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   no.15
(ブラジル・アルゼンチン・ペルー)



(ペルー編)



12.チチカカ湖への道・・・・ ラ・ラヤ峠・民家訪問・シユスタニ遺跡
 
12日目。今朝は5時半に起床。今日はチチカカ湖へ移動の日だ。早い朝食を済ませて7時過ぎ、バスはチチカカ湖へ向けて長い一日の旅に出る。空は穏やかに晴れて気持ちがいい。チチカカ湖からやってきた青年ガイドを乗せて、バスはクスコの町を抜け、森林のないなだらかな山並みを見ながら平原の中を突っ走る。
 

しばらく走って、とある村にさしかかると、ガイド君がパン屋の前でバスを止め、みやげに持ち帰るパンを買っている。ここのパンはおいしいことで有名だそうで、いつもこの村を通りかかる時には買って帰るのだという。それは“チュ−タ−”という名のパンなのだが、写真のようにかなり大きい丸型のパンなのだ。
 





こんなに大きなパンが・・・。チューターという名のパン。味はなかなかのもの。








この村では以前、大パン作りに挑戦し、直径5mの大パンを作ってギネスブックに登録されたそうだ。添乗さんが買ったのをみんなで少しずつ試食してみる。中には何も入っていない食パン風味だが、少し甘味があってなかなかおいしい。こんな郊外の小さな村で、こんなにもおいしいパンが作れるとは見上げたものである。
 

また、しばらく走ると、今度はインカゲ−トにさしかかる。この地点からクスコへ向けてインカ帝国の領域内となる。ゲ−トの高さは10mほどだが、インカの石積み技術によってきっちりと積み上げられ、それが谷間の平原を塞き止めるように長く横たわっている。インカ時代には、このゲ−トで通行人が検問されていたのだろう。
 





インカゲート
ここから手前がインカの領域。









ゲ−トを抜けてバスは再び走り出す。しばらくすると、今度は瓦製造で有名なミミバンバ村にさしかかる。外で粘土を固め、それを小さな小屋の窯で焼いている様子が見える。あちこちの工場小屋の煙突からは煙が立ち上っている。いずれも、素朴な建物である。クスコからこの辺りまでは瓦の屋根が多いのだが、先のプ−ノの方になると、トタンやメタル造りの屋根が多くなるという。
 

バスが進行するに従って、途中の道路工事が目立つようになる。クスコ〜プ−ノ間の道路は、まだほとんど舗装されておらず、ほこりっぽい地道が続いている。しばらく走ると、谷間にきれいな湖が見え、その山の斜面に両手を大きく広げたキリスト像が立っているのが見える。さらに進むと、今度は谷間を流れる川が見え始める。細めの川なのだが、これはアマゾン河の上流になる川だそうだ。これが1〜2月の雨季になると水位が増して観光客がラフティングを楽しむという。
 





コースの途中に、こんなきれいな湖が・・・。左手山の斜面には白いキリスト像が見える。












この川がアマゾン河の上流になる。









コ−スの進行中、時折ポリスコントロ−ルの検問所があり、その都度運転手が降りて何やら書類を提示し、許可印をもらっている様子である。こうして、クスコから2時間半ほど走ったところで、シュクタニのバスタ−ミナルでトイレ休憩となる。しょうしゃな建物で囲まれた門構えのモ−タ−プ−ルになっており、白い壁が陽光に映えて、まぶしく輝いている。
 





シュクタニのバスターミナル









小休止をとったあと、バスは再び走り出す。次のストップは2時間ぐらい後だという。しばらく走ると、点在する村の各家庭に番号が大きく書かれた小屋が付属しているのが目につく。なんだろうと思っていると、フジモリ政権下にトイレボックスが各家庭に配られたものだという。その小屋に番号を付してあるのだが、別に意味はないらしい。この地のトイレは、地面に穴を掘り、それが満杯になるとまた別の場所に穴を掘って移動するという。天然の自動処理で手間がかからない。
 

これからバスは次第に高度を高め、標高4200mの高原を走って行く。途中のカリエンテスの村ではリュウマチに効く温泉が湧いている。道路沿いにある露天風呂では、多数の老若男女が入浴しているのどかな風景が見られる。日本の温泉場と同じ風景で懐かしい。ここを過ぎると間もなく、標高4300mの高地にあるラ・ラヤ峠にさしかかり、ここでバスは一時ストップとなる。高地に慣れたためか、高山病の症状はみられない。
 

峠に降りたって澄み切った空気の中で深呼吸一番、空を見上げると流れる雲が手に届くように低くたなびいている。4300mの高さとは思えない感じで、周囲を見渡すと枯れ草の平原の端から裾野を引いた山並みが荒い岩肌を見せながら目の前に横たわっている。中には万年雪を冠雪した山も見られる。今日は天候が良いので、この高さでもけっこう暖かい。この場所では、通行客相手に数人の露店商が店を並べ、物を売っているのどかな風景が広がっている。 



 ラ・ラヤ峠(標高4300m)の景観。左端が道路、山頂には万年雪の冠雪が見える。




バスに戻ろうとすると、乗車口に一人のミカン売り少女が立って、それを買ってくれと懸命に頼んでいる。いくらかと尋ねると$1だという。こちらの喉も乾いているので、1袋買うことにする。ビニ−ル袋の中には、オレンジ1個とマンダリ−ナが4個入っている。バスに持ち込んで早速食べ始めると、それがなかなかおいしい。マンダリ−ナは、日本の温州ミカンにそっくりだが、とても甘くておいしい。けっこうな喉潤しになって、精気がよみがえる。
 

峠を越えてしばらく走ると、格好の平原を見つけてランチタイムとなる。羊飼いが放牧するのどかな平原に降り立ち、そこに腰を下ろしながらクスコから持参した弁当を広げて食事する。なんとも素敵な昼食風景で、小学校の遠足を思い出しながら和やかな昼どきを過ごす。だが残念にも、弁当の中身はパサついた米のおにぎりで、うまく喉を通らない。水を飲みながら、なんとか流し込む。バナナは青くて固いのでパスし、リンゴをかじってデザ−トにする。



 ここでランチタイム。遠くに羊の群れを追う羊飼いの姿が見える。




食事内容はともかく、4000mを超える高原の澄み切った空気の中でのランチは最高の気分である。こんな機会は、滅多なことあるまい。食後の休息もそこそこに、バスは再びプ−ノへ向けて走り出す。
 

しばらく走ると、今度はとある道路沿いの民家を訪ねることになる。平原の中に一軒ぽつんと建つ民家で、そこにはインディオの家族一家が住んでいる。地元の人との交流をとの計らいで、この民家訪問が実施されることになったのだ。
 

その民家は、石積みの塀に囲まれた四棟建ての建物だが、家の壁は日干しレンガを積み上げたもので、屋根はカヤ葺きになっている素朴な造りである。そして、各屋根の棟や門のア−チなどには、小豚のような魔除けの飾りが2頭ずつ取り付けられている。このやり方は沖縄のシ−サ−とよく似たもので、こんなに遠く離れた異国の地でも見られて懐かしく、どこか共通する文化の流れが感じられる。
 





インディオの住む民家


















屋根には魔よけが飾られている。















主人の案内で邸内に入り、母屋の中に入ると、そこは昼間でも真っ暗。電気もガスもないだけに当然のことなのだ。土間の片隅には低い土のベッドがしつらえてあり、そこで家族抱き合いながら折り重なるようにして眠るらしい。炊事のかまどは屋外に造られてあり、そこで調理をするらしい。入口門横の小さな家には、狭く暗い中に一人の青年がうつろな目をして横たわっている。今、彼は病気で寝ているのだという。大丈夫なのだろうか。
 

部屋の様子や家族を撮影するには、チップを必要とする。また、手製の民芸品も売っている。彼らは、こうして来訪する観光客相手に、抜け目なくちゃっかりと商売をしている様子だ。どうも、この訪問もガイド君とタイアップしているようである。
 

民家を後にして、再びバスは走り出す。峠を越えてからは、なだらかな平原がずっと続いている。そのなかをしばらく走ると、プカラの町に入る。ここでトイレ休憩である。小さな飲食店の裏庭にあるトイレを借りるのだが、粗雑なつくりのトイレだけに、用足しが大変である。男性はまだしも、女性はちょっと抵抗があるようだ。でも、こんな地でトイレを借りるのだから、ぜいたくをいえた義理ではない。
 

ここからバスはひとしきり走ると、空港のある賑やかなフリアカの町に入る。そのごった返す狭い道を通り抜けて走り続ける。そして、プ−ノの町に近づいたところで遺跡見学となる。ここはシユスタニ遺跡で、プレ・インカのチュウラホン文化(紀元1000年ごろが全盛)からインカ時代にかけて造られた墳墓群の遺跡である。鏡のような静かな水面が広がるウマヨ湖を見下ろすなだらかな丘陵地帯に墳墓の遺跡が広がっている。当時、100基はあったと思われるそうだが、雨の多い地域だけに完全な形で現存するものは少ないという。
 

なだらかな坂道を上っていると、ガイド君が立ち止まって静かにという。なんと、先のほうに可愛い野ネズミの一種がちょろちょろと走り回っているのだ。その愛らしいしぐさに微笑みながら丘の上に出る。湖のほとりに広がるこの丘陵一帯は草原になっており、そのあちこちに崩れかけた墳墓が点在している。いずれも小石を積み上げて造った円筒型の墓だが、その中に一つだけ巨石を磨いた曲面の石で大型円筒の墳墓を造ったものが残っている。この墓の中にはミイラが葬られていたそうだが、残念ながらこの墳墓も落雷のため半壊してしまっている。この丘の一角には、円形に石で囲まれた祭祀の跡もある。







 残る墳墓では一番大きい





















ここで祭祀が行われた



 シユスタニ遺跡の墳墓群。右端の円筒墳墓は落雷で半壊。




この丘陵から見下ろすウマヨ湖の景観はすばらしく、まるで鏡をうったように神秘的な静けさでブル−の湖水をたたえている。インカの人々は、この湖の美しさに魅かれてこの丘に墳墓群を造ったのかもしれない。



 鏡のようなウマヨ湖の景色




この美しい眺めとは裏腹に、気分のほうはすぐれない。またぞろ高山病の症状がぶり返したようだ。標高3360mのクスコには慣れていたのだが、4300mのラ・ラヤ峠を越えたり、4000m近いこの遺跡をめぐるうちに再発したらしい。いやはや困ったものである。
 

ここからバスに乗ると、約30kmほどでチチカカ湖のあるプ−ノ町に到達である。ここは標高3855mの地に広がる町で、クスコや日本の富士山(3776m)よりも標高が高いのだ。ここで1泊し、明日はチチカカ湖観光となるので、早く体を慣らさないと困ったことになる。
 

バスは、この町はずれのチチカカ湖畔に建つホテル・リベリタド−ル・イスラ・エステベスに夕方5時ごろ到着。早朝の7時過ぎにクスコを出発し、約10時間のロングドライブでやっとチチカカ湖到着である。このホテルは、海抜3825mのチチカカ湖に突き出た陸続きのエステベス島に建つ白亜の5つ星国営ホテルである。パブリックスペ−スも気持ちのよいほど広々としたデラックスなホテルである。
 





ホテル・リベリタド−ル・イスラ・エステベス
白亜の建物が陽光に映えて美しい。







部屋に入ると、その広い窓からは目の前に広がるチチカカ湖のグランドビュ−が飛び込んで、一気に旅の疲れを吹き飛ばしてくれる。なんとすばらしいパノラマ景観だろう。独りとはいえ、思わず感嘆の声をもらしながら、しばしその雄大な湖の景色に見とれてしまう。これが世界最高地点に位置するチチカカ湖で、面積は琵琶湖の約12倍(8300k )、最大水深は約281mの壮大な湖なのだ。



 圧巻! チチカカ湖のパノラマ大景観




高山病の症状は、クスコの初体験ほどには重くはないが、やはりなんとなく食欲が出ない。女性のなかには、行程途中のバスの中で酸素吸入を受けたりするなど、その症状に苦しむ者がいる。数人の女性は、いまだに夕食にも出られない状態が続いている。折角の夕食ながら、こちらも箸が進まないまま終わってしまう。食堂の一角では、フォルクロ−レのグル−プがペル−音楽を演奏して聞かせてくれる。こうして、和やかなチチカカ湖畔の夜のひとときが静かに流れていく。床に就いたのは、10時前である。



(次ページは「チチカカ湖観光編」です。)










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