≪背景写真はウユニ塩湖のサンセット風景≫
N0.10
(ブラジル&ボリビア)
13.
ラ・パス観光&帰国の旅
南米の旅11日目。朝5時に起床。ホテルを8時半出発とのことで、7時に朝食を摂る。
いよいよ今日から帰国の旅が始まる。ここラ・パスの街を離れる前に、市場などの見学を予定している。
ハエン通り
8時半にホテルを出発。コロニアル様式の建物が並ぶハエン通りで下車し、ぶらりと町並み散策。細い路地の向こうには斜面に広がる住居が見える。
門の側に犬が・・・
お年寄りがのんびり憩っている
通りの壁に描かれた壁画
路地の向こうには斜面に広がる住居が見える
市場・リナレス通り・サガルナガ通り
ラ・パスの胃袋、市場へ移動。ここでは下車せず、車窓から市場の様子を見学。道路わきにずらりと並ぶ商品の数々。リンゴ、みかんなどの柑橘類、ジャガイモ、衣類、日用品・雑貨など、さまざまな品があふれている。売り子の人たちの多くは、民族衣装をまとった先住民のアイマラ人の人たちで、独特の帽子を被っている。ペルーの先住民族ケチュア人との見分けがつかない。
柑橘類を売っている
リンゴなど果物
同 上
香辛料?
民族衣装の売り子さん
(動画)上の写真の動画
ジャガイモ
通りにはみ出した市
ストリートの風景
賑わう市場を通り抜け、リナレス通りで下車。ここには神への捧げ物であるリャマのミイラや薬草、コカの葉などが並んでいる。
サガルナガ通りに入ると、民芸品の土産品や宝飾品が並ぶ。ここで40分のフリータイムとなる。道路沿いに並ぶ品々を物珍しく眺め回しながら、通り抜けて行く。あまり土産品を買わない私にはほとんど用無しのストリートである。ただ、時間を持て余して右往左往するだけである。
石畳の坂道
土産品
道端に置かれた宝飾品
土産品
土産品店
典型的な民族衣装のアイマラ人
サン・フランシスコ寺院
次はサンフランシスコ広場に移動し、そこにたたずむラ・パス最大の寺院・サン・フランシスコ寺院を見学。この寺院はバロック様式の建物で、ラ・パスのランドマーク的な存在となっている。内部に入って見学するが、写真撮影が禁止なので様子をお伝えできない。
(動画)サン・フランシスコ寺院
金で装飾された主祭壇はなかなか豪華なもので見応えがあり、荘厳な雰囲気を醸し出している。他に何体かの聖母像が見られる。約15分ほどで見学を終える。これで今度の旅の観光は完結となる。
ホテルへ&昼食
11時になってホテルへ戻り、最後の荷づくりと休息となる。これより長〜い帰国の旅が始まるわけだが、その前に最後の昼食を和食レストランで食することに。
ラ・パスの郊外にある和食レストラン「ニュー東京」へ。そこで天ぷら定食とこれにゴボウきんぴらやエビも並ぶ。最後はミニおしるこでしめくくる。久々の本格的な日本食に、皆で舌鼓を打つ。さすがにお腹満腹となり、久々の満足感にひたる。やはり和食に如かずである。
レストランの看板
食事メニュー
レストランのガーデン
ガーデンの片隅に咲く黄色いバラ
レジに若い日本人がいるので話を聞いてみる。このレストランのオーナーはこの男性の母親だそうで、実際の経営はこの息子さんがタッチしているとのこと。来店客は韓国人が多いという。そんな話を聞いた後、ここを後にする。
帰路のルートはラ・パス〜リマ〜アトランタ〜成田となる。
リマ(ペルー)へ
ボリビア最後の食事を終えると、レストランからラ・パス国際空港へ向かう。ここは標高4000mを超える空港だが、高地も高山病もこれでお別れだ。
ラ・パス空港ロビー
午後2時40分発のリマ行き便に乗り込むと、一路リマ空港を目指して飛行。約2時間でリマ空港到着。14年前に訪れたこの空港が懐かしい。
アトランタ(米国)へ
ここでアトランタ行き便に乗り継ぎだ。待ち時間は40分と短く、急いで搭乗口へ。17時25分発の機内に乗り込んで座席に腰を下ろすと、60歳になるという米国人紳士と隣り合わせになる。なかなか感じの良い紳士で、思わず話がはずむ。
彼はアトランタから空路で1時間のテネシーに住んでいるという。子供2人の父親で、会計事務の仕事をしているという。8日間のツアーに参加し、ペルーのウルバンバ観光に行った帰りだとのこと。
アメリカの年金制度について尋ねると、受給開始は65歳からだとのこと。あと5年頑張らなくてはと笑っている。日本の年金制度についても教え合う。
アトランタまで6時間の飛行時間と少々長い。隣席の紳士との会話が尽きると、居眠りしたり、機内食を食べたりしながら時を過ごす。
アトランタ到着は23時50分。もう深夜になりつつある。ここで約7時間超の待ち時間。その間に日付が変わって9月29日となる。
成 田 へ
長い待ち時間をどうにかやり過ごし、いよいよ搭乗開始。ちょっと待った! その前に自尊心と人権を傷つけられるいやなセキュリティチェックを受けることになる。そのチェックたるや、ボックスの中に入れ込まれ、上着もズボンも靴も脱がされて肌着一枚の状態にさせられる。そして両手をあげてホールドアップ状態にさせられる。その状態でX線検査を受ける。
話には聞いていたが、アメリカのチェックはまさに異常。テロにおびえるアメリカの実態を垣間見ることになる。チェックを拒否すれば飛行機に搭乗できないし、やむなく言われるがままに従わざるを得ない。
屈辱の思いで搭乗ゲートへ。そしてやっと7時20分発の成田行き飛行機に搭乗。やれやれ、これで日本へ帰れるのかと思うと安堵感にひたれる。成田まで14時間と長い空の旅だが、日本に戻るのだと思うとなんのそのである。
飛行ルートは往路と逆のコースで、アトランタから北上し、カナダ〜アラスカ〜アリューシャン列島〜カムチャッカ半島と飛行し、無事目的地の成田へ到着。時刻は日付が変わって9月30日15時40分のことである。もうこれで自宅に戻った気分である。こうして13日間、成田前泊と後泊を加えると15日間の長旅は静かに幕を閉じる。
あとがき
乾期とは言え、旅行中一度も雨に遭わなかったのはラッキーであった。ただ、道路封鎖に遭って予定のポトシを訪れることこができなかったのが唯一の心残りである。
しかし、なんとか2大目的であるレンソイスの白砂漠とウユニ塩湖を訪れることができ、安堵と満足感に浸っている。
ラ・パス、スクレ、ウユニ塩湖など、標高が3000m超級の高所を訪れたが、懸念された高山病も発症せず無事に経過することができ、ラッキーだった。
今度の長期旅行にあたり、添乗員さんをはじめ、現地ガイドの皆さんに心からの謝意を述べたい。(完)
(2014年1月20日脱稿)