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   no.16
(ブラジル・アルゼンチン・ペルー)



(ペルー編)



13.チチカカ湖・・・・浮き島・島の小学校・トトラの葦船
 
13日目。今朝は6時に起床。一夜の睡眠で、高山病の症状もすっかり取れて気分爽快。だが今日の日程は忙しく、午前中はチチカカ湖に浮かぶウロス島の観光、それが終わるといよいよ帰国の途につくことになる。今度の旅は15日間という半月にも及ぶ日程だが、往復の移動に3日間も取られるので正味の観光日数は12日間しかない。これでも、あっという間に過ぎ去ってしまう感じである。
 

窓から朝明けの湖上を眺めると、早くも小船が漁に出始めている。みんな船外機付きのようだ。こちらも早めの朝食を済ませると、いよいよ湖上の遊覧である。見上げる空には、今日も素敵な青空が広がっている。好天続きが、何よりありがたい。8時半、ホテル下の岸辺からチャ−タ−されたボ−トに乗って出航する。船には体格のいいインディオのおじさんがただ一人乗っていて、操船から接岸まで、すべてを自分で切り回している。ボ−トは快音を響かせながら沖に向かって走り出す。
 

湖面のあちこちでは、早朝から小船で漁をしている風景が眺められる。






漁の風景










この湖では、マスをはじめ多種類の小魚が獲れるらしい。こののどかな風景に旅で疲れた心をいやしながら、さざなみひとつ立たない静かな湖面を進んで行く。40分ほど走ると、浮き島が見えてくる。ここがウロス島で、大小の島々が40ほど点在しているという。






こんな小さな浮島にも人が住んでいる。









これらは普通の島ではなく、この湖に群生するトトラと呼ばれるアシの茎を積み重ねて造った特殊なもので、それが水面に浮上する「浮き島」なのである。このトトラを3mほど積み上げると島の完成である。底が腐れてくれば、また新しいトトラを上に積み重ねればOKなのだ。こんなに簡単な土地?づくりはないだろう。われわれは、そのいちばん大きな島に接岸して上陸する。
 

浮き島に飛び降りた瞬間、ふわっとした柔らかい感触が足下から伝わってくる。地面の固い感触とは大違いで、クッションがきいてなかなか気持ちいい。島の中央部に歩んで行くと、ところどころに水がにじんで落とし穴みたいに穴が開いて崩れかかっている場所がある。そこに足を取られないように注意しながら、ぶかぶかした足の感触を楽しみつつ歩き進む。ここにはもちろんインディオの人たちが住んでいるのだが、彼らは住居の家から唯一の交通手段である船にいたるまでトトラで作ってしまうのだ。その出来栄えは見事なもので、船にいたっては大人が10人ぐらい乗っても平気なほど丈夫に作られている。
 

上陸した島はこの浮き島群の本島らしく、かなり広い面積をもっており、家も何軒も建っている。その中にひときわ目立つトタン板製の大型建物がある。これがここ浮き島群の中で唯一の小学校なのだが、ここにまで学校があるとは想像だにできない。






小学校の屋舎
左の小屋はトイレ









だが、もっと驚くものがる。設備はとてもちゃちなものだが、なんと公衆電話があり、郵便局まで開設してあるのだ。これで通信の用が足せるのだから、機能的には大型施設となんら変わるところはない。炊事などは、家の外で素焼きのかまどと鍋を使って調理している。






このボックスが公衆電話















赤いボックスが郵便ポスト















素焼きのかまど










 ウロス島の本島。民芸品を並べ、観光客で賑わう。足下はフワフワと柔らかく、気持ちいい。




ひとわたり見回したところで、ここの小学校訪問である。これは当初から予定されていたことである。小さな学舎には十数名の年齢差まちまちの子供たちが並んでいて、中年男性の教師の下でなにやら授業を受けている。そこにお邪魔して中断し、子供たちと交歓会が始まる。子供用の椅子があるだけで各自の机などはなく、ただ共用の大きなテ−ブルが中央に置かれているのみである。れわわれの訪問のために、わざわざ使用中の椅子をあけて提供してくれるというサ−ビスぶりに恐縮する。そこで、予め各自用意してきたプレゼント(文房具類を中心としたもの)を出し合って教師に渡すことになる。個々の生徒に直接渡すと取り合いになるというので、教師に代表して渡すことになる。
 





小学校の内部
幼児から上級生まで、さまざま。









すると今度は、子供たちの歓迎合唱が始まる。最初の曲はなんと「チュ−リップが咲いた」で、それを上手な日本語で歌うのである。時には間違った歌詞もあって笑わせるのだが、それでも熱心に歌う子供たちの姿に心うたれるものがある。そのほか地元の歌など2、3曲を唄って聞かせてくれる。
 

歌が終わると、子供たちは一斉にわれわれのところに駆け寄ってくる。それぞれに自分で描いた絵を数枚ずつ手に持っている。私のところにやって来た子は3枚の絵を持っており、それを手渡してくれる。その絵はB5サイズの画用紙にクレヨンで描かれたもので、葦船に人が乗っている絵などを色鮮やかに描いている。この子の絵は配色もうまく、なかなかうまく描けている。他と比較しても上手なほうだ。それを受け取ると、お小遣いとして$1を手渡してあげる。子供たちは、観光客相手にこうした小遣い稼ぎを楽しみにしているようだ。
 

交歓会を終わると、外に出て狭い島のお散歩だ。島の中では住民たちがさまざまな民芸品を並べて売っている。ここには毎日、かなりの観光客が来訪するようだ。彼らを相手にけっこうな商売のようで、こういう私も訪問記念にトトラで作ったミニ葦船を買うぐらいだから、日銭は確実に稼いでいるのだろう。4、5mの高さの見晴らし台があるので梯子を上ってみると、上にはちゃんと男が居て$1の料金を要求する。この地は、もっと素朴で秘境的なイメ−ジを抱いていたのだが、意外にも観光化し過ぎた感じで少々がっかりである。こんな奥地にも、観光化の波は例外なく押し寄せているのだ。
 

これから葦船に乗って湖上の遊覧をしようという。






見事に作られた葦船
10人乗っても大丈夫









料金の$2は自己負担である。トトラの上をふわふわと歩いて移動していると、片隅に水溜りがあり、そこで可愛い水鳥の雛が数羽遊んでいる。彼らのために、わざわざ穴を開けて水溜りが作ってあるのだ。飼育しているのだろうか?
 





水鳥のヒナが水溜りで遊んでいる。









葦船に7、8人ずつ分乗して湖上遊覧が始まる。われらが船頭さんは珍しくも女性のおばさんだが、なかなかの力持ちである。船は1本のかいで漕ぐのだが、この重い船を動かすとなると、かなりの力が必要だ。島の周囲を1周するのだが、音もなく漕がれる天然製の葦船に揺られながら湖面をすいすいと進むのは、なんとも心なごむのどかさである。






葦船による湖上遊覧
チチカカ湖にのどかな風景が
流れる。












湖面のあちこちには、トトラの葦が顔を出して群生している。その横を通りながら、船頭さんが1本のトトラの茎を折り採り、その皮をむいて白い中の芯を取り出して見せる。その茎は食用にもなるというので、みんなで試食してみる。さくさくとしているが、味は無味乾燥である。
 





この白い茎がトトラの芯










半時間ほど船遊びをした後、再びボ−トで島を離れ、ホテルへ戻る。出航を待っている間に、ふと船頭さんの手を見ると、とても分厚く大きな掌を持っている。指などは私の1.5倍はありそうな大きさなのだ。そこで、思わず腕相撲を申し入れてみると、快諾して応じてくれる。船縁で私との腕相撲が始まる。が、始まった途端、一瞬のうちになぎ倒されてしまう。側で見ていたみんなの顔が笑っている。昔は腕相撲自慢で鳴らしたこの腕なのだが、とてもとても歯が立つものではない。掌はもちろん、腕っ節も太くて、すごい力持ちなのだ。恐れ入ったところで出航である。
 





これがチャーター船のボート















ボートの船頭さん(左)と右はガイドさん









やがて、遠くの岸辺にわれらが白亜のホテルが見えてくる。こうしてみると、ほんとに湖畔の宿そのもので、眺望がきくのも当然だ。この地では、チチカカ湖の眺望にかけて、このホテルの右に出るものはないそうだ。






ホテルの遠景
この地では、最高のロケーション









到着すると、足場の悪い船着き場を上陸してホテルで一服。時計を見ると11時である。2時間半のチチカカ湖遊覧は、こうして幕を閉じる。
 

一服する間もなく、すぐに昼食が待っている。今日のお昼は、この湖で獲れたマス料理である。ムニエルにしたものだが、思ったよりも味が淡泊でパサついている。とまれ、これがチチカカ湖最後の食事になるのだ。


14.帰国の旅路
 
昼食を終えると、12時半にホテルを出発し、フリアカ空港へ向かう。昨日通ってきた道を逆戻りして1時間、バスはこぢんまりとしたフリアカ空港に到着。これから空路リマへ戻り、そこからロサンゼルス経由で帰国の途につくのである。
 

この空港は小さいがまだ新しく、建物もきれいである。ここは、空路でチチカカ湖観光に来る場合の空の玄関口になっている。空いた待ち合いロビ−の椅子にぼんやり座っていると、男性5人のフォルクロ−レ演奏のグル−プがやってきて、ペル−の民俗音楽を勝手に演奏し始める。これはいい時間つぶしになって退屈せずにすむ。数曲の演奏だが、やはり最後は締めになる名曲「コンドルは飛んで行く」で終了となる。
 





フオルクローレの演奏











なかなかの名演奏だったなあと、いい気分に浸っていると、そこは抜け目のない彼らのこと、袋を持って乗客の間を回り始める。なんのことはない、チップを要求しているのだ。各便ごとに、こんなことをして稼いでいるのだろう。そこで、$1のチップをはずむ。
 

午後3時に飛び立った機は、途中、給油のため海岸線にあるペル−第2の都市アレキパの空港へ立ち寄ることになる。ここも小さな空港だが、機内から飛行場に降り立つと、目の前に富士山そっくりの山が静かにそびえている。これがペル−富士と呼ばれる有名なマウント・ミスティである。富士山よりはずいぶん小型だが、ほんとによく似たものである。ところが残念なことに、カメラを機内に置いてきたため、その写真が撮れない。惜しいことをしたものだ。
 

予定では半時間ぐらいの待ち時間が、なかなか出発の気配がない。どうしたのかと不審に思っていると、ガソリンを運んでくる予定の飛行機が、ストのため到着が遅れているとのこと。またまた、あてどもなく待たされる羽目になるのかと、あきらめ顔で待っていると、隣の座席に2人連れの若い女性がやってくる。一人は現地人の風貌で、他の女性は欧米人の様子だが、2人はとても親しそうにドイツ語で話し込んでいる。いったい、どんな間柄なんだろうと興味がわき、「ドイツの方ですか?」と話しかけてみる。
 

すると、彼女らは英語も話せるバイリンガルで、一人はペル−人でリマが郷里、他の女性はドイツ人でノイシュバンシュタイン城のあるフュッセンの町の近くが郷里だという。今、2人はウィ−ンのカレッジの学生だそうで、寮生活が一緒の部屋だという。そこで、休みを利用して一緒にペル−旅行に出かけ、リマの彼女が案内しているところだという。これからリマの自宅に帰ってドイツの友人を紹介するのだという。
 

そのリマの彼女だが、なんと日本は横浜に滞在したことがあるという。そこには英語の勉強に来たというのだが、ちょっと国を間違えたのではないだろうか。私が日本人と分かると、しきりに懐かしがって話し込む。そこで、彼女の専攻を尋ねると、女性には珍しい経済学だというのである。私もそれが専門なので、ケインズ経済学でも勉強しているのかと尋ねると、古典経済もだが、今は数年前に起きたアジア経済危機について勉強しているところだという。興味深いテ−マで、関心をもって勉強しているという。一方、ドイツの彼女とは、私が旅したドイツの町々について、いろいろと話がはずむ。
 

かなりの時間、彼女たちとおしゃべりで時間を過ごしても、まだ出発の気配がない。とうとう、彼女らは失礼するといって席を立って行く。なんと、待合いの片隅に行った2人は、そこでタバコを吸っているのだ。若い世代は、何処も同じである。
 

そんなことを考えていると、ようやく出発の様子である。機は2時間遅れで飛び立ち、1時間の飛行で夕暮れ遅くリマへ到着。早速、出迎えのバスで懐かしのシェラトン・リマ・ホテルに戻り、そこで最後の夕食と出発までの休息を取ることになる。玄関には、体調を崩してホテルに居残った夫妻が出迎え、元気に回復した様子を見せる。
 

遅れて到着したので、そのまま食事に直行。最後の夕食は、このホテルの地下にある高級寿司屋「紀ろう」である。日本と同じ本格寿司屋の造りになっている店で、威勢のいい主人が腕によりをかけて日本食をご馳走してくれる。イカ・タコ・マグロのトロなどが並んだ寿司と、銀杏まで入った茶碗蒸し、それに吸い物と垂涎の料理である。本物の日本料理を前に、ビ−ルを注文せずにはいられない。
 

とても新鮮なイカやタコのネタが珍しく、主人に何処から仕入れるのか尋ねてみると、みんな地元からだという。よく、こんなに活きのよい魚が手に入るものだと感心していると、主人の話では、今は逆に、こうしたイカ・タコ・マグロなどは現地から日本へ輸出しているほどで、実はこちらが本場なのだという。久しぶりの本格和食に舌鼓を打ちながら、最後の晩餐は賑やかに進んで行く。
 

食事が終わると、各自の部屋へ入り、しばし休息の時間である。まずはシャワ−を浴びて最後の汗を流し、帰国への旅に備える。到着が遅延したので、休息といっても1時間足らずしか時間はない。とにかく、その間だけでも横になって体を休める。これから長い、長い空の旅が待っているのだ。
 

空港でのチェックインが混雑するからという理由で、早めにホテルを出発。これから、深夜1時55分発のロサンゼルス行き飛行便に乗るのだ。これまでのチェックインは、すべて添乗さんが団体窓口で一括手続きで済ませていたのだが、こことロサンゼルス空港では、各自でチェックインすることが義務づけられている。
 

そこで空港に着くと、行列に並んで各自でチェックインが始まる。係に、「通路側で出口に近い席」を申し出ると、調べた結果、「残念ですが、通路側はありません。」という返事。出発2時間以上も前に来ているのに、そんなに早くその席がなくなるのだろうかと不審に思い、「もう一度トライしてみてくださいよ。」と頼むと、「ちょっと待ってください。」と言い残して席を立ち背後の部屋へ調べに入って行く。部屋から戻った彼女に期待していると、「やはり、どうしてもありません。」という返事。これで、あきらめるしか仕方がない。
 

時間が来て搭乗してみると、多くの先客が座っている。アルゼンチンからリマ経由でロスまで行く飛行便なのだ。リマが始発ではないので、すでに好みの座席は埋まってしまっているのだ。取れない理由が分かった。でも、2人がけの窓側席なので助かる。隣席の先客を見ると、どうやら日本人らしい。そこで、日本語で尋ねてみると、「韓国出身のアメリカ人です。」と英語の返事が返ってくる。おやおや、日本人と見まごうほど、見分けのつかない中年紳士である。
 

これからの長い飛行時間のこと、ぼつぼつと四方山話に花を咲かせる。ボ−トのセ−ルスマンでアルゼンチンから出張の帰りであること、2人の子供と4人家族であること、などを話してくれる。そして、経済のことから、年金制度、資産の運用管理、インタ−ネットのことまで、幅広い話題について語り合う。年金は毎月一定額を積み立て、その他は投資信託で運用しているという。運用成績は、良い時もあれば、マイナスになる時もあるが、平均するとプラスにはなっているのでまあまあだという。インタ−ネットは、料金が高いので自宅では節約のため利用していないという。IT先進国でも、思うほど安くはないのだ。その後は、どちらからともなく話は途切れ、目を閉じて眠りの態勢に入る。
 

機は8時間半の飛行の後、無事朝のロサンゼルス空港に到着。どうしたことか、この空港でいったん入国審査を受けて入国し、そこで改めてチェックインすることになる。ただのトランジットなのに、どうしてこんな無駄なことをさせるのだろう。とにかく入国し、ここでトイレ、シェ−ビングなどを済ませて、さっぱりした気分になる。この空港でも、各自でチェックインとのことで、再び列に並び通路側の席を申し出る。
 

ところが、ここでもリマ空港同様、「ありません。」との返事。そこで、「1席なので、なんとかなりませんか?」と懇願すると、これも前と同様に、背後の部屋に行って調べている。期待せずに待っていると、戻ってきた彼女はにっこり笑いながら親指を上げ、OKのサインを送っている。「オブリガ−ド!(ありがとう)」を何度も繰り返しながら、彼女の努力に感謝する。
 

搭乗してみると、この機も先客がいっぱい占めている。隣席の青年に尋ねてみると、やはりサンパウロからのロス経由便だという。それで、希望の席が取りにくいわけだ。20代のその青年は、サンパウロ出身でプロのサ−ファ−だという。これから大分である大会に、仲間3人と参加するところだという。こうして、年中世界の各地を回って競技大会に参加しているのだという。話を聞くと、それもなかなか大変らしい。
 

10時20分に飛び立った機は、これから長い飛行に入る。大分に行くという青年の話を聞いた途端、一気に猛烈な帰心がわき上がってくる。15日間も日本を留守にした空白が、そうさせるのだろう。12時間後には名古屋到着だ。ゆっくりと、これまでの思い出をひもときながら空の旅を楽しもう。


《あ と が き》・・・・南米の旅の参考情報
 
今度の旅も、ほんとに天候に恵まれ、晴天続きの空を拝むことができた。天の神への感謝の念でいっぱいだ。この旅は、15日間で南米3ヶ国(ブラジル・アルゼンチン・ペル−)をめぐるハ−ドな旅であったが、健康的にも無難に過ごすことができた。
 

本来私は、独り旅の個人旅行を原則としているのだが、こうしてツア−を利用してみると、やはり現地での移動にロスタイムがなく、とても効率よく観光ができる利点がある。この点はかなり大きなメリットである。それぞれに、一長一短はあるのだが……。
 

ここで、南米旅行に関する参考情報として、次の点をあげておこう。
1)飛行時間
 
南米への直航便は、日本航空とヴァリグ・ブラジル航空の2社がある。直行とはいっても、給油のためロサンゼルスで一時ストップし、いったん機外へ降りることになる。飛行時間は、日本〜ロス間が10時間〜12時間(往路と復路で時間が異なる)、ロス〜サンパウロ間が12.5時間、サンパウロ〜リオ・デ・ジャネイロ間が50分と、24時間はたっぷりとかかる。これに途中着陸時の待ち合い時間を入れると、リオ到着までの飛行時間は26時間もかかる。 


それだけに、老弱にかかわらず、かなりの体力消耗で疲労の程度は重くなる。特に最近問題になっている長時間飛行による飛行疾患「エコノミ−座席症候群」には、十分注意する必要がある。飛行中は、できるだけ水分補給に努めるとともに、しばしば座席を立って体をほぐし、血めぐりをよくする運動が必要である。特に高齢者は、突発的な血栓や脳梗塞の発生を予防する注意が必要である。


2)気温と服装
 
時期によってそれぞれ違うのだが、私が訪問した9月は3ヶ国とも30度前後の気温であった。ブラジルなどは湿度が高いので蒸し暑さを感じる。アルゼンチン、ペル−などは快適温度で問題なく、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖の高山では、昼間は暑いほどなのでシャツ1枚で過ごせる。だが、夜間は冷え込むのでジャケットなどを用意する程度でOKである。要するに、3000m〜4000mの高山であっても、昼間はシャツのみ、夜は上着を着用する程度で十分である。私の場合は、冬の上着と毛のセ−タ−をを持参したが、上着だけで十分だった。


3)飲料水など
 
ミネラルウォ−タ−は、どの国でもホテルや町中で安全なものが入手できるので心配ない。食事の時に飲み残したウォ−タ−などは、それを持参のボトルに移して使えば、外出先で買う必要もない。ホテルの場合、冷やしたもので小ボトル1本が$2〜$3。もちろん、生水を飲むことは厳禁。
 

ビ−ルはホテルや場所の違いによって値段が異なるが、小ボトル1本の値段は、およそ$3〜$5の範囲に収まる。


4)通 貨
 
トラベラ−ズチェックは、大きなホテルや銀行でないと通用しないので不便である。やはり、米ドルの現金が最良。それも、$1〜$5の小額紙幣を多数用意するのが望ましい。どの国も米ドルがそのまま通用するので、現地通貨に両替するのは不要である。無用なコミッションを取られるだけである。普通の買い物などでは、小額の金額で済むので、$20や$50紙幣を出して現地通貨でお釣りをもらってもしようがない。食事の時の飲み物も、前述のように小額だし、各種のチップもみんな$1単位なのである。だから、$1紙幣が便利。
 
私の場合は、$1紙幣を50枚と$10、$20紙幣を持参したが、後の2種類の紙幣は1枚使ったぐらいで用無しだった。分厚くなるが、もっと$1紙幣を増やすのがベタ−である。この他、特別支出に備えてクレジットカ−ドを持参すれば、それで十分である。      


5)高山病と下痢について
 
高山病に関係する観光場所は、クスコ・マチュピチュ・チチカカ湖などである。いずれも標高が3000m〜4000m超の高山地帯である。ツア−の一行の中の女性5人が高山病にかかり、ホテルで休息するなどして前記3ヶ所の観光や食事などが、まともにできない状態であった。酸素吸入装置はホテルにあるものの、それを何回も、そして長時間使用することは体に良くないらしく、最終的には自然の回復を待つ以外に方法はないらしい。これについては、「クスコ編」で詳しく述べているので、その項を参照されたい。
 

下痢についてであるが、南米で発症する下痢は半端じゃないといわれるほど激しいものらしい。一行の中のご婦人一人が下痢でダウン、1時間のうちに数回も下痢する激しいもので大変な様子であった。現地での生水はもちろん厳禁で、食事の量も腹八分目に抑え、暴飲暴食を慎むこと。そして、サラダなどの生野菜類は避けたほうが無難である。発病してからでは取り返しがつかない。高額の旅行費用を使って出かけた旅が台無しにならないためにも、慎重な対処が必要である。
 
                     (完)  (2001年1月16日脱稿)                                                 










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