛肉の煮込みを選ぶ。スープはなかなか美味しく、満足のいく昼食に感謝である。


牛肉の煮込み


市内観光
昼食が終わると、再び市内観光が始まる。レストランから徒歩で移動しながら、スクレのシンボル「5月25日広場」へ向かう。広場に面してカテドラル(大聖堂)の時計塔がそびえている。


5月25日広場と英雄像



広場に面した県庁


広場のちかくを2階建てバスが走る

広場はさほど広くはないが、ボリビア解放の英雄像などが並んで市民の憩いの場となっている。広場の周囲にはカテドラルや自由の家、県庁などの公的機関が並んでいる。


自由の家はスペインから独立宣言文の調印が行われた歴史的な場所。1階は博物館になっており、ボリビア歴代64人の肖像画が並んでいる。奥にはボリビアの独立運動で活躍した英雄シモン・ボリーバルの像が置かれている。


自由の家の中庭

次はカテドラル(大聖堂)に入る。広場に面して高い時計塔がそびえるカテドラルには幾つものカンパネラ(鐘)があり、定時になると荘厳な鐘の音を街中に響きわたらせるそうだが、本日はタイミングが合わず、その音が聞けず残念である。


カテドラルの時計塔

カテドラルは日曜の朝しか開いていないそうだが、今日はウィークデーにもかかわらず、特別に入場を認めてもらう。だが、内部の写真撮影は不可で、残念ながらこのサイトで紹介できない。ただ、往時の繁栄をしのばせる金銀で飾られた祭壇が印象的である。


カテドラルの見学が終わると、バスで移動してポトシ通りにあるサンタ・テレサ修道院へ。この修道院は17世紀(1665年)に建てられた修道院の代表建築で、正面の白亜の塔には3つの鐘を備えている。青空の下に輝く白亜の塔が神々しさを増している。


サンタ・テレサ修道院



動物のぬいぐるみを着た交通整理官

次は街の南東の高台にあるラ・レコレータ修道院へ向かう。1549年にフランシスコ修道会によって建てられた修道院で、美しいパティオ(中庭)を持っている。現在は博物館として内部が公開されており、16世紀から19世紀にかけての銀細工や、絵画、彫刻などが展示されている。


ラ・レコレータ修道院


中 庭

聖堂後方の2階の合唱隊席には、壁面に長崎で殉教した日本人キリシタンの像が彫られている。これは26聖人を記念して300年前に作られたものだそうだが、長崎で殉教した26聖人の話が、どういう経路でここへ伝わったのか、そのナゾは不明のままだ。長崎市内在住の私だけに、26聖人の像は目に痛いほど刻まれている。


聖 堂

裏手の庭に回ると、樹齢3000年の大木や実がたわわに成ったオレンジの木が植えられている。ひとしきり見物して門を出る。


裏庭のオレンジ


(動画)修道院裏手からの眺望

修道院前の広場の向こう側にはスクレ市街を一望する展望台がある。そこへ移動して市街の眺望を楽しむ。しかし、左右のサイドが森に遮られてワイドな眺望が望めないのが残念である。


展望台よりスクレ市街を望む


(動画)展望台よりスクレ市街を望む


ホテル&夕食
展望台を最後にスクレの観光は終わり、今宵の宿泊ホテルへ移動する。帰着は午後6時ごろである。そして7時から食堂ホールで夕食が始まる。ところが、ベッドに横になって休息しているうちに、珍しくついうとうととしてしまい、夕食に呼び出される始末。こんなことは初めてのことである。少々、疲れたのだろうか?


夕食メニューは野菜のクリームスープ、ラザニア(パスタの入ったグラタン)、飲み物は高山病に効果のあるコカ茶など。そうだ、このスクレの街は標高2750mで高山病が発症する高度なのだ。だが、今のところ発症はなく、食欲も旺盛である。


このホテルは規模は小さいがインターネットブースがちゃんと備えてあり、自由に使用することができる。もちろん、サンタ・クルスのデラックスホテルにもフリーのインターネットブースがあったが、話によると、ボリビアではインターネットなど、IT関係には国策的に力を入れているとか。その点、ブラジルとは大違いである。早速、家族へメールを送る。


今日の天候は曇り後晴れで、傘要らずの一日。高地ながら快適な天候である。床に入ったのは9時である。


(次ページは「道路封鎖&ラパスへ」編です)












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